本稿では,生産過程論埋没という視点で..原論の労働章,特にその労働過程論を検討した。
その結果,..の場合,宇野継承者のように,生産過程論が形式に流れていたわけではなかった。むしろその前提としての労働過程論が,客観的に存在する自然過程に対し,意識のうえで選んだ目的物を自然法則に従って取得するだけの受動的過程として形骸化すると同時に,それを目的である生産物の観点から捉え返した,生産手段および生産的労働の有機的連関の考察,生産過程論は確立されなかった。
また,その影響も,生産的労働と不生産的労働の無区別,生産的労働と価値形成労働の混同に止まらなかった。同質的な労働を前提にした労働の量的拡大,生産力視点や剰余増大の視点が労働章では打ち出せなくなっていた。そのため,過程の収支に着目した生産・消費規定と相俟って,協業,分業は生産力の問題ではなく,単なる労働組織の問題として扱われるに止まり,労働組織や賃金制度は,剰余価値増進という観点からではなく,純粋に労務管理的視点での考察に止まることになった。
労働過程および生産過程の設定は,「労働の同質性」抽出に止まらない理論的意義を有することが再確認されたのである。
以上は,筆を執った後に,2,3度構成を見直した紀要原稿の「むすび」。
昨9月29日提出
同日はまた2年生,3・4年生それぞれのアドバイザー懇談会。
いわゆる担任教師として前期の成績表を渡し,後期修学上の注意を促す。
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