2010年12月30日木曜日

慌ただしくお正月の準備

昼前,母を連れてブックオフへ。
正月三ヶ日に読む本の仕入れ。

求めていた本はなかったが,
本棚を巡っていて全く読んだことない作家や久しく手に取っていない作家の作品の
カーバーに載っている解説や目次をめくって品定め。
あまたの本の中から好み,関心に会わせて選んでいく「至福のひととき」。

まず部屋の本から適当に10数冊選んで持込み。
値段がつかない,買って貰えない本もあったが,そこはそのまま引き取って貰って計1,420円也。

他方,選んだ本は,久しぶりに読む,今年亡くなったつかこうへいの作品より『明日,恋する貴方に』(光文社文庫,1995),自分の趣味ではなく本当に久しぶり高樹のぶ子『蔦燃』(講談社文庫,1997),同じく趣向は合わないように思うが時々読みたくなる
篠田節子『愛で逢い月』(集英社文庫,1998),作風はワイルドでも青春小説が似合う花村萬月『惜春』(講談社文庫,2006),蘊蓄スタイルが若い人には向かないだろう小林信彦『<後期高齢者>の生活と意見』(文春文庫,2008),なぜか手にした榊原英資『間違いだらけの経済政策』(日経プレミアシリーズ,2008)。母の選んだ3冊と逢わせて計2,270円也。

心置きなく趣味に耽ることが許される三ヶ日が楽しみでならない。

 12月30日 早起きしても身体は正月モード。ようやく9時過ぎドトールコーヒー。ブックオフ帰りに讃岐うどんの店。麺もつゆも冷たいタイプを選んだところ,コシが強いだけだった。今年最後のジム通い。再びドトールコーヒー。

2010年12月29日水曜日

人当たりの良さと無責任

29日は事務方が午前中で御用納め,つまり事務所が閉まるため,こちらも自宅研修。
ちょうど母が映画を観たいというので,送り迎えの間ファミレス研修にすることにした。
時間を見誤って開演時間ぎりぎりに車を乗り付けたが,
後から聴いたところでは,元々予告編が放映されるので,開演時間から上映開始までは間がある。
ただ,すでに場内真っ暗でどこの座席に座って良いかわからない状況だった。
幸い同じく遅れては行ってきた人が「一緒にどうですか」と案内してくれたそうだ。
「老人にみな親切」というのが母の,こちらに来てからの印象だ。
マンションでは誰も皆挨拶してくれるし,エレベーターは乗るまで待ってくれる。
スーパーでも百貨店でも銀行でもみな応対が丁寧だ。
買い物袋を2つ,3つ下げて帰ってきた時は管理人さんが玄関前まで持って来てくれる。

ところが,その後,雪道用の靴を求めて同じショッピングセンター内の総合スーパー(ゼネラルマーチャンダイズストア,GMS)に赴いたところ,店員の対応は必ずしも親切ではなかった。
口調こそ丁寧だが,
たまたま家電売り場で出会った店員に問い合わせたところ,「衣料品はこの階ではありません」と言うだけで,広い売り場のどの辺りかは教えてくれない。
問い合わせても良さそうなものだが,しない。
靴売り場のレジでも「その辺り」と言うだけで,具体的にどの靴がそうなのかは示してくれない。売り場で出会った店員もそのレジに問い返すだけで埒が明かない。
「いい加減」「無責任」というのが母の印象だ。

これは地域性というより個別企業の問題かもしれない。
というのも,家電販売,レジ打ちなど自分の「目の前の仕事」しか関心ないようで,「目の前の客の関心」には関心が向かないように見えたからだ。

自分の仕事に専念するのは局面的には合理的であろうが,レジに並ぶ前に客は売り場で品物を探し,吟味するのだから,全体的に観れば,店の評判を落とし全く合理的とは言えない。外資系に吸収されリストラを断行したということもあるが,店,企業全体に余裕がないことの表れであろう。

こういった印象はその後訪れた銀行系企業でも受けたようで,
対応自体は丁寧なのだが,対応が遅く,相当待たされた。
玉にしかない注文だったかもしれないが,それにしては時間が掛かり過ぎと不満を訴えていた。

表面的な丁寧,フレンドリーさは重要だが,
その次にある対応が芳しくないと,
受ける印象は全く違ったものになる。

ミクロ的最適化より,全体の最適化をまず考えるべきであろう。

2010年12月27日月曜日

足下


週明け,大学に来てみると,やはりコンクリートの中は冷たい。
チームは入っていても,足下は寒い。

2010年12月26日日曜日

先の長い話


昨晩遅くまで掛かって作成した年賀状を投函して近くの皮膚科に通信。
背中はかなり良くなった。
塗り薬の効果か,たまに家で入る風呂の付け薬の影響か,
中山平温泉「」から貰ってきた温泉の湯を毎日飲んでいたのが効いたのか。
お医者さんの見立ては「薬をしっかり塗るようになって,傷が塞がれ,アレルゲンの侵入を食い止められた」から,というもの。
とはいえ,頬や眉の辺りと腿や膝の裏に症状が残っている。
つまり良くなったのは背中だけ。

午後は近くの歯医者。
今日歯型を取ったので,来月からいよいよ奥歯の矯正開始。
月1回のペースで6ヶ月から1年かかるという。

いずれもしばらくは通院生活が続く。

 12月25日 午前ドトールコーヒー,夜

ジムでマッサージを受けた後ファミレス。一歩進んだと思ったら二歩後。
こちらも先が長い。

2010年12月24日金曜日

出不精

祝日,普段通り朝早く起きても,くだくだしているうちに10時過ぎ「昼飯前」。
なし崩し的にオフに切り替えて,さて年賀状の題材,写真を探してみたが,
GWにいつもの温泉旅行の仲間と出かけたくらいで,
後は近場の中山平温泉と秋保温泉くらい。しかも後者は日帰りくらいだ。
10月の大阪行きは学会出張だったし,ヒョウ柄に出会えずネタにならなかった^^;。

一年を振り返ってみると,
出不精に拍車が掛り,
振り返っても直ちに話題が思い浮かばないほど起伏に乏しかった一年かな。

 12月23日 久しぶりにジムに寄ったくらいのオフ日
 12月24日 基盤教育「市場経済」は失業時のセイフティ・ネット。夕方より来年度のオムニバス科目「総合講座III」の打合せ。その合間に,人文学部学生用図書の選定,及び来年度の2年生ゼミの募集要項作成。帰宅後いよいよ年賀状作成に取りかかる。

2010年12月22日水曜日

ネットの怖さまじまじ

気分が乗らない時にネットサーフィンして気分転換?を図り,転換できずズルズルということもあるが,
昨日から奇妙なことが起きている。

電子書籍及びスマートフォンに関心があるので,
新機種のいくつかについてユーザーのコメントやレビューが出る度にメール案内が届くよう登録していたところ,
韓国製のスマートフォンに価格比較サイトが韓国系資本だからという理由で(本当かどうかはわからないが),使用感は一切記さず,評価項目全てに最低評価1をつけているレビューが載ったかと思うと,
しばらくして別名義の者が同じ理由で,日本製スマートフォンにオール1を付けていた。
内部規定に触れたのかそれらは何時しか掲載から消えたが,今日また同じようなレビューが乗った。

傍目にはどんなに甘くても,逆に辛くても実際に利用した上での評価なら本人の自由だし,
閲覧する方も人による評価のバイアスを織り込んで参考にするので問題ないが,
具体的に使用感に触れずに評価しては「誹謗中傷」と変わらない。
書き込んだ人は日本製を応援したい気持ちが強いのだろうが,残念だ。

同日,ツイッターでの芸能人の私生活暴露が話題になった。
どうも火付け役は原理主義的?批評家のツイッターのようだが,
私生活上の問題は,当事者間で話し合うなり,裁判に訴えるなりすればよいのであり,
ネットで公にしたところで,野次馬の好奇心に晒されるだけであろう。

どちらも個人的感情をそのまま?吐露したところ,ネット上では瞬時に反論,反批判棟が呼応して大騒ぎになったり,掲載削除されたりしたケースである。
「他山の石」としよう。

 12月22日 「自治体経営」は県の商工政策。学生に代わって質問。
電機産業が早くから新興国との競争に晒されていたのに対して,自動車産業はリーマン・ショックまでは日本の一人勝ち状態でした。県内の企業で,電機・電子産業と自動車部品産業とでけいえいじょうたいにさがありますか?「例えば半導体需要は裾野が広く業績が上がっているが,自動車部品に関してはまだリーマン・ショック以前の水準まで回復していないところが多い」。その後,人文学部留学生懇談会及び懇親会。
留学生が増え,自己紹介は省略,料理は30分もしないうちに消失^^;。
帰りは高速道の一部が雨で普通。一般道に迂回して関沢ICの手前で「このままでは進めませんのでチェーンを付けます」との車内アナウンス。結局チェーンを付けなくて済んだようだが,迂回と停止で30分弱余計にバスに閉じ込められてドッと疲れた。

完全フリー

ちょうど締切りが設定されていないと,
物事が進まないように,
一日自由に使えるとなると,
いろいろなことに気が散ったり,
時間があると油断したりして,
さして仕事が進まない。
結局ジムに行くのを諦めて,
近くのドトールコーヒーで文献読んだりしてつじつま合わせを測ることになる。

もちろん,ことの反面は,考えが煮え詰まらないので,筆が進まない,という点にある。

 12月20日 「専門基礎演習Ⅱ」では先週に続き,なぜベーシック・インカム論者は「比例税率」に拘るか,を問うことになった。これは学部生には難しいかもしれないが,決定的な論点だと考えている。
 12月21日 前掲科目を月曜日に移したために完全フリーな一日。下校間際に文献2件スキャン(これも自炊?)したことくらいしか思い浮かばない^^;。

2010年12月20日月曜日

年度末を睨んで


基盤教育「市場経済」および宮城学院大学「経済社会特論」の残り3回分の講義資料を編集。

昨年度まで1回で解説していた非正規雇用を2週に亘って解説しようとしたが,2週分合計して60スライド近く。それも文字ポイントを落としてやっとのこと。「それじゃ,パワーポイントの意味ないですよ」ゼミ生の容赦ない指摘^^;。

 12月18日 自宅にて講義資料の準備。午後,東北学院大学にて「宇野弘蔵評伝」仙台作業グループの初会合に参加。仙台以外からも,弘前,埼玉,東京から参加者。終了後,駅前の「アジュール銀禅」にて懇親会。
 12月19日 ノートPCをデイパックに詰めて外出したものの,原稿練り上げに呻吟したのみで,遂に起動することなく帰宅。光のページェント,控えめに再開するも人手多し。


 12月20日 午前中,講義資料作成。午後「専門基礎演習Ⅱ」。現行社会保障制度の持続可能性とベーシック・インカム。

2010年12月18日土曜日

ゼミコンパ


 つい一昨日,オンザロック2杯でぐでんぐでんになったばかりなのに
経済原論演習」の
コンパでビール中ジョッキ3杯。

 今度は無事帰れた^^;。
 思い返してみると,一昨日はシャンペンで乾杯した後,ビールをコップで2,3杯飲んだあたりまでは何ともなかった。
 その後のオンザロック。
 問題は2杯目。
 自分で作ったのが間違いの元だった。
 「ちょっと濃いめ」が高速バスに乗ったころに回ってきて。。。
 今度はバーテンダーに任せて3杯目にトライしよう。

2010年12月17日金曜日

忘れたころに

今週の水曜日は,午前中から山形仙台圏交流研究会,昼休みに会議,午後,定例教授会と並行して「自治体経営」の講師接待?(お迎えと学生への紹介等々)。さらに教授会終了後に学部忘年会と会議,行事が目白押しだった。

忘年会だから今年のさまざまな行事とともに思いを押し流すことになるはずだが,
直前に郵便を受け取って
忘れていた仕事を想い出した。

忘れていたというか,そろそろ連絡が来るかなとは時々想い出していたが,
歳も押し迫ってスッカリ忘れていた。

これで毎年請け負っている『春闘パンフレット』の「経済指標の解説」(1月半ばが締切り)とともに来年2月までは学務と並行して忙しく,頭の重くなる日々を送ることになる。

12月16日 宮城学院大学「経済社会特論」は失業時救済。労働保険のうち,雇用保険,さらにその中の失業時給付,いわゆる失業手当の加入条件と受給条件および生活保護制度を解説し,新聞記事「求職生活,どう支える」(朝日新聞2009年4月19日付け)の読み取りを行なった。失業手当の加入条件と受給条件が非正規雇用にとって厳しく(前者は「雇用見込み期間31日以上」と改善したが),労働能力のある者を基本的に除外している現行生活保護制度では正社員も含め失業手当が切れた場合にたちまち困窮してしまうことを解説したつもりだが,詰め込みすぎという面と読み取りの設問が練れていなかった面があり,回答にもバラツキが多くなっていた。反省。講義後,一旦帰宅し,母を連れて秋保温泉にあるスーパー佐市へ。「さいちのおはぎ」(写真)は土日は半日で売り切れるほど人気で,最近スーパーの社長が朝日新聞の「ひと」欄でも取り上げられた。「お野菜も安い」と散々物色したため遅い昼食の後,読み取りの採点。ジム帰りにファミレスにて差し当たりのテーマについて。

2010年12月15日水曜日

好事魔多し

暮れの風物詩といえば,光のページェント。街路樹のLED電球飾りを運転しながら見学する自動車の列で定禅寺通りや勾当台通りは渋滞を極めている。

にもかかわらず,さらに人を集めようとしているのか,14日の夜8時にも電球で飾った山車を出動させていた。

ところが,その直後,電極番からの出火騒動が二度も起こり,翌日は行事中心に追い込まれてしまった。
盛者必衰,ではないが好事魔多しの教えは軽視できない。

2010年12月13日月曜日

評伝のスタンス

日曜日の夜,ホリプロ創業者堀威夫の評伝,村松友視『ギターとたくあん』(集英社,2010)を読んだ。

前夜のシナリオライターによる小説と異なり,
小説家による評伝はやはり読みやすい。

文章力というより,文章としての飛躍がないからだ。

他方で,堀の足跡を振り返ることで,バンドマン出身で芸能プロダクションをはじめて株式上場させたこの男の何を明らかにしようとしたのか,不明な点が残った。ギター的資質(バンドマン性,企業家性),たくあん的資質(堅実性,良識性)の両面性といってもいうだけでは食い足りない。誰しも一面的である方が稀有なのだから。
評伝は,小説ほど著者独自に造形できないとは言え,対象とのスタンスがもっと明確であった方が良かったのではないか。

12月13日 大学院教務厚生部会。「専門基礎演習Ⅱ」は小沢修司「ベーシック・インカム構想にみる『就労』と『福祉』の転換」(『社会福祉研究』6,2005)の報告。所得への比例課税,福祉国家の限界,労働市場の流動化について。第1,第3の点は次回の宿題。

2010年12月12日日曜日

温泉宿にて

「アトピー治んないの?鳴子温泉の先、中山平温泉の手前(先?)曲がったところのペンション。温泉浸かっても飲んでもアトピーに効くって評判で週末はポリ缶持って人がたくさん押し掛けているよ」

アドバイスを承けネットで見つけたのがあすか旅館
ペンションではないが、ネットでヒットした中山平温泉唯一の「飲める温泉」

昼前後,母親の携帯電話会社変更手続に付き合ったのと,途中,米沢で育った伊達政宗が仙台に居を構える前、12年間住んでいた岩出山城山に立ち寄ったため,着いたのは16時過ぎ。

それでも時間はタップリある。
退屈しのぎに持ち込んだのはTVドラマが密かに話題になっている,という大石静『セカンド・バージン』(幻冬舎文庫,2010)。
ひなびた温泉宿では妄想も沸き起こらないだろう,と^^;。

妄想は湧かなかったが,没頭できたのも放しの半ばまで。
密会が公になってからの展開は唐突で戸惑うばかり。
何せ相手が失踪する(しかも犯罪組織に脅かされ海外雄飛という突飛な設定)のだから,
その後の展開は何を軸にしているのか不明で冗長なだけ。

12月12日 宿を出ると,既に日帰り入浴のついでに「飲める温泉」をポリ缶に詰めようと順番待ちの車の列。こちらも18Lポリ缶を買ってその末尾に。 見物は日本コケシ館だけに止めて帰宅の途へ。

2010年12月10日金曜日

待ちに待つ電子書籍

電子書籍には期待している。

電子書籍リーダーには,発売4ヶ月で全世界で327万台売れたアップルのiPad,シャープのGALAPAGOS,あるいは発売2ヶ月で世界十で100万台売れたという韓国サムスンのGALAXY Tabのようなタブレット型PC(液晶に本体内蔵,指でタッチして操作)と,AmazonのKindle,ソニーのReaderのような専用機に大きく分れる。

しかし,自分の場合,外出先で文書入力する場合,キーボードが付いた通常のノートPCが必須だ。確かにタブレット型PCの液晶にも仮想キーボードを設定できるが,携帯電話のように1つのキーでアルファベット3文字を兼ねていてはブラインドタッチにならない。
また,WEB閲覧やメール送受信なら携帯電話で充分だ。
つまり,タブレット型PCには魅力を感じない。
むしろPCである分,大きく,重くまっているし(iPad;9.6インチ液晶700g,GALAXY Tab;7インチ382g,GALAPAGOS;液晶5.5インチでも220g,10.8ンチは765g),液晶のバックライトのため,長時間画面を見るのは目に辛いし,バッテリー保ちも悪い。

その点,専用機は電子ペーパーなので目にやさしいし,ページをめくったり,書籍をダウンロードする時くらいしか電力を使わないので,バッテリー保ちも良い。何と1週間保つという。
また軽い。Reader;5インチなら155g,6インチ215g。Kindleは6インチで 290g,9.7インチで 540g

つまり専用機には大いに期待しているのだが,
今年だけで世界中で660万台売れたKindleは基本的に日本語に対応していないし,Amazonは日本語の電子書籍を売り出していない。Kindleの魅力は書籍ダウンロード時に通信費が別途掛からず,Kindle本体価格に含まれているという点だ。

今日,12月10日が発売日のソニーのReaderは同時に専用の電気書籍ストア「Reader Store」を開くとのことで「待ちに待っていた」が,品揃えは決して良いとは言えない。

「餅は餅屋」
紙ベースと変わらないくらい豊富な電子書籍を手に得るにはAmazon Kindleの日本語版発売を待つしかないようだ。

12月8日 午前中,引き続きベーシック・インカム関連本。 午後は,学外講師への挨拶,紹介を担当しているだけの「自治体経営」関連でアタフタ終了。
12月9日 宮城学院大学「経済社会特論」は雇用調整。ディーラーでタイヤ交換後, 講義資料及び小テストの作成。

2010年12月7日火曜日

ベーシック・インカムへの違和感

先週,自分は必ずしもベーシック・インカムに賛成ではないが,周囲の学生のベーシック・インカム拒絶症は,ベーシック・インカムの発想やその背景を知らないままの反応のようだ,と記した。

