2010年11月16日火曜日

無神論者に芽生える宗教観

先日,フジ系で放映されている鼎談番組「ボクらの時代」を観ていてドキッとしたことがある。

話が出産体験をめぐる件で,ある女性タレントが「子供が生まれてから死ぬのが怖くなくなった」。
「それまで,中学生のころから,死んだらどうなるんだろうと考えると怖くて仕方がなかった」。
「しかし,子供が生まれてから自分の後を行き続けてくれるんだと思うと死ぬことが怖くなくなった」という趣旨の発言をしていた。

このタレントはひょっとしてどこかの宗派に入っているのかもしれない。
タレントは,浮き沈みが激しいという不安から,あるいはもっと実利的に興行の必要からどこかの宗教団体に属するということは良く耳にすることである。

しかし「死んだらどうなるんだろう」と悩んでいたということは
たとえどこかの宗派に入ったといっても信心は深くなかった,実質上無宗教に近かったということを意味する。

もちろん,日本人であれば,国民的行事として,お盆には帰省して墓参りする者も多いだろう。
墓参りが完全なお付き合いでない限りは,既に亡くなった先祖が生きていた時期と自分の生きる現在とのつながりを意識していることは間違いない。
しかし,過去と現在を繋ぐだけでは「永遠」を意識したとは言えない。

今回のケースでは,子供を通じて「現在の自分」が死後の「将来」にも繋がる,「生きる」と考えることで「永遠」を意識している。
フォイエルバハッハまで紐解かなくとも,「有限の人間」が「無限」を意識するこそ宗教の本質であろう。

なるほど無宗教の人も子供を通じて宗教観を得る,
本人が意識していなくても宗教に身を委ねることになるのか,と思い至り,ドキッとしたのである。

ちなみに自分は将来を委ねる子供もいない。
当分無宗教を貫けそうである。

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