2010年4月30日金曜日

バルセロナ2連覇ならず

サッカー・ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ準決勝第2試合,伊インテル0x1西バルセロナを録画で観た。
休日の朝,前半戦だけ早送りで見て,昼食時後半戦をじっくり見た。

第1試合を1対3で失っていたため,逆転は難しいと思っていたが,
第2試合もインテルの堅い守りの前に1点取るのがせいぜいであった。

さすがのメッシも縦突進ができなければ,点には結び付かない。
インテルの屈強な守備陣の勝利ということであろう。

第2試合同様ボール保有率で劣った第1試合で3点も獲得したということは,たとえカウンター攻撃にせよ,インテルが「守りだけのチーム」ではないことを示している。

ここ数年,攻撃サッカーが流星していく中で「堅い首位」優先のイタリア・サッカーは影が薄くなったいたが,持ち前の守備を一層堅固にすることで相手チームに焦躁感,徒労感を植え付け,失点の隙を作らせたように思う。

W杯でもこれが新しいトレンドになるか大いに注目される。

 4月30日 
経済原論」は商品論,商品貨幣説の解説。教養セミナー「格差を考える」は山森第1章後半。司会者に任せたところ,ディベイト形式で進めてくれたものの,テキストの理解が曖昧で同床異夢的なすれ違いがママ認められた。「経済原論演習」は奥村宏『法人資本主義の構造』第3章。ゴールデンウィークの間,中国人留学生を独り置いてけぼりにするようで気が退けていたが,東京の留学生仲間を訪ねると聞いてホッとすると同時に,父親的心境で心配になった。

2010年4月29日木曜日

ランニング

 最近ランニングが流行っていると聞く。
 流行に釣られて未経験者が多く参加している皇居ランニングではマナー違反によるトラブルが多発していると報じられていた。

 屋外を走るランニング,ジョギングには久しく体験していないが,
ジムの,「動く歩道」のようなトレッドミルの上を走ることは2年くらい前まで2,3年間ほぼ間に日続けていた。
 そしてこの度,体調管理,端的に言えば体重・体脂肪率管理のために,再開することにした。

 以前は30数分掛けて6kmをほぼ毎日走っていたが,
現在は体力に相談して5kmを28分弱で走っている。
 また以前は11-12km/hの間で時速に変化をつけながら走っていたが,
現在は11km/hの定速走行に徹している。速度に変化をつけようとすると,どうしても速い方に合わせがちになり,疲労困憊してしまうからだ。

 よく「1人で走っていてつまんなくない」と尋ねられるが,そう思ったことはない。
自分のその時々の体調,体力,持久力と「語り合いながら」は知っているので孤独には思わない。
 こう言うと「引き籠もり」的に思われるかもしれないが,ムリをしないように調整しようと心がければ,自ずとその時々の体調,疲労や食事の取りすぎ,練習のしすぎなどがわかる。
 逆に「今日は体が重い」と思っていても,走り始めると体の違和感は吹っ飛んでしまうので,大した不調でもないと安堵が得られる。体調の管理には好都合だ。

 もちろん,いきなり5kmあるいは28分を目指す時が重くなるので,
例えば,500mずつ,つまり10%の達成を目処にすれば,目標に押しつぶされるような重圧感を背負うことはない。
 現在なら,右手の振り300回余り,3分弱で500mに達するので,300数えているうちに「10%こなした」という達成感が得られる。後「70%も残っている」と思うよりも「30%は達成した」と考える方が,残りの距離は同じでも,心理的負担は軽い。逆に距離が半分を超すと,「後30%,16-17分だ」とやはり小さい方を挙げた方が前途を明るく展望?できる。

 平凡だが,ランニングに限らず,目標を小まめに設定することが継続のコツのように思う。

 4月27日 「経済原論」は前回の「経済学の体系」を復習する意味で,加藤榮一「福祉国家と現代資本主義」を輪読。学生には11日までにオンライン上で設問「現代資本主義の捉え方における筆者と宇野弘蔵との違い」に答えて貰うことにした。昼休み,紀要社会科学編編集委委員会。第41巻1号の掲載論文を正式に決定。GW後の講義資料作り溜め作戦展開中。
 4月28日 「市場と組織」は日本の賃金制度。GW明けまでの講義資料を作り貯めしようと,12日の「キャリアガイダンス」のスライドを作成。36枚を24枚に収めたところで終了。ジムの後ファミレス。

2010年4月27日火曜日

段取り

前言を簡単に翻すようで悪いが,単に机に付く時間が長いのをワーカホリックというのは適切な表現ではないだろう。

裁量が余り認められていない仕事の場合には,机に付くのが長いのは割り振られた仕事の分量が多すぎるからに他ならない。(お付き合い残業は除く)

仕事に裁量性がある場合には,ノルマがきつすぎる可能性も大ではあるが,本人の仕事の段取りが悪いことも大きな要因になる。勝間本などノウハウ集が売れる所以だ。

そして仕事の段取りとは,要は優先順位の付け方が適切ではないということであり,
適切な判断ができないということは,本人の資質を別にすれば,結局,周囲の人への配慮から急がなくても良いことを後回しにできない,ということであろう。