ではなぜ自分が賛成ではないのか。
「論じる」と長くなるので,結論だけお話すると,その市場信仰ないしリバタリアン的偏倚への違和感があるからである。

ある本によると,若手思想家はあるラジオ番組で「ベーシック・インカムは左翼的イメージを払拭しなければ人々に受容されない」という趣旨の発言をしたと言われるが,受容=流行という点は意味ではその通りであろうが,正にそれ故にこそ(市場の規制を厭い,市場外的な給付に止めようとする姿勢にこそ)距離感を覚えるのである。

12月7日  ある本を読んでいたら一日終わる。久しぶりにジム。
12月8日 近くの皮膚科に通院。症状が悪化しているのか1週間少々で塗り薬枯渇。今回はボトル2つ貰って登校。ジム帰り雹に遭う。

2010年12月6日月曜日

いつもの日曜日

完オフでない限り,
寝坊はしても午前中のうちにデイパックにノートPC忍ばせて外出。
スターバックスは「本日のコーヒー」ショート。
昼は吉野家にて牛丼並盛り生卵味噌汁が定番。

スタバは同一日に限り別の店舗でも100円でお代わりができる(博多ラーメンの替え玉を想い出す^^;)が,問題はバッテリー。
中古で買ったレッツノートR8はバッテリー持ちを良くする80%充電では2時間余りでバッテリー切れ(こちらの使い方のせいかもしれないが)。

集中力はそんなに続かないから,昼食に出るなど気分転換にはちょうど良いが,
休憩後再開しようにもパソコンは使えない。

パソコンを使用するのは一番最後の入力だけにして
紙と鉛筆で入力する内容を練る,という手もあるが,
キーボード叩きながら内容を練ることがパソコンの良い点だ。
決して清書マシーンではなく,キーを叩きつつ,脳みそも叩いているのだ^^;。

よく天才系偉人は下書きすることなく作品を仕上げたという逸話を残しているが,
どんなに才能があろうと,あるいはIQが高かろうと,
人間が頭の中だけで考えられることには限りがある。
紙や画面に打ち出すことによる反芻こそが質を規定する。

もっと長持ちするバッテリーが欲しいところだ。

12月5日 駅舎内のスタバで粘るつもりがバッテリー切れで昼食後帰宅。夕方駅近くのジムに寄った後,国分町スタバで100円替え玉? 結局駅周辺まで一日2往復。バッテリーは2時間少々で切れてもmyイーグルス2号を漕ぐ脚は磨り減らない^^;。

2010年12月5日日曜日

この間

この間、ブログを更新しなかったのは目下の関心亊、論文構想に全く進展がなかったからで、ジム通いも控えていたほどだ。
では、家で何をしていたか、というと、
NHKドラマ『坂の上の雲』再放送の、さらにその録画を母と見ていた^^;。
原作にこんな場面あったかなぁ、と。

再放送が終わって、さて本業と思ったところで、第2部開始。(実際はBShi先行放映録画済み)

それはともかく牛歩でも蝸牛の歩みでも関心は進んでいくものらしい。

2010年12月1日水曜日

空転

気持ちは「あっても」「乗らない」時が一番辛い。

 11月30日 一日中,机に就いていたが,空転。ジムに寄るのも辞めてまっすぐ^^;帰宅。
 12月1日 昼休み講座会議。定例学科会議。合間に「自治体経営」の講師にご挨拶。講師紹介,質問取りなど。今日は県教育庁より教育行政。とはいえ,もともと中学校の先生。ちょうど第5次教育振興計画の見直し作業でお忙しい中,久しぶりの授業だったらしい。学科会議後,外部講師を招いて「キャンパス・ハラスメント防止講演会」。

2010年11月29日月曜日

ベーシック・インカム拒絶症・その3

学生にはベーシック・インカムに対して否定的な意見が多い。
ベーシック・インカムの仕組みやその底にある発想,理念,あるいは現在の社会保障制度の問題点を調べた上でのことなら全く問題ないが,
ちょうど街角インタビューで「好きか嫌いか」を問われた時のように直感的に反応したのでは全く勉強にならない。大学生でも無学な者でも変わらないからである。

学生のベーシック・インカムに疑問を提起する時,持ち出すのが財源問題だ。

しかし,これも多分に昨今のマスコミの論調に引き摺られている面がある。

確かに日本の政府債務残高は膨大で09年12月末時点で約872兆円。名目GDPの約1.9倍に相当する,といわれている。
しかし,日本の場合はまだ国債を国内で消化されており,金利が急上昇する局面にはない。
現在の欧州金融機関のように,ギリシャやアイルランドの国債の償還に不安を持たれる状況---償還できなければそれらの国の国債を大量に抱える欧州主要金融機関が取り次ぎ騒ぎに合うだろうし,EUとして救済すればユーロが弱い通貨となり,保持する意味が薄れてくる---にはない。少なくとも日本では政府債務残高問題が「目の前の危機」となっているわけではない。
アメリカほどの経済不況ではないが,マスコミ報道も与って不況色が蔓延すると,財政再建を後回しにしても景気回復に努めた方が良いとさえ思えてくる。

その上で,実際の必要があれば,支出すべきであろう。
現に与党政権以外にも,マスコミや財界に賛同者が多い環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)に参加するならば,民主党がマニフェストで唱ったのか戸別所得補償制度どころの騒ぎではない。
農水省は,来年度の予算に,戸別所得補償制度分として1兆円弱を要求しているそうだが,TPPに参加となれば「少なくとも新たに年2.5兆円程度」必要になる,という(朝日新聞2010年11月20日付け)。
現にコメ輸入の関税化を決めた1990年代前半のガットのウルグアイ・ラウンド交渉を受けて、日本は農業対策に6兆100億円を」(同上)投じている。

そもそも「小さな政府」論者の中にベーシック・インカムに賛同している者がいるのはなぜか,考えてみる必要がある。

その点を見ようとしないで,現在の制度の延長線上にベーシック・インカムを捉えて賛否を表明しても,専門知識を全体としない街角インタビューの反応と変わらないのではないだろうか。

先週のこと

先週のことを書き忘れたが,忘れた^^;。
水曜日と金曜日はずっと埋まっていたし,他は自分の仕事に没頭?

土曜日27日の三大学合同ゼミ(今回分はHPなし)は,
3ラウンド(メリット・デメリット,労働意欲への影響,賛否)に分けて学生が十くらいのテーブル毎に議論し,結果を発表。

第2ラウンドまでは,長短所を比較している風だったが,最終ラウンドでは否定的意見が強かった。
やはり「働かざる者食うべからず」という倫理や財源問題に影響されるようだった。(この件は改めて論じる)。

日曜日28日はデイパックにノートPCを詰めて外出したものの,さして進捗もなく,偶然にも文春文庫ばかり,徳川 宗英『徳川家の江戸東京歴史散歩』文系春秋編集部『「坂の上の雲」人物読本』佐藤愛子『老い力』 (文春文庫) 。

2番目は第1部が再放送され,第2部がBSHiで先行放送されるNHKドラマのため(原作は数年前,断続的に続いた出張の合間に読んだ)。3番目は母への土産?

2010年11月27日土曜日

学生の視線

大学では教員と学生の関係は,高校までの担任教師と生徒との関係ほどは密接,濃厚ではない。
それでも演習(ゼミ)ないし研究室に属するようになると,2年,大学によっては3年ないし4年担任関係が生じるので親しい関係になる。
理系や文学部計の場合には,学生は,毎日,ちょうどクラブの部室のように研究室を拠点にして他の教室や実験室,演習室に向かうので,根城となる研究室の教師との家計は深い。
社会科学系の場合には,他の授業と同じように演習(ゼミ)の時間だけ主任教員と学生は接するだけ,つまり週1回顔を合わすだけだが,それでも2年ないしそれ以上関係が続くし,卒業論文やレポートの始動を通じて関係を深める。

関係が深まれば,親しく接することになり,互いにプライベートな告げたり,なれなれしい,あるいは踏み込んだ発言を互いにするようになる。

中には「そこまでいうか」と感じる踏み込んだ発言になり,ムスッとさせられることしばしばである。
しかし,そういう感情をおいて考えてみれば,学生もよく見ているなおぁと感心させららる。
当然であろう,学生も2年近く教員を傍で観察し,またその言動で好悪さまざまな感情を引き起こされてきたわけであるから。

もちろん,その発言全てに納得するわけではない。
教員が教員として学生を観ているように,学生は学生の視点,立場で教員を観察しているわけであるから。

しかし,それらの発言は親しいものならでは気付いた点も多く,ハタッと教えられることも多い。
誰でも家族や友人知人など親しく接する者はいるわけであるが,
年の離れた若者から普段気付かない知見を得るのは教員ならではであろう。

ベーシック・インカム拒絶症・その2

繰り返し述べているようにベーシック・インカムに対し必ずしも賛同しているわけではない。
しかし,周囲の学生を観る限り,余り関心を示さない。
それはそもそもベーシック・インカムが提唱される現実生活における問題,セイフティ・ネットの現状を知らないが故の拒絶反応ではないか,と述べた。

すると早速,昨日のゼミで種々の諸説を調べた上で反省,反対の論拠をそれぞれ報告してくれた。
「ワークフェアの問題点など先週から指摘していましたよ」。
あぁ,そうだっけ^/^。

目の前のゼミ生に拘らず,続きを書こう。

ベーシック・インカム拒絶症の根拠の一つに「働かざる者,喰うべからず」という労働倫理がある。

あるいは,ベーシック・インカムに限らず,例えばこども手当などに対し直ちに「バラマキ」という批判が巻き起こる。

しかし,現在,われわれが受け取っているものは,それほど対価性があるのであろうか?

例えば,年金は基本的に保険方式を採っているが,老齢基礎年金(共通の1階部分)の毎年の給付の2分の1は国費負担,税金である(2007年度までは3分の1だった)。

医療保険も,例えば,国保(国民健康保険)による現物給付(窓口にで本人3割負担以外の7割の拠出)は全て保険料で賄われているのではなく,その約43%は国費ないし市町村の負担である。国保以外,すなわち被用者保険(健康保険,共済組合等)も同じである。

賃金の現金部分だって,雇用調整助成金という形で税金が投入されている可能性がある.あるいはそもそも賃金自体が市場の競争だけで決まったものではない。団結権が認められ,最低賃金が法定されている中で決まっているのである。

経済原論のモデルでない限り,市場外の諸要因が関与しているのである。

「働かざる者,喰うべからず」としてベーシック・インカムを拒絶する説き,こうした現実は念頭に置かれているのであろうか。

ベーシック・インカムの特徴は,給付ということそれ自体よりも,それを統合している点にある(その点はまた後に触れたい)。

2010年11月26日金曜日

ベーシック・インカム拒絶症・その1

先日,学生にベーシック・インカムが受け容れられない,正確には賛否は別にしてその意義が理解されない原因の一つに,現状に対するイマジネーションの欠如がある,と述べた。
しかし,それではあまりにも精神論的に過ぎた。

ベーシック・インカム論者のいう必然性論に遡って,ベーシック・インカムの意義が理解されない原因を考えてみたい。

小沢修司氏によれば,ベーシック・インカムの必然性は以下の諸点にある(小沢修司「ベーシック・インカム構想と新しい社会政策の可能性」『社会政策学会誌』16,2006年)。
  1. ケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家が前提とした完全雇用が難しくなった
  2. 労働社会の変容が福祉国家の前提とする「家族」を揺る動かしている
  3. ミーンズテストに伴うスティグマや「失業や貧困の罠」から社会保障給付を解き放し,社会保障制度と税制の統合と合理化を果たすことへの期待
  4. 経済成長に基づくパイの再配分に与ってきた福祉国家は環境に負荷が掛かる
学生はそれぞれの要因に実感を感じていないのではないか?
  1. 未だ希望すれば就職できる社会である,非正規雇用であっても厭わず就職すればよい。言い換えると失業は個人の問題である。
  2. 学生は大抵独身で所帯を持っていないので,例えば社会保険の拠出や給付が家族単位の面があることの窮屈さを実感できない。
  3. 学生の間にも新自由主義,市場志向は浸透しているように見えるが,所得税や社会保険料を支払っていないので,社会保障制度と税制の統合の必要性を強く求めるまでには至らない。
  4. 学生も環境には関心が高いが,再分配を支える成長の環境負荷までは気付いていない。
 つまり実感のなさは就労体験がないことに基づく。

しかし,社会科学を勉強しているのだから,理屈・理念として論者の主張する必要性を理解できないし,その上で自身の賛否を語れないものであろうか。
  1.  例えば「働く者喰うべからず」といっても,現代の先進資本主義諸国では完全失業率が自然失業率まで落ちるほどの成長率が見込めるのだろうか。
  2.  例えば年金の場合,第2号被保険者(サラリーマン,公務員)の専業主婦は第3号被保険者として夫とは独立に基礎年金の有資格者となった)が,所得比例の2階部分,厚生年金については夫の合意がない限り,分割して給付を受けられない点や,第1号被保険者である自営業者の専業主婦は同じく第1号被保険者として保険料を納める必要がある(第3号被保険者は保険料が課されない)点は,離婚率が上昇したり,未婚率が上昇したりしている今日の社会情勢に適合しているのだろうか。
  3. 新自由主義への信奉といっても,「貧困の罠」「失業の罠」を福祉国家の問題点として理解しているくらいで,その解決策をどのように考えているのだろうか。新自由主義的経済学者が解決策として処方する「負の消費税」や「給付型所得控除」が仕組みとしてはベーシック・インカムと同型ではないか。
  4. 財政が肥大化した福祉国家の是正策として就労や職業訓練を給付の条件とするようになった積極的労働市場政策は完全雇用が望めない状況で妥当だろうか。
つまり,ベーシック・インカム拒否症は,その仕組みや背景を理解した上での判断ではなく,単なる「勉強不足」に起因しているのではないか。

2010年11月23日火曜日

有期雇用改革の提言について

11月22日(月)付けの日本経済新聞,経済教室コーナーでは,鶴光太郎経済産業研究所上席研究員が「有期雇用改革、『量』削減より『質』の向上を」と題して労働市場規制のあり方を提言している。

要は,有期雇用改革に関して欧州の規制に倣うことへの反対と,それ代わる,有期雇用の量的増大を前提にした「質的」規制の主張である。

すなわち,1999年の欧州指令は,「期限の定めなき雇用」(無期契約)を基本とし(理念),有期契約締結の条件を一時的な需要増や季節要因に限定する入口規制と,有期契約の反復による乱用を規制する出口規制からなるが,既に有期雇用が増大している日本では欧州とは理念が異なるので欧州の規制をそのまま導入できない。実際,韓国では97年より出口規制(最長2年,2年を超えたものは向きと見なす)を導入しても正規雇用は増えなかった。そこで,有期雇用改革としては,有期契約の「量的」削減から「質的」改善を目指すべきである。具体的には,
  1. 「契約締結時点で更新可能性や更新回数を明示した有期雇用契約の多様なコース分けを徹底し、制度化することで、契約終了時の結果の予測可能性を向上させる」(有期雇用の不安定さや雇い止め問題への対応)
  2. 「正社員として採用するための試用期間を有期雇用契約として明確に位置付ける「テニュア(在職権)制度」を導入」する。
     現在は,試用期間が期間の定めのない雇用契約の中で位置付けられているため解雇権乱用法理が適用されるが,これを有期契約の中に位置付けることにより「企業側は正社員雇い入れリスクが低下し、結果的に正規雇用比率が高まる効果が期待できる」。
  3. 「雇用不安定への補償という観点からは、有期雇用の契約終了時に『契約終了手当』支払いを義務付けることも検討」する。

     これらは「有期雇用と無期雇用の間に中間的な雇用形態や処遇の仕組みを作ることで『間を埋め』、期間比例的な考えに基づき『連続性』を創出していく」氏のかねてからの主張に沿うものだそうである。

この提言に対しては,まず第1に,日本への欧州型規制への導入を拒否する論拠として,日本では非正規雇用の比率が高まっているため期限の定めなき雇用を基本とする欧州とは労働市場の理念が異なるとしていることに疑問を覚える。
非正規雇用の比率が高まったといっても33%前後,男性に限定すれば,20%未満に止まっているし,何より労働基準法が「合理的理由のない解雇は無効」としている点で期限の定めなき雇用(いわゆる正社員)を基本としていることは明らかであるからである(明文化されたのは2004年だが,判例上はその前から適用されていた)。
セイフティ・ネットを維持する面からも期限の定めなき雇用が依然として基本とされるべきであろう。

第2に,有期契約の類型を増やし労使双方ともに利用しやすくする,リスクを抑えること自体はもっともな主張であるが,その形式的合理性に隠れて,異様に長い有期契約,あるいはその反復更新が滑り込まないよう注意が必要であろう。仮に「異様に長い」有期契約,あるいは反復更新が続くのは,実質常用の有期的使用に他ならない。

第3に,しかし日本にとって最大の問題は,正規雇用と非正規雇用の賃金格差をそのままにしておいて,正規雇用の「量的削減から質の向上」といっても,質の向上には賃金格差是正が含まれないのでは,非正規雇用の増大は一層進行し,格差は拡大するだけで終わるだけであろう。
つまり,非正規雇用増大の原因は,新興国の興隆とともグローバルな企業競争が激化したり,技術革新の国際的浸透が早まり試製品のコモディティ化が進んだりすることによって,投資環境の再構築の期間がますます短期化し,労働市場も流動化せざるをえなくなった面(99年の労働者派遣法改正がそれを後押しした)と,もともと労働市場の二重構造により賃金等処遇格差が大きく,労働者派遣法で使いやすくなった非正規雇用を単に「安い」労働力として利用したという面,両面がある。


まず均等処遇を徹底した上でならば,短期的ないし有期的契約に多様な類型を整備し,「有期雇用と無期雇用の間に」「連続性」を創出していくことは労働者にとっても働き方に多様性を齎し,自ら育児,介護に携わる余地を拡大することにつながるわけだから,無下に否定するどころか,むしろ歓迎すべきことといって良い。

しかし,美しい改革の理念の下に,実態としての常用雇用の有期的利用が滑り込んだり,賃金格差の利用が温存されるのであれば,美名の実態を詳らかにせよ,優先順位に異議あり,とはねつけざるをえないだろう。

2010年11月22日月曜日

学生のベーシック・インカム拒否症

周囲の学生にはベーシック・インカムのウケが悪い。

前期,教養セミナー「格差を考える」で山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書,2009)を輪読した際も,専門の「経済原論演習」でオープンゼミ用にゼミ生にディベートをして貰った際も,おおむね反対論ばかりで,議論が成り立ちにくかった。

「学生にも賃金を」とか「生きることが労働だ」というフレーズに拒否反応を示すようだ。
また政権が交代しても,マニフェストの目玉,こども手当や高速道路無料化が財源不足で約束通りの形での実現をなかなか示せないご時世を反映してか,財源難を指摘する者も多い。
あるいは,少し踏み込んで新自由主義者が飛びついている点に危機感を示す学生もいる。

