2013年6月28日金曜日

お礼


信州大学いらっしゃった永谷清先生より御著書『市場経済という妖怪』を送っていただいた。

3月末の研究会でご一緒した際,回ってきた送付先リストに自分の氏名と勤務先をちゃっかりを書き込んでいたのだ。
永谷先生。感謝しております。

届いたのは先週末。
早速裁断自炊^^(失礼!)


序論を読ませていただいた限りでは,
市場経済と資本主義を峻別して「国境の
ない市場経済」という視点から現代経済に切り込もう路とされているように理解した。
 
自分自身は両者を特に分けていない,むしろ一体視してきたために,今日のような「社会主義後の」資本主義では学生に経済原論の意義をアピールするのに苦労している。
 
両者を峻別される先生がどのように現代を腑分けされるのか,本論を楽しみにしたい。

案ずるより産むが易し

先週木曜日,1回切りの講義,総合口座III(経済・経営系)での「労働市場のセーフティ・ネットを学ぼう」。
先占階?述べたように,通常の内部労働市場の解説と,昨年の公開講義セーフティ・ネットの話を折衷したスタイルのため,スライドに載っていても解説されていない用語を口頭で一つ一つ解説していたら,最後は時間切れ。
内心「こりゃ,失敗だぁ」と思って,学生の提出する「メモ」にもすぐには目を通せなかった。

月曜日24日になってようやく気持ちが落ち着いて^^,メモを読んでみると,
文字通りメモで,講義で話したキーワードなどがするしてあったり,内容を短く要約しているものがほとんどだった。
仲には冒頭部分だけ要約してるもののもあったが,授業への感想,要望は限られていた。

それでも,「グラフが多用され具体的でわかりやすかった」「丁寧に一つ一つ解説していた」という感想がある反面,
「声が聴き取りづらい」板書が見えずらかった」という指摘もあった。

また「これから社会に出るに当たって参考になることが多かった」という感想もあり,
全体構成からすれば,前に時間をとりすぎてアンバランスだったかも知れないが,
聴いている方は局面局面でもわかって貰えたことが窺えた。

案ずるより産むが易し,ということだろうか。

 6月24日 基盤教育「市場と人間の生活」は雇用調整。

 6月25日 「経済原論」は商業信用。

 6月26日 「市場と組織」模糊要調整。

 6月27日 教養セミナー「格差を考える」(13年度前期),2年生ゼミ「専門基礎演習」は共に橘木俊詔「格差社会」最終第5章後半。次回からはテーマ報告


 6月28日 「経済原論」は銀行信用。今日の確認問題は「銀行券はどういう意味で特別な手形か」はオンラインではなく,その場でカードに記入提出。

2013年6月24日月曜日

今日のお話でした

最近,大学での出来事をほとんど記していない。
講義党を下記連ねても,「小学生の日記」を出ないし。
関心のあることを書くと,差し障りが出てくるし^^,で止めていた。

しかし,当初週内氏月単位で更新していたのを大学時代の同級生のアドバイスで「極私的な」日記スタイルに改めたのが,サイト更新のキッカケなので,久し振りに最近の出来事を記す。

6月20日 教養セミナー「格差を考える」と2年生ゼミ「専門基礎演習」はどちらも橘木俊詔『格差社会』を終えた後,1年生向け「総合講座III」の講義。同講座は経済・経営系の教員が自分の担当科目を1回切りで解説する。1回なので,新聞記事を読める程度の内容水準,という設定になっている。自分は「経済原論」そのままでは1度で話すのは難しいので,例年,内部労働市場の解説をしている。今回はそれに加え,昨年度公開講座で話したセーフティ・ネットの話を加えよう,と考えた。時事問題に関わらせた方がより身近に感じられて貰える,と考えたからだが,結果は思わしくなかった。内容がスライドギリギリ24枚で詰め込み気味の上に,途中でスライドで解説している以上に用語の解説に時間を割いたために,最後は端折り気味となってしまい,最後のページの確認問題(記述式)の解説を残してしまった。

6月21日 朝一番「経済原論」は地代論。テキストの地代表の数値を説明するために,算数レベルだが計算をしてみると,そのこと自体が学生には難しい,苦手意識を持たれるようだ。

