2010年11月29日月曜日

ベーシック・インカム拒絶症・その3

学生にはベーシック・インカムに対して否定的な意見が多い。
ベーシック・インカムの仕組みやその底にある発想,理念,あるいは現在の社会保障制度の問題点を調べた上でのことなら全く問題ないが,
ちょうど街角インタビューで「好きか嫌いか」を問われた時のように直感的に反応したのでは全く勉強にならない。大学生でも無学な者でも変わらないからである。

学生のベーシック・インカムに疑問を提起する時,持ち出すのが財源問題だ。

しかし,これも多分に昨今のマスコミの論調に引き摺られている面がある。

確かに日本の政府債務残高は膨大で09年12月末時点で約872兆円。名目GDPの約1.9倍に相当する,といわれている。
しかし,日本の場合はまだ国債を国内で消化されており,金利が急上昇する局面にはない。
現在の欧州金融機関のように,ギリシャやアイルランドの国債の償還に不安を持たれる状況---償還できなければそれらの国の国債を大量に抱える欧州主要金融機関が取り次ぎ騒ぎに合うだろうし,EUとして救済すればユーロが弱い通貨となり,保持する意味が薄れてくる---にはない。少なくとも日本では政府債務残高問題が「目の前の危機」となっているわけではない。
アメリカほどの経済不況ではないが,マスコミ報道も与って不況色が蔓延すると,財政再建を後回しにしても景気回復に努めた方が良いとさえ思えてくる。

その上で,実際の必要があれば,支出すべきであろう。
現に与党政権以外にも,マスコミや財界に賛同者が多い環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)に参加するならば,民主党がマニフェストで唱ったのか戸別所得補償制度どころの騒ぎではない。
農水省は,来年度の予算に,戸別所得補償制度分として1兆円弱を要求しているそうだが,TPPに参加となれば「少なくとも新たに年2.5兆円程度」必要になる,という(朝日新聞2010年11月20日付け)。
現にコメ輸入の関税化を決めた1990年代前半のガットのウルグアイ・ラウンド交渉を受けて、日本は農業対策に6兆100億円を」(同上)投じている。

そもそも「小さな政府」論者の中にベーシック・インカムに賛同している者がいるのはなぜか,考えてみる必要がある。

その点を見ようとしないで,現在の制度の延長線上にベーシック・インカムを捉えて賛否を表明しても,専門知識を全体としない街角インタビューの反応と変わらないのではないだろうか。

先週のこと

先週のことを書き忘れたが,忘れた^^;。
水曜日と金曜日はずっと埋まっていたし,他は自分の仕事に没頭?

土曜日27日の三大学合同ゼミ(今回分はHPなし)は,
3ラウンド(メリット・デメリット,労働意欲への影響,賛否)に分けて学生が十くらいのテーブル毎に議論し,結果を発表。

第2ラウンドまでは,長短所を比較している風だったが,最終ラウンドでは否定的意見が強かった。
やはり「働かざる者食うべからず」という倫理や財源問題に影響されるようだった。(この件は改めて論じる)。

日曜日28日はデイパックにノートPCを詰めて外出したものの,さして進捗もなく,偶然にも文春文庫ばかり,徳川 宗英『徳川家の江戸東京歴史散歩』文系春秋編集部『「坂の上の雲」人物読本』佐藤愛子『老い力』 (文春文庫) 。

2番目は第1部が再放送され,第2部がBSHiで先行放送されるNHKドラマのため(原作は数年前,断続的に続いた出張の合間に読んだ)。3番目は母への土産?

2010年11月27日土曜日

学生の視線

大学では教員と学生の関係は,高校までの担任教師と生徒との関係ほどは密接,濃厚ではない。
それでも演習(ゼミ)ないし研究室に属するようになると,2年,大学によっては3年ないし4年担任関係が生じるので親しい関係になる。
理系や文学部計の場合には,学生は,毎日,ちょうどクラブの部室のように研究室を拠点にして他の教室や実験室,演習室に向かうので,根城となる研究室の教師との家計は深い。
社会科学系の場合には,他の授業と同じように演習(ゼミ)の時間だけ主任教員と学生は接するだけ,つまり週1回顔を合わすだけだが,それでも2年ないしそれ以上関係が続くし,卒業論文やレポートの始動を通じて関係を深める。

関係が深まれば,親しく接することになり,互いにプライベートな告げたり,なれなれしい,あるいは踏み込んだ発言を互いにするようになる。

中には「そこまでいうか」と感じる踏み込んだ発言になり,ムスッとさせられることしばしばである。
しかし,そういう感情をおいて考えてみれば,学生もよく見ているなおぁと感心させららる。
当然であろう,学生も2年近く教員を傍で観察し,またその言動で好悪さまざまな感情を引き起こされてきたわけであるから。

もちろん,その発言全てに納得するわけではない。
教員が教員として学生を観ているように,学生は学生の視点,立場で教員を観察しているわけであるから。

しかし,それらの発言は親しいものならでは気付いた点も多く,ハタッと教えられることも多い。
誰でも家族や友人知人など親しく接する者はいるわけであるが,
年の離れた若者から普段気付かない知見を得るのは教員ならではであろう。

