2020年8月24日月曜日

結末後が長い

 日曜日の夜は時間を持て余すのか、ジム帰りにまたも映画音楽作曲家エンニオ・モリコーネ追悼特集へ。『鑑定士と顔のない依頼人』。監督は前回と同じトルナトーレ。結末ついた後が長いのも同じ。蛇足と言っては失礼か。


 結末が付かなかったのが前日の報告。
 前日,8月22日(土)は午前バーチャルオープンキャンパスの溜川先生の模擬講義後の質問受付け役。午後は故馬渡尚憲東北大名誉教授が主催されていた仙台経済学研究会の第34回例会で「可変資本概念の変質」を報告。

 まだ構想段階でエントリーしたため,報告していて繋がりの悪さに気付く始末。
 収穫としては,
・搾取と収奪とは,ニュアンスの差を別にすれば,概念的に区別する意識が現在に限らず,以前から薄かったこと
・純生産物に労働者の生活資料を含めるのも一般的であること
を教えられた点。

  論文にするにはまだまだ勉強して補強が必要であり,結末後が長いことに変わりはなかった。

2020年8月20日木曜日

大旗

 先月くらいから映画鑑賞づいていaaる。平均すれば,年鑑賞回数1を切る人間がこの2か月で10年分以上鑑賞している。キッカケは毎日新聞オンラインニュースで知った『なぜ君は総理になれないか』。訪れた映画館では若尾文子映画祭を開催中と知り,『爛』『刺青』『華岡青洲の妻』。さらにその予告編で映画音楽家エンニオ・モリコーネ追悼特集が紹介され,『ニューシネマパラダイス』.。コロナ禍でどこにも出歩けなくなったせいかな。

 先週夜遅くパラダイスからてくてく20分掛けて帰宅すると大内秀明東北大名誉教授より『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論』の寄贈。
 個人的には共同体原理やアソシエーションにさえ疑問を覚えるようになったが--無効無益という意味ではない--,大内先生が高齢をおしてコミュニタリアニズムという大旗を掲げられていることを尊敬し,刺激を受けている。

生煮え

 先月末,故馬渡尚憲東北大名誉教授が主催されていた第46回仙台経済学研究会の報告が2枠空いているという連絡を受けたので,「まだ形ができていない」と断りながら手を挙げてみたら,本決まりになった。

 8月22日(土)午後,Zoom開催。
 「可変資本概念の変質」

 可変資本概念が変質,あるいは形骸化し,一方で搾取と収奪との区別が薄れるなど概念的希釈化が進行し,他方で、価値形成労働の生産的労働化(生産費用化)が進んでいるのでは,という問題提起だ。

 未だ生煮え状態だが,同研究会は,今やほとんどの参加者が経済学説史専攻の方ばかりであり,搾取概念の生成,発展やマルクスの理論形成については疎いので,学史の方からアドバイス頂ければ,と思っている。

2020年8月9日日曜日

先は長い

 6月末,論文の刊行に目処を付けて以降,次のテーマに取りかかっているが,この間届いた学会誌の特集論文のテーマに触発されて関連する論文を読んだり,ノートを取ったりで,かなり横道に逸れてしまった。

 自身のテーマの方は,柱となる論点を挙げただけの段階。
 3つの論点を設定してみたものの,それぞれ掘り・練りが進まず,相互の関連も曖昧だ。
 学期末の様々な業務の合間に「論点だけノート」と睨めっこしている。
 お盆休み前の三連休も同じことを繰り返すことになりそうだ。

  朝昼晩,せいぜい1時間半か2時間。
 キーボード入力する実働時間はさらに短い。

 効率が悪い,ムダが多いと思うが,早々と結論を出していては碌なことがない,筋が浅い,第三者的には展開に無理があり理解を得られないという痛い体験が何度もあるので致し方ない。

 ところで,休日は朝昼晩通っている近所のドトールコーヒー。
 新コロナウィルスの感染が拡大して一時営業時間を極端に短縮し,徐々に拡大させ,カウンター席も椅子の数を減らして間隔を保っていたが,昨日辺りから椅子の数が戻り,席を空けなくなった。
 全国的には感染が再拡大しているのに。

 営業上の問題もあるだろうが,ワクチン未未開発の感染病対策は,比較しては不謹慎と言われるかもしれないが,論文構想と同じで,先を急ぐと意に反して完成が長引くことになりかねないことも考慮する必要がある。