実は自分自身もベーシック・インカムに賛成しているわけではない。
その点はここでも少し述べた。

しかし,学生にはベーシック・インカムが一部であれ,世界的に喧伝される背景,所以に思いを馳せて欲しい,とは思う。
もっと言えば,イマジネーションが足りないのかとさえと思う。

世界中で労働市場の流動化が進んでいる。
日本でも若年層ほど非正規雇用の比率が高く,また失業率も高い。
大学生の就職内定率も過去最大である。

まずそれらを「仕方ない」と受け容れること自体が疑問だが,
「仕方ない」現実として,彼ら,非正規雇用や無業者はどのように生活を送るのであろうか。
また失業した場合はどうであろうか。

親のすねを別にすれば,公的セイフティ・ネットでどうにか生活できる,と思っているのであろうか。

失業しただけでは生活保護は受けられない。
福祉事務所では,働く能力と意思があるんだから「職を探しなさい」と追い返されるのがオチであろう。

雇用保険も覚束ない。
パートでは金額が少ない,という問題ではない。
加入条件が緩和されたとは言え,非正規雇用ではそもそも加入できないのであるから,びた一文受給できない。

バイトも派遣も首になれば,住むところにたちどころに困ることになる。
務めている間は社宅を利用することができても「雇い止め」になればそうはゆかない。
2008年暮れ「派遣村」が賑わった所以である。

若者にはまだ先のことではあるが,年金の将来が危ういのは本欄でも述べた。

セイフティ・ネットの乏しさに苦しんでいる若者は多い。
こういった状況を解消するのにベーシック・インカムが唯一でないことは言うまでもない。
しかし,今現在,具体的な妙案はなかなかない。
学生は自分がそういった状況と隔絶した環境に自分がいるとでも思っているのであろうか。

「イマジネーションが足りない」と言ったのはそういった意味である。

2010年11月20日土曜日

税方式になびく訳

先週,授業で,基礎年金の現行保険方式と税方式を検討した記事を読み,質問に答えて貰ったところ,
「記事を読む限り,税方式が圧倒的に優れているのに,税方式に転換しないのはなぜですか」と疑問を記した解答があった。

記事は朝日新聞2008年2月19日付の「基礎年金 保険か税か」(シリーズ「08政権選択にっぽんの争点」)であり,両方式の長短所を比較検討したものであり,おまけにイラストが左右対称でその長短を示してくれているのだから,「記事を読む限り,税方式が圧倒的に優れている」では読み取りとしては首を傾げざるをえない。

しかし,記事としては中立的であっても,当時ないし現在の状況としてはやはり現行方式の方が。
困った解答なのである分が悪い

例えば,現行保険方式の未納問題や「宙に浮かんだ年金問題」はマスコミが繰り返し報道しているので,刷り込みが働いている可能性が大である。

さらに,若年層の前半,15歳から24歳層における非正規雇用の比率が,女性で30%,男性で20%を超える現実がある(平成20年版『労働経済白書』)。

非正規雇用の場合,大抵が保険料天引きの厚生年金や共済年金ではなく,自ら保険料を振り込む必要がある国民年金の被保険者だから,未納問題も発生しやすい。

よって学生が非正規雇用問題を身近に感じる限り,保険方式に不可避的に発生する未納問題を大きく捉える節がある。

しかし,非正規雇用比率が高まっていったといっても,男女合計すれば,全年齢平均で33%前後である。
しかも,男性に限れば,非正規雇用比率は若年層の後半(25歳から34歳層)以降大きく下落し,男性平均では20%未満である。

未納問題を必要以上に重大事と捉え,保険方式の欠陥とまで捉え(税方式を奉)る必要はないのではないか。
例えば,被用者保険(厚生年金,共済年金)の加入条件を「労働時間がフルタイム労働者の4分の3以上」から下げれば,つまりパートタイム右同社を厚生年金に加入させれば,保険料は給料天引きになるから未納問題はほぼ解消する。

税方式へのもう一つの疑問は,記事も指摘しているように,財源を歳入に頼った場合,財政の必要は福士に限っても医療,介護等があるので,年金に廻る確証がない,その時の事情で大きく減免される怖れがある,ということである。

ついでにいえば,税源を全面的に税に頼ることによって,給付の問題があたかも解決たかのように捉えている点はベーシック・インカム論と同一である。

 11月19日 基盤教育「市場経済」は年金の仕組みをおさらいにした後,新聞記事「基礎年金保険か税か」(朝日新聞2008年2月19日)の輪読。その場でも質問をしたが,後にBlackboardに書き込んで貰うことにした。「経済原論演習」はオープンゼミに向けてベーシック・インカムについてディベート。しかし,賛成側の学生も本音は批判的なだったので盛り上がりに欠けた。ゼミ見学者も論点がよくわからなかったのでは^/^。ベーシック・インカムの議論が深まらないことについてはまた別稿で。
 11月20日 ドトール・コーヒー,ジムにてマッサージ,ファミレス,ジム。

2010年11月18日木曜日

やはり時間単価なのか

「名ばかり管理職」の記事を読んでもらったら,
出るわ出るわ,自分の体験先がそうだ,友人がそうだという体験談や伝聞。
ファーストフードや書店が多いな,と思っていたら,
アマゾン・ドット・コムで取り寄せた伊達雅彦『傷だらけの店長』(PARCO出版,2010)が正にそれ。

要は愚痴なのだが,
朝始発から夜は終電間際まで閉店後も配送された本の整理に追われる
土日も休めない,
薄給である,
バイトからは人を増やせばと言われても増やせない
本部からはむしろ人件費を減らせと始動される
仕事ばかりと家人に言われる
寝言でも何か怒っている
なぜこの仕事を選んだのか,自ら不審に思う

全ては長時間労働のためである。
最も単純な剰余価値形成方法と言ってしまえばそれまでだが,
賃金格差を利用した非正規雇用の活用も
時間単価を少しでも低めないと市場競争に勝ち残れないという恐怖感から逃れられないのであろう。
言いかれば,時間単価を切り下げる以外に生産性の上げようがない単純労働だからだという認識があるのであろう。

しかし,国際競争にさらされている製造業では労働力の時間単価の切り下げには限界がある。日本に勝ち目はない。
いわゆるサービス業の場合には,国内での競争となるが,それでも正にアマゾン・ドット・コムのように大量の在庫を抱え,配達料を遂に無料化したサービスにはかないっこない。

取り次ぎが勝手に配送する本を受動的に棚に並べるのではなく,
人員を割いても品揃えに工夫するしかないのである。

 11月18日 宮城学院大学「経済社会特論」はセーフティネット第2弾,医療保険。ここでも強調したのは,年金と同様,勤め人の,被用者保険とそれ以外(国民健康保険)との間に断層がある,ということである。そして『詰め目人以外』ということは自営業や無職者ばかりでなく,所定労働時間がフルタイムの4分の3未満の,パート,アルバイトが多く含まれるのであり,.格差の淵源をなしている,といって余であろう。終了後,非常勤講師室にて宿題にしていた第1回小テストの採点などして2時間くらい潰した後,法事などのため田舎に帰っていた母を迎えに駅へ。自宅では次々回の講義資料作成。

2010年11月16日火曜日

無神論者に芽生える宗教観

先日,フジ系で放映されている鼎談番組「ボクらの時代」を観ていてドキッとしたことがある。

話が出産体験をめぐる件で,ある女性タレントが「子供が生まれてから死ぬのが怖くなくなった」。
「それまで,中学生のころから,死んだらどうなるんだろうと考えると怖くて仕方がなかった」。
「しかし,子供が生まれてから自分の後を行き続けてくれるんだと思うと死ぬことが怖くなくなった」という趣旨の発言をしていた。

このタレントはひょっとしてどこかの宗派に入っているのかもしれない。
タレントは,浮き沈みが激しいという不安から,あるいはもっと実利的に興行の必要からどこかの宗教団体に属するということは良く耳にすることである。

しかし「死んだらどうなるんだろう」と悩んでいたということは
たとえどこかの宗派に入ったといっても信心は深くなかった,実質上無宗教に近かったということを意味する。

もちろん,日本人であれば,国民的行事として,お盆には帰省して墓参りする者も多いだろう。
墓参りが完全なお付き合いでない限りは,既に亡くなった先祖が生きていた時期と自分の生きる現在とのつながりを意識していることは間違いない。
しかし,過去と現在を繋ぐだけでは「永遠」を意識したとは言えない。

今回のケースでは,子供を通じて「現在の自分」が死後の「将来」にも繋がる,「生きる」と考えることで「永遠」を意識している。
フォイエルバハッハまで紐解かなくとも,「有限の人間」が「無限」を意識するこそ宗教の本質であろう。

なるほど無宗教の人も子供を通じて宗教観を得る,
本人が意識していなくても宗教に身を委ねることになるのか,と思い至り,ドキッとしたのである。

ちなみに自分は将来を委ねる子供もいない。
当分無宗教を貫けそうである。

2010年11月14日日曜日

簡素なのは仕組みかそれをもてはやす者の見方か

日曜日は完全オフ。この際,アマゾン・ドット・コムで取り寄せたきりになっていた本を読破しようと思ったものの,居間では寛ぎすぎて,ただでさえ遅い読むスピードがさらに遅くなってほとんど進まなかった。ジム帰りにファミレスに寄ってお代わり自由のドリンクバーで粘ってようやく半分くらい読めた。
しかし,これではいつもと変わらない^^;。

興味深いのは,新自由主義に立脚したベーシック・インカム論,新田ヒカル・星飛雄馬『やさしいベーシック・インカム』(サンガ新書)には荒井一博『自由だけではなぜいけないのか』(講談社メティエ選書)が新自由主義の問題点として指摘していた他人への無関心が濃厚に漂っているということ。

ベーシック・インカムが導入されれば,最低限の生活が保障されるので,解雇規制は不要になり,労働市場の流動性が進み,ミスマッチ失業は解消する。
毎月の給付を使い尽くすと,後は自己責任。
社会保障制度を統合し,それに関わる官僚機構を簡素化するだけでなく,社会問題を簡単に捉えようとする浅薄さを感じさせる。

冷たい人見知り

東北の人は口下手で人前ででしゃばらない、控え目だ、というイメージがかつては存在した。
かつてと言ったが、福田政権時、自民党と民主党との大連立話が頓挫した時、当時の小沢一郎民主党代表が「自分は東北生まれなので口下手」と涙ながらに訴えたのはそう昔のことではない。

しかし、そう東北人の気質を語る時には、寡黙だけれど人柄は至極、誠実だと想定されている。決して寡黙だけれど腹は何を考えているかわからない陰湿な奴だと思われていないことは確かであろう。
しかし、昨日、自分はゼミの学生から「冷たい」「人見知り」という判定を食らった。

昨日のゼミは、来年度からゼミを履修する2年生がゼミを選択するためにゼミ見学にやって来た。
研究室に入りきらない学生達を前に、何故、経済原論のゼミでベーシック・インカムを取り上げているのか、かつてはホワイトカラーの成果主義や能力主義を扱っていたか、少し間口を広げ勤続しても昇給しない正規雇用との対置で正社員の年功的な能力主義賃金を検討し、併せて非正規雇用拡大によってセーフティーネットが実は彼らには適用されない現実がベーシック・インカムを求める動きに繋がっている等々と説明した後、通常のゼミのようにレポーターにいくつか質問を浴びせた。
ゼミ生が先のセリフを吐いたのは見学者が帰った後である。
「先生は冷たい」「せっかく僕がゼミをピーアールしたのに、気のない返事で」「そういえば、昨年もそうだった」「人見知りなのでは」

しかし、例えば学生指導が煩わしいから他にゼミ生が来てもらっては困る、邪魔だなどと考えているわけではないことは言うまでもない。
ゼミ生が少ないと、ゼミ生の報告にも教員が一々コメントせざるを得ず、学生指導上、好ましくない、とは常々ゼミ生に語っていることである。
だだ、既に2年生に配られた来年度のゼミ生募集要項にゼミの活動テーマや方針を公表している以上、学生から追加的な質問がないのにこちらから長々とゼミの説明をしていては耳にタコ的な煩わしさを与えかねないと思って控えていたに過ぎない。

ゼミ生とは中国中央部出身の留学生と岩手出身の4年生である。
留学生はともかくとして,東北出身者は「敢えて語らない」意味を理解できないのであろうか。

時代は変わった,というほかない。
ちなみに自分は東北出身者ではないし,東北人の特徴という「口下手」「人見知り」は,人の性格の一つとは思っても,他よりも優れた特長と評価していているわけではない。

 11月11日 宮城学院大学「経済社会特論」は年金の仕組みを復習した後,朝日新聞の記事「基礎年金 保険か税か」(2008年2月19日付け)の読み取り。終了後,その回答の整理。質問への回答作成。
 11月12日 基盤教育「市場経済」は年金の仕組み解説。「経済原論演習」は山森亮『ベーシック・インカム入門』第3章。オープンゼミの見学者が研究室から溢れるほど参加。しかし,見学者は例年10名前後はいる。彼らが去った後「昨年より多いじゃないですか。でも彼らはいろんなゼミを見て回っているですね」。
 11月13日 ノートPCをデイパックに詰めて外出するも,遂に開くことはなかった^^;。

2010年11月12日金曜日

腑に落ちる

アサヒコムの記事「ドイツとスウェーデンが徴兵制廃止 背景に財政難」を見て久しぶりに合点がいった。

経済的理由で徴兵制復活論があるなかで,
現実にはその経済的理由から徴兵制の廃止が検討されているとわかったからである。

そもそも徴兵制安上がり論は,徴兵によって賃金が安くなることしか見ていない。
軍事訓練をして2,3年で除隊では費用の回収はできないだろう。
何より若者のキャリアが中断することの損害ないし費用は見落とされている。

大学や企業あるいは政府が教育訓練に費用負担したり,補助金を出していながら,
その途中に徴兵しようという意図がわからない。

支出を減らそうと思えば,徴兵によって若者のキャリアを無駄にするよりも,
大学教育や企業訓練に対する補助金をカットした方がはるかに効率的であろう。

大きな支出には芽を瞑って,小さな,細かな支出ばかりをチェックするのは賢明とは言えない。

もちろん,例えば自民党内部で徴兵制の検討が行なわれているように,小泉政権の靖国神社参拝のように,保守派を取り込もうというイデオロギー上の戦略が関与しているのであろうが,それは経済上の誘因とは別であろう。

2010年11月10日水曜日

思い込み

ニュース映像などで中国人が中国語を話しているのを見ると,まくし立てるように話しているように見えるので,中国語はさぞかし表現が豊富で一文が長いのだろう,と思っていたら,どうもそうではないらしい。

バラエティ番組「徹子の部屋」に出演していた中国人芥川賞作家楊逸さんによると,来日当初「日本語は長すぎて」どのように感情を込めればよいかと惑ったという。

例えば,中国語では「謝謝」で済むところが,日本語では「有り難うございます」であったり,
「晚安」が「お休みなさい」になってしまうなどである。

また,中国ではニュース番組のアナウンサーは,ちょうど今の北朝鮮のニュースのように事実関係を一方的に伝えるだけと思っていたら,日本ではアナウンサーがニコニコ笑いながら「今日は良い天気ですねぇ」から始まり,「媚を売っている」ように見えた,という。

こちらは,中国語のイントネーションなどから表現がギュウギュウ詰まったイメージを持っていたが,
発話者の口調を始めとする表情から勝手な思い込みをしていたようだ。

思い込み以外にも加齢によって物忘れというか,
スッカリ忘れるならまだしも記憶が曖昧な場合は厄介だ。

先日来,1年前の会議であることを決定したか否かが話題になって,自分の周囲には自分と記憶が異なる人ばかりで戸惑ってしまった。

要約教になって自分と記憶が一致する人を見つけ,また会議の議事録も見つけて安堵を得た。

これは単なる記憶間違いというより,思い込みがあったのではないか。
「予め自ら描いたストーリーにしたがって仕事を進める」のは検察に限らない,そう実感させられた。

 11月8日 昨年度の講義スライドを下に今年度のスライドを作成しようとしていてついつい枚数が増えるという悪弊を冒してしまった。公的医療保険制度の単なる解説ではなく,その特徴的な点,格差とも結び付く問題点に加えて,社会保障全体の財政状況まで加えると,確かに正確な情報を詳しく,とはなるが,論点はかえって曖昧になって,初学者は戸惑ってしまう。
 11月9日 先週土曜日出勤の振替休暇。自宅でノートを見返してみるが,肝心な構想の趣旨について堂々めぐり。思い込みが足りない?
 11月10日 学部内研究会の方向性について打合せ。続いて昼休み,旧講座会議。午後,学科会議の合間を縫って?「自治体経営」の講師への挨拶,学生への紹介,終了時の質問受付。といっても質問はなかなか出ないので,講義の趣旨を踏まえてこちらから学生に質問。今夏の子育て支援諸政策の内「足りないな,もっと充実して欲しいと思うのはどれか」。家庭への支援策,仕事の家庭の両立支援,若者の地域への就職先確保,未婚・晩婚対策。恥ずかしがっているのか,いずれの選択肢も挙手した者は数名ずつだったが,女子学生の比率が高かった。現実に問題に直面し,パートナーに,職場に,あるいは行政に対応を求めたくなるのはやはり女性だからであろう。



  

2010年11月8日月曜日

一度あることは二度ある

日本シリーズ第6戦。
序盤で6対2と中日が逆転した際には「試合決まった」と観戦止めるつもりでいたが,
5回ロッテが一挙3得点で追いつき,試合の行方はわからなくなった。
7回にはさらに1得点。
中継ぎが踏ん張っていたロッテがそのまま逃げ切るか,と思われた。
しかし,抑えの小林宏が9回登板,いきなりベンちゃんこと,和田一浩選手に三塁打を打たれ,同点。

前日に引き続いて延長戦突入。
「一度あることは二度ある」
互いに貧打戦のため得点はいつになるやら。

試合を決めたのは意外にも守備要員岡田幸文選手の,2アウトランナー1塁の場面での直球叩いた三塁打(千葉ロッテマリーンズ8x名古屋中日ドラゴンズ)。

前7夜と異なり,イージーミスはほとんどなく,先発打たれた後の中継ぎ投手陣が踏ん張って引き締まった投手戦になった。

 11月7日 日中,自宅やコーヒーショップに遠征?してみたが,モヤモヤ感晴れず。

2010年11月7日日曜日

待ちくたびれて

 11月6日 土日ダイヤの始発で登校。一日大学にいたが,諸々の仕事で忙殺去れ,自分の仕事にはならなかったが,週末出勤したことを言い訳に帰宅後は日本シリーズの行く末を見届けるべくTVの前に陣取った。ところが,夕食を済ませ,ビール1缶開けても一向に決着がつきそうがない。久しぶりにお風呂を沸かしたのに,入るに入れない。両チームとの投手が良かったことが主因には間違いないが,かといってバント失敗続出のためとても「しまった試合」とは言えない。日付が変わる直前に15回同点引き分けで終了(千葉ロッテマリーンズ2x2中日ドラゴンズ)。最初は日本一決定の瞬間を,次いで試合の決着を「今度こそはと」待ち続けて仕舞いにはドッと疲れた(東北楽天イーグルスを応援している手前パ・リーグチームを応援)。それでも中日内外野守備の鉄壁さとロッテサブロー選手の勝負強さ,あるいは野球センスには感服。