こうしてみると,問題の根幹は本人の覚悟ということになって,ますます勝間本が需要されることになる。

しかし,一歩退いて,仕事の目標を緩やかに設定すれば,優先順位の設定に幅があるということは「余裕を持って仕事をしている」ことであるから決して悲観的に捉える必要はない。

結局,周囲へも仕事へも自覚的であることが肝要ということになる。

2010年4月26日月曜日

制御(コントロール)

ここでいう制御とは文字通り体調管理,端的に言えば体重管理だ。
自分は小肉小身で太って困ったという記憶はない。
さすがに若い時よりは徐々に体重が増えているが,ダイエットの必要に迫られたことはない。
ほぼ毎日ジムに通っているが,それは健康管理,端的には気分転換のためだ。
もちろん,帰省したり,合宿に出かけると,毎晩暴飲暴食状態なので体重は増えるが,一ヶ月もしないうちに元に戻っていた。

ところが,昨年夏の合宿が終わってからも体重が落ち無いどころか,徐々に増えている。1年前に比べると体重で3kg,体脂肪率で3%ポイント増えている。

思い当たることと言えば,ファミレスくらいだ。
以前はファミレスに寄っても専らコーヒーをお代わりするくらい(ドリンクバー)で食事は自宅で取っていた。
さすがに就寝前の食事は良くないだろうと,ファミレスで食事を取るようにした。しかも,元来小食で高カロリーなものは好まない。但し,貧乏性なのか「お代わり自由」となると,スープもサラダも繰り返し摂取してしまう。

もう一つは間食。もともと間食大好きなので研究室にはお菓子類を置かないようにしていたが,種々の理由で置き始めた。これも一要因かもしれない。

構想中の気分散漫,お代わり貧乏性,間食,いずれも気持ちの問題だ。
ちょうど歳を取るとダジャレ好きになるように?,知らず知らずのうちに意識が緩慢になっていたということかもしれない。

ワーカホリック



週末,気分転換に遠出することにしてもデイパックにノートPCを入れてしまう。
そして各地?のスターバックスやドトールコーヒーでペーパーに朱を入れた後PCを起動させる。
数年前,研究会でご一緒いた方から「ワーカーホリック」と言われた時は,そりゃ誤解だとピンと来なかったが,今や否定しようがない。
構想がこの数週間同じ地点をぐるぐる回っているだけで一向に捗らないのもそのせいか。
GW旅行前に完全オフの日を作りたい。

 4月24日 ぶらっと外出。帰りにファミレス。
 4月25日 寝坊して午前中は事実上のオフ。どうせ負けるだろうと思いつつmyイーグルス2号を駆ってKスタ宮城球場へ。案の定というか,先発の田中マー君がぴりっとせず,先取点を取って貰ったのにランナー溜めて四球押し出し。バックネット裏では「大丈夫,大丈夫,頑張って」という黄色い声と「草野球見に来たんじゃねぇぞ。ストライクぐらい入れろ」という野次が飛び交っていた。東北楽天イーグルス4x3北海道日本ハムファイターズ。チームは初の3連勝で当方の観戦勝率もようやく4割。ジムでストレッチ教室の後,ファミレス。
 4月26日 GW後まで見通して講義準備。3コマ分くらいで「今日はお仕舞い」という気になった。とてもホリックとはいえない^/^。

(写真は観戦の帰りに見つけた東六番丁目小学校庭に咲いた桜と手前東北本線)

 

2010年4月22日木曜日

三段階論・その2

三段階論の提唱者宇野弘蔵の場合,第2次大戦以降は段階論の対象とはされなかった。
1917年のロシア革命によってもはや社会主義への「過渡期」に入ったという認識と,それと裏表の関係にあるが,戦後の政策は支配的資本の利害だけを反映するものではなくなったという認識からである。

既存資本主義がほぼ崩壊した今日では,「社会主義への過渡期」という理由付けは通じないであろう。また,それと裏表で,戦後の,カッコ付きであれ「民主主義」や社会保障政策は社会主義が崩壊したからと言って廃棄されるものではない。したがって,第2次世界大戦後を段階論の対象にしない理由はなくなるはずだが,そうは行かない事情がある。
宇野弘蔵の場合,段階区分の基準を支配的資本の蓄積様式に求めているからである。
今日も支配的資本が金融資本である以上,新たな段階分析が必要になるわけではない。

これに対して,政策は支配的資本の利害から相対的に自立して展開されると考える加藤榮一の場合,第2次大戦以降も新たな段階規定が可能となる。
つまり,宇野が段階区分の基準を支配的資本の蓄積様式に求めているのに対して,加藤は政策に求めていると言えよう。

しかし,加藤のような捉え方では,政策は何に由来するかあ吉良かではなく,恣意的な段階区分に陥る可能性がある。
例えば,今日を「後期」資本主義と捉えているが,なぜ後期なのか,後期の後はないと言えるのか,甚だ疑問となる。(以下続くが,続稿いつになるやら)