ベーシック・インカム拒絶症・その2

繰り返し述べているようにベーシック・インカムに対し必ずしも賛同しているわけではない。
しかし,周囲の学生を観る限り,余り関心を示さない。
それはそもそもベーシック・インカムが提唱される現実生活における問題,セイフティ・ネットの現状を知らないが故の拒絶反応ではないか,と述べた。

すると早速,昨日のゼミで種々の諸説を調べた上で反省,反対の論拠をそれぞれ報告してくれた。
「ワークフェアの問題点など先週から指摘していましたよ」。
あぁ,そうだっけ^/^。

目の前のゼミ生に拘らず,続きを書こう。

ベーシック・インカム拒絶症の根拠の一つに「働かざる者,喰うべからず」という労働倫理がある。

あるいは,ベーシック・インカムに限らず,例えばこども手当などに対し直ちに「バラマキ」という批判が巻き起こる。

しかし,現在,われわれが受け取っているものは,それほど対価性があるのであろうか?

例えば,年金は基本的に保険方式を採っているが,老齢基礎年金(共通の1階部分)の毎年の給付の2分の1は国費負担,税金である(2007年度までは3分の1だった)。

医療保険も,例えば,国保(国民健康保険)による現物給付(窓口にで本人3割負担以外の7割の拠出)は全て保険料で賄われているのではなく,その約43%は国費ないし市町村の負担である。国保以外,すなわち被用者保険(健康保険,共済組合等)も同じである。

賃金の現金部分だって,雇用調整助成金という形で税金が投入されている可能性がある.あるいはそもそも賃金自体が市場の競争だけで決まったものではない。団結権が認められ,最低賃金が法定されている中で決まっているのである。

経済原論のモデルでない限り,市場外の諸要因が関与しているのである。

「働かざる者,喰うべからず」としてベーシック・インカムを拒絶する説き,こうした現実は念頭に置かれているのであろうか。

ベーシック・インカムの特徴は,給付ということそれ自体よりも,それを統合している点にある(その点はまた後に触れたい)。

2010年11月26日金曜日

ベーシック・インカム拒絶症・その1

先日,学生にベーシック・インカムが受け容れられない,正確には賛否は別にしてその意義が理解されない原因の一つに,現状に対するイマジネーションの欠如がある,と述べた。
しかし,それではあまりにも精神論的に過ぎた。

ベーシック・インカム論者のいう必然性論に遡って,ベーシック・インカムの意義が理解されない原因を考えてみたい。

小沢修司氏によれば,ベーシック・インカムの必然性は以下の諸点にある(小沢修司「ベーシック・インカム構想と新しい社会政策の可能性」『社会政策学会誌』16,2006年)。
  1. ケインズ=ベヴァリッジ型福祉国家が前提とした完全雇用が難しくなった
  2. 労働社会の変容が福祉国家の前提とする「家族」を揺る動かしている
  3. ミーンズテストに伴うスティグマや「失業や貧困の罠」から社会保障給付を解き放し,社会保障制度と税制の統合と合理化を果たすことへの期待
  4. 経済成長に基づくパイの再配分に与ってきた福祉国家は環境に負荷が掛かる
学生はそれぞれの要因に実感を感じていないのではないか?
  1. 未だ希望すれば就職できる社会である,非正規雇用であっても厭わず就職すればよい。言い換えると失業は個人の問題である。
  2. 学生は大抵独身で所帯を持っていないので,例えば社会保険の拠出や給付が家族単位の面があることの窮屈さを実感できない。
  3. 学生の間にも新自由主義,市場志向は浸透しているように見えるが,所得税や社会保険料を支払っていないので,社会保障制度と税制の統合の必要性を強く求めるまでには至らない。
  4. 学生も環境には関心が高いが,再分配を支える成長の環境負荷までは気付いていない。
 つまり実感のなさは就労体験がないことに基づく。

しかし,社会科学を勉強しているのだから,理屈・理念として論者の主張する必要性を理解できないし,その上で自身の賛否を語れないものであろうか。
  1.  例えば「働く者喰うべからず」といっても,現代の先進資本主義諸国では完全失業率が自然失業率まで落ちるほどの成長率が見込めるのだろうか。
  2.  例えば年金の場合,第2号被保険者(サラリーマン,公務員)の専業主婦は第3号被保険者として夫とは独立に基礎年金の有資格者となった)が,所得比例の2階部分,厚生年金については夫の合意がない限り,分割して給付を受けられない点や,第1号被保険者である自営業者の専業主婦は同じく第1号被保険者として保険料を納める必要がある(第3号被保険者は保険料が課されない)点は,離婚率が上昇したり,未婚率が上昇したりしている今日の社会情勢に適合しているのだろうか。
  3. 新自由主義への信奉といっても,「貧困の罠」「失業の罠」を福祉国家の問題点として理解しているくらいで,その解決策をどのように考えているのだろうか。新自由主義的経済学者が解決策として処方する「負の消費税」や「給付型所得控除」が仕組みとしてはベーシック・インカムと同型ではないか。
  4. 財政が肥大化した福祉国家の是正策として就労や職業訓練を給付の条件とするようになった積極的労働市場政策は完全雇用が望めない状況で妥当だろうか。
つまり,ベーシック・インカム拒否症は,その仕組みや背景を理解した上での判断ではなく,単なる「勉強不足」に起因しているのではないか。