2010年11月6日土曜日

nブンガク

アマゾンよりロバート・キャンベル『Jブンガク』(東京大学出版会,2010)届く。
古今の日本文学から選んだ40作品について,その概要,1頁ずつの原文,英訳の対照,ワンフレーズの解説を示して紹介している。
通説的な文学史の時代区分を無視して,中世,近世,明治,現代という異なる時代の作品をいくつかの視点で括ろうというもの。

せっかくの意欲的な編集も,こちらが筋を知っているだけで実際には読んでいない作品が多く,猫に小判,nowhereどこの国のブンガクか,並み。

 11月5日 来年度の「地域社会論」のテーマ構成について。基盤教育「市場経済」は資本蓄積の2パターンと相対的過剰人口。「経済原論演習
は担当者体調不良のため四方山話。

2010年11月4日木曜日

ふっかけ逃げ

非常勤講師先のT先生に学会誌に載っていた論文について意見を求めていたのだが,
教職員食堂でいざ議論を始めると,
全く噛み合わない議論に(概要略)
「用事がありますので,この辺で」とこちらか打ち切ったしまった。

いつも議論をふっかけ,議論の相手をして貰っているのに
先に暇を乞うなんてかなり失礼なことだ。

失礼しました。いつも議論に乗ってくれて有り難うございます。

 11月4日 宮城学院大学「経済社会特論」は日本の公的年金制度の解説。しかし,社会保障体系の中での社会保険,社会保険の中での年金,年金と公的扶助(生活保護)の違い,公的人金と民間保険(養老保険)との違いなど,たとの比較でその枠組みを紹介。その上で,厚生年金への加入条件,第3号被保険者制度,国民年金の未納問題などを解説。午後,自宅で次回の準備,新聞記事読み取り及び宿題としての小テスト作成で半日終わる。これにジム通いを加えると1日終わる。まさか^^;

2010年11月3日水曜日

古文化の日

二晩続けて寝付きが悪いまま開店一番のドトール・コーヒーとジム帰りのファミレスにてノートの他は古書探し。

母を誘って郊外のブックオフ大型店へ。
母が目当ての本を含め4,5冊購入したのに対し,
誘った方は時事通信社解説委員長長田崎史郎『政治家失格』(文春新書,2009)と三回忌を迎えてもその著書が静かにつづくブーム筑紫哲也『若き友人たちへ』(集英社新書,2009)の2冊のみ。

ファミレスで遅い昼食の後,帰宅してサッカー・ナビスコ杯決勝戦ジュビロ磐田5x3サンフレッチェ広島の後半戦から観賞。サンフレッチェ広島が試合終了間際まで勝ち越していながら,最後まで守りきれず,延長戦に突入して引き離され準優勝。攻めダルマペドロヴィッチ監督の勝負弱さは相変わらず^^;。

2010年11月2日火曜日

寝付けなかった日は

昨晩,寝付かれなくて困った。
ウトウト状態が続いた上に,小用で2度起きたので,熟睡できなかった。
僅かに明け方2時間くらい眠れたくらいだろうか。

普段は寝付きがよい方である。
というか,どこでも眠られるのが自慢の鈍感体質である。
板の間でも,パイプ椅子を並べただけでも寝られる。
バスでも電車でも眠る。会議では不必要に船を大きく漕ぐ。
歯の治療中でも寝台の上で寝息をかく。
オーバードクター時代は,非常勤講師先の短大の授業中,教壇で立ったままウトッとしたことがある。

どうしたことであろうか。
確かに寝る前に水分を補給したのは確かだが,アルコールを服用したわけではない。
習い性だった寝る前のつまみ食い^^;も控えていたから,胃に圧迫感はなかった。
心当たりが全くない。

なまじっか寝付きが良いだけに,たまに寝付けないと????と悩んでしまう。

 11月1日 「自治体経営」の1~3回分について学生レポートのチェック,講師を務めて頂いた県職員の方向けにレポート一覧表を加工。担当部署に礼状作成。今週から月曜日5-6校時に変更した「専門基礎演習Ⅱ」,レポーター体調不良で休講。学会誌論文について週末作成したノートを読み返してみると,「わかった」つもりのところが????状態。このモヤモヤ感は形式的な理解(字面だけの理解)から実質的理解(深い理解,あるいは自分の問題としての理解)へ通り道ということがしばしばあるので,焦躁感とともに何かありそうだという期待感も混じり^^;何とも言えない気分だ。不眠の原因はこれかな?
 11月2日 「自治体経営」の1~3回分の学生レポートを一覧表にして県庁の担当部署に礼状とともに発送。昼休みいつもの美容院でカット。カットの後はいつものように正門前の丸五蕎麦で盛りソバ。午後は自分のノート再読。今日もモヤモヤ感。これは当分続きそう。帰路ブックオフとと淳久堂に寄ったものの目当ての古本も新刊本も見つからなかった。数日ぶりにジム。不眠の原因はむしろ身体をしばらく動かしていなかったことかな^^;。

2010年10月31日日曜日

旅の効用も近場では?

「泊まるくらいなら自宅のソファに寝転がってテレビでも見ていた方が楽だけど、

温泉に浸かって美味しいものを食べたい」

という母の、年来の望に応えて昼前に秋保温泉目指して出発。

30分少々かけて寛永年間創業の岩沼屋に到着。


客室なし会席プランを予約していたので、大広間か大食堂での食事を覚悟していたら、個室が宛がわれていた。

一瞬、案内係の手違いかと、バツの悪い思いをしていたら、

客室の場合、トイレに洗面台に風呂、オマケに別室があり、くつろげるとのこと。

対して、個室は、トイレ等が省かれ、テーブルと座椅子だけの三畳一間。オマケに鍵はなく、如何にも束の間スペース。

僅か二千円強の違いながら階級理論はシッカリ貫徹していた。


もとより週末午後のひととき炊事を省いてノンビリしよう、だけがネライ,

到着早々、大浴場で一風呂浴びて食事を済ますと、

母は畳に寝そべって自宅から持ち込んだ週刊誌や月刊誌を読み耽っていたし,

こちらは座卓に座って吉田修一『ひなた』(光文社文庫)。


しかし、これじゃソファが畳と座椅子に代わっただけで自宅でくつろぐのとさして変わらない。

敢えて感想を言えば、

人はかくも家庭関係や友人関係に不安、不満を持ち、他のバートナーと関係を結ぶものなのか。(男女関係に限りません!)

おっとこれはひなたの感想^^;。


個室は有り難いが、座卓はくつろぎにくい!、くらいかな?

母は、田舎の料亭より料理が豪勢と感激して、仲居さん、フロント係かまわずお辞儀して「料理美味しかったです。またお邪魔しますしますね」と手形を連発していた。


10月30日 帰宅後、ドトールコーヒーにてノート。

10月31日 早朝ネットウォーカーをデイパックに忍ばせ外出。先々週末来読んでいた論文の表面的、つまり字面だけの意味がようやくわかった。

2010年10月30日土曜日

レジュメの評価

ゼミを終わる祭,
報告者のS君が「今回のレジュメは何点ですか」と尋ねてきた。
B(5段階評価の上から3番目)かなぁC(同4番目)かなと答えると,
すかさず「点数でお願いします」
うーん,50点かな。

「そうですか」落胆の色が見える。
60点未満じゃCではなくFだから落胆ももっともだ。
しかし,
冒頭からA説,B説,C説それぞれを抜き書き風に要約しているだけで
相互の違いが説明できない,
では60点は難しい。

しかし,S君よ。
報告担当箇所の内,そこが肝の一つだ。
従来の諸説に対する著者の見方がわからないと,
その後展開される著者の議論もその意図,意味が見えず,
字面だけの要約になりかねない。

もちろん,君は進学するのではなく,実社会に出て行くのだから,
学問的位置付け云々を細かく追う必要はない。
実社会では複雑に錯綜する現実の論点を能力して示すことが求められている。

ここで求めているのもそれと変わらない。
丁寧なといっても,詳細なという意味ではなく,
簡潔にして見通しのよい要約を示して貰いたい。

2010年10月29日金曜日

学生バイト先の現実

先週「名ばかり管理職」の記事を読ませ設問への答えと質問を書かせて回収したところ,バイト先の実例を記した答案がいくつかあったが,いずれもバイト先の店長,店長代理は「名ばかり管理職」そのものであった。つまり,他の社員やバイト・パートに指揮命令しその事業所を統括するという意味では管理職ではあるのだが,他の社員,パートと同じ勤務シフトの中に組み込まれており,仕事の内容や勤務時間に関する裁量権はない。自由出勤しようにも勤務シフトに穴が空くのでできないし,かといってパートを自由に雇えない。また自由出勤しようものなら減給・降格処分を受けるであろう。これは労働時間法制(1日,1週間の労働時間,休憩時間,割増賃金)の規制を受けない管理監督者ではなく,単なる管理職「名ばかり管理職」にほかならない。

単なる管理職と管理監督者との違いは労働時間法制との関係を説明しないとわからないだろうが,学生は実態をしっかり認識しているのである。
言い換えると,法的知識がなくとも,その「異常性」は覆い隠しようがないのである。 

10月28日 宮城学院女子大「経済社会特論」。前回「名ばかり管理職」記事読み取りで上がっていた質問に答え,資本蓄積の2パターン解説。

2010年10月28日木曜日

もののあはれかな

 ここ数日,めっきり冷え込んで11月を前に冬モード。
 もう少し「秋を楽しみ」たかったのに。
 9月が暑かっただけにダラダラとそのまま秋に続くと思っていたら「既に秋は終わっていた」。
 もののあはれを感じた瞬間というと俗っぽい?

 10月26日 紀要投稿論文のうち,編集委員会が審査委員の意見を踏まえ改善を提言した原稿が全て出揃い,図書館総務係に掲載論文一覧を提出。これで刊行の目処が付いた。午後「専門基礎演習Ⅱ」は第2章。「学生賃金」論を理解できたかな? その後,ある本を学生にも紹介して欲しいと来訪者。しかし,本題はそこそこにかつての職場の話に移りここでは詳細を記せなくなった。
 10月27日 来年度のゼミ募集要項の提出。山形仙台交流圏研究会(未更新)は村松眞さんの報告「蔵王温泉樹氷通りの振興政策の提案」。スキー客が往時の3分の1に減っている蔵王の進行には,今やスキーばかりに頼っておれず,それ以外の観光客向けに景観整備など街づくりが求められている反面,以前としてスキーが大きな柱であり,他のスキー場に流れている客を呼び戻す努力も必要である。「自治体経営」は地域福祉論。配付資料がなかったため質問のための予習ができず,最後まで拝聴。制度の話が主だったので質問が思い浮かばず,学生には連絡事項を伝えてのみで終了。

2010年10月25日月曜日

脱大阪記・その2

学会初日,土曜日,懇親会終了後,電車に乗って迷子。
行きが南森町駅から堺筋線で関大前まで直通だったので,帰りも直通と思っていたら梅田駅に直行。
淡路駅で乗り換える必要があったようだ。
関西出身の先生が親切にも一緒に堺筋線の駅を探してくれたが,見つからず,結局,前日と同様,2,3キロ歩いてJR北新地駅から大阪天満宮駅へ。
翌日「梅田からは谷町線に乗れば良かったんですね」と教えられたが,遅いよ!
そもそも南森町駅も堺筋線北千里行きのホームに行き着くまでが迷路。
「東京の地下鉄は地方から来る人を前提に掲示をしていますが,こっちはそうではないですね」遅いよ^^;

学会2日目,久々に参加されたO東北大名誉教授を囲んで「お茶でも」となったが,周辺に喫茶店が見つからない。飯屋飲み屋ばかり。モスバーガーの満席でつぼ八へ。ところが,料理が出るのが遅く,急いで空港へ。

「関西に接した」と実感したのは大阪を発ってから。
機長が機内放送で「しゃべくり」を披露。
周囲の乗客は声を出さずに顔を見合わせて笑っていたが,
仕舞いに「機長もボタン押せばすることなく暇なんだろう」「毎回同じことしゃべっているだろうなぁ」「ぜったい台本書いている」とか身も蓋もない反応。
この落差がローカリティの証か。

2010年10月23日土曜日

脱大阪記

金曜日22日午後一番の基盤教育(旧教養教育)「市場経済」を済ませて車で仙台空港へ。
明日から経済理論学会の全国大会が関西大学で開かれるためだ。

数年前同じく学会で短期日逗留しただけで基本的に大阪の街を知らないため,
よくあるイメージ,先入観をもって赴いたところ,現地は「脱大阪化」していて戸惑った。

大都市だからと地図も打ち出さず,「乗り換え案内」だけメモしてところ,電車の乗り方がわかりにくい。
階段前でどちらのホームに降りるか,主要方面が記してあるだけではわかりにくい。
乗り換えもわかりにくい。
阪急梅田からJR東西線北新地駅まで案内所で一度聴いただけではわからない。
所々に掲示が欲しい。JR大阪駅から地下街に降りるところでようやく掲示を見つけた。
電鉄会社は違うといっても乗り換え客は双方利用するから不便だ。
降りた後も出口に地図がないところもありわかりにくい。
伊丹空港には予定通り着いたのに,南森町のホテルに着くまで1時間近く余分にかかってしまった。

「大阪に来たはずなのに」と期待を裏切ったことは他にもあって,
阪急梅田の案内所の駅員が丁寧な標準語で喋ってくれた(行き交う人の関西弁も聞き取れた)。
ヒョウ柄を来た中年女性にも出会わなかった。
翌朝乗った市営堺筋線の車内案内は舌足らずなアニメ声だった。
グローバリゼーションのために個性が薄れて。。。。ではないはずだが。。。

初日午前は書評部会の第1報告以外,関心を惹く報告が少なく,控え室で第1報告のレジュメを復習。

2010年10月21日木曜日

ちょっと。。。

アマゾンから届いた星亮一『偽りの幕末動乱』(だいわ文庫,20099を就寝前に読破。

著者が戊辰戦争研究会の主催者ということで期待したが,
幕末,ペリー来航以来の,幕府を中心とした鎖国・攘夷から開国への方向転換を辿りつつ
ところどころに自説---幕府自体は時間をかけ開国へ転換しようとしたが、時間をかけすぎ優柔であったし,将軍,老中に実行力がなかった,他方,薩長は皇室を利用して幕府にそれをさせなかった。結局,優柔不断な開国派と狂信的攘夷派が幕府を解体に導いた---を披露しているが,
反証(どういう異説があるか)を考慮せず,論拠を一つ二つ挙げているだけなので,コメント風にしか感じられなかった。
だから一晩で読了できたわけだが。。。

当時の世界情勢、アヘン戦争等を知る者は皆本音では開国不可避を考えていたわけで,それを実行する手順を示すことが出来なければ,とても開国派とまでは言えないのではないか。
あるいは当時は誰も明治維新の客観的意義---資本主義社会への転換---を理解できなかった、喧噪・混迷のなかで事態が進んでいたのだから,客観的意義は個別の言説や行動とは別にある,と言ってしまえば皆そうであるわけだ。

 10月20日 教授会の合間に「自治体経営」の講師への挨拶,学生への紹介、終了時の質問取り。母の術後半年毎の検査無事終了。

2010年10月19日火曜日

フレンドリーの限界

日曜日夕方,IP電話の設定を変更したところ,電話が通じなくなった。
そこでプロバイダのサポートに電話し,指示に従ってIP電話対応ルーターにソフトをダウンロードしてみたが,相変わらず「利用不可」。
「ルーター機器の問題と思われますので,(ルーターを貸し出している)電話会社に当たって下さい」と放り出されてしまった。
たらい回しにされては適わないから,そちらで電話会社に回してくれと要求したが,応じない。
押し問答しているだけ時間が無駄,と電話会社に修理の予約。
電話会社は電話会社で「修理は17時まで」とお役所的。

仕方なく19日月曜日は「専門基礎演習Ⅱ」を早めに切り上げさせて貰って帰宅。
予約した16時に間に合って無事無料で機器交換。無事電話が繋がった。

プロバイダーも電話会社の修理担当者も対応は親切というかフレンドリーなのだが,業務の範囲・時間には融通が利かないのが難。

夕食時,パリーグクライマックスシリーズCS第2ステージ第6戦「千葉ロッテマリーンズ7x0福岡ソフトバンクホークス」を途中まで観ていて,CSという短期決戦で勝ち抜いたことのないホークスに用兵名人,東北楽天イーグルスの野村克也名誉監督を貸し出したくなった。これはフレンドリーというよりもただのお節介であろう。

2010年10月18日月曜日

いつもの週明け

かつて「週明けに製造されたアメ車は危ない。週末休暇モードの労働者が作ったものだから」とか,日本でも学生,社会人とも「月曜日は半分寝ている」と言われていた。

ところが,週明け早朝の高速バス,仙台-山形便はたいてい満席で,場合によっては補助席も空きがなく,乗れないこともある。
出張帰りだろうか,それとも週末だけ仙台で過ごして職場山形に出稼ぎに向かうのであろうか。

大学でも週末の間に仕事が溜り忙しい。
自分の場合,木曜日は非常勤で登校しないし,金曜日は講義に追われ,事務処理が溜る。
さらに先週金曜日職場はたまたま福島市へ高校訪問に出かけたため丸2日間登校せず,溜まり方もズッシリ。

今朝は,紀要編集委員会にて先週締切りの審査報告書の取り扱い,その結果の投稿者への通知,高校訪問の記録の入力,突如金曜日学科長から依頼された仕事の3つをこなすだけで一日が終わり,自分の仕事はできない。

しかし,今日だけのことではない,週明けの平日はいつものことである。
もちろん,忙しいと言い募ったところで,目の前の課題が目減りするわけでも,ましてや誰かが肩代わりしてくれる,できるわけでもない。
これもいつものことである。

2010年10月17日日曜日

二度遊ぶのはどちらか

前日,土曜日はさして仕事が進まなかったのだが,日曜日は完オフ(完全オフ)と決めて早めに起床。
グッスリ眠ってもなお眠い,と思いつつ起床したのが8時過ぎ。

完全オフといっても,無趣味なのかすることがない。
久しぶりに読もうと思ってアマゾンに注文していた小説も前日までには届いていなかった。

午前中は録画していた土曜日のニュース番組を再生。
次いで朝のトーク番組を再生。

タップリ寝ても疲れが取れないので,
昼食後,ジムにてリラクゼーション・マッサージ。
最初の一押しでホッ。

帰宅後,プロ野球パリーグCS第2ステージ,セリーグ第1ステージTV観戦。
そのうち,自宅のIP電話が不通になって,プロバイダ,次いで電話会社に問い合わせ。
結局,後日点検修理。