 4月22日 所用を済ませた後,登校。9時台初めのバスも学生で一杯だった。

2010年4月21日水曜日

三段階論・その1

経済原論」では日高普『経済学』(岩波全書)をテキストとして用いている。もともと教養科目のテキストだが,原論固有の領域ばかりでなく,経済学の生成や19世紀末以降の資本主義の発展を解説してくれているので,専門科目と言っても初学者に等しい学部2年生にはちょうど良いと考えてのことである。

後ろ3分の1の,資本主義の発展に関する叙述は,段階論的叙述と現状分析的叙述とを明確に分けているわけではないが,冒頭第4章『経済学の体系』では経済学方法論として三段階論について解説されている。

このテキストを10年以上近く用いているが,この解説が三段階論の必要性,言い換えると原理論-現状分析という二段階論の問題点を十分に解いているとは思えなかった。いわゆる修正主義論争に触れてはいるが,二段階論の典型である修正主義,教条主義それぞれの問題点を説明し切れていない。そのため,自分独自に両者の問題点を解説することをしていたが,学生には小難しい理屈と映るようで,十分伝わっているとは言えなかった。

そこで昨年,序論部分のまとめのつもりで,加藤榮一「福祉国家と資本主義」(工藤章編『20世紀資本主義』2,東京大学出版会,1995年,後に加藤『現代資本主義と福祉国家』第6章,ミネルヴァ書房,2006年)の一部を読んで設問に答えて貰う読み取りを行なってみた。
しかし,8ページ分読んでもらおうとしただけで時間オーバーしたり,専門論文のためか「日本語が理解できなかった」と散々な評判であった。

今年は別の文献をと考えていたが,適切なものが見つからなかったので,序論的部分を削って正味6ページで再チャレンジしようと考えている。
もとより加藤論文は三段階論の必要性自体を説いたものではない。宇野三段階論の特徴と問題点を指摘した上で自身の現代資本主義へのアプローチを示したものである。
そこで,三段階論の必要性自体はテキスト第4章の解説で行ない,加藤論文には,段階論の現代資本主義への適用の仕方,三段階論の意義を学生に示し,現代と資本主義の関係を考えて貰うことを期待している。

来週火曜日の授業時間に読み合わせ,5月11日までに学生に設問「宇野と加藤の現代資本主義の位置づけの違い」への答えをBlackboardに入力して貰う予定である。
さて,どういう解答,感想が得られるか,楽しみである。

 4月19日 講義資料を作り,Blackboardにアップロードしたという記憶しかない。ジムの後,寄ったファミレスは学生,しかも20前後の若い学生で一杯。大学病院の近くなので医学部の学生か。
 4月20日 7時発の高速バスが満席で素通りされ,10分後のバスも1名のみの空きで乗車。「経済原論」は資本主義的生産様式の生成。その後,上述の来週火曜日の講義資料作成。ジムにて5km走復活3日目。脚がパンパン。走り出しは脚が重いが,数分もすると,脚のことより完走までの残り時間ばかり考えて脚のことは忘れてしまう。昨日のファミレスと同じ系列店なのにほんの数百m離れているだけで学生より社会人が圧倒的に多いから不思議。

2010年4月19日月曜日

作品と資料

日曜日の日経読書欄に,先日亡くなった井上ひさしの『井上ひさし全選評』が載っていた。

書評というより紹介文が気に入ったので,買おうと思ったが,税抜き5,800円に目が行って止めた。
なるほど文学賞や演劇賞の選考時の選評を網羅すれば,それなりの紙幅,費用をようするであろう。

しかし,素材の取捨選択,構成の推敲があってこその作品である。
網羅するは事務作業,編集作業であって作品ではない。

著者になっている本人の意思であろうが,残念でならない。

 4月17日 全国的に4月半ばの珍しい降雪。しかも朝から「深々と」降っていた。終始自宅。
 4月18日 母を駅まで車で送る。日曜の朝とあって,信号以外に停車することもなく,10分前後で到着。根岸のオートバックス併設のロイヤルホストにてモーニングを取りながら構成の推敲。背中の凝りがひどく,昼ジムにてリラクゼーション・マッサージ。「肩が硬く押せません」「太腿も左だけ硬いです」。自宅に戻って楽天戦のネット中継。夕方再びジム。マシーンの後、トレッドミルの上をジョギング。走るのは久しぶりなので,最初は時速8km,徐々にスピードを上げて30分で5km。帰りの自転車を漕ぐ足が棒のよう。ファミレス。
 4月19日 早朝7時から3便続けて高速バス満員のためバス停を素通り。仕方なく,始発の県庁前まで移動。

2010年4月15日木曜日

新聞の裏読み

主要各紙を購読していた宇野弘蔵は,日本の新聞の報道はどれも大差ないのになぜそんなに沢山の新聞を購読しているのかと尋ねられて「連載小説は違うじゃないか」と答えたという。

大差ない報道は,見解の分れる微妙だが大事なことに触れることを各社ためらっているからだと思われる。したがって,新聞報道をそのまま鵜呑みにするのではなく,裏の隠された意図を汲み取る裏読みが求められる。