2010年11月23日火曜日

有期雇用改革の提言について

11月22日(月)付けの日本経済新聞,経済教室コーナーでは,鶴光太郎経済産業研究所上席研究員が「有期雇用改革、『量』削減より『質』の向上を」と題して労働市場規制のあり方を提言している。

要は,有期雇用改革に関して欧州の規制に倣うことへの反対と,それ代わる,有期雇用の量的増大を前提にした「質的」規制の主張である。

すなわち,1999年の欧州指令は,「期限の定めなき雇用」(無期契約)を基本とし(理念),有期契約締結の条件を一時的な需要増や季節要因に限定する入口規制と,有期契約の反復による乱用を規制する出口規制からなるが,既に有期雇用が増大している日本では欧州とは理念が異なるので欧州の規制をそのまま導入できない。実際,韓国では97年より出口規制(最長2年,2年を超えたものは向きと見なす)を導入しても正規雇用は増えなかった。そこで,有期雇用改革としては,有期契約の「量的」削減から「質的」改善を目指すべきである。具体的には,
  1. 「契約締結時点で更新可能性や更新回数を明示した有期雇用契約の多様なコース分けを徹底し、制度化することで、契約終了時の結果の予測可能性を向上させる」(有期雇用の不安定さや雇い止め問題への対応)
  2. 「正社員として採用するための試用期間を有期雇用契約として明確に位置付ける「テニュア(在職権)制度」を導入」する。
     現在は,試用期間が期間の定めのない雇用契約の中で位置付けられているため解雇権乱用法理が適用されるが,これを有期契約の中に位置付けることにより「企業側は正社員雇い入れリスクが低下し、結果的に正規雇用比率が高まる効果が期待できる」。
  3. 「雇用不安定への補償という観点からは、有期雇用の契約終了時に『契約終了手当』支払いを義務付けることも検討」する。

     これらは「有期雇用と無期雇用の間に中間的な雇用形態や処遇の仕組みを作ることで『間を埋め』、期間比例的な考えに基づき『連続性』を創出していく」氏のかねてからの主張に沿うものだそうである。

この提言に対しては,まず第1に,日本への欧州型規制への導入を拒否する論拠として,日本では非正規雇用の比率が高まっているため期限の定めなき雇用を基本とする欧州とは労働市場の理念が異なるとしていることに疑問を覚える。
非正規雇用の比率が高まったといっても33%前後,男性に限定すれば,20%未満に止まっているし,何より労働基準法が「合理的理由のない解雇は無効」としている点で期限の定めなき雇用(いわゆる正社員)を基本としていることは明らかであるからである(明文化されたのは2004年だが,判例上はその前から適用されていた)。
セイフティ・ネットを維持する面からも期限の定めなき雇用が依然として基本とされるべきであろう。

第2に,有期契約の類型を増やし労使双方ともに利用しやすくする,リスクを抑えること自体はもっともな主張であるが,その形式的合理性に隠れて,異様に長い有期契約,あるいはその反復更新が滑り込まないよう注意が必要であろう。仮に「異様に長い」有期契約,あるいは反復更新が続くのは,実質常用の有期的使用に他ならない。

第3に,しかし日本にとって最大の問題は,正規雇用と非正規雇用の賃金格差をそのままにしておいて,正規雇用の「量的削減から質の向上」といっても,質の向上には賃金格差是正が含まれないのでは,非正規雇用の増大は一層進行し,格差は拡大するだけで終わるだけであろう。
つまり,非正規雇用増大の原因は,新興国の興隆とともグローバルな企業競争が激化したり,技術革新の国際的浸透が早まり試製品のコモディティ化が進んだりすることによって,投資環境の再構築の期間がますます短期化し,労働市場も流動化せざるをえなくなった面(99年の労働者派遣法改正がそれを後押しした)と,もともと労働市場の二重構造により賃金等処遇格差が大きく,労働者派遣法で使いやすくなった非正規雇用を単に「安い」労働力として利用したという面,両面がある。


まず均等処遇を徹底した上でならば,短期的ないし有期的契約に多様な類型を整備し,「有期雇用と無期雇用の間に」「連続性」を創出していくことは労働者にとっても働き方に多様性を齎し,自ら育児,介護に携わる余地を拡大することにつながるわけだから,無下に否定するどころか,むしろ歓迎すべきことといって良い。

しかし,美しい改革の理念の下に,実態としての常用雇用の有期的利用が滑り込んだり,賃金格差の利用が温存されるのであれば,美名の実態を詳らかにせよ,優先順位に異議あり,とはねつけざるをえないだろう。