なんやかやで落ち着いた夕食後,午後到着した吉田修一『女たちは二度遊ぶ』(角川文庫,'09)を開くことができた。

200ページちょっとの短編集なので,合間にテレビのバラエティ番組を流しながらも読むことができた。
さすが「物語巧者」。十分楽しめたが,表題には納得できなかった。
二度遊ぶのは,追想しがちな男の方だろう。

2010年10月16日土曜日

藪から棒

若者の読書離れが指摘されて久しい。
大学生にもそれは顕著だ。
本来必携の教科書も授業で使わないと、クレームが出るし、講義プリントで丁寧に解説されていると買わなくて良いと判断している位だから、他の書籍は押して測るべし、だ。

しかし、当たり前だが、皆が本を読まないわけではない。
そう弁えていても、ジムの若者との会話で漢語的表現や負のスパイラル」などと書き言葉を耳にすると、
「藪から棒」でビックリ感動する。
世代と共に絶えると思っていたので。

10月16日 朝から外出。来週月曜日の委員会で必要な書類読み。一旦帰宅後、近くのドトールコーヒーにてここ2、3日追っているフェミニスト経済学関連論文再読。

2010年10月15日金曜日

早出の功罪

朝早くから非常勤講師先に出向く。
早速、講義資料の印刷を済ませて文献読み。
ファミレスやコーヒーショップに居すわるのと同じだ。

これを翌日の福島市内の高校訪問でも行なっている。
というか、研究会,学会出張でも同じだ。
かつて進路指導委員として行なった企業訪問を経験して以来の習い性だ。

見知らぬ土地では道に迷い到着に予想外の時間が掛かることが多い。
日中ラッシュアワーと重なると移動自体に時間が掛かる。
早めに着くに越したことはない。
時間までの間、自分の仕事をしていれば良いだけのことである。
出発時間ギリギリまで自宅に居るよりは仕事もずっと捗る。

しかし、集中し過ぎて本来の任務をすっぽかさないにしても遅れることがたまにある。

早出の目的を見失いホゾを噛んだり、バツが悪いと頭を掻く一瞬である。

2010年10月13日水曜日

ボールキープとゴール

ジム似通う時間をケチってサッカー国際親善試合韓国0x0日本の中継を観た。

先週のアルゼンチン戦では本田のボール捌きがもたついてその間相手DFに詰められチャンスを逸していた,タメを作っているじゃなくボール扱いが下手なだけだろうなどを感想を述べた。
ところが,今回の本田は全く別人で,ボールを素早く足下に落とすと,決して奪われないキープ力を示した。相手にボールを奪われた後の帰陣も素早い。
しかし,ゴールの香はしなかった。

ザッケローニジャパンは,岡田ジャパンと異なり,ボール奪取後の縦への(ゴール方向への)攻めが素早い,というのが大方の味方である。
実際,横パスの連続は少なく,ボール運びは小気味良い。

しかし,ペナルティ・エリアから先は個人技である。ドリブルで切れ込む勢い,シュートの正確性が物を言う。この最後の部分では「人がいなかった」。
本田が守備まで帰陣し,ワントップFW前田がサイドに流れるため,正面の人手は決して多くない。
攻め込んでからが雑,という印象を受けた。

 10月12日 午後になって細々とした作業が降りかかってきたが,口外無用。
 10月13日 月曜日の編集員会の準備。「自治体経営」の予習(だって学生が質問しないので^^;)をしていたら時間。午後,大学院修士論文中間報告会と「自治体経営」を行ったり来たり。

2010年10月11日月曜日

今昔も一入

午後,BS放送でプロ野球,パ・リーグのクライマックス・シリーズ第1ステージ第2戦「千葉ロッテマリーンズ5x4埼玉西武ライオンズ」を観た。
といっても13時開始だったので,時々昼寝してしまい,途中の経過は審らかではないが,前日に続いて終盤もつれたので,「クライマックス」は見逃さずに済んだ。
パ・リーグ第2位の西武ライオンズが2日連続して先制するも,終盤追いつかれて,延長の末逆転負け。
そもそも首位で優勝マジックの付いていたライオンズの,ペナント終盤のもたつきぶりが,そのままクライマックス・シリーズでも現れた。
他方,ロッテはペナント終盤の,日本ハムとの3位争いを勝ち抜いた勢いそのままだった。

勢いといえば,かつて東北楽天イーグルスは西武ライオンズとの3位争いを制した勢いそのままで2位ソフトバンクをもうっちゃり,創設5年目で発のパ・リーグ2位に上り詰めると,クライマックス・シリーズ第1ステージでもソフトバンクをアッサリ退けた。
終盤から第1ステージまで球場に通い詰めてドキドキして見守っていたのもほんの1年前のこと。今昔の感に堪えない。

もう一つ,夜,母の要望で録画していた同日BSハイビジョン放映の,松山善三監督「名もなく貧しく美しく」を観賞。
戦時中の東京空襲から敗戦後の満員列車での買い出しからGHQ進駐兵との遣り取りまで時代背景が古い。
配役も,主人公の聾唖夫婦役の小林桂樹,高峰秀子から加藤武,加山雄三,河内桃子,草笛光子,小池朝雄,高橋昌也,多々良純,沼田曜一まで,既に亡くなった人も多いが,物心ついていた時に既に中年ないし壮年俳優がその記憶以上に若々しいのだから,今昔感もまた一入だ。

しかし,時代を感じさせるのは,戦後,高度経済成突入前夜の風景や俳優の若かりし日が出てきるばかりではない。正社員と非正規雇用,就業者と長期失業者等,庶民の間での格差ばかりが喧伝される今日と違って,「貧しく」日々の生活で精一杯という点は庶民皆等しいように映るからだ。
他人事のように語られる「格差」「貧しさ」に映画のようなリアリティが感じられないのである。(主人公高峰の母役原泉の演技は自然でいながら迫真感に富んでいた)

 10月9-10日 いけ及び近くのドトールコーヒーにて研究計画案を練る。普段いろいろ構想をんへっていても,それを第三者的に説明するのはまた別の作業で四苦八苦。
 10月11日 前夜遅くまで映画鑑賞していたせいか遅く起床。駅前の眼科までmyイーグルス2号。午後は,昨日の日経読書面に載っていたマイケル・ルイス『世紀の空売り』

2010年10月10日日曜日

ホクホク感

自宅で栗を湯がいて食べる。

やはり違う。甘栗と^^;。
デンプンの甘さは同じだが,
ホクホク感は独特。

グルメ記事・番組に全く興味がないのに不覚にも「食欲の秋」「味覚の秋」を実感。

2010年10月9日土曜日

タメを作っていたのか

タメを作る。
サッカーでボールを受けた者がパスを出したり,ドリブルを仕掛ける振りをして相手を惑わし筒ボールをキープして,味方選手が責め上がるまでの時間稼ぎをする。味方の枚数が揃えば,数的優位をもって責められるからだ。

サッカーキリンチャレンジ2010日本代表1x0アルゼンチン代表戦における
トップ下MF本田圭佑選手の動きを見ていて戸惑った。

パスを受けるトラップの動きが大きく,足下にボールを収めるまで時間が掛かり,
そのうち相手DFに詰められて,無理に放ったシュートは弱々しい。

これは不調なのか,タメを作っていたのか。

翌日のマスコミでは屈強な相手DFに囲まれてもボールを失わない強さが評価されていたが,
単に不調,でなければ下手(失礼!)のようにしか見えない。

もちろん,長旅の疲れが癒えないアルゼンチン代表との親善試合とはいえ,
公式戦初の勝利は「快挙」と言って良く,結果に不満はない。

しかし,
ザッケローニ新監督が代表合宿で強調したとされる「組織的守備」と(ボール奪取後の)「縦への速い責め」
のうち,後者は必ずしも実現できていなかった,
ボールの運びは,トップないしトップ下までは早かったものの,そこからは時間が掛かっていた。
特に中央,つまりトップ下にボールを預けた場合にそれは顕著だった。

トップ下だから相手の守備が最も警戒しているのは当然として,トラップが緩慢すぎるように見えて仕方ない。

相手が長旅で疲れることがありえない,つまりこちらが隣の国へ赴く,来週火曜日,ソウルでの日韓戦でこそ新監督の目指すサッカーがタメされる,と言えよう。

 10月8日 午後,基盤教育「市場経済」は資本とは。「経済原論演習」はS君が小越洋之介『終身雇用と年功賃金の転換』第1章「終身雇用・年功賃金をめぐる諸説の検討」前半を報告。

2010年10月7日木曜日

興行と皮算用

東北楽天イーグルスの次期監督に星野仙一氏の名前が挙って以来,
ファンのサイトもネットニュースもこのネタで大盛り上がりだ。
なかには選手の移籍等で浮く年俸や岩隈久志投手のメジャーリーグへのポスティングで球団に入る資金の総額を計算して「○○億円まで補強可能」といった,傍目からみれば滑稽な皮算が飛び交っている。

しかし,
東北楽天イーグルスは
昨季のリーグ2位からダントツの最下位に転落し
ファンの落胆が著しいというのもあるが,
地方球団,特にパリーグの球団は成績の上で躍進を続けるか
スター選手がいない限り,
マスコミでは「空気扱い」という悲哀を味わわされる。
好きだから応援するといっても,
プロ野球はやはり興行で,着目されてなんぼ,という面がある。

その点,星野仙一氏は,野村前監督と並ぶ,球界の大立て者で,
黙っていてもマスコミがその動向を追う上に
二人とも黙ることができない質である^^;。
地方球団にはうってつけといって良い。

ところで,星野氏と野村前監督では
チーム戦術からチームの掌握の仕方,フロントとの関係の持ち方,そしてマスコミ戦略まで全く対照的である。
ある意味で表と裏,陽と陰,ポジティブとネガティブである。

どちらが成績を残るか,ファンを満足させられるか,ファンを超えて社会の着目を浴びるか,
楽しみではある。

 10月4日 何をしたか記憶にないばかりか,何かしたという記録もない^^;。翌日の編集委員会の準備くらいか。
 10月5日 紀要社会学編編集委員会。応募資格の確認,査読者の決定。
 10月6日 午前中,気が乗らず,ボーッといていると,昼休みから旧講座会議,
自治体経営」の講師への挨拶,学生への科目ガイダンス,学科会議,科研費説明会と時間に追われて一日終わり。

2010年10月5日火曜日

日経社説のすり替え

日本経済新聞は10月4日付けの社説「『有期労働』規制は雇用不安を広げる」で,厚労省労働政策審議会で今秋から検討が始まる有期労働規制策論を先取りして,懸念を示している。(審議会の議論のベースとなる研究会の報告では,「期限付きで契約を結べる仕事を一時的、季節的な業務に限ったり、契約の更新回数に上限を設けたりすることなど」の検討を求めている。)

パートなどを文字通り「一時的な仕事に限る」という規制の強化は,「契約期間に定めのある人たちの処遇が改善するかは疑問だ」。「人件費の増加を嫌い、正社員への登用は進まないのではないか」。「期限付きの契約を認める仕事を限定すれば、働けなくなる人が増えるだけ」との懸念を示している。
具体的には「企業は雇用契約を、更新の上限に達する直前で打ち切ろうとするのではないか。そうすると、これまで繰り返し契約を交わしてきたパート社員などは働き続けることができなくなる。」「契約を結べる仕事が限られ、非正規の労働力が使いにくくなれば、企業の海外移転がいっそう進み、国内の雇用がさらに減りかねない。」

一見もっともな懸念であり,以前から方々で指摘されきた。
しかし,2つ(更新規制と低コスト労働力)は問題が異なると同時に,その混同こそが非正規雇用問題の核心でもある。

規制案は長期に雇用されているのに,短期(有期)契約の更新で対処しているために生じる身分の不安定性を解決しようとするものである。しかし,企業は非正規雇用を有期雇用として利用しているだけでなく,低賃金労働として雇用している。
有期契約を更新している,実質的に長期に雇用している以上,「期限の定めなき雇用」(正社員)に切り替わっても実質的に問題はないはずである。しかし,正社員となることは賃金コストを文字通り引き上げることになる。日経は有期労働規制に懸念を示しながら,その実,後者に反対しているのではないか。

社説は最後に「正社員と同じような仕事なのに賃金が低い人は少なくない。期限付きで働く人の処遇の向上が大切なのはもちろんだ。それには原資となる企業の利益を増やす必要がある」と述べているが,賃金格差の解消は企業の業績と絡めるべき問題ではない。

賃金格差は非正規雇用との間だけでなく,性別,人種,民族間で起こりうる。
しかし,企業業績が芳しくないから業績が上向くまで,不景気だから好況に転ずるまで,格差はそのままでも仕方ない,と言い直せば,その不適切さは明らかであろう。むしろ戦後の日本社会は賃金格差を放っておいたために非正規雇用問題の解決を困難にしてしまったのである。
労働者派遣法の成立(1985年),大幅改正(1999年,派遣業種の原則自由化)が非正規雇用の利用を促進し格差を拡大したのは間違いないが,賃金格差,もっといえば労働市場の二重構造はそれ以前から存在した。それをそのまま放っておいたために,非正規雇用比率が3割を超えた時,問題が覆い隠しようもなく露呈したにすぎない。

農業資本主義

戦後日本の農業経営の推移を,施策を進めた農水省(霞ヶ関)のトップ官僚と山形市の農家を対照させながら描いたドキュメンタリー「なぜ希望は消えたか」(NHK教育放送ETV特集)を観た。

この番組の中で興味を惹いたのは,農家と霞ヶ関高級官僚を対置させるあざとさ(米価はほとんど政治米価だったように,農家と関係なく行政が専横して施策を決めたかのような単純さ)もさるとことながら,今も農業を続けるバイタル・セブン*の中心人物で今も農業を続けるSさんが,農業基本法の想定とは異なり「挙家離農」が進まなかった原因を「農業資本主義」と呼んでいたことだ。

高校を出たばかりの彼が農業基本法の謳う大規模化に農家と自身の将来を掛けたのものの,実際には「挙家離農」が進まず,大規模化の夢は潰えた。その原因を当時の「大人達は農家の利害は,農作物ではなく,農地を持っていることを理解していた」ことにあという文脈で「農業資本主義」という意味で使っている。つまり,資本主義と言っても,それを担う主体は資本家ではなく,小生産者(生産手段を所有し自ら労働する者)ないし土地所有者を想定している。

用語としては正確とは言えないが,日本農業の問題点を表わしていることは確かだ。

小生産者は利潤と賃金,利潤と地代とが未分化なために,宅地運用で儲かれば,得した気分になって,積極的な投資を行なわない。米の消費量が落ちる中でも,兼業か可能な米作に固執していたために,農業の将来像が描けなくなっていた。
つまり,実態は「農業資本主義」ではなく,「土地寄生生活者化」であったのだ。

しかし,農業の問題は,小生産者を大規模土地所有者と大規模農業資本家,及び農業労働者に置き換えるだけでは済まないことである。資本主義としては,超過利潤の上がらない土地からは差額地代が発生せず,土地を借りようという者がいなくなるだけであるが,土地保全という意味では耕作放棄されたまま土地が荒らされるままに放置されることは避けなければならない。商業ベースに乗る地域と乗り得ない中山間地とでは土地政策のあり方も異なってしかるべきではなかった。

*大規模経営を謳った農業基本法に触発された山形市の若者7名が集って(「バイタル・セブン」),農業基本法の理念を勉強し,理念に謳う大規模化に将来を掛け,4,5年かかる農地改革から始めた。
しかし,直ちに限界に逢着した。離農した周辺農家もなかなか農地を手放さず大規模化はなかなか進まなかった。基本法が描く大規模化は高度成長の中で「挙家離農」が発生する(都会に出るため土地を手放す)との想定に立脚していたが,農地解放で一端農地を手に入れた農民(自作農)は,農業を離れても農業を手放さなかった(一定面積以上の農地所有によって農地の売買資格を得る農家と認定される)。大規模化に展望が持てなくなると,宅地に転用する者が現れた。
そのうち「コメ余り」時代が到来し,「減反」が導入された。代わりに作る作物が定まっていなかったので,バイタル・セブンの中心人物は米価引き上げ運動の先頭に立った。しかし,やがて米価引き上げに限界が現れ,バイタル・セブンのメンバーも土地を資産として運用することに途を見出していった。
さらに,農業が衰退すると,土地放棄さえ広がった。土地を買う者がいなくなり土地売買が成立しなくなった。代わりに耕作を依頼する農家が増え,耕作者には農地が集中することになった。
単なる工業化やコメ余りに止まらず,農業が衰退して初めて業法が想定していた挙家離農が実現したわけだ。


 10月2日 管理組合臨時総会に続き同理事会。種々質問が出たものの,提案2件承認され一息「ホッ^^;」。夕方久しぶりにジム。
 10月3日 日曜日は早朝から外出。
 10月4日 翌日の紀要編集委員会の準備で終わる。

2010年10月1日金曜日

開講

後期が始まった途端,大忙し。

基盤教育の講義は初回だけに科目紹介だけで済んだものの,
学科会議のための議題打合せ(学会運営会議),
前期授業教養セミナーの授業評価に対するリプライ
作成
本日17時〆切の紀要原稿に対する編集委員会の日程調整等々。

おまけに久しぶりに好転,気温も秋から晩夏へ後転?,暑くて喉がカラカラ。

教養セミナーの位置づけなどは一学科の問題ではなく,大学全体の問題だし,初年次教育の位置づけという意味では中教審答申に如何に対応するか,という学部専門教育の問題にもかかわるのだが,当該学科内部でまず議論すべきことなので,ここでは詳細を述べない。

2010年9月30日木曜日

一足先に

本務校での講義は10月1日から開始となっているが,
一足先に非常勤講師先にて後期開講。

といっても科目の紹介だけなので2,30分で切り上げる予定だったが,
講義の実演のつもりで準備したパワーポイントのスライドが映らない。
半年ぶりの教室だったので,出力切り替えまでの手順をうろ覚え。
あれやこれやしているうちに数分経過。
結局リモコンのスイッチを押してプロジェクターの電源を入れるのを忘れていた^^;。

またセーフティネットの紹介をするつもりが,
正規/非正規雇用によるセーフティ・ネットの違いなど解説しているうちに時計が進む。

結局あれやこれやで80分授業のうちの4,50分を費やしてしまった。
最後に,履修登録までの間に独自に名簿を作るために回したメモ用紙に「関心のあること」「講義で取り上げて欲しいテーマ」を提出して貰って終了。

自宅で名簿を作りつつ,メモ用紙を眺めていると,3年次科目のせいか,「就活を控え,雇用・労働問題に関心がある」とか,経済はほとんど科目履修していないので「不安」という解答も。責任重大だぁ。

2010年9月29日水曜日

いよいよ明後日から

今日、学年別に開かれるアドバイザー懇談会では、前期の成績表が配布され、後期の科目履修上の注意が説明される。

つまり、今日が後期のオリエンテーションで、いよいよ明後日,10月1日から授業再開だ。

2010年9月28日火曜日

いよいよ後期

県庁職員を招いて県の行政組織,各セクションの課題を講義して貰う「自治体経営」の,初回オリエンテーション資料やBlackboard上に提出して貰うレポートの書式を作成し,県の窓口へ連絡。