しかし,ここで言う裏読みはその意味ではない。
最終面好き,ということだ。

日本経済新聞の最終面はいわゆる文化面だ。
左列は上に美術欄。下にコンサートなどの「文化往来」,
右列は上に「私の履歴書」,下に「交友抄」,
真ん中に「文化」欄が配置されている。

自分は美術の素養はほとんどなく,演劇やコンサートに行くことも稀なので,勢いもっぱら左半分に目を向ける(他意はない^^;)。
といっても,功成り名を遂げた者が来歴を長々と綴ったり,「虎の威を借りる」がごとく交友関係の披露は鼻につくだけで,毎日毎日付き合ってはいられない。

そこに行くとど真ん中に陣取っている「文化」欄は腰が低い。
最先端や流行の文化を扱っているわけではなく,小説家の近況や好事家のコレクト歴が淡々と綴られていて,心地よい。

最近のテーマを,手元にある日経を例に挙げると,「小唄好き政財芸界の粋人」(中田一男),「横浜の近代建築追い求め」(岡義男),「手作り列車どこまでも」(八津川栄造),「マンドリン共に歩み100年」(山口寛),「生涯の師ブルース・リー」(中村頼永),「絵巻息づくハワイ移民」(北條楽只)。
言っては失礼だが,いずれもB級で,こんなことにこだわる人もいるんだなぁ,と思うと何だが文化の厚みを感じる。フロンティアだけが文化ではない。既成文化の受容ばかりでなく,能動的に探求する姿勢こそ文化の厚みを表わしているのではないか。

しかし,ここで日経の裏面読みを勧めるのはそれだけではない。
現在連載中の「私の履歴書」に魅せられているからである。
有り体に言うと,映画監督との往時の不倫が赤裸々に語られている。

ある映画で一緒になると,絵コンテによる説明がユーモラスで惹かれ,映画館でデートをするようになった。出会って1年目に「私は深刻すぎて喜劇的な耳を疑うようなせりふを聞くことになる。『妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには……』」
ところが「春の約束は、夏になり、秋を迎え、また春になり7年の月日がたつことになってしまった」。「それでも会えるときは幸せだった。ふたりだけの部屋で監督の描く絵コンテを見ながら映画の構想を聞くときは同じ夢を見て、笑うこともできた」。

しかし,そう長くは続かない。他方で,共演した萬屋錦之助からたちまちプロポーズされてしまう。監督にそれを伝えると君には歌舞伎役者の妻は務められないと止められる。やがて金之助の誠実さにひかれ,別れを決断し監督に告げる。「監督はカッとなって『どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある。明日の新聞を見ろ!』、そう言ってソバのガラスの花瓶を床に叩きつけとび出した」。心配になって一晩中探し回った果てに親友からようやく消息を得る。『プリンスホテルのプール、元気に泳いでいたわよ。私に昨日ちょっとやり過ぎてねぇと照れて言ったけど』」。
まさか日本経済新聞でこんな直截な表現を目にするとは思わなかった。
大抵早朝のバス停か高速バスの中で日経を眺めているが,一遍に目が醒めた。

報われなかった不倫関係が詳細に述べられているが,ちっとも暗くない。
「私の履歴書」は日経記者がリライトしているらしいが,じめじめした暗さが出ないのはひとえに本人の性格故であろう。

小説を連載中に読むことをしない自分の場合,教員談話室で何紙も読むのかと問われれば,きっと「文化面は各紙全然違うじゃないか」と答えたに違いない。

 4月15日 用事を済ませて登校。講義準備等で終わる。帰りに久しぶりにジム。
 4月16日 「経済原論
は経済と経済学,紀要編集委員会。教養セミナー「格差を考える」ガイダンス。「経済原論演習
は研究生の周さんとマン・ツー・ウーマンで奥村宏『法人資本主義の構造』第1章。肝心なところで日本語表現が熟れておらず,筆談。

2010年4月14日水曜日

いよいよ開幕

今週から講義が始まった。
初回は科目の紹介だけなのだが,その準備,仮登録の追加,取消などがあり気ぜわしい。
授業支援システムBlackboardは受講生が確定した後に利用できる建前だが,それ以前に利用するためには受講生の学生番号と氏名を担当事務に連絡しなければならない。しかし,どの科目も開講したばかりだから,履修希望の追加や登録がある。
また春休みが実質ない状態で年度末を過ごし,講義日程の細部は詰めていなかった。日程組み替えの検討,つまり1階ごとの講義テーマの追加・削除も新学期が始まる直に泥縄式に行なっている。
ガイダンスだけでこれだけ忙しいのだから,週1回ないし週2回ペースで講義が始まるとどうなることやら。

直ちには授業以外のことに手が回らない状況だが,大学教員である以上,この喧噪の中で自分のテーマを追求せざるを得ない。
キャンプ,オープン戦を通じて課題を克服しきらないまま新シーズンを迎えたプロ野球選手と同じで「いよいよ開幕」といったところか。

