2015年7月27日月曜日

憂鬱ウィーク

7月27日(月) いよいよ期末試験開始。

本日は基盤教育「市場と人間の生活」

大学教師,何が嫌かと言えば,一様に試験の採点と答える(はずだ)。

前日までに採点基準を作成してはいたが,
実際に採点を始めると,こちらの予想とはポイントがずれていたり,こちらの採点基準が細かすぎたりで,
当初の基準の適用が難しく,途中で基準を見直すことになる。

答案枚数は,私学の講義に比べれば,ずっと少ないはずだが,
一度作成した採点基準の見直しを繰り返すため,結構時間が掛かってしまう。

今後10日か2週間くらいか,憂鬱ウィークが始まろうとしている。

懲りないペア

7月26日(日) 盆休みまで観戦できそうにないからと懲りずに出動すると,チームも懲りない野球してた。


仙台駅東口では昨日に続いて「夏祭りすずめ踊り」。

2015年7月26日日曜日

倍返し

「熱中症にお気を付け下さい」
ナイターなのに。

1ヶ月ぶりに球場へ足を運ぶと、積み立てたはずの貯金が倍返しされてた。

  • 先発投手が6回持たない。
  • 安打数はほぼ同じなのに,最終回のタイムリー以外は,得点は専らソロ3発(3連発!)。
  • 終盤点差が開いて,ランナーを溜めることが優先される場面で盗塁刊行

    試合終了を待たずに球場を後にする客ゾロゾロ

    チバロッテ7x4東北楽天イーグルス

  • 2015年7月23日木曜日

    船底の四層構造

    国立大学法人は文部科学省の組織改革でてんやわんやだ。

    今年6月に文科省が人文社会科学系や教員養成系の食傷・廃止を求める通知を出したからだが,
    その前,13年度辺りから,各大学・学部とも。第3期中期目標を迎えるための「ミッション再定義」を文科省と交わすさ段階で,
    様々な指摘,注文を受け,組織改革と学部の将来に不安を覚える教員が多かった。

    その中でも人社系は交渉時に「泥舟」と揶揄され,規模縮小や方向転換を迫られてきた。

    昨7月22日の読売新聞の論点スペシャルという欄では,「国立大学文系学部 どうする」と題打って,
    数学者の藤原正彦氏と元文科相審議官で京大の副総長も経験されたK氏にこの問題に対する考えを聴き出したインタビューを載せている。

    K氏は,その中で,
  • 世代に占める国立大学入学者の比率は,66年3%に比し8.5%と半世紀で3倍に膨らんでいるが,少子化と国家財政危機のなか,「戦略的な規模縮小」が求められる。
  • 旧帝大は,学部の規模を思い切って縮小し,大学院大学への移行を進める。
  • 少子化で教員の需要減は確実なため,教員養成系学部は「統合」,特に教員免許取得の義務を課さないゼ口免課程は,大学の教員ポストを守るためにできたので,「廃止」すべきだ。
  • 旧教養部所属の教員の受け皿として作った「人間」「文化」「総合」 「国際」などの名前を冠した学部も,廃止・縮小した方がいい。
    と提言している。

    ,K氏の発言を聴く限り,国立大学人社系の将来像は3つないし4つに区分されている。
    1.旧帝大
    学部を縮小し研究大学院に特化。
    2.教員養成系学部
    「統合」
    2’教員養成系のゼロ免課程
    「廃止」
    3.「人間」「文化」「総合」 「国際」などの名前を冠した学部
    「廃止・縮小」

    しかし,上に名前の挙っていない学部がある。
    文学部,経済学部,法学部だ。

    具体的な名前が上がっていない,ということは最初の一般論「戦略的な規模縮小」が求められている,とも言えるが,「廃止」対象ではない。

    どうやら,文法経は残しながら,旧帝大は研究と大学院教育専念,他は学部の規模を縮小しながら,現代的ニーズへも貢献を求められている(インタビューでは,一般論として,ベンチャー企業を興す人材の育成や地方経済を考える都市政策,途上国の人材養成への協力が国立大学の責務として指摘されている)。
    これに対して,ゼロ免課程や「人間」「文化」「総合」 「国際」などの名前を冠した学部は,教員ポストを守るためにできた(経過的措置)として「廃止・縮小」を求めている。

    名前が挙っていない人文学部は前者であろう。
    旧高商系のように,経済学部を別にもつ人文学部もあるが,たいてい文学,法学,経済学の2,3領域が,文学部,法学部,経済学部にまでは発展しきれないで一学部を構成している。
    決して教員養成過程や,旧教養部の転換ではない。


    文科省の要請にすべて応じる必要もないし,体力もないが,
    文科省が一様に「泥舟」「斜陽」と評してきた人社系も,4つないし5つの層に分れていることが明らかである。

  • 2015年7月20日月曜日

    堂々巡りの連休

    馬渡尚憲先生追悼文のうち、
    「思い出の記」の方は、頭に描いていたことを2時間弱で一気に書き上げたが、
    8月末締め切りの論文の方は、そうはゆかない!

    この間しばらく論文の構想を練ってきた。

    と言っても、追悼論文集に限定したわけではない。

    また、前期に講義を固めているため、週末毎に飛び飛びで今の研究の発展を考えてきた。

    しかし、飛び飛びでは考えが煮詰まらないうちに中断され、翌週また一から練り直しとなり、ほとんど進展していなかった。

    それでも思いでの記を書き上げ、
    講義も後半月、
    締切まで1ヶ月半になると、
    さすがに尻に火がついた感もする。

    そこでこの連休、近所のドトールコーヒーとジムを行脚しながら考えた。
    全く新しい論文は無理なので、
    既に人文の構想を紹介するために序文的に記したことや八王子合宿で報告したことを詰めて、とゆこうと。

    その場合も、容量12千字なので、論点を思いっ切り絞る必要がある。
    ペーストなる草稿はあっても、それに拘っては紙幅制限をクリアできない。

    様々なテーマを寄せ集めた論文集なので(失礼!)、見通しの良さを優先すべきにという事情もある。

    ここまでで一旦停止。
    アイデアが堂々巡りのようになってきたので!