同科目は,行政学のポストがない時代に,外部講師として県職員の方に一人1回ずつ講義をお願いする形でかれこれ10年以上前に起ち上がった。今は行政学や自治体論など専門科目が解説されているので,受講生も以前ほど多くはない。

しかし,専ら「役所の窓」から地域社会を眺めるという点で,さまざまな産業や企業,組織(市役所,労組,NPO,家裁)に携わる人々に「現場の課題」を披露して貰う「地域社会論」とは好対照をなす。学生は両者を見比べながら地域の課題について考えることができる。

 9月28日 二度寝して9時前登校。結局,29日のアドバイザー懇談会や来週からの講義準備で終わる。いよいよ学期再開だ。

2010年9月27日月曜日

一段落

日曜日午前中は「久しぶり」の部屋掃除。
手がつけられないほどの混乱ぶりなので「午前中」と時間限定。
昼過ぎ,駅に母を迎えに行き,何事もなかったように自宅へ。
それでも「泥縄感」は否めず,昼食後は疲れがグッとでてソファーで居眠り。
球場に行く時間を逸して福岡ソフトバンクホークスの7年ぶりの胴上げの瞬間を見逃してしまった。「臥薪嘗胆」のつもりでホークスかライオンズの胴上げを目に焼き付けようと思っていたが,うっかり寝過ごしてしまった(埼玉西武ライオンズがデイゲームで北海道日本ハムファイターズに負けた時点でホークスの優勝が決定。福岡ソフトバンクホークス3x8東北楽天イーグルス)。

月曜日は朝通院。検診を受け一連の検査を終了。ヤレヤレ
その後,2,3ヶ所母のお供で半日潰す。2日続けて帰宅後グッタリ。

2010年9月26日日曜日

キシキシ舞

土曜日は午後雨マーク。しかも民放で中継が予定されていたが,
手負いの獅子が優勝にもがき苦しむ様を観たくて球場へ。
と言うと意地悪だが,
最後まで(西武は今日と火曜日の楽天戦を残すのみ)優勝を争うのが本来の姿。

見渡す限り、どっちのファンかよくわからない厚着の人ばかり。皆秋モード。

試合はルイーズの出会い頭のソロHRで先制したものの,
先発帆足投手を打ちあぐんでいるうちに,
おかわり君におかわりされた(ソロHR2発)。

9回表1点差まで追い上げたが,
リリーフ登板した岸投手に最後は交わされた。

鉄平,中村紀洋は怪我でリタイヤ。
カーブ投手のカーブにバットを当てられる選手がいなかった(埼玉西武ライオンズ3x2東北楽天イーグルス)。

2010年9月24日金曜日

専門教育と修学意欲

金曜日三度寝して登校は10時。
29日アドバイザー懇談会用の資料を受け取る。
担当学生に配る成績表などが含まれていた。
1年次はほとんど教養科目しか受講できないため,2年次前期が本格的な専門教育のスタートとなる。
成績表ではGPAの変化にそれが現れていたので,
WEBのサポートファイルで一人ひとり履修科目と成績をチェック。

法律,経済・経営,公共政策3つのコースでGPAの変化,不可を出した学生の比率等に違いがあり,興味深かった。
それは学生がコース毎の特性,科目の難易度に対応した結果なのか,対応しきれなかった結果なのか。コース選択は学生の自由なので,前者と思いたいが。。。


所属コースと就職とは関係ない。
進路指導委員として数十社企業訪問時も専攻について限定されたことはほとんど無い。

しかし,就職面談等では,大学生活で何をしたか,なぜそのコースを履修したか,ということを自分の言葉で説明しなければならない。
もちろんほとんどの学生は専門家になる(進学する)かのように勉強しているわけではない。しかし,自分の意思でコース選択しているのであるから,自分の行動・経験を説明できないようでは,なぜその企業,組織を選んだのか説明できないのと同様,本人の自覚が伺えず,マイナスの印象を与えるのではないか。

同日は,平成23年大学院入試第1回試験の結果が発表された。
今週より学部研究生として来日していたSさんも合格した。
試験の内容,成績については言えないが,首都圏に比し,遊びやバイトの選択肢が乏しい地方の大学に進学しようとする留学生は勉学の目的が明確で勉学の意欲がよく伝わったのではないか。

2年生の成績表と大学院入試の結果を見ながら,修学意欲について考えさせられた。

2010年9月23日木曜日

権利ではない自由って

月末締切りの依頼原稿に目処が付いた2日くらい前から
フェミニズムによるリベラリズム本を読んでいる。

一言で要約すれば,フェミニズムの主張を権利論として捉えるリベラリズム各論説に対する違和感を検討し,最終的に「権利ではなく自由」と唱える。

リベラリズムの言説に対する違和感はよくわかる。
しかし,「自由」が,国家権力「からの自由」を意味する限り,「権利」に他ならない。
そもそも近代的権利の礎が国家権力「からの自由権」にであり,
「権利」とはまず第1に「自由権」なのである。

権利をテーマにリベラリズムに挑無のは「相手土俵で相撲する」に等しい。
リベラリズム言説への違和感は表明できても,克服はできないのではないか。

 9月22日 月末締切りの依頼原稿を完成させて昼過ぎ下校。そのまま投函。
 9月23日 デイパックをしょって外出。帰り事務にてリラクゼーション・マッサージ。「(首の筋肉が)骨みたいに硬いですよ」「(腰を)揺さぶろうにも揺さぶられません」

2010年9月22日水曜日

夏休み呆け

「夏休み呆け」と言ってもまだ夏休みなのだが,
9月に入って会議は入っている。
この日も大学院関連で3件入っていた。

まず2度寝,3度寝。
最初の会議が11時開始で良かった。

ついで後期講義の初回ガイダンス資料を作成していて
2つ目の会議開始時間に。
慌てて入室。

最後は夏休み気分で平日に野球観戦かと思ったが
先発予告を知って止めた。
案の定2対12の大敗。
球場だけは秋風舞う。

 9月21日 月末締切りの依頼原稿,ここ数日推敲繰り返してももう構成変更の余地は乏しいので,打ち切り?研究補助員のSさんに校正を依頼する。

2010年9月20日月曜日

三連休


連日のサヨナラ勝ちにもかかわらず、一塁側は相手チーム応援側とはいえバックネット裏はガラガラ。
最下位確定チームに吹く秋風は冷たい。

試合は追いついては突き放され,延長12回までもつれ込んだものの。。。(東北楽天イーグルス7x9千葉ロッテマリーンズ
同じ選手(西岡,今江)に4安打も5安打もされては穴の開いたバケツに水を汲んでいるようなもの。
貴重な5時間を返して!

この三連休,午前中,近くのドトールコーヒーにて推敲。自宅に戻って印刷。再推敲。球場通い。また推敲。
の繰り返しだった。

またもサヨナラ


月末締切りの依頼仕事に目処が付いたせいか,連休を持て余し,連日の球場通い。連日のサヨナラ勝ちに遭遇。東北楽天イーグルス8x6千葉ロッテマリーンズ勝ち味が遅いのはイーグルスの伝統。

2010年9月18日土曜日

ご無沙汰,そしてサヨナラ


今季の東北楽天イーグルスは「ただ投げているだけ,打っているだけ」に見えて,5月末以来球場には脚を向けていなかったが,
シーズン終了後大リーグに移籍する岩隈久志投手の,最後の地元先発試合となる可能性が高かったし,、
月末〆切の依頼仕事にも目処が付いた
ので久しぶりにmyイーグルス2号で出動して,東北楽テインイーグルス4x3千葉ロッテマリーンズ戦を観戦。

バックネット裏に少し空席がある程度でほぼ満席。

しかし,最終回以外1点ずつしか点が入らない非効率打線
二死一塁から打率0.000のバッターに四球を与え,最終的に追加点を献上した抑え投手

イーグルスは何も変わりません。
サヨナラ岩隈投手。

目隠し頭巾

頭巾ではないが,
いつものようにナイキの帽子を被って高速バスを待っていたら
同僚のH先生から「日本人でそういう帽子被るのは珍しいですね」と指摘された。
僕の子供のころは少年が野球帽を被るのはごくありふれたことだったが,今は違うのだろうか?

もっともその時被っていたのは白のメッシュ地のキャップでこれが珍しいのだろうか?
また日本人じゃないと何人?
どう見てもアジア人だから,韓国人とか中国人?あるいはインドネシア人?
疑問は未だに解けない。

これがつば付帽子,キャップではなく目隠し頭巾となると
先日公開された処刑場面に向かう死刑確定囚のようだ。

歯茎に膿が溜ったので,歯の根の治療を続けていたら,
昨日になって歯にヒビが入っていることが判明した。
ひび割れしている以上,根を完治させてもヒビから異物が入ってきて膿ができる状況は変わらない。結局,抜歯することになった。

今日でなくても良いと言われたが,正味30分,準備を加えて1時間超取れるのは学期が始まるとそうはない。即日実施となった。
外科手術としての同意書提出から始まり,抜歯には結局1時間以上,その他も含めると2時間近くかかった。
六歳馬の枝分かれしている半分を取るのだから,以前親知らずを抜いた時ほど痛くないと。
実際少しでも痛そうにすると随時麻酔を打ってくれたので,それほど痛くはなかった。

しかし,なかなか抜けないと徐々に歯を押す力も加わり,痛い回数が増える。
30分近く経ったところで,目隠し頭巾を被せられた。
市場経済以上がマスコミに公開されたばかりで,死刑囚の「これで終わりか」を想像してゾッとした。

結局押される痛み以上の痛みもなくやがて終了した。
痛み止めの薬を渡されたが,その後もさして痛みはない。
ただあの目隠し頭巾は何だったのかなぁ,と。
患者の顔が痛みで歪むのがわかると,作業に集中できないからだろうが,
もっと他に方法がないかな。もっと強い麻酔とか,全身麻酔とか。

歯医者以外で目隠し頭巾を被せられないよう留意するのみだ。

2010年9月16日木曜日

文章を書く

文章を書く,一気に書く。

論文の場合には,準備に相当時間が掛かり,書き始めてからも構想を再検討して,中断する,一本の論文のはずが2本の論文に分れる,など紆余曲折が大いにありうるが,
数千字程度の文章であれば,一気に最後まで書く。

書き出す前にあれこれ頭の中で練っている,
したがって書き始めるまでに時間が掛かるのだが,
数千字程度で,しかも依頼仕事でそうそうは時間を取ってられないので
一気呵成に最後まで書く。

もちろん,読み返してみると,文章自体がおかしい,繋がっていない,事実や原典とズレているということはよくあり,したがって書き換えることになるのだが,
数千字程度では最初の構想がすべてを決める,と言っても良いだろう。
それだけに自分の個性が如実に出て,リズムの悪さ,間延びした文体にゲンナリ,ということもよくある。

 9月15日 教授会,研究会委員会
 9月16日 第1回大学院入試

2010年9月15日水曜日

FD研修会

 昨日,学部のFD研修会が開かれた。
 テーマは今年度よりスタートした基盤教育(旧教養教育)の目玉「スタートアップセミナー」

 前半は前期担当した教員,両学科2名ずつ4名の実践例。後半は地域文化教育学部,理学部各1名の担当教員の実践例が報告された。

 質問は,スキル教育の,あるいはテキストの重視度合い,クラス割りの仕方,キャンプ費用の財源など。

 本学科がテキストに盛られているスキル(グループセッション,モックインタビュー,ディスカッション等)教育をなぜ重視しているかに関して,担当者でない自分が答えた。
「他学部や他学科は従来の専門基礎科目をそのまま横滑りしたが,専門基礎科目を2年生演習にスライドさせた当学科はそれとの違いを強調する余り,テキストに盛られたスキル伝授が重視された。しかし,スキル伝授と言ってもメニューは盛り沢山であり,一つ一つには余り時間が取れない。むしろ「スキル教育」という物語,体裁を取った専門基礎科目という点で他学部・他学科と違いはない」。

 言い足りなかったことがある。
 こんにち,自分が選択した専門学部がどのようなところか,どのようなことを学び,卒業したらどのような進路を取るのか,よくわからないまま入学した学生が多い。
 そのため,いきなり高度な専門教育はできない。初年次セミナー,ゼミと言っても昔ながらの輪読では付いてこれない。一方的な座学,講義はなおさらである。そこで,グループセッションのような参加型授業を試みたり,あるいはその前に専門教育のための意識付け,動機付けが重要になっている。
 他方,基盤教育と言っても,所属する専攻とは無関係ないし中立的な教養にはなかなか耳を傾けてくれない。そこで,「卒業後の自分を見据え,大学の4年間の学習イメージを確立する」と,専攻を想定しない限り成り立ち得ないことを「ねらい」の第1に掲げ,学生のモチベーションを保とうとするようになった。

 以上のことは,地方大学だから,複合学部だから,複合学科だから発生することではなく,こんにちの日本のどの大学でも起こりうる問題への対応という意味では普遍的な試みではないだろうか。

2010年9月13日月曜日

1つか2つか

左大臣右大臣,東大関西大関,雄と雌,物事はしばしば対照系をなして安定する。

最近は玄関の鍵も2つある。
これは対照というよりも,解錠に時間かかると思わせることで空き巣を形成する効果を狙ってのことである。

自宅玄関扉も錠が上下2つある。
利用して4年半過ぎから上の錠だけ時々鍵が廻らず開かないこと事態に何度か遭遇した。
しばらくガチャガチャすると廻るようになるのだが,急いでいるときには困る。

そこで業者に検査して貰った。
上下とも錠を外して点検。
「残念ながら異常なしです」
「内部がおかしいのでそっくり入れ替える必要があります。
東京からメーカーに来て貰って上下揃えて替えるので5-6万かかるらしいですよ。
皆さんそう伝えると諦めて問題のない方の錠中心に使われているようです」。

しかし,錠1つだけでは防犯上,不安だ。
見かけ上2つあるので牽制効果は失われないだろうが,
対照理論の信奉者は落ち着かない。
結局,これまで以上に丁寧に鍵を扱うよう心掛け上の錠も使い続けることにした。

鍵商xさん,点検を無料にして下さり有り難うございました。
やはり作業も若手とベテランの二人一組の方がノウハウも伝授できて有意義なんですね。

秋の気配

先日帰省から戻る新幹線の中で奇妙な光景を目にした。

若くてガタイの良い女性が乗り込んでくると,直ちに座席のテーブルに駅弁の入ったレジ袋を置いた。
透明の袋なので中味が見えた。
秋葉原肉の万世の「ハンバーグ・サンド」と米沢新杵屋の「牛肉ど真ん中弁当」だ。

二人連れなのでサンド弁当で二人分と思われたが,
どうもそうではないらしい。

女性はまず片手で持った携帯電話をのぞき込みながら,もう一方の手でサンドをつまんで頬張り始めた。
なんかおやつみたいに軽くつまんで口に運んでいる。

人が食事する様を観察するのは悪趣味だ思っている。
食性眠は人間の本能に係わることである。
人間は他の動物に比べ他者を意識した文化的要素が発達しているとはいえ,本能に関しては他人の目を憚らず貪欲になる。
この部分を覗いたり,第三者に伝えたりするのは決して褒められたことではない。

しかし,こちらは疲れていて睡眠を取りたいが,寝付かれない。
目を開くと,斜め右前の通路側に陣取る女性が利き腕の左手で常に口にものを運ぶ様が目に入る。

サンドがおやつなら,当然弁当は連れの分ではなく,本人の主菜なのだろう。
予想通り,左手で持って割り箸でパクつき始めた。

しかし,サンド弁当ならカロリー合計は1200-1500kcalになるのではないか。

自分は食事のカロリー計算まではしていない。
昼キッチリ食事したら,夜は軽めに,あるいはその逆という大まかな配分をしているくらいで,厳密な計算ではないから必ずしもその通りには行かない。
しかし,目の前の女性は,若く,しかもガタイがよい,背も高いが有り体に言って肥満気味だ。こういう人はダイエット意識が強いのかな,と思っていたが,必ずしもそうではないらしい。

たまに箸を置いてお茶を飲んだり,携帯電話を覗き込むくらいで
箸を持つ腕の上げ下げスピードはサンドのときと全く変わらない。

その食欲に感心したせいか,しばしウトウトできた。
しばらくして目を開けると,別のレジ袋を取り出した。
やはり透明なのでハッキリ見える。コンビニおにぎりが3個入っている。
1個目を取り出してパクつき始めたところで,「一食2000kcalか」と口の中でつぶやいて目を閉じた。

「食欲の秋」は確実についそこまで押し寄せている。

 9月12日 管理人組合理事会。8月期の報告を承け,臨時総会議案に関する住民からの質問への対応協議。ドトールコーヒー,ファミレスと場所を変え概説書を読んだが,なかなか進まない。昼間小雨,夜本降り。
 9月13日 9日からの土日を挟んで三連休の最終日。自宅玄関扉の錠点検。

2010年9月12日日曜日

コミュニティの危うさ

マンション管理人組合理事会を月一回近所の生協集会室で開いていたが,
管理会社の話では先月から「10名以上の集会ではないと受け付けない」と拒否され,
地区の「コミュニティ・センター」,いわゆる公会堂で開かれることになった。

しかし,「コミュニティ・センター」はバス停で2つくらい先で遠い。
理事にはお歳を召された方や足が不自由な方もいらっしゃる。

そこで,今月の理事会終了後,生協に押しかけ,店長から話を聴いたところ,
貸与には基準,優先順位がある。
1.当支店,2.本店,3.メンバーのサークル,4.十名以上のサークル
数名の理事会では4以下の扱いになるが,それを承知してもらえるなら貸せるし,
拒否したこともない,とのことであった。

今まで通り借りられることになったが,
管理会社の話とは大きく食い違っている。
現にこの2ヶ月間,月例会は生協から閉め出されてきた。

非営利団体に会場を貸すところは市が管理する「コミュニティ・センター」以外にもいくつかあるが,その利用条件が明らかでない面があり,地域のコミュニティ活動を維持するための苦労の一端を味わった。

2010年9月10日金曜日

概説書

用があって、経済学の概説書を読んでいる。
経済学といっても理論より、現状分析、資本主義の見方の紹介、と言った方が良い。
初学者用、あるいは現状を概観したい高学年生や専門家用とも銘打たれている。

しかし、ひとまず初学者用として先ず求められるのは何か。
全体を見通せること
全体ばかりでなく,篇や章毎の見取り図,要約が望ましい
記述ばかりでなく適宜図表による裏付けイラストによる論点整理がされていること。
専門用語は初出時に簡潔かつ丁寧な説明を施していること。