2010年11月22日月曜日

学生のベーシック・インカム拒否症

周囲の学生にはベーシック・インカムのウケが悪い。

前期,教養セミナー「格差を考える」で山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書,2009)を輪読した際も,専門の「経済原論演習」でオープンゼミ用にゼミ生にディベートをして貰った際も,おおむね反対論ばかりで,議論が成り立ちにくかった。

「学生にも賃金を」とか「生きることが労働だ」というフレーズに拒否反応を示すようだ。
また政権が交代しても,マニフェストの目玉,こども手当や高速道路無料化が財源不足で約束通りの形での実現をなかなか示せないご時世を反映してか,財源難を指摘する者も多い。
あるいは,少し踏み込んで新自由主義者が飛びついている点に危機感を示す学生もいる。

実は自分自身もベーシック・インカムに賛成しているわけではない。
その点はここでも少し述べた。

しかし,学生にはベーシック・インカムが一部であれ,世界的に喧伝される背景,所以に思いを馳せて欲しい,とは思う。
もっと言えば,イマジネーションが足りないのかとさえと思う。

世界中で労働市場の流動化が進んでいる。
日本でも若年層ほど非正規雇用の比率が高く,また失業率も高い。
大学生の就職内定率も過去最大である。

まずそれらを「仕方ない」と受け容れること自体が疑問だが,
「仕方ない」現実として,彼ら,非正規雇用や無業者はどのように生活を送るのであろうか。
また失業した場合はどうであろうか。

親のすねを別にすれば,公的セイフティ・ネットでどうにか生活できる,と思っているのであろうか。

失業しただけでは生活保護は受けられない。
福祉事務所では,働く能力と意思があるんだから「職を探しなさい」と追い返されるのがオチであろう。

雇用保険も覚束ない。
パートでは金額が少ない,という問題ではない。
加入条件が緩和されたとは言え,非正規雇用ではそもそも加入できないのであるから,びた一文受給できない。

バイトも派遣も首になれば,住むところにたちどころに困ることになる。
務めている間は社宅を利用することができても「雇い止め」になればそうはゆかない。
2008年暮れ「派遣村」が賑わった所以である。

若者にはまだ先のことではあるが,年金の将来が危ういのは本欄でも述べた。

セイフティ・ネットの乏しさに苦しんでいる若者は多い。
こういった状況を解消するのにベーシック・インカムが唯一でないことは言うまでもない。
しかし,今現在,具体的な妙案はなかなかない。
学生は自分がそういった状況と隔絶した環境に自分がいるとでも思っているのであろうか。

「イマジネーションが足りない」と言ったのはそういった意味である。

2010年11月20日土曜日

税方式になびく訳

先週,授業で,基礎年金の現行保険方式と税方式を検討した記事を読み,質問に答えて貰ったところ,
「記事を読む限り,税方式が圧倒的に優れているのに,税方式に転換しないのはなぜですか」と疑問を記した解答があった。

記事は朝日新聞2008年2月19日付の「基礎年金 保険か税か」(シリーズ「08政権選択にっぽんの争点」)であり,両方式の長短所を比較検討したものであり,おまけにイラストが左右対称でその長短を示してくれているのだから,「記事を読む限り,税方式が圧倒的に優れている」では読み取りとしては首を傾げざるをえない。

しかし,記事としては中立的であっても,当時ないし現在の状況としてはやはり現行方式の方が。
困った解答なのである分が悪い

例えば,現行保険方式の未納問題や「宙に浮かんだ年金問題」はマスコミが繰り返し報道しているので,刷り込みが働いている可能性が大である。

さらに,若年層の前半,15歳から24歳層における非正規雇用の比率が,女性で30%,男性で20%を超える現実がある(平成20年版『労働経済白書』)。

非正規雇用の場合,大抵が保険料天引きの厚生年金や共済年金ではなく,自ら保険料を振り込む必要がある国民年金の被保険者だから,未納問題も発生しやすい。

よって学生が非正規雇用問題を身近に感じる限り,保険方式に不可避的に発生する未納問題を大きく捉える節がある。

しかし,非正規雇用比率が高まっていったといっても,男女合計すれば,全年齢平均で33%前後である。
しかも,男性に限れば,非正規雇用比率は若年層の後半(25歳から34歳層)以降大きく下落し,男性平均では20%未満である。

未納問題を必要以上に重大事と捉え,保険方式の欠陥とまで捉え(税方式を奉)る必要はないのではないか。
例えば,被用者保険(厚生年金,共済年金)の加入条件を「労働時間がフルタイム労働者の4分の3以上」から下げれば,つまりパートタイム右同社を厚生年金に加入させれば,保険料は給料天引きになるから未納問題はほぼ解消する。

税方式へのもう一つの疑問は,記事も指摘しているように,財源を歳入に頼った場合,財政の必要は福士に限っても医療,介護等があるので,年金に廻る確証がない,その時の事情で大きく減免される怖れがある,ということである。