    三連休、家庭持ちは家族サービスで大変だろうが、
    ただ構想練るだけの方もアップアップだ。
    まだ、本番ではないが、意味切れしないように気を付けたい!

    2015年7月17日金曜日

    いつか木霊する

     7月15日 前日から関連教員間で連絡を取り合った件について教授会で質問してみたが「のれんに腕押し」。いつかは木霊する,と期待しよう。

     7月17日 月曜日授業の日。朝一番で講義の後,その後処理。世話役を務めている「総合講座III(経済・経営)」関連の業務。
     合間に20日締め切りの,馬渡尚憲先生追悼文集(思い出集)に載せる追悼文を作成投稿。
     4月下旬に引き受けて依頼,時々頭の中でアイデアを練ってはいたし,2,3週間前少し書き出していたが,ポッカリ時間が空いた1,2時間で一気に書き上げた。

     〆切り終えて気楽になったのか,少し早めに下校。
     世間的には金曜日で通っているジムが休館のため,早々帰宅し,リニューアル開店した近所のドトールコーヒーへ。

     htmlで作成しているスケジュール表に月末以降の予定を書きだしてみた。
     前期に講義を固めているために,月末に期末試験とその採点業務が集中。
     オマケに「総合講座III(経済・経営)」の答案と成績表を各先生に割る振る仕事もある。
     8月8日から10日は八王子合宿のため,これらすべての業務を何とか1週間で終えたい。
     頭ではとっくに承知していることを書き出すことで確認し,ゾッと感を噛みしめる。マゾか^^
     
     そして,合宿の後には,月末〆切りの馬渡尚憲先生追悼論文の執筆が待っている。
     こちらはまだ元になる草稿とアイデアだけなので,心臓がキリキリする思いはまだしていない。
     ゾッと感やキリッと感が木霊するのはいつになるやら。
     

    2015年7月14日火曜日

    7月12日 少なくともここ3年くらい,1,2月に開催されていた佐々木伯朗東北大学教授主催の研究会の通知が先月届いて,午後開催。
     年2回化するとのこと。
     
     終了後,トラストタワーにて懇親会。

    紅の花

    7月11日 山形紅花まつり(山形市高瀬紅花コミュニティセンター)に設営として参加。

     毎年小学生と紅花音頭を踊られている市川市長「踊るのも今年が最後です」。

     第30回を記念して吉村県知事も来場。趣味の草木染めで紅花の出色を楽しんでいた話。

     昨年に続き人文学部生がボランティアとして参加。
     今年度は実行委にも加わってジビエカレーを企画。
     猪肉、紅イメージでトマト、ご飯に紅花。
     調理3時間。4つの鍋で来場者に振る舞い10分。

     担当した切り花販売も初日は15時過ぎに終了。

    2015年7月5日日曜日

    久し振りに学んだこと

    三大学合同ゼミを久し振りに本学で開いた。

    実際に開いてみると、。
  • 議論しやすい論点の設定
  • 懇親会の設営(生協食堂への注文の出し方)
  • 受付の対応
    等々,様々なことで戸惑った。


    開催経験をゼミ生の間に引き継いでいなかったし,過去の大会をゼミ生に任せきりにしていたこちらにもそのノウハウはなかった。

    特に感じられたのは,論点の設定で,ゼミの合間に発案者の挙げた学生にプレゼンの予行練習をさせてみて,
    アドバイスをしてみたが,
    問題意識がかけ離れている他の学生も構成に即した細かなことはコメントしなかった,あるいはできなかった。

    「トライ・アンド・エラー」の精神でやらせてみたのだが,
    他大学の学生には論点の意味が皆目わからかったようだ。

    発案者の現代社会に対して大きな疑問を持っていることは分かっても
    それぞれのラウンドで何を問題にしようとしてるのかは伝わらない。

    一言で言えば,発案者のみならず,ゼミとしても勉強不足,ということだろ。
    現代社会の,技術,企業それぞれ様々な角度から検討可能であるにもかかわらず,
    どの角度からの議論をしようとしているのかハッキリしない。
    この点を他者,他大学の学生とも共有するには,客観的に存在する従来の議論を踏まえた上で論点明示するほかないが,
    その知識が乏しいので明示できなかったわけだ。

    現代への疑問,発想を重視してゼミ運営してきたが,
    もうすこし学問よりと言わないまでも,「体系立てる」ことを意識した知識の積み上げが必要だ,と痛感した。


    それでも,昨年2度の合同ゼミとも直前にドタキャンしていたゼミ生が開催を「引き受けてみたい」と名乗ったことは率直に喜ぶことができた。
  • 議論の意味

    7月1日 学科会,その後山交ビルにて学科ビアパーティ。

    組織改革案に対する文科省のコメントをめぐって。
    出席者の受取方が異なっていたこともあり紛糾。
    しかし,最終的には現行案の枠組みを受け入れている気配。

    すると疑問等を言いつのるだけで何のための議論か,ということになる。

    出席者により今後の修正の方向が異なる。
    また現行案自体が基盤教育の分担次第で流動的。

    ここで枠を嵌めることに積極的意味があるのか疑問なところ。