他にもあるだろうが,
上記3点は最低限必要ではないだろうか。
加えて,分担執筆の場合は統一性も望ましい。

しかし,現実はなかなかそうはゆかない。
章により概説書,テキストとしての作り込みにかなりの差がある。
悩ましいことだ。

 9月10日 田園都市線から大井町線,臨海副都心線,モノレールと乗り換えて羽田空港。1時間半で「おいでませ」。1000ccクラスで予約したレンタカーは島根ナンバーのスズキ・スプラッシュ。小ささや車内の簡略化された機器類から軽みたい印象を受けた。しかし,親戚まわりをしていたらこれが助かった。住宅までの狭い畦道も宅地内の小径も小型車では通行,進入が難しかったろう。行く先々で親父に似てきたとの挨拶。夕方にはクタクタ。
 9月11日 午前便で上京。他人の文章,しかも章毎に異なる人の文章を読むのはしんどい。

2010年9月8日水曜日

前途多難なザックジャパン

 サッカー・キリン・チャレンジ・カップ,対グアテマラ戦をビデオで観た。
 一言で言えば,雑。
 ミスが多い。
 攻めの布陣と言われながら,ペナルティ・エリア内でパスするのも不可解。

 センターバックの中沢,闘莉王と中盤の主遠藤がが故障欠場ということもあるが,
 世界ランク119位相手にこれでは。

 9月8日 疲れが取れずジムもストレッチ中心。帰宅後静養。
 9月9日 大学院関連の会議2件。今日から土日挟んで月曜日まで特別3連続休暇をとっているため,会議終了と同時に下校。はやて16号にて上京。横浜の某駅スタバにて初学者向け概説書にしては難しい概説書。叔父宅泊。

 

軽くブレイクファースト

 夕方,ぶらっと吉野家に立ち寄った。
 最近は,牛丼並盛りに生卵と味噌汁が定番だったが,
 同業者の安値攻勢に対抗するため新たに売り出したと噂の牛鍋丼を注文。
 豆腐,白滝にも少し惹かれた。
 しかし,その分,お肉は二三口でなくなった(あくまで印象です^^;)。
 8時間絶食後としては大盛りの初体験に挑むべきだったかな^/^。


 9月7日 通院2件予約していたため自宅研修。「朝食は7時まで」その後は8時間絶食はいいとしても,水しか飲めないのがツラい。コーヒーショップにも行けないから,暑い自宅で推敲。毎日繰り返しているので,そろそろ集中力が切れてきた。ジムに寄ってファミレスに着いたときには睡魔も。

2010年9月7日火曜日

雲行き

文字通りの雲行きについて,前日「秋の空」と記したばかりなのに
台風到来を控えてか,驟雨のち曇り。

 9月6日 気になる文献を求めて急遽図書館へ。所蔵記録はあるものの見つからず,他大学への文献複写依頼。午後推敲。アジュール銀禅にて他大学の集中講義のために来仙された先生の歓迎会。降旗先生の遺稿のことなど。

2010年9月6日月曜日

秋の空

 朝,近くのドトールコーヒーに駆け込むと早速客と店員の会話が耳に入った。
 「相変わらず暑いですねぇ」
 「暑いねぇ。でももう秋の空だね」
 確かに日差しが射るような夏のかんかん照りとは違い,澄み切っている。
 すると不思議に「暑さももうしばらく」という気になる。
 季語でなくても,季節を表わす言葉のありがたさだ。

 9月5日 居間で昼寝しているとかすかに祭り囃子。カメラ片手に表通りに出ると,ちょうど終わったところ。ドトールコーヒーも一杯で自宅にUターン。夕方ジムにてストレッチ教室。そのファミレスで推敲。
 

2010年9月5日日曜日

街の息吹

 街は神社の祭準備を受序に進めている。
 電柱が紐で結ばれ,
 やがて広告主企業名が記された提灯が吊される。
 
 基本的に住んでいる街にさえ無頓着な人間だが,否応なしに年一度の行事に関心が向く。
 当然,祭りを支えているのは神社ばかりではない。
 古い祭りを残そうとしている街の人々の思いが見え,息吹が聞こえる気がする。

 もちろん,一人一人をとってみれば,「自治会役員だから」「氏子代表だから」「PTA役員だから」など義務感から受動的に動いているのかもしれない。
 その祭りが好きで好きで堪らず,他を後回しにしても参加したいという人はごく稀だろう。
 しかし,祭りの賑わいが失われた後では,神社主導,行政主導では人々の耳目を集めるのは難しい。
 積極消極,能動受動相混じった運動が年に一度の大祭を支えている。

 9月3日 引用の減点との照合だけで午後潰れ,目ショボショボ。
 9月4日 デイパック一つで外出。今頃になって新たな穴が見つかる。誤魔化そうか^^^;。

2010年9月1日水曜日

9月の,冷たい雨はいつ?

 9月といえば,夏が終わった後の,「冷たい雨」,長雨である。
 雨にさらされた建物,施設や肌に感じる冷たさからは賑わった夏の終わりを自覚させられる。
 しかし,現実はどうか。
 8月と何ら変わらなく,暑い。時々降る雨も蒸し蒸ししている。
 夜も蒸し暑くて,眠りも浅く,寝坊しがちとなる。

 異常気象なのか,もうこれが正常と見るべきなのか。

 8月31日 朝が遅くなったため自宅で研修。といっても午前中は近くのドトールコーヒーにて推敲。その後,原稿に手を入れるのは昼の1,2時間で済ませようとしたが,ある論者の所説紹介に曖昧な部分があり,原典を読み直して要約し直すだけで日中潰れる。ジム帰り,いつものファミレスで2度目の推敲。
 9月1日 学科運営委員会。学科長が忙しいため,学外講師に毎週1名ずつ来ていただいているある科目の,毎回の講師挨拶,学生への紹介,成績管理・入力を誰が行なうかが話題になった。既に,前期,同様のことを「地域社会論」で行なっており,気疲れするのはもう勘弁,という気がしたが,他方でテーマへの関心はある。昼休み,旧講座会議。その後,学科会議。

味覚音痴のこだわり

 コーヒーを好んで飲んでいる。
 多いときでは一日に5,6杯飲んでいる。

 しかし,自分が淹れるコーヒーは濃く,苦いが,それほど美味しいとは思わない。
 正確に言えば,どの豆を使おうと,どの機器を使おうと,エスプレッソ以外では,それほど味の違いが自覚できない。

 確かに専門店で豆を買っているわけではない。
 生協や楽天市場の量販店を利用しているにすぎない。
 コーヒー好きの人が手を出さないような廉価品だろう。
 しかし,そのラインナップの中で高めの豆を買っても,豆の種類を変えても「濃く,苦い」だけ程度しか知覚できない。
 最近,叔父さんから「結構美味しい」と聴いていたドリップ式のコーヒー10種セットを取り寄せ,うち,4,5種を比較しても違いがわからなかったときはガッカリした。

 しかし,そんな知覚音痴も「これは不味い」「本物と違う」とハッキリわかるのが
「ビールテイスト(風味)」のノンアルコール飲料だ。
 人間ドックで肝臓関連の数値が高かったので,購入してみたが,
「酸っぱい」が第一印象で,とても「ビール味」とは認められない。
 これなら飲む回数を減らしてもビールの方が良い。


 9月2日 研究科教務部会,午後,研究科運営委員会。

2010年8月31日火曜日

公私混同の顛末


登校したのが少し遅く9時過ぎだったということもあるが
コーヒーを淹れ,ネットニュースをチェックし,さて序文を完成させようか,としたところに
私的連絡。

それからいろいろ連絡取ったり,
チケット手配したりと
私事で時間を潰してしまった。

仕事に取りかかったのが普段ならそろそろ帰ろうかな,という時間。
退出を遅らせざるを得なかった。

さらにジムでストレッチに時間を割いたので,ジムを出たときには21時前。

ファミレスに寄って草稿を読み返し,ネットウォーカーに入力で閉店間際。

こうして日中私事に精を出したおかげで,日が26,7時間となり,翌朝起床が遅れ,仕事に響く,の繰り返し。

2010年8月29日日曜日

空気を読む

KYを自認している。
他人に自分の考えるのも難しいが,他人の考えを理解するのもまた難しい。

過去の論争を紹介する件である論者の考えを要約して示してみたものの,腑に落ちない。
ここしばらくその論者の論文を読むこと数回。相変わらず説得力のある説明ができない。

論文全体からすれば,中心論点ではないものの,ここ数日,喉に刺さったままの小骨のように困惑させられていた。

他人の考えといっても,主観的な思いではなく,かつては代表的言説の一つだったのだから良く理解できないのはこちらの問題と呻吟していたが,昨晩ようやく何とか理解できたと思えるようになった。

人によって関心が異なることもあるが,論争激しかった4,50年前とこんにちでは学会の問題関心が大きく変わっている。暗黙の前提とされるものの見方,捉え方に「時代の空気」を感じた。

 8月27日 スポーツジムに着いてから携帯電話がないことに気付いた。下校毛色を思い返して,高速バス内下,しないか,あるいは自宅か。いずれにしてもしかるべきところに早急に連絡する必要があるなどと考えると落ち着かなくなり,風呂に入っただけで退散(いつもの店と異なり,系列店は風呂がある)。幸い?自宅門扉前で見つかったが,この2,3年で落としたのは数回目。さすがに懲りて腰ポケットからネックストラップに切り替えた(スケジュールをGoogleカレンダーで管理士,携帯にメールで通知しているので肌身離せない)。
8月28日 歯科通院,管理人組合理事会を終えると14時。ジャーマン・ドッグを昼食にドトール・コーヒーにて資料読み。夕方からジムにてマッサージを受ける。「背中が張っている」と訴えたところ首を中心にモミモミ。ファミレスで一山越す。
 8月29日 ドトール・コーヒーで推敲,自宅で編集。午後はファミレスで2度目の推敲,編集。ここまで息切れ。ジムでストレッチ教室を受けてそのまま帰宅静養。

2010年8月28日土曜日

メールサーバ不通

27日(金)夕方から30日(月)朝9時までキャンパスが停電となり,
メールサーバも不通となります。

月曜日に送信されるか,
お急ぎの方は別アドレス(ぷらら,gmail,携帯)に連絡下さい。

2010年8月27日金曜日

眠りは浅くても深くても

いつも同じことを愚痴っている気がするが,
寝坊して遅く登校すると,仕事の段取りも狂ってくる。

椅子に座って1時間少しで昼休みになので,
午前中は集中した仕事は出来ないと,細々した仕事に専念する。
午後もなかなか気分が乗らないと,また別の雑用に手を染める。
すると,もう下校の時間だ。
こういう時こそ集中しなければならないのだが,
出足が遅いと,集中すら難しい。

なぜ遅いか。
原稿を書いていると,1日のサイクルが24時間を超えるので,起床時間がずれる。
南東北は朝晩涼しいというのはもはや昔話で
朝も晩も蒸し暑い。眠りが浅いので寝起きも悪い。
さらに最近薬の影響か,眠りは深くなって目覚ましでも目が醒めない。

眠りが浅くても深くても,朝起きられない。
起床が遅いと,仕事の着手がさらに遅くなる,という悪循環だ。

結局,夏休みで気持ちが緩んでいるということか。
夏バテ対策の前に夏呆け対策が必要だ。

 8月26日 10月の学会往復便を予約。原稿に没頭して予約開始日を数日過ぎたために最安便は売り切れ。
 8月27日 「地域社会論」6月末から7月末までに講義された学外講師の方に学生のコメントと礼状を発送。学期末処理と研究会準備に追われて発送が遅れてしまいました。m(_ _)m 午後推敲。

2010年8月26日木曜日

マスコミの論調・その2

口を揃えて政府に盛んに為替対策を求めるマスコミに違和感を覚える
出来ることは限られているし,
慌てて対策を打っても,投機筋には一層の円高期待を抱かせる虞がある,
と記した。

現に昨日の日経第1面は,円高による景気への悪影響を打ち消す策の一つとして,法人税現在や規制緩和を挙げていた。「火事場の。。。」という気がしないでもない。
今日26日も「円高対策 時機を逃す懸念」として「想定される主な追加緩和策」を列挙しているが,他方で,円安に戻した「今のタイミングで動いたとしても,本当に有効な政策手段があるのか」という声が日銀内で出回っていることを紹介している。併せて,外国為替市場がここ数年間で3倍近くに膨らみ,介入が「かつてのような神通力はない」との市場の声まで紹介している。

にもかかわらず,為替介入を求めるのはなぜか?
日記は「円高・株安が加速し,さらに効果の大きい政策を迫られる」との国内証券会社の声を紹介してる

しかし,ヨーロッパではギリシア国債の償還危機に機にユーロ不信が起きていること,米国では労働市場や住宅市場が反転せず二番底の虞が大きくなっていること,オバマ大統領がドル安による輸出増を狙っていることなどいずれの要因を考えても,この程度の円高で収まるとは期待できないであろう。
もう一段の円高は不可避であり,為替対応力を増したり,内需を確固とする政策の方が求められているのである。
その際,ギリシャ国債と絡めて,早急な財政再建を追求するのは,今の時期としては不適切であり,しばらく封印すべきであろう。


主要マスコミでは唯一,毎日新聞が昨25日,社説「円高株安 古びた発想から卒業を」で論じたように,円高下の成長戦略を探るべきであろう。

 8月23日 6月末受けた人間ドックの経過観察で病院へ。追加検査ともう1件予約。
 8月24日 留学生の研究計画書指導。午後は,関連文献を探巣だけで時間が掛かり,下校も遅れ,仕方なくジム通いをパス。
 8月25日 近くの歯科医院へ。女医さんは治療も懇切で熱心だが,研修医?の指導にも容赦がない。あけすけでねちっこい言葉が診察台の左右で飛んでくる。誰しも通る修業時代ということか。その後,別の病院に移動して人間ドック後の経過検査。家にいると,無意識?のうちにお菓子を頬張り,コーヒーをお代わりしかねないと危惧したため。朝から絶食は問題ないが,水しか飲めないのが苦痛。待合室で文献読んでいても睡魔が度々襲った。夕方驟雨。ジム経由でファミレス推敲。
 8月26日 2度寝したため遅く登校。昼休み行きつけの美容院でカット。

2010年8月24日火曜日

マスコミの論調

一時期は異口同音に「財政再建」が最重要課題としていたマスコミが
現在は円高対策だと口調を揃えている。

しかし,国債のほとんどを国内で引受けられている日本を海外投資家に依存するギリシャと同列に扱うのが不合理なのと同様,
現在の円高を政府が積極的に介入なり対策を打てば反転するかのように報じるのは不合理であろう。

現在,日本経済は昨年3月からの景気回復の歩みが緩くなっているにもかかわらず,円高が発生している。
米国経済の回復の遅れ,二番底の虞,ギリシャ等国債の償還金融機関に絡むユーロ不信という外部的要素が原因であることは疑いようがない。

米国は「日本の長期不況の再来」が怖れられている状況で,FRBでは深刻菜デフレへの突入を防ぐためには何でもする気構えのようである。また米政府はドル安による輸出増をハッキリと狙っている。

このような状況下で,政策介入の余地は限られている。

例えば,8月24日付け読売新聞社説「菅・白川会談 政策協調で景気の失速防げ」は,末尾で「カギを握るのが日銀の対応である。金融緩和は、財政出動による金利上昇圧力を抑え、円安を促す効果もある。日銀は一段の量的金融緩和に踏み切るべきだ。/政府が円売り介入で市場に放出した資金を日銀が吸い上げず、緩和効果を高める手法も、過去に実績がある。検討に値しよう。」と述べている。

しかし,量的金融緩和は意図的にインフレを引き起こす不況対策であり,現在,回復基調の日本経済に適しているか疑問である。回復の足取りが鈍くなれば,成長分野の投資,雇用促進で財政援助すべきであろう。
さらに,欧州,米国が深刻な経済状況にあるとき,小手先の介入で引き留められる為替の振幅は限定的とみた方が良い。

マスコミの口調を合せた円高対策論調が投機筋に一層の円先高感を与えているのではないか,と危惧する。

2010年8月23日月曜日

限られた余暇の選択肢

以前だったら「暇を見つけては」「平日でも」Kスタ宮城球場に通っていたものだが,
完全オフ,日曜日で田中将大投手の先発とわかっていても,
余暇の選択肢に野球観戦が上らない。

初めてAクラス入りし(リーグ2位)CS(クライマックスシリーズ)に進出した昨シーズンは特別にしても,
その前の3シーズン,負けても負けても,
試合終了後,自転車を漕ぐ足が重く感じられてもあw
懲りずに球場に通っていた。

ところが,今シーズンは交流戦くらいまでは球場通いしていたものの,
サッカー・ワールドカップの試合観戦時間を確保するために球場通いを自粛したっきり
ワールドカップが閉幕しても球場に足が向かなくなった。

パ・リーグ6チーム中単独借金状態もあるが
「ただ投げて打つだけ」で工夫が認められない。
だから,結果は「番付通り」で観る前からわかっている
となれば,「球場に通って応援するまでもない」ということになるのは当然であろう。
(今シーズンは交流戦前も土日限定だった)
チケット代丸損だが,惜しいとも思わない。

「丸裸の戦い」を好むブラウン監督続投とのこと。
しばらく余暇の選択肢が限られてしまうが,仕方がない。

2010年8月21日土曜日

関心を伝えるということ

 関心を伝えるのは本当に難しい。
 それぞれ専門分化して関心が分散しているのか,具体的現実的政策に関連しないかぎり友に考えてみる,という姿勢が失われているのか。(ここまで言うと独善的か。少し反省

 八王子合宿で「生産的労働論の意義がわからない」という質問を受けたので,いわゆる宇野理論では,生産的労働という形での「労働の二重性」措定が価値と労働を結びつける結節点になっていることを丁寧に説いたつもりだが,同じような質問を受けた。

 主な質問は2つで1)価値形成労働,つまり労働価値説に言及する意味,および2)生産的労働を再定義する意義。
 回答したことは,1)価格の決定については,単なる効用や生産費用に止まらず,資本の効率性原則で締め上げられていることが重要だと考えているから,2)a.生活関連活動に不生産的「労働」という位置づけを与える,b.熟練労働,裁量的労働,能力主義的労働など価値非形成的生産的労働が原理的に必然的なものとして光を当てる,c生産的労働措定の場以外に労働の二重性,特に労働の同質性は措定できない。

 8月20日 仙台経済学研究会第36回研究会のあと,秋保温泉「ニュー水戸屋」に場所を移して懇親会兼馬渡尚憲先生古稀祝賀会。翌朝,マンションの消火器点検が予定されていたため,飲まずに車で帰宅。
 8月21日 研究会2日目 共通論題は「構造改革と代替経済政策-リーマン・ショック後の世界」。この研究会,前夜祭,懇親会(含む2次会),後夜祭?と飲み会続きだったのに,みんな忙しくなったのか,そのまま解散。ジム経由でファミレスにて推敲。
 8月22日 完全オフのつもりがデイパックにノートPCを詰めて外出すると。。。。