 3月14日 昨日の3便続けて置いてけぼりに懲りて始発より高速バス乗車。「市場と組織」「地域社会論」の初回ガイダンス。後者は立ち見多数のため次週より昨年度と同じ103番教室に変更。母より半年毎の検診「異常なし」。

2010年4月12日月曜日

お礼・その2

田舎から術後の定期検査のために出てきた母を迎えるために年休を取った。
ついでにディーラーにタイヤ交換を依頼しその待ち時間を利用してファミレスでこの度寄贈を受けた馬場宏二「経済成長論再考」(大東文化大『経済論集』94,2010)を読み返し,遠山弘徳『資本主義の多様性分析のために』の第1章を拝読した。

1,2度読んだだけでは,お二人の見解を理解したとはとても言えないが,批判的経済学であることの意味を考えさせられた。

馬場氏は,周知の過剰富裕化論の立場から経済成長を無批判に是とする志向を批判されている。
遠山氏は,新古典派の収斂論への対抗から,「制度的補完性」という枠組みで資本主義の多様性を分析し,様々に並立する資本主義諸体制の経済パフォーマンスを検証されている。

お二人の指向性は全く異なるが,前日の経済ないし経済思考・潮流を批判するという実績的意図が明確に感じられる。

しかし,お二人の著作を読んでいるうちに,批判的経済学がそもそもどういう意味で実践的たり得るか,疑問に感じた。
馬場氏の,過剰富裕化論や過剰商品化論に院生時代に接して大変な感銘と刺激を受けた。しかし,改めて拝読して,富裕化や商品化を「過剰」という見方や過剰の結果としての人類滅亡という指摘には俄に賛同しがたいものがある。人類滅亡という預言には,リカードゥの資本蓄積の自然肯定論やマルクスの利潤率の傾向的低下法則論のような宿命論ないし単直線的な推理に強烈な違和感を覚える。あるいは最近の自分の関心で言えば,生産における場合と異なり,消費に「過剰」を関することにも,これまた強烈な違和感を覚える。

他方,遠山氏の新古典派批判は頷けるとしても,そのために各国経済の,労使関係のパターンと経済パフォーマンスとの間に,一義的な関係があるかのような理解にはこれまた違和感を覚える。賃金交渉制度や貨幣レジームと経済パフォーマンスとの間に一義的関係があるということは,遠山氏らが批判する収斂論と同じ見方を感じるからである。

お二人の著作からは現実経済への強い関心,実践的意図を感じるものの,理論的考察から一義的な答えが出てくるものではないであろう。

では何のための批判的経済学か,あるいは端的にマルクス経済学か?
資本主義経済が問題なのは,人類を滅亡させるからではなく,人間の営みを一義的に(効率性原則で)規定することにある(滅亡しなくても存立に必要な以上にストレスがかかる),
効率的な経済システムは新古典派モデルだけではない,
あるいは「効率的」であるか否かは単純には計れない,
ということを明らかにするためではないだろうか?

 4月12日 昼前タイヤ交換のため家を出ようとすると,駐車場の車には薄く雨の層ができていた。ワイパーでは除こうとところ,結晶体だった。
 4月13日 今週から講義開始のためか,7時台の高速バスに学生多数乗車。助手席も満席で3便がバス停を素通り。6時半過ぎに自宅を出て9時前に大学に到着。「経済原論」初回ガイダンス。今週分の講義資料作成。Blackboardにアップロード。

待ちわびていたこと


東北楽天イーグルスに待ち望んだことが実現した。
昨シーズンのホーム観戦勝率は7割を超えていたのに,今シーズンはこれまでゼロだった。
3戦全敗だったのに,4月11日日曜日,田中マー君の完投勝利を見届けることができた。

それにも増して待ち望んでいたのは,ただ打率だけを参考に打線を並べる,クリーンナップは長打力があればたとえ打率が低くても据え置く,つまりただ打つだけ(守るだけ)の野球から,機を見て足を動員する柔軟な野球に転換することであった。

この日も中盤まで打線が繋がらず,リンデンの出会い頭ソロ・ホームランで1点を取っただけで終わりそう,という暗い,ハッキリ言えば「ツマンネェ」という雰囲気が漂っていたのに,7回裏,ノーアウト2,3塁から,今季打撃好調で打率3割のキャッチャー嶋基宏選手に初球スクイズを敢行させ貴重な追加点を奪い,俄然盛り上がってきた。

さらに,8回裏には二死から大物狙いばかりが目立っていた山崎武司選手がしぶとくヒットを放つと,内村賢介選手が一塁代走に入り,次打者中村紀洋選手のライト線際の2塁打の間に本塁まで駆け抜け,勝利を決定づけると,球場の盛り上がりは頂点に達した(東北楽天イーグルス4x1オリックスバッファローズ)。

