周囲の学生にはベーシック・インカムのウケが悪い。
前期,教養セミナー「格差を考える」で山森亮『ベーシック・インカム入門』(光文社新書,2009)を輪読した際も,専門の「経済原論演習」でオープンゼミ用にゼミ生にディベートをして貰った際も,おおむね反対論ばかりで,議論が成り立ちにくかった。
「学生にも賃金を」とか「生きることが労働だ」というフレーズに拒否反応を示すようだ。
また政権が交代しても,マニフェストの目玉,こども手当や高速道路無料化が財源不足で約束通りの形での実現をなかなか示せないご時世を反映してか,財源難を指摘する者も多い。
あるいは,少し踏み込んで新自由主義者が飛びついている点に危機感を示す学生もいる。
実は自分自身もベーシック・インカムに賛成しているわけではない。
その点はここでも少し述べた。
しかし,学生にはベーシック・インカムが一部であれ,世界的に喧伝される背景,所以に思いを馳せて欲しい,とは思う。
もっと言えば,イマジネーションが足りないのかとさえと思う。
世界中で労働市場の流動化が進んでいる。
日本でも若年層ほど非正規雇用の比率が高く,また失業率も高い。
大学生の就職内定率も過去最大である。
まずそれらを「仕方ない」と受け容れること自体が疑問だが,
「仕方ない」現実として,彼ら,非正規雇用や無業者はどのように生活を送るのであろうか。
また失業した場合はどうであろうか。
親のすねを別にすれば,公的セイフティ・ネットでどうにか生活できる,と思っているのであろうか。
失業しただけでは生活保護は受けられない。
福祉事務所では,働く能力と意思があるんだから「職を探しなさい」と追い返されるのがオチであろう。
雇用保険も覚束ない。
パートでは金額が少ない,という問題ではない。
加入条件が緩和されたとは言え,非正規雇用ではそもそも加入できないのであるから,びた一文受給できない。
バイトも派遣も首になれば,住むところにたちどころに困ることになる。
務めている間は社宅を利用することができても「雇い止め」になればそうはゆかない。
2008年暮れ「派遣村」が賑わった所以である。
若者にはまだ先のことではあるが,年金の将来が危ういのは本欄でも述べた。
セイフティ・ネットの乏しさに苦しんでいる若者は多い。
こういった状況を解消するのにベーシック・インカムが唯一でないことは言うまでもない。
しかし,今現在,具体的な妙案はなかなかない。
学生は自分がそういった状況と隔絶した環境に自分がいるとでも思っているのであろうか。
「イマジネーションが足りない」と言ったのはそういった意味である。
はじめまして。
返信削除以前 (ベーシックインカムのことを初めて知った頃)、ネットを通じてキリスト教のある牧師先生に、「こんな制度の考え方がありますよ」 と紹介したことがあります。
その先生は、大阪の同志社香里中学・高等学校の宗教科教員でもある方なのですが、その先生が、ある日の日曜礼拝で少しだけベーシックインカムについて触れられていました。
もしかしたら、学生の方のベーシック・インカム拒否症に、何か通じる所もあるでしょうか・・・。
『みんなが生きてゆく権利』
http://ichurch.me/sermon2/sermon-frame20091115.html
(* 右上のaudioボタンで音声も聞けます。)
kyunkyunさんへ
返信削除興味深いサイトを紹介して下さり有り難うございました。
サイトで紹介されている「ぶどう園の経済学」とベーシック・インカムの関係について2点述べます。
1)ベーシック・インカムについて指摘される問題の一つは,やはり労働意欲を減退させないかということです。その意味ではぶどう園の寓話?と相通じるところがあります。
2)ベーシック・インカムは全ての個人に一律給付されるので,労働時間が8時間でも1時間でも同額なのですが,所得には賃金が上乗せされるので,「多く働いた方が多く貰います」。総所得まで平等なわけではありません。その点で新自由主義論,「小さな政府」論とベーシック・インカム論とは必ずしも排他的でないという興味深い現象が生じます。例えば,自由主義者が現行の所得分配制度の問題点に「貧困の罠」「失業の罠」を見出し,代わりに提唱する「負の所得税」「給付型税額控除」は構造としてベーシック・インカム制度と同型です。