2010年8月19日木曜日

誰も知らない

研究会報告を翌日に控え自宅研修。
午前中近くのドトールコーヒーで推敲後,例によって長ーい昼休み。

気分転換に,と先日借りた是枝裕和『誰も知らない』再生。

この救われない展開は何だ,という感じで
ドッと落ち込み気分転換にならない。

結末は目に見えている。
しかし映画はその結末,福祉施設に保護,までは描かない。
自明の結末を描かなくとも,
子供達を捨てた母親が戻らないこと
母親が戻らないと悟った子供達(父親の異なる子供4名が残された)の変化は描かれている。

母親が家でしても,家計が廻っているうちは,子供達が学校に通えない,外出できない他は暢気なものだ。

しかし,蓄えが底をつくと,
電気,水道を止められる。公園で洗濯をする。自宅でプランテーションを試みる。
行きつけのコンビの親しい店員から期限切れ廃棄物を貰う。
昼間はなるだけ寝て体力を温存する。
「ママ,いつ帰るの」とは幼児も問わなくなる。

監督は子供達が放置された状態を描いて,結末を描かないのは,
結末がわかりきっていることもあるが,
養育放棄ばかりでなく,人が人を「放置する」状態を詳しく描きたかったからであろう。
「無関心」の怖さが良く伝わったのではないか。

2010年8月18日水曜日

ロハスとは名乗れない理由

昨日は歯科医院に寄ったために炎天下登校。
体力消耗してコーヒー1杯飲んで下校。

それに懲りて
今日は朝からマイカー登校。
まずコーヒーを淹れて金曜日の研究会報告資料を完成。
午後,2件の提出書類を完成。
2杯目を飲んでようやく原稿の推敲。

早朝登校して4Lの保温ポットに1-2Lのお湯を沸かしてもコーヒー,お茶を全く飲まずに下校するときがある。保温自体の相当の電力を消費するから電源を切って帰る。
保温ポットの操作は水を入れ,電気コードを挿す,外すの3つだけだ。

予定があるから電気エネルギーを消費しながら予定が流れて発生した熱エネルギー?は使わないままとなる。
反エコロジーであること甚だしい。

なぜロハスとは名乗れないか。
忙しすぎる。
あるいは仕事の段取りが下手なのである。

2010年8月17日火曜日

昼下がりのホッ

お盆休みも昨日で終了。
ただ休み中に歯茎が腫れてしまったので,朝一番,近くの歯科医院に駆けつけたが,
待ち時間を加えて2時間半。(休み中は予約もできなかった)

それから昼前の暑い中をバスを乗り継いで大学へ。
ところが,高速道路は一部渋滞して25分オーバー。
もともと高速バスの所要時間が55分なので,5割増しだ。

正門前のソバ屋で昼食を摂って4日ぶりに研究室を訪れたときには14時を回っていた。

それから提出書類に必要事項を記載し,大学図書館で参考文献を借り,スキャンする,所蔵しない雑誌は他大学への複写依頼を申し込むで2時間くらい掛かった。

必要な手続を済ませ,教員談話室の冷蔵庫から氷を調達して,コーヒーを淹れて,一服したときは文字通り「ホッ」としたが,時計をみるともう帰る時間だ。

慌てて休み中中断していた研究生の研究計画書の検討。
学生によくあることで,自分でもそれがないとは言えないが,
勉強を進めると情報量が格段に増える,しかしそれを咀嚼するには時間が掛かる。
すると,文章としては情報が多い割には以前よりわかりにくくなることがある。

電子書籍

電子書籍と聞いても,

  • アルファベットと違い,漢字は画面では見づらい
  • 論文などは既にPDFファイル化しておりノートパソコンで十分
  • 他の作業をする上でもノートパソコンと2つ携帯するのは面倒

などと懐疑的に捉えていた。

しかし,例によって長い昼休み,ソファに寝転がって西田宗千佳『iPad vs. キンドル』(エンターブレイン,2010)を読んでいたら

  • 利用されている電子インクは液晶とは異なりバックライトを用いないので,目が疲れない
  • PDFファイルも読み込める
  • 契約不要の形で携帯通信端末が着いており購入した書籍は記録を参照して外出先からでも読み込める(予めメモリに読み込んで外出する必要なし)
  • 電源オフ時にも映し出せ,ページをめくる,新たにダウンロードするとき以外は電源を使用しないので,バッテリーの保ちがよい

ことがわかり,ノートパソコンとは別に携帯する意義がありそうだとわかった。

問題はコンテンツで
アマゾンのキンドルや(2007年)やソニーのソニーリーダー(2009年)先行した電子書籍リブリエ(ソニー)が失敗したのも,書籍の数が少なく,既刊本中心だったからだ。

アマゾンアメリカの場合,今年1月段階で41万冊,昨年5月段階で35%がキンドル版になっている。(その普及は昨2009年に著しく,昨年「アマゾンでもっとも売れたのがキンドル(ハード)」と発表されている)。

コンテンツさえ揃えば,デイパックにどの本を詰めようかとか外出先で読みたい本が見つかっても行く先々でさらに荷が増えないかなどと悩む必要もなくなるだろう。

2010年8月15日日曜日

歩いても 歩いても

論文の推敲といっても,集中力の維持という点で,日に何度も繰り返せるものではない。

すると時間が余る。そこで,午後は文字通り午睡に当てたり,録画したテレビ番組を観たりしていた。
それにも飽きて,ドトール・コーヒーからの帰りにTUTAYAで電子書籍の解説本,西田宗千佳『iPad vs. キンドル』(エンターブレイン,2010)を購入,さらにレンタルDVD,是枝裕和『歩いても 歩いても』,同『誰も知らない』を借りた。

お盆という時期もあり,兼ねて観たいと思っていた『歩いても 歩いても』を観賞。

脇役が原田芳雄,樹木希林というだけで観る前から安心感がある。
亡き跡継ぎの命日,彼らの下,つまり実家に集まった嫁いだ娘,子連れ女性と結婚した次男,それぞれの配偶者や子供等と彼らとの会話には,表面的な賑やかさとは別に,新しい家族のあり方,旧来型から外れた家族関係を受容れ切れない親たちの苦悩と子供達の抵抗が垣間見れる。

過剰な物語展開を排した点も含め,期待通りだった。

長い昼休み

書きかけの原稿を読み直し,書き換えるだけで3,4時間かかる。
またそれだけでグッタリしてしまい,おいそれとは繰り返せない。

昨日からは割り切って,午後は昼寝するなり,溜った録画番組を見るなりして,時間を潰し,夕方ジムに通った後,改めて推敲するようにした。

つまり,1日2期作システムだ。

問題は2期作目が24時で終わらないこと。
結果として,翌日の「鍬入れ」もだんだん遅くなっている。
講義がない夏休みならではのことだ。

2010年8月13日金曜日

思案のしどころ

近くの皮膚科に通院。夏休みのせいか待合室満杯。診察開始30分余り前に駆けつけたにもかかわらず,立って1時間,座って1時間弱待つ^^;。午後はファミレス,ジムを挟んでファミレスと行脚を続けた。

要は報告へのコメントを承けて,
基本構成はそのままに説明不足のところを補うか
不生産的労働の部分を次回に廻し,生産的労働中心に構成替えするか
ということ。

前者では補足が多くなる
後者では再構成に時間が掛かる。
思案のしどころだ。

2010年8月10日火曜日

報告の顛末

SGCIME夏合宿第2日目「生産的労働の意義と限界」というタイトルで報告。
いろいろ批判ないしコメントを頂いた。

大別して3つ。

  1. 生産的労働の定義がよくわからない。いままでの定義を踏まえていない。
     (機能的定義なので特徴が定義と答えると)スミスなら資本蓄積に資する労働か否かであったが,それがない。
  2. 定義する意義がよくわからない
  3. ジェンダー経済学成立以降,再生産労働は生産的労働と排他的概念と捉えられ
    ている(故に生産的労働でも不生産的労働でもない)


 従来の生産的労働は価値形成性と不可分離であったため,ある労働が生産的労働か不生産的労働かの裁断でそれ以上の分析が閉ざされていた。そのため,国民所得論争が生産的労働規定を経由せずに進められるようになると,生産的労働概念は学会から事実上忘れ去られた。

 生産的労働定義の意義は,報告資料にも記したように,生産的労働の限界を定め,不生産的労働の存在を明らかにすること,そのことによって生産的労働の一方的膨張に歯止めを掛けることにある。それはまた,生産的労働的視点から労働と所得との切断を説くベーシック・インカム論や両者に疑念を示すアンペイドワーク論に対しても,労働と所得との関連再検討を求めることになる。

 家事・育児を「再生産労働」と括られる次元と,「個々の労働」に対して生産的労働,不生産的労働を問題にする次元は異なる,先ず「労働」と認定するのが後者だ。

 いずれにしても稿を起こす際には,これらのコメント,批判に対して,直接答えたり,少なくとも言及したりするなど,もっと丁寧に説く必要がある,と痛感した。

 8月11日 昼前,久しぶりに登校すると,馬場宏二先生より「社会科学を語る(続)」(青森大『研究紀要』33-1,2010.07)が届いていた。添書きに「貴君はまだ成長至上主義で頑張るおつもりか」とある。以前,先生の富裕化論に対し,一定の経済成長は不可避ではとコメントしたことを未だに覚えていらっしゃる,その矍鑠ぶりに安堵^^;。インタビューに答える形式で振り返えっていらっしゃるご自身の研究史についてはロハス的に(Lifestyles Of Health And Sustainability)ゆっくり拝見することにしよう。

2010年8月8日日曜日

どこも夏祭り


SGCIME夏合宿に参加するため八王子へ。
駅前のガストで明日の報告資料の校正。
昼頃,窓の外を見ると,法被姿の行列。やがて山車が通り,ここも夏休みだとわかる。

八王子セミナーハウスで開かれた合宿初日。岐阜大T氏の「ドイツ社会的市場経済論」について質問。

ドイツでは旧来の社会的市場経済論を超える「第三の道」として社会保険中心の制度を展望されているとのことだったが,
社会保険は雇用関係中心で,雇用から外れる専業主婦の位置づけや,安定的雇用が望めない非正規雇用の未加入未納問題が日本では問題になっている。また,日本では基礎年金の2分の1が賄われている。税金投入で社会保険方式の体裁をようやく保っている日本の現実からすると,なぜ社会保険方式が旧来の福祉国家とは異なる「第三の道」になるのか?

回答は,ドイツでは税金はほとんど投入されていない,ということだった。
しかし,そうであれば,給付金,年金の額は抑えられ,福祉として不十分ではないか。

本末転倒

某所にて研究会。

早朝起床,2日後の報告資料の練り直し。午前中にファミレスに移動して続き&昼食。

研究会では2本の報告。
再生産論と過渡期論。
後者に関しては講義で加藤榮一氏の論文読み取りを行なっていることもあり大いに関心があった。

しかし,勉強不足か,なかなかテキストの主張と噛み合わない。
管理通貨制度をどう捉えるか。
資本主義経済にとって,画期的ではあるが,しょせん制度の問題。
それによっていわゆる修正資本主義化したが,修正の中味も大きく変わっている。
また,国家の経済介入が大きく進んだという意味では画期的だが,
金融のあり方が投機的になるか否か,とは別ではないか。
投機的になるのは過剰資本が原因であろう。

いろいろ考えているうちに,早朝起床の影響か,睡魔が襲い,度々船を漕ぐことに。
自分の報告は明後日,今日は別件。本末転倒になってしまった。

2010年8月6日金曜日

七夕祭り

いよいよ七夕祭り。山形では一足先に昨日から花笠祭り。あいにく日曜日から合宿で。その前も。。。。(予算の関係上,合宿当日出発となっていますが,実は。。。)

今日は午後から基盤教育(旧教養教育)ワークショップが開かれる予定だったが,参加を申し込んでいた「スタートアップセミナー」分科会がラウンド2になっていたため,朝から登校したものの,開始1時間後の14時30分までは週末の報告資料の見直しに専念していた。もっとも穴はなかなか埋まらず,時間ばかり過ぎ瑠,という結果に終わったが。

その分科会,出向いてみたら,既に報告が始まっていた。3つの分科会同時開催なので,ワークショップ開始と同時に1時間前から始まっていたのだ。
報告者は全て本学の教員。各1名,地域教育文化学部,理学部,工学部各1名の構成だった。

並べて聴いてわかったことは,第1に,スタートアップセミナーをどの学部学科も,人文学部法経政策学科以外は,従来の専門基礎教育を流用しており,「専門基礎」という位置づけをしているということだった。

基盤教育科目と言っても,学生の所属部局の教員が担当しているので当り前と言えば当り前である。
しかし,法経政策学科は,旧来の1年生向け専門基礎演習を2年次開講に移したため,新設されたスタートアップセミナーはあくまで基盤教育科目なのか,専門基礎科目なのか,位置づけを巡って担当者の見解が分れていた。
併せて,スタートアップセミナーの全学共通テキストが,レポートの書き方,ディベート,ワークショップなど,アカデミック・スキル中心の叙述になっているため,担当教員の専門専攻に関わりなく基盤教育としてアカデミック・スキルの伝授に徹するのか,それとも専門専攻をベースにした演習とし,共通テキストはあくまで副読本程度の活用に止めるのか,についても担当者の間でも見解が分れていた。
これに対して,他学部学科は共通テキストを尊重しているとは言え,それをそっくりそのまま活用するのではなく,旧来の専門基礎科目の中で部分的に活用していた。

したがって,第2に,アカデミック・スキルの習得と言っても体験させることに主眼があり,達成目標があるわけでもない,ということだ。その点で,情報処理科目とは全く異なる。

それはそうであろう。スキルの習得であれば,レポートの書き方1つとっても数コマ必要なはずである。ところが,スタートアップセミナーの共通テキストでは,レポートの書き方について解説はされていても,演習問題は設定されていない。担当者任せになっている。フロアからはレポートの指導について質問があったが,どの報告者もでは,レポートの作成には2コマ程度しか割り当てておらず,個別指導にそんなに時間を費やしていないと答えていた。他のメニューがこなせないからだろう。つまり,スタートアップセミナーでは。レポートの書き方,ディベート,ワークショップ,モックインタビューとスキル,ツールのメニューが豊富であるが,その消化,あるいは達成度の評価を予定していない。あくまで学生を飽きさせないようにメニューを盛り沢山にしているだけなのである。

第3に,スタートアップセミナーの位置づけが専門基礎科目であると言っても,専門科目体系の中の基礎科目を展開しているわけではない,ということである。むしろ専門専攻のオリエンテーション,動機付けに力点がある。

例えば,工学部電気電子工学科では,米沢キャンパスに招いて研究室を紹介し,そのまま蔵に連れて行って合宿を張り,技術者のキャリアを紹介して,それに必要な能力,知識を紹介している。理学部地球環境学科では,各教員が担当科目を紹介し,学生にそのようやくを求めている。あるいは触れ手万キャンプと称して蔵王に連れて行き,ルートマップの作成を体験させている。
そこでは専門知識の伝授,習得はさほど期待されていない。
両学科の担当者がいみじくも述べていたことだが,高校の進学指導の結果,当該学科に入学した学生には,当該学科,当該専攻のことをよく知らないままに入学した学生が少なからずいるため,その「ミスマッチ解消」が専門基礎科目の目標の1つとされている。

その点で象徴的なのは専攻によるクラスサイズの違いである。
専門性と卒業後の進路との関連が曖昧な人文学部,地域教育文化学部の場合には1クラス10余名で丁寧に専門専攻について解説しているようであるが,理学部,農学部では30-40名規模,工学部では80名である。ところが,医学部になると,医学科は1クラス125名,看護学科は60名となっている。
医学部医学科,看護学科に入学する学生の場合には,学部の専門性,将来の進路について迷いがないはずである。
したがって,専門性のオリエンテーション,動機付けという意味での「専門基礎科目」「導入科目」はいまさら不要で,いきなり専門科目を教えても何ら問題ないのであろう。

この点にこそスタートアップセミナーの本質が現れているのではないだろうか。これが当日一番感銘を受けたことでもある。

2010年8月5日木曜日

湧き出るか流れ出るか


研究会が迫ってきたので自宅で作業。

書斎にはエアコンがないため,汗が滴るように流れ,浴槽との間を数往復。
アイデアの方は一向に湧き出ない。

遂に根を上げて午後は近くのドトールコーヒーに駆け込む。
ようやく考えがまとまり帰宅。

近くのNPOでも七夕飾りの準備

いよいよ混雑

週末報告を控えているので,阿部さんの歓迎会を欠席して通常通り17時過ぎに下校したものの,西公園トンネルで渋滞。七夕祭りは2日後,七夕花火大会は明日というのに。

吉野家経由のジムにていつものお気軽セット。
帰途,自宅近くのドトールコーヒーへ。

前日のうちに成績処理をほぼ終えたので,大学でもコーヒーショップでも報告資料(パワーポイントの配付資料)をチェックしていたが,
読み返すたびに説明不足と思われる点が多々見えてきた。

なかには単なる説明不足で2,3行補えば済むものもあるが,
問題提起の甘さも認められた。
イベントが近づくと混雑するというのは,トンネルの中だけではなかった。

2010年8月4日水曜日

寡言実行も善し悪し


未だに時々咳き込む。
ただ,ほんの一時なので,通常の生活に復帰。

昼休み,非常勤講師のA氏を囲んで,Hさん,S君と近くのヘリアンへ。お二人はよく利用しているらしいが初めて。大学周辺にこんな洒落た店があるとは。

話題は例によって大学事情。
大学教師の報酬も話題に出た。確かに私立は高いが,自分ではどうしようもないことなのでスルー。
こちらからは午前中,前期科目の成績登録を済ませたばかりなので「いままでブラウザに手動で入力しなかったでしょう。今季からExcelデータ,といってもcsvファイルで転送できるようになったんだよ」。

大抵の教員は担当科目の出席や提出の有無,小テストや期末試験の成績を,紙の一覧表か電子一覧表,つまりExcelなどの表計算ソフトで記録している。
従来はこれを打ち出して,手動でキーボードから入力せざるを得なかった。
したがって,元データと入力データとの間で齟齬が生じる可能性があり,両者のチェックに手間取っていた。

これからは元データを一定のフォーマットのファイルに加工すれば,そのまま転送できるので,2つのデータが発生し,両者をチェックする可能性はなくなる。
もちろん元データ自体のチェック,転送可能なファイルへの加工する際のチェックが必要なことは言うまでもない。
それでも電子データのまま転送する分,チェックのステップ,手間は減る。

皆もこれは便利,「(そうするのが)当然でしょう」といった反応であった。

夕方,ジムに行っている間にS君から学科全員宛にメールが発信されていた。
Excelでそのままファイル保存すると。学籍番号冒頭の0が抜けるため読み込めない(冒頭2桁は入学年度なので09年入学者の学籍番号は09から始まる),これを回避するにはExcelにこれこれの設定が必要です,と。

昼食時そこまで伝えておくべきだったかな。
S君。ゴメンね。2時間も浪費させて^/^。

 8月3日 手間取ると思っていた前期科目の成績登録。新方式により午前中で終了。「さて,自分の仕事」と思うと,力んで^^;空転?2日続けてジムでトレーニングとは久しぶりだ。