こうした各人の特長,能力を最大限に活かし,全員で繋いでゆく野球こそ戦力の薄い球団に望まれていたことであろう。
(写真の,本塁を駆け抜けた内村選手が豆粒のように小さいのは身長163cmの故ではなく,望遠15倍のcoolpix L100が電池切れのため,普段持ち歩いている3.4倍のcoolpix L19で撮ったから。バックネット裏,イーグルシートからでもこのように小さくなる。嵩張ってもスポーツ観戦ではL100が離せない)

2010年4月10日土曜日

お礼

馬場宏二東大名誉教授より「経済成長論再考」(大東文化大『経済論集』94,2010),遠山弘徳静岡大学教授より『資本主義の多様性分析のために--制度と経済パフォーマンス』(ナカニシヤ出版,2010年)の寄贈を受けた。現在,目先の論文構想で拝読する暇がない。まずはお礼を申し上げる。

馬場宏二氏からは以前より寄贈を受けていた。またその見解も何度も目にし耳にている。氏の「富裕化論」は周知のところである。
遠山氏とは直接の面識がない。レギュラシオン論の立場に立って研究されている,位しか知らない。不勉強であまり著作を読んでいない。寄贈していただいて恐縮していたら,著者プロフィールに「山形大学人文学部卒業」とあった。勤務校の卒業生である。これを機会に勉強させていただこう。では,表面的か^^;。資本主義の多様性を捉える視角は明らかに異なるので,自分の理解を深める題材にさせていただこう。

 4月9日 午前中のアドバイザー懇談会は3,4年生対象なのでそのままゼミ,経済原論演習の初回だ。成績表を渡す他は今後のゼミの進め方がテーマ。といっても4年生の佐藤君は就職活動の真っ盛りだ。今のところ面接も好調なようでそのまま就活に専念して欲しい。他方,研究生の周さんは来年度大学院進学を目指している。聴いてみると,四川大学時代,日本の勉強をした際には,財閥に関心を覚えたという。日本の企業集団は戦前の財閥とは性格を異にしている,と説明した上で,あまり専門専門していないと言っては失礼だが,比較的叙述が平易な奥村宏氏の『新版 法人資本主義の構造』(教養文庫,1991年)をテキストに報告して貰うことにした。

2010年4月8日木曜日

つきあい

アルコールに弱い体質なので,学科のつきあいも全員の挨拶が終わったところで退席した。つき合いが悪いということは承知の上だが,酒席に2時間以上も付き合うと,アルコール帰りで頭がガンガンするかトイレに行きたくなるかのどちらかが経験上目に見えていたから。

家に帰っても状態は変わらないので,その日の未明に行なわれたサッカー・ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ準々決勝,西バルセロナ4x1英アーセナル戦,夜行なわれたキリンチャレンジカップ,日本代表0x3セルビア戦を観た。結果はネットで流れていたので,早送りでゴールシーンだけ確認するに留めた。

欧州各国のクラブチームで活躍している選手は参加せず,監督もアシスタント・コーチが務めたセルビア代表に惨敗したのだが等,日本全国のサッカーファンは悲嘆に暮れているだろうが,2試合立て続けに観た者としてはアルゼンチン国民の悲嘆を想像せざるを得なかった。

アーセナルは2対2で終わった1試合目でも守備の不安定さが指摘されていた。ところが,2試合目ではそこからDFソングが欠け,同点弾を打ったMFセスクもその試合のうちに骨折していたことが判明し欠場した。闘う前から結果が見えていたせいか,アーセナルの守備は緩く,メッシに思うようにプレーされて4得点挙げられた。
それにしてもである。4つのシュートはDFが詰め寄る一瞬に足を振り抜いたシュート,シュートを跳ね返されたところをGKのまたを抜くシュート,DFの裏を取った後,一対一で対面したGKの頭を越すループシュート,あと一つは忘れた^^;がいずれもシュートパターンは異なっていた。それこそどんな形でもシュートを決められる。相手守備陣に一瞬の隙があれば,即1点。「マラドーナの再来」と言われるのも不思議ではない。

そして,現在のアルゼンチンチームはメッシだけではない。リーガ・エスパァニューラ(スペインのサッカーリーグ)で得点ランキング2位のイグアイン(リアル・マドリッド,1位は当然メッシ)の他にも,チャンピオンズリーグに参加しているチームだけでもDFサネッティ,サムエル(ともに伊インテル),MFマスチェラーノ(英リバプール),MFカンビアッソ(伊インテル)ときら星のような逸材が揃っている。
しかし,監督があのマラドーラなのである。

ブラジル代表と並ぶ人材の宝庫でありながら,選手としては偉大だがハテナハテナの監督を頂いているアルゼンチン国民の悲哀は如何ほどであろうか。
選手だけ観れば,何十年ぶりかにワールドカップで優勝を果たせるまたとないチャンスでありながら,迷将のおかげで本大会出場すら危うかったのである。6月南アフリカで開かれる本大会で優勝候補に挙げる評論家なぞほどんどいないであろう。