ついでにいえば,税源を全面的に税に頼ることによって,給付の問題があたかも解決たかのように捉えている点はベーシック・インカム論と同一である。

 11月19日 基盤教育「市場経済」は年金の仕組みをおさらいにした後,新聞記事「基礎年金保険か税か」(朝日新聞2008年2月19日)の輪読。その場でも質問をしたが,後にBlackboardに書き込んで貰うことにした。「経済原論演習」はオープンゼミに向けてベーシック・インカムについてディベート。しかし,賛成側の学生も本音は批判的なだったので盛り上がりに欠けた。ゼミ見学者も論点がよくわからなかったのでは^/^。ベーシック・インカムの議論が深まらないことについてはまた別稿で。
 11月20日 ドトール・コーヒー,ジムにてマッサージ,ファミレス,ジム。

2010年11月18日木曜日

やはり時間単価なのか

「名ばかり管理職」の記事を読んでもらったら,
出るわ出るわ,自分の体験先がそうだ,友人がそうだという体験談や伝聞。
ファーストフードや書店が多いな,と思っていたら,
アマゾン・ドット・コムで取り寄せた伊達雅彦『傷だらけの店長』(PARCO出版,2010)が正にそれ。

要は愚痴なのだが,
朝始発から夜は終電間際まで閉店後も配送された本の整理に追われる
土日も休めない,
薄給である,
バイトからは人を増やせばと言われても増やせない
本部からはむしろ人件費を減らせと始動される
仕事ばかりと家人に言われる
寝言でも何か怒っている
なぜこの仕事を選んだのか,自ら不審に思う

全ては長時間労働のためである。
最も単純な剰余価値形成方法と言ってしまえばそれまでだが,
賃金格差を利用した非正規雇用の活用も
時間単価を少しでも低めないと市場競争に勝ち残れないという恐怖感から逃れられないのであろう。
言いかれば,時間単価を切り下げる以外に生産性の上げようがない単純労働だからだという認識があるのであろう。

しかし,国際競争にさらされている製造業では労働力の時間単価の切り下げには限界がある。日本に勝ち目はない。
いわゆるサービス業の場合には,国内での競争となるが,それでも正にアマゾン・ドット・コムのように大量の在庫を抱え,配達料を遂に無料化したサービスにはかないっこない。

取り次ぎが勝手に配送する本を受動的に棚に並べるのではなく,
人員を割いても品揃えに工夫するしかないのである。

 11月18日 宮城学院大学「経済社会特論」はセーフティネット第2弾,医療保険。ここでも強調したのは,年金と同様,勤め人の,被用者保険とそれ以外(国民健康保険)との間に断層がある,ということである。そして『詰め目人以外』ということは自営業や無職者ばかりでなく,所定労働時間がフルタイムの4分の3未満の,パート,アルバイトが多く含まれるのであり,.格差の淵源をなしている,といって余であろう。終了後,非常勤講師室にて宿題にしていた第1回小テストの採点などして2時間くらい潰した後,法事などのため田舎に帰っていた母を迎えに駅へ。自宅では次々回の講義資料作成。

2010年11月16日火曜日

無神論者に芽生える宗教観

先日,フジ系で放映されている鼎談番組「ボクらの時代」を観ていてドキッとしたことがある。

話が出産体験をめぐる件で,ある女性タレントが「子供が生まれてから死ぬのが怖くなくなった」。
「それまで,中学生のころから,死んだらどうなるんだろうと考えると怖くて仕方がなかった」。
「しかし,子供が生まれてから自分の後を行き続けてくれるんだと思うと死ぬことが怖くなくなった」という趣旨の発言をしていた。

このタレントはひょっとしてどこかの宗派に入っているのかもしれない。
タレントは,浮き沈みが激しいという不安から,あるいはもっと実利的に興行の必要からどこかの宗教団体に属するということは良く耳にすることである。

しかし「死んだらどうなるんだろう」と悩んでいたということは
たとえどこかの宗派に入ったといっても信心は深くなかった,実質上無宗教に近かったということを意味する。

もちろん,日本人であれば,国民的行事として,お盆には帰省して墓参りする者も多いだろう。
墓参りが完全なお付き合いでない限りは,既に亡くなった先祖が生きていた時期と自分の生きる現在とのつながりを意識していることは間違いない。
しかし,過去と現在を繋ぐだけでは「永遠」を意識したとは言えない。

今回のケースでは,子供を通じて「現在の自分」が死後の「将来」にも繋がる,「生きる」と考えることで「永遠」を意識している。
フォイエルバハッハまで紐解かなくとも,「有限の人間」が「無限」を意識するこそ宗教の本質であろう。

なるほど無宗教の人も子供を通じて宗教観を得る,
本人が意識していなくても宗教に身を委ねることになるのか,と思い至り,ドキッとしたのである。

ちなみに自分は将来を委ねる子供もいない。
当分無宗教を貫けそうである。

2010年11月14日日曜日

簡素なのは仕組みかそれをもてはやす者の見方か

日曜日は完全オフ。この際,アマゾン・ドット・コムで取り寄せたきりになっていた本を読破しようと思ったものの,居間では寛ぎすぎて,ただでさえ遅い読むスピードがさらに遅くなってほとんど進まなかった。ジム帰りにファミレスに寄ってお代わり自由のドリンクバーで粘ってようやく半分くらい読めた。
しかし,これではいつもと変わらない^^;。

