2017年9月30日土曜日

再確認されたのである

 本稿では,生産過程論埋没という視点で..原論の労働章,特にその労働過程論を検討した。
その結果,..の場合,宇野継承者のように,生産過程論が形式に流れていたわけではなかった。むしろその前提としての労働過程論が,客観的に存在する自然過程に対し,意識のうえで選んだ目的物を自然法則に従って取得するだけの受動的過程として形骸化すると同時に,それを目的である生産物の観点から捉え返した,生産手段および生産的労働の有機的連関の考察,生産過程論は確立されなかった。

 また,その影響も,生産的労働と不生産的労働の無区別,生産的労働と価値形成労働の混同に止まらなかった。同質的な労働を前提にした労働の量的拡大,生産力視点や剰余増大の視点が労働章では打ち出せなくなっていた。そのため,過程の収支に着目した生産・消費規定と相俟って,協業,分業は生産力の問題ではなく,単なる労働組織の問題として扱われるに止まり,労働組織や賃金制度は,剰余価値増進という観点からではなく,純粋に労務管理的視点での考察に止まることになった。

 労働過程および生産過程の設定は,「労働の同質性」抽出に止まらない理論的意義を有することが再確認されたのである。

 以上は,筆を執った後に,2,3度構成を見直した紀要原稿の「むすび」。
 昨9月29日提出

 同日はまた2年生,3・4年生それぞれのアドバイザー懇談会。
 いわゆる担任教師として前期の成績表を渡し,後期修学上の注意を促す。

 

2017年9月19日火曜日

見通し甘さ痛感

 更新が半月以上空いた。
 論文を書き始めたものの,当初の見通しよりも問題の広がりが大きく,なんじゅうしていた。あるいはいる。

 当初は生産過程論の埋没が生産論の内容,構成にさまざまな影響を及ぼす。
 具体的な影響については別項で検討するにしても,生産過程論埋没の基本的影響は説明できる,と考えていた。

 しかし,取り上げた論者は生産過程論が埋没していただけではなかった。
 そのため,生産論への影響,因果関係も一筋縄では説明できない。


 執筆が進まないわけである。
 見通しの甘さを痛感した次第だ。

 9月16日 武蔵大学にて『資本論』150年記念シンポジウム
 9月17日 駒沢大学にて学会関連会合

2017年9月5日火曜日

同じようなもの

 論文の方は,構想の見通しの甘さが響いて月末再度手直し。
 どこまでを論点とするかにまだ迷いが残っておりが、確かな他者の論説の紹介,引用部分が削ったつもりでも多くなっていた。
 論旨を明確にするには,引用をさらに削ったり,補足的説明などを註に落とすしかない。
 その見極めに手間取っている。

 そうこうするうちに,風邪を引いて寝込んでしまった。
 風邪を引いた理由は,単純な寝冷え。急に気温が下がったのに油断していた。

 土曜日9月2日,かかりつけ医に駆け込んだときは熱はなかったが,
土日自宅静養しているうちに発熱。
 論文の締め切りが月末であるうえ,15日を目処に報告書2件,書評へのリプライ1件を提出しなければならない
 風邪を治すには静養するしかないが,おちおち静養もしていられない

 ところが,4日月曜日登校して溜まった仕事をこなしているとまもなく平熱に下がった。
 朝までまだ頭がぼっーとしていたので、これはもうワーカホリックと称される人々と同じだ。

 量を伸ばせば、生産性は落ちる。これも同じだ。