それに比べれば,日本のサッカーファンの悲哀など物の数ではない。たとえ名将が率いてもグループリーグを勝ち抜け決勝トーナメント出場(ベスト16)するのがやっとのチームである。「ベスト4」とか「世界をあっと驚かす」とは口が裂けても言えないのが現状である。グループリーグ4戦3戦全敗しても,前回大会と同じ結果にすぎない。ジーコといい岡田氏といい,監督としての実績よりも扱いやすさを基準に選出する日本サッカー協会とのおつきあいは今に始まったことではない。

日本ではおつきあいが大事である。しかし,マラドーナを監督に選出したサッカー協会におつきあいさせられたアルゼンチン国民は憤懣やるかたないであろう。

 4月5日 紀要社会科学編編集員会。3月末〆切原稿の確認,査読者の選任。編入学生,転学部生説明会。単位読替を担当した転学部生2名のうち出席した1名にその内容,及び今後の履修上の留意点について説明。
 4月6日 学科運営会議。学科の申し合わせ事項を確認するも一同曖昧^^;。「確認した甲斐がありました」。翌日の報告準備。
 4月7日 山形仙台交流圏研究会にて昨夏調査した「山形県のコミュニティ・ビジネス」を報告。昼休み,旧講座会議。その後,学科会議。れんげ草にて昇任する同僚3名の祝賀会兼新任1名の歓迎会。

2010年4月6日火曜日

岡田ジャパンへの痛い指摘

今朝の日経で,横浜マリノスやベガルタ仙台の監督を務めた清水秀彦氏がサッカー日本代表の岡田ジャパンに対し,相手ボールを多数で囲み奪ったら狭いところパスで繋いで攻め上がるという当初のコンセプトがうまくゆかなくなったので,サイドへの展開とかアーリークロスとかか加えてゆき,さらにこれまで代表に呼んでいなかった選手を試すようになった。新たに代表選手を選考するようになった。

清水氏はMFやFWの登用について彼なりの提言をしつつ,「監督の一番大事な仕事は,正しい位置に正しい選手を置くことだ」。「本番まで2ヶ月。ここまで来たらもう,何を言われようが,岡田監督は自分が示したコンセプトにこだわるしかない。戦術的に手を加える必要があるが,最後まで押し通すのがコンセプトというもの。何をしているのかわからない状態では,どこに問題があるのかわからずにワールドカップが終わってしまう」と進言している。

コンセプトが曖昧になっては選手起用もちぐはぐになる,という鋭い指摘だ。

岡田ジャパンに関しては,当初から局面の戦術ばかりで,全体像曖昧と感じていた。いまさら監督交代もないから,自分としては,ジーコジャパンと同様,ワールドカップ本大会の開始前から「4戦3戦全敗必至」と覚悟しているが,残された時間で,岡田監督なりのコンセプトを完成して欲しい。

対して,すでにシーズンに突入した日本プロ野球。
東北楽天イーグルスのブラウン監督も「戦術曖昧」「選手起用頑迷」では人後に落ちない。すでに広島カープで4シーズンすべてBクラスに終わった監督なので,この先の成績上昇も望めないだろう。

ただ,こちらは予選3試合で敗退するわけではなく,後130試合近く残っているから,監督休養の可能性が否定されているわけではない。

2010年4月5日月曜日

思わず振り返る人々



振り返ってしまう人がいる。

戦力の乏しいチームは終盤2,3点リードされただけで負けが読める。
同点,逆転の可能性がなくはないとはいえ,非常に低い。
ましてもはや主軸に打席が廻ることがないとわかれば,居残って応援しても仕方ないと思うのである。

バックネット裏席は全て指定席である。通路で観戦することは,その後ろの席からはグラウンドが見えにくくなることもあり,禁じられている。
試合の展開に見切りをつけ,席を立った後は,球場を去るしかない。
しかし,出口近くになって,やはり試合の展開が気になってグラウンドの方向を振り返る。通路は立ち見禁止とわかっていてもである。

グランドが見えにくくなる立ち見は「迷惑だなぁ」と思いつつ,
下位打線にも一縷の望みを持ちたがる気持ち
これは戦力が乏しいほど強いのではないか。

戦力が乏しい集団ほど,下位打線はとんでもなく非力である。
ファンとしては祈るしかない。
どんなに劣勢でも席を立つことがない身としてはその気持ちがよくわかっているつもりだ。

 4月4日 観戦勝率,昨季は30試合前後で7割だったのに今季は今のところゼロ。3戦全敗。返す言葉もない。
 4月5日 紀要社会科学編編集委員会。午前中その資料作り。

2010年4月3日土曜日

ファンサービス


サッカーJリーグのモンテディオ山形の応援に行こうか,楽天イ-グルスの応援にしようか迷った。対戦相手サンフレッチェ広島の攻撃スタイルは魅力的だし,FW佐藤寿人の飛び出しも生で観てみたい。他方で先発が岩隈久信なので楽天の勝利も堅い。結局,片道1時間半のNDスタジアムと自転車で30分のKスタ宮城球場,寸暇を惜しむ?身なので,所要時間を天秤に掛けて野球観戦にした。

結果はモンテディオが今季初勝利を収めたのに対して(モンテディオ山形1x0サンフレッチェ広島),楽天はソフトバンクに一時を除いてリードされっ放しで負けた(楽天イーグルス6x10ソフトバンク/ホークス)。