興味深いのは,新自由主義に立脚したベーシック・インカム論,新田ヒカル・星飛雄馬『やさしいベーシック・インカム』(サンガ新書)には荒井一博『自由だけではなぜいけないのか』(講談社メティエ選書)が新自由主義の問題点として指摘していた他人への無関心が濃厚に漂っているということ。

ベーシック・インカムが導入されれば,最低限の生活が保障されるので,解雇規制は不要になり,労働市場の流動性が進み,ミスマッチ失業は解消する。
毎月の給付を使い尽くすと,後は自己責任。
社会保障制度を統合し,それに関わる官僚機構を簡素化するだけでなく,社会問題を簡単に捉えようとする浅薄さを感じさせる。

冷たい人見知り

東北の人は口下手で人前ででしゃばらない、控え目だ、というイメージがかつては存在した。
かつてと言ったが、福田政権時、自民党と民主党との大連立話が頓挫した時、当時の小沢一郎民主党代表が「自分は東北生まれなので口下手」と涙ながらに訴えたのはそう昔のことではない。

しかし、そう東北人の気質を語る時には、寡黙だけれど人柄は至極、誠実だと想定されている。決して寡黙だけれど腹は何を考えているかわからない陰湿な奴だと思われていないことは確かであろう。
しかし、昨日、自分はゼミの学生から「冷たい」「人見知り」という判定を食らった。

昨日のゼミは、来年度からゼミを履修する2年生がゼミを選択するためにゼミ見学にやって来た。
研究室に入りきらない学生達を前に、何故、経済原論のゼミでベーシック・インカムを取り上げているのか、かつてはホワイトカラーの成果主義や能力主義を扱っていたか、少し間口を広げ勤続しても昇給しない正規雇用との対置で正社員の年功的な能力主義賃金を検討し、併せて非正規雇用拡大によってセーフティーネットが実は彼らには適用されない現実がベーシック・インカムを求める動きに繋がっている等々と説明した後、通常のゼミのようにレポーターにいくつか質問を浴びせた。
ゼミ生が先のセリフを吐いたのは見学者が帰った後である。
「先生は冷たい」「せっかく僕がゼミをピーアールしたのに、気のない返事で」「そういえば、昨年もそうだった」「人見知りなのでは」

しかし、例えば学生指導が煩わしいから他にゼミ生が来てもらっては困る、邪魔だなどと考えているわけではないことは言うまでもない。
ゼミ生が少ないと、ゼミ生の報告にも教員が一々コメントせざるを得ず、学生指導上、好ましくない、とは常々ゼミ生に語っていることである。
だだ、既に2年生に配られた来年度のゼミ生募集要項にゼミの活動テーマや方針を公表している以上、学生から追加的な質問がないのにこちらから長々とゼミの説明をしていては耳にタコ的な煩わしさを与えかねないと思って控えていたに過ぎない。

ゼミ生とは中国中央部出身の留学生と岩手出身の4年生である。
留学生はともかくとして,東北出身者は「敢えて語らない」意味を理解できないのであろうか。

時代は変わった,というほかない。
ちなみに自分は東北出身者ではないし,東北人の特徴という「口下手」「人見知り」は,人の性格の一つとは思っても,他よりも優れた特長と評価していているわけではない。

 11月11日 宮城学院大学「経済社会特論」は年金の仕組みを復習した後,朝日新聞の記事「基礎年金 保険か税か」(2008年2月19日付け)の読み取り。終了後,その回答の整理。質問への回答作成。
 11月12日 基盤教育「市場経済」は年金の仕組み解説。「経済原論演習」は山森亮『ベーシック・インカム入門』第3章。オープンゼミの見学者が研究室から溢れるほど参加。しかし,見学者は例年10名前後はいる。彼らが去った後「昨年より多いじゃないですか。でも彼らはいろんなゼミを見て回っているですね」。
 11月13日 ノートPCをデイパックに詰めて外出するも,遂に開くことはなかった^^;。

2010年11月12日金曜日

腑に落ちる

アサヒコムの記事「ドイツとスウェーデンが徴兵制廃止 背景に財政難」を見て久しぶりに合点がいった。

経済的理由で徴兵制復活論があるなかで,
現実にはその経済的理由から徴兵制の廃止が検討されているとわかったからである。

そもそも徴兵制安上がり論は,徴兵によって賃金が安くなることしか見ていない。
軍事訓練をして2,3年で除隊では費用の回収はできないだろう。
何より若者のキャリアが中断することの損害ないし費用は見落とされている。

大学や企業あるいは政府が教育訓練に費用負担したり,補助金を出していながら,
その途中に徴兵しようという意図がわからない。

支出を減らそうと思えば,徴兵によって若者のキャリアを無駄にするよりも,
大学教育や企業訓練に対する補助金をカットした方がはるかに効率的であろう。

大きな支出には芽を瞑って,小さな,細かな支出ばかりをチェックするのは賢明とは言えない。

もちろん,例えば自民党内部で徴兵制の検討が行なわれているように,小泉政権の靖国神社参拝のように,保守派を取り込もうというイデオロギー上の戦略が関与しているのであろうが,それは経済上の誘因とは別であろう。