6月22日 ノートPCをデイパックに詰めて外出。しかし,PC起動させたのはほんの僅かの間でほとんど進捗なし。これが日曜日も同じ。

6月23日 4時に起床して,サッカー・フェデレーションカップ「対メキシコ戦」観戦。3連敗でもはや言葉なし。2度寝した後,近くの歯科医院にて矯正治療。その後,ドトール,ジム,ロイヤルホストと渡り歩いても,進展なし。

6月24日 基盤教育「市場と人間の生活」は雇用調整。終了後,学生の質問「リストラと首は同じですか」リストラとは事業再構築(restruction)のことで,雇用調整以外に事業部門の再編成(不採算部門の売却,廃止等)があります。労働投入量の調整である雇用調整には様々な方法があり,正社員にとっては最後の手段がクビ,馘首ですが,非正規雇用の場合,雇用調整即解雇,というのが今日のお話でした。

2013年6月19日水曜日

回想記も秀逸

10日ほど前の記事,アップし忘れていた。

6月18日寝る前,
日付は19日になっていたが,
宮尾登美子「柝(き)の音(ね)の消えるまで――追悼市川団十郎丈」(文芸誌『新潮』)を読んだ。

宮尾『きのね』はまだ読んだことはないが,
かつて読んでいた母が朝日新聞の上記回想記紹介記事を目にして同誌を買ってきたからだ。

内容は,紹介記事の通り,先ごろ亡くなった十二代目市川団十郎の両親(父が十一代目團十郎,特に母親のことを小説にするに公言しているうちに、歌舞伎のプロモーター?松竹から圧力がかかったものの,跳ねのけ,念願通り小説(朝日新聞連載小説『きのね』)にした,というものだ。

個人的に面白かったのは2点。

一つは,宮尾は松竹からの圧力は気に求めなかったが,母親のことを記すに当たって十二代團十郎に「絶対触れて欲しくない点があれば,予め教えて欲しい」と伝えたものの返事がなかったという点だ。第三者を交えて,また両者で,確か計3回くらいは面談しているが,十二代目は宮尾の問に対しては直接返事をしなかった。結局,宮尾がしびれを切らせて,特に考慮せず,連載小説をものにした。

歌舞伎の総本家,市川家の統領という点からも迂闊なことは言えなかったのかも知れないし,もともと相手に厳しく出ることを好まなかった(察して欲しいと思っていたのかもしれない)。いずれにしても技巧派ではないが「存在自体,所作自体が歌舞伎」という十二代目のイメージにぴったりだ。

もう1つは宮尾個人の話で,
終戦後,身を寄せた耕地の農家では,農閑期のひととき,村人総出で芝居,歌舞伎を演じるのを楽しみにしていた,という点だ。
役者もそうだが,舞台の設営,演技指導をしてくれる指導者(これも元農家で,先祖伝来の田畑を処分して芝居用具一式を揃えた)への接待等,村人が分担して行う。
素人歌舞伎,農家歌舞伎は各地で行われていたようだが,回想記冒頭の農家歌舞伎に関する叙述は農家の,束の間の農閑期を積極的に楽しみたいという雰囲気がリアルに描かれていた。

十二代目の対応や農家の園芸に掛ける取り組みは,既に十数年前のことだったり,数十年前のことだったりするが,
名うての小説家の手に掛かると,その像が目に移り,音が耳に響くように感銘を受ける。


2013年6月17日月曜日

朝に,昼に

朝4時起床。
サッカー・コンフェデレーションカップブラジル3x0日本
ボールが前線に収まらないんだから仕方ない。
前線へのボールに合わせてヘッディングするFWではなく、
足元,頭ふり下手でも潰れてもボールを抑えるFWを置くべきだったのでは?


年2回タイガースを迎える時は「どちらのホーム?」というくらい阪神ファンの声援が大きい。
開始時間を間違え,14時半頃球場に到着した時には,阪神の先発,「超高校級」藤浪投手のピッチングを見られなかったのが残念!