問題は勝敗より中味で,前半は賑やかな撃ち合いだったとも言えるが,岩隈投手の出来が悪い上に守備のミスも重なって,追いついてもすぐリードを許すというような展開で,最後は3ランHRで突き放された。また攻めも打線が繋がったからこそ6点も取れたとも言えようが,走塁ミスあり何より4番山崎武司,5番中村紀洋がブレーキとなって6点に留まった。

球場が盛り上がったのは,TV番組宣伝のためにアイドル亀梨和也が登場した始球式と,ブラウン監督が審判に抗議してホームベースに砂を掛けた時くらいだった。ブラウン監督は広島カープ監督時代には抗議のためのベース投げで有名だったので,場内も期待の笑いで埋まった。


味方不利の審判に監督が抗議することはどの球団でもあるが,ブラウン監督の抗議はユーモアに溢れているので,後味も悪くない。選手の闘争心を煽る目的もあるのだろうが,ブラウン監督のベース投げは有名なので,選手も観客も純粋にショーとして眺めている節がある。

未だ寒いこともあるが,土曜日の地元開催試合で1万5千人弱は少なすぎるだろう。
ファンサービスが重要なことは言を俟たない。野村前監督は試合後のノムコメでファンサービスを行なっていた。ブラウン監督の場合,それがベース投げなのかもしれない。
しかし,客は試合を応援しに来たのであって,ショーを観に来ているわけではない。
通算勝率3割では折角のショーを見に来る客も少なくなることを考慮すべきだろう。

バルセロナ

ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ準々決勝,英アーセナル2×2西バルセロナ戦を録画で観た。

結果,バルセロナの連覇は,可能性はあるにしても厳しいことがわかった。
バルセロナは,特に前半,圧倒的に試合を支配しながら点を奪えなかった。
FWイブラヒモヴィッチが再三のゴールチャンスに,シュートを外しまくったからだ。
ところが,後半早々,そのイブラヒモヴィッチが立て続けに得点して2-0とアーセナルを引き離した。現在「世界一のFW」イブラヒモヴィッチにして,ムラがあるわけだ。

しかも,後半中頃,アーセナルがウォルコットを投入すると,一挙に形勢が逆転し,バルセロナは望遠一方となった。そして終了間際,セスクに同点弾を決められてしまった。バルセロナは,ボール・ポゼッションによって試合を支配しながら,後半バテていた。ウォルコットの快足ドリブルが効いたわけだ。

バルセロナが優勝候補の筆頭であることには違いないが,
FW特有のムラとボール・ポゼッションを重んじるサッカーが抱える体力消耗は試合の行方を不安定にする。連覇が万全とはとても言えない,と実感した。

エアポケット

旧学期の残務をほとんどやり終え
新学期の開始まで未だ間がある,という状況で
エアポケットのように気が緩んでしまった。
学期に関係なく詰めなければならない構想などあるのだが,
ちょうど〆切が延びたような感じで切迫感が薄れ気分が弛緩してしまった。

新学期が始まれば,「講義や会議の準備で1週間が終わる」シーズンが始まる。

 4月1日 学部教育委員会引き継ぎ会議。といっても引き継ぎ事項の確認だけで旧委員退席。
 4月2日 昨日受け取った紀要原稿4編をスキャン。自動紙送り装置付きだから手間はかからないはずだが,手書き原稿のなかには原稿用紙の一部を切り取っているものがあり,判型が異なるため紙詰まりしたり,紙送りされなかったり。

2010年4月1日木曜日

GW旅行の算段

2,3日前からいつもの温泉旅行のメンバーとGWを利用した旅行についてメールで協議。
GW中も仕事が入っている友人もいるので,GW後半の2泊3日のみ。
また,すでに東北の温泉地は残すところ僅か?になり,他を探すことになった。
名古屋開府400年,奈良遷都1300年を記念した行事が催されている点に個人的には惹かれたが,「ほかに何かあるの」と突っ込まれて敢えなく撤回。最終的に飛騨高山に落ち着いた。

次いで,行き帰りの便の確保。それぞれ北九州,大宮,仙台から集うため名古屋駅集合となった。しかし,旅客機の「特割」はすでに締め切った便もあり,結局新幹線を乗り継いで名古屋に集結することになった。
えきネットにてGWの新幹線指定席の事前購入登録。指定席は1ヶ月前からしか予約できないが,えきネット会員に限り,そのさらに1週間前から事前登録が可能となっている。しかし,「登録」に過ぎず「予約」成立を保証するものではないから,安心はできない。GWの算段をするには少し遅すぎたかもしれない。

 3月31日 来週の山形仙台圏交流研究会の報告用スライドを骨子のみ作成。夕方留学生Sさん来訪。ようやく携帯電話を取得できたSさんは,山形市発行のゴミの分別回収パンフレットをめくって「細かくてわかりにくいです」とこぼしていた。

 4月1日 昼休み行きつけの美容室にてカット。学部教育委員会新旧委員引き継ぎ。