2010年11月10日水曜日

思い込み

ニュース映像などで中国人が中国語を話しているのを見ると,まくし立てるように話しているように見えるので,中国語はさぞかし表現が豊富で一文が長いのだろう,と思っていたら,どうもそうではないらしい。

バラエティ番組「徹子の部屋」に出演していた中国人芥川賞作家楊逸さんによると,来日当初「日本語は長すぎて」どのように感情を込めればよいかと惑ったという。

例えば,中国語では「謝謝」で済むところが,日本語では「有り難うございます」であったり,
「晚安」が「お休みなさい」になってしまうなどである。

また,中国ではニュース番組のアナウンサーは,ちょうど今の北朝鮮のニュースのように事実関係を一方的に伝えるだけと思っていたら,日本ではアナウンサーがニコニコ笑いながら「今日は良い天気ですねぇ」から始まり,「媚を売っている」ように見えた,という。

こちらは,中国語のイントネーションなどから表現がギュウギュウ詰まったイメージを持っていたが,
発話者の口調を始めとする表情から勝手な思い込みをしていたようだ。

思い込み以外にも加齢によって物忘れというか,
スッカリ忘れるならまだしも記憶が曖昧な場合は厄介だ。

先日来,1年前の会議であることを決定したか否かが話題になって,自分の周囲には自分と記憶が異なる人ばかりで戸惑ってしまった。

要約教になって自分と記憶が一致する人を見つけ,また会議の議事録も見つけて安堵を得た。

これは単なる記憶間違いというより,思い込みがあったのではないか。
「予め自ら描いたストーリーにしたがって仕事を進める」のは検察に限らない,そう実感させられた。

 11月8日 昨年度の講義スライドを下に今年度のスライドを作成しようとしていてついつい枚数が増えるという悪弊を冒してしまった。公的医療保険制度の単なる解説ではなく,その特徴的な点,格差とも結び付く問題点に加えて,社会保障全体の財政状況まで加えると,確かに正確な情報を詳しく,とはなるが,論点はかえって曖昧になって,初学者は戸惑ってしまう。
 11月9日 先週土曜日出勤の振替休暇。自宅でノートを見返してみるが,肝心な構想の趣旨について堂々めぐり。思い込みが足りない?
 11月10日 学部内研究会の方向性について打合せ。続いて昼休み,旧講座会議。午後,学科会議の合間を縫って?「自治体経営」の講師への挨拶,学生への紹介,終了時の質問受付。といっても質問はなかなか出ないので,講義の趣旨を踏まえてこちらから学生に質問。今夏の子育て支援諸政策の内「足りないな,もっと充実して欲しいと思うのはどれか」。家庭への支援策,仕事の家庭の両立支援,若者の地域への就職先確保,未婚・晩婚対策。恥ずかしがっているのか,いずれの選択肢も挙手した者は数名ずつだったが,女子学生の比率が高かった。現実に問題に直面し,パートナーに,職場に,あるいは行政に対応を求めたくなるのはやはり女性だからであろう。



  

2010年11月8日月曜日

一度あることは二度ある

日本シリーズ第6戦。
序盤で6対2と中日が逆転した際には「試合決まった」と観戦止めるつもりでいたが,
5回ロッテが一挙3得点で追いつき,試合の行方はわからなくなった。
7回にはさらに1得点。
中継ぎが踏ん張っていたロッテがそのまま逃げ切るか,と思われた。
しかし,抑えの小林宏が9回登板,いきなりベンちゃんこと,和田一浩選手に三塁打を打たれ,同点。

前日に引き続いて延長戦突入。
「一度あることは二度ある」
互いに貧打戦のため得点はいつになるやら。

試合を決めたのは意外にも守備要員岡田幸文選手の,2アウトランナー1塁の場面での直球叩いた三塁打(千葉ロッテマリーンズ8x名古屋中日ドラゴンズ)。

前7夜と異なり,イージーミスはほとんどなく,先発打たれた後の中継ぎ投手陣が踏ん張って引き締まった投手戦になった。

 11月7日 日中,自宅やコーヒーショップに遠征?してみたが,モヤモヤ感晴れず。

2010年11月7日日曜日

待ちくたびれて

 11月6日 土日ダイヤの始発で登校。一日大学にいたが,諸々の仕事で忙殺去れ,自分の仕事にはならなかったが,週末出勤したことを言い訳に帰宅後は日本シリーズの行く末を見届けるべくTVの前に陣取った。ところが,夕食を済ませ,ビール1缶開けても一向に決着がつきそうがない。久しぶりにお風呂を沸かしたのに,入るに入れない。両チームとの投手が良かったことが主因には間違いないが,かといってバント失敗続出のためとても「しまった試合」とは言えない。日付が変わる直前に15回同点引き分けで終了(千葉ロッテマリーンズ2x2中日ドラゴンズ)。最初は日本一決定の瞬間を,次いで試合の決着を「今度こそはと」待ち続けて仕舞いにはドッと疲れた(東北楽天イーグルスを応援している手前パ・リーグチームを応援)。それでも中日内外野守備の鉄壁さとロッテサブロー選手の勝負強さ,あるいは野球センスには感服。