2013年6月15日土曜日

二都?物語

いつもこの時期になると不思議な感覚に陥るのが,
仙台は曇りないし雨模様なのに,笹谷トンネルを抜けると改正,というかカンカン照り。
部屋にいても暑いが,外に出るとさらに暑い。
冷房利かせているといっても,ご時世だから抑えめ。利かせていない部屋もある。
外は,雲はあってもほぼ快晴の30度。
美容店の主人は「なかなか梅雨入りしませんねぇ」とぼやいている。

ところが,仙台に戻ると,曇りか,快くない?晴れ。
夕方は毎日にように小雨,霧雨。

人に言わせると,
夏のカラッとした高温が山形のサクランボやスイカに甘みをもたらすのだとか。
甘くなったり,辛くなったりと,変幻自在とはゆかない人の方はツライ。

2013年6月13日木曜日

昨日言ってよ

昨日のパスタ皿。
Facebookで「いいね!」を集めたので,
今日はお茶碗4つ。

ハイ,と支払の時になって
「これ美濃ですけど。物がなくなったので仕入れたんです。
伊万里はこの一角だけです」と右手で指す。

まぁ,図柄気に入っていたから^^


2013年6月12日水曜日

ざらパスタ

6月12日,何時もより帰りが遅くなったのでジムには寄らず,
先週末より一番町四丁目アーケード街で開かれていた全国大陶器市
にて伊万里焼仁平窯の,パスタ皿2枚。

2013年6月11日火曜日

踊り場に直面するアベノミクス

今週初め再び円安,株高に触れたが,
先週末は,米FRBが予告する量的金融緩和縮小への懸念,及び週末公表された米雇用統計への受け止め方から
米ダウ下落=日経下落,ドル安円高に大きく振れた。

これを一時的な調整局面と見る向きもある。
確かに株価の動きは実態をそのまま反映するわけではないから,以後も反発の可能性は否定できない。

しかし,やはり先頃発表されたアベノミクス「第3の矢」成長戦略のインパクト不足からすると,
市場はやはり先行き不安になったのではないだろうか。

例えば,農業所得10年で倍増と謳っても,農業法人の拡大には熱心でない。
大規模化と齟齬を来すはずの減反(の廃止)は原案にも盛られてなかったようだ。
混合診療も脱落した。
発送電分離の時期は曖昧なままだ。


もちろん,これらに全面賛成するわけではない。
例えば,農業再生が,中山間地の多い日本では,大規模化だけで進むはずがない。
国土ないし環境保全という意味でも,一定の保護は必要であろう。
商業ベースで拡大する部分と採算ラインを切っても保護すべき部分を組み合わせるほかない。
それは所得倍増という目標だけアピールしようとするから疑問,不審を掻き立てることになる。


成長戦略がパッとしない,ということは,
アベノミクスには,市場に成長を促す仕掛けはない,ということではないか。

最初の「二本の矢」,大胆な金融緩和と財政出動は経済が軌道に乗るまでの一時的施策にすぎない(そうでなければ「大きい政府」化)。
政府,日銀が緩和する,財政出動するのは易しい。
与党内がまとまっている限り実施できるからだ。
しかし,それはあくまで景気の「読み水」あるいは「時間を買う政策」に過ぎない。
そもそも,白川日銀総裁時代から国内にカネは余っていた。
企業が国内市場を投資先として魅力ないし展望を感じていなかったに過ぎない。
したがって,いくら金融緩和を「異次元」レベルに高めようとも,
企業が国内に有利な投資先,市場を見出さない限り,
「利益が上がっても海外投資」の流れは止みそうにはない。


結局,アベノミクスとは,輸出関連企業の為替差益と株式相場浮上による一時的活況,第1幕で終わりかねない状況にある。

---補足---
競争力会議「成長戦略」骨抜きに 楽天・三木谷社長に聞く(日経13/06/12)

――産業競争力会議に点数を付けると。
「総じて言えば75点。最大の成果は環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加を側面支援したこと。
規制緩和も道筋は示せた。あとは安倍首相、菅義偉官房長官らの実行力にかかっている。
既得権益を守る人々に阻まれて総論賛成、各論反対になったのでは0点だ