2010年11月6日土曜日

nブンガク

アマゾンよりロバート・キャンベル『Jブンガク』(東京大学出版会,2010)届く。
古今の日本文学から選んだ40作品について,その概要,1頁ずつの原文,英訳の対照,ワンフレーズの解説を示して紹介している。
通説的な文学史の時代区分を無視して,中世,近世,明治,現代という異なる時代の作品をいくつかの視点で括ろうというもの。

せっかくの意欲的な編集も,こちらが筋を知っているだけで実際には読んでいない作品が多く,猫に小判,nowhereどこの国のブンガクか,並み。

 11月5日 来年度の「地域社会論」のテーマ構成について。基盤教育「市場経済」は資本蓄積の2パターンと相対的過剰人口。「経済原論演習
は担当者体調不良のため四方山話。

2010年11月4日木曜日

ふっかけ逃げ

非常勤講師先のT先生に学会誌に載っていた論文について意見を求めていたのだが,
教職員食堂でいざ議論を始めると,
全く噛み合わない議論に(概要略)
「用事がありますので,この辺で」とこちらか打ち切ったしまった。

いつも議論をふっかけ,議論の相手をして貰っているのに
先に暇を乞うなんてかなり失礼なことだ。

失礼しました。いつも議論に乗ってくれて有り難うございます。

 11月4日 宮城学院大学「経済社会特論」は日本の公的年金制度の解説。しかし,社会保障体系の中での社会保険,社会保険の中での年金,年金と公的扶助(生活保護)の違い,公的人金と民間保険(養老保険)との違いなど,たとの比較でその枠組みを紹介。その上で,厚生年金への加入条件,第3号被保険者制度,国民年金の未納問題などを解説。午後,自宅で次回の準備,新聞記事読み取り及び宿題としての小テスト作成で半日終わる。これにジム通いを加えると1日終わる。まさか^^;

2010年11月3日水曜日

古文化の日

二晩続けて寝付きが悪いまま開店一番のドトール・コーヒーとジム帰りのファミレスにてノートの他は古書探し。

母を誘って郊外のブックオフ大型店へ。
母が目当ての本を含め4,5冊購入したのに対し,
誘った方は時事通信社解説委員長長田崎史郎『政治家失格』(文春新書,2009)と三回忌を迎えてもその著書が静かにつづくブーム筑紫哲也『若き友人たちへ』(集英社新書,2009)の2冊のみ。

ファミレスで遅い昼食の後,帰宅してサッカー・ナビスコ杯決勝戦ジュビロ磐田5x3サンフレッチェ広島の後半戦から観賞。サンフレッチェ広島が試合終了間際まで勝ち越していながら,最後まで守りきれず,延長戦に突入して引き離され準優勝。攻めダルマペドロヴィッチ監督の勝負弱さは相変わらず^^;。

2010年11月2日火曜日

寝付けなかった日は

昨晩,寝付かれなくて困った。
ウトウト状態が続いた上に,小用で2度起きたので,熟睡できなかった。
僅かに明け方2時間くらい眠れたくらいだろうか。

普段は寝付きがよい方である。
というか,どこでも眠られるのが自慢の鈍感体質である。
板の間でも,パイプ椅子を並べただけでも寝られる。
バスでも電車でも眠る。会議では不必要に船を大きく漕ぐ。
歯の治療中でも寝台の上で寝息をかく。
オーバードクター時代は,非常勤講師先の短大の授業中,教壇で立ったままウトッとしたことがある。

どうしたことであろうか。
確かに寝る前に水分を補給したのは確かだが,アルコールを服用したわけではない。
習い性だった寝る前のつまみ食い^^;も控えていたから,胃に圧迫感はなかった。
心当たりが全くない。

なまじっか寝付きが良いだけに,たまに寝付けないと????と悩んでしまう。

 11月1日 「自治体経営」の1~3回分について学生レポートのチェック,講師を務めて頂いた県職員の方向けにレポート一覧表を加工。担当部署に礼状作成。今週から月曜日5-6校時に変更した「専門基礎演習Ⅱ」,レポーター体調不良で休講。学会誌論文について週末作成したノートを読み返してみると,「わかった」つもりのところが????状態。このモヤモヤ感は形式的な理解(字面だけの理解)から実質的理解(深い理解,あるいは自分の問題としての理解)へ通り道ということがしばしばあるので,焦躁感とともに何かありそうだという期待感も混じり^^;何とも言えない気分だ。不眠の原因はこれかな?
 11月2日 「自治体経営」の1~3回分の学生レポートを一覧表にして県庁の担当部署に礼状とともに発送。昼休みいつもの美容院でカット。カットの後はいつものように正門前の丸五蕎麦で盛りソバ。午後は自分のノート再読。今日もモヤモヤ感。これは当分続きそう。帰路ブックオフとと淳久堂に寄ったものの目当ての古本も新刊本も見つからなかった。数日ぶりにジム。不眠の原因はむしろ身体をしばらく動かしていなかったことかな^^;。