「様々な議論をしたが、結局、官僚のシナリオ通りになった
安倍首相には今後も期待するが、今回は変革を拒む抵抗勢力の頑強さを痛感した」


2013年6月7日金曜日

拝受

6月6日(木)恩師の福留久大先生より「安倍晋三氏の経済政策---アベノミクス試し切り」「米軍機墜落の資料蒐集」(『福岡国際大学紀要』29,2013),『名誉教授の会・座談会』届く。

有り難うございました。

3月で福岡国際大学も退かれ,メールも携帯も持たない先生にブログでお礼を述べるのもおかしなことですが,
いまの仕事を終えたら,試し切りしてみます^^。

2013年6月3日月曜日

やはり学問の人だった

6月2日(日)13時より仙台は北山の輪王寺で開かれた馬渡尚憲先生の葬儀は
は,ご親族以外は,お弟子さんたち(+居候の自分)のみの参加だった。
ご家族が近親者のみの「密葬」を強く希望されたためだ。

印象に残ったのは,「お別れの挨拶」にたたれた近親者の言葉だ。
4兄弟の長男であった先生は,父君が若くして亡くなられたため,弟や妹の親代わりを務められたようで,
弟さんは就職の相談に乗って貰ったことを話された後,
「オレの千分の1でも勉強しろ」と諭されたことがあったとエピソードを紹介されていた。

また娘さんの一人は,
「後になって『こんな高みに辿り着けたのだ』と気付くことがある」と
「努力の大切さを教わった」と話されていた。
 
慕う人の多い大先生にはいろいろなタイプがある。
研究者以外にも市民や労働区慈愛完成者,市民運動家などから慕われる人もいる。
政治家から政策等について提案を求められる人もいる。
ポストの世話をする人もいるだろう。

馬渡尚憲先生は東北大学では学部長や副学長を務められ,県立宮城大学の学長にもなられた。
また経済学史学会の代表幹事も務められた。
宮城大学の学長には,東北大学を定年前に辞めたうえで就任された。
「行政手腕に秀でている」,場合によっては権力志向が強いという噂も聞く。

また,その思考法はかなりプラグマティックであった。
実際,先生は政策志向もお強く,「経済学は政策提言すべき」としばしば研究会で主張されていた。
政策提言できて初めて空理でない学問とのお考えだったように理解していた。

たとえば,経済学原理論における賃金理論への疑問も,会話のなかでは,イギリス恐慌論を調べられて,必ずしも宇野恐慌論の想定するような賃金高騰が恐慌の引き金ではなかったことを真っ先に挙げられていた。

理論モデルの問題は,現実の様々な動きとは必ずしも一致しないことは多々ある。
だからといって直ちに理論が無効とは言えない。

僕が研究会に参加させて頂いた時には,先生は経済学原理論への関心は醒められていて,専ら経済学史の研究をされていたように思う。
そのあまりではないが,純粋に経済学原理論としての研究報告をしていた自分には,現実的含意という点で厳しいコメントを頂いた。
内容上のコメントなら良いのだが,時として経済学原理論の研究を続けることに対するイヤミとも取れる言葉も受けて,正直ムッとしたことがある。
それはもはや学問の言葉とは受け取れなかったので,
先生はかなり遠くの世界にいらっしゃるなぁ,というのがその時の正直な感想だった。


しかし,葬儀後,お弟子さんたちと駅のレストラン街で思い出話などしていて感じたことだが,
現実の政治や政治家とは一線を画されていた。
学部長も副学部長も代表幹事も学問の世界のことであった。
決して学問の世界以外の評価を求められていなかった,とも言える。

自分へのコメントも,あくまで自分の学問的立ち位置を基準としての発言であった,とも言える。
自分の選んだ学問アプローチに忠実だからこそ異教徒には峻烈な言葉を発することになったのだろう。
僕も先生の言葉によって,かえって経済学原理論の研究に邁進しなければ,と奮い立たされた面がある。

その意味では,先生はやはり「学問の人」だった,

先生はなくなる直前までお元気で,大学院での教育や学会報告に強い意欲を持たれていたようだ。
それはご家族並びに近親者には辛いことだろう。
しかし,気持ちが閉塞されたり,手持ち無沙汰だったりする時よりも,お元気で研究に没頭されていた時に亡くなられたのは先生ご自身にとってはむしろ幸いだったのではないだろうか。

重ねてご冥福をお祈りします。