2010年8月31日火曜日

公私混同の顛末


登校したのが少し遅く9時過ぎだったということもあるが
コーヒーを淹れ,ネットニュースをチェックし,さて序文を完成させようか,としたところに
私的連絡。

それからいろいろ連絡取ったり,
チケット手配したりと
私事で時間を潰してしまった。

仕事に取りかかったのが普段ならそろそろ帰ろうかな,という時間。
退出を遅らせざるを得なかった。

さらにジムでストレッチに時間を割いたので,ジムを出たときには21時前。

ファミレスに寄って草稿を読み返し,ネットウォーカーに入力で閉店間際。

こうして日中私事に精を出したおかげで,日が26,7時間となり,翌朝起床が遅れ,仕事に響く,の繰り返し。

2010年8月29日日曜日

空気を読む

KYを自認している。
他人に自分の考えるのも難しいが,他人の考えを理解するのもまた難しい。

過去の論争を紹介する件である論者の考えを要約して示してみたものの,腑に落ちない。
ここしばらくその論者の論文を読むこと数回。相変わらず説得力のある説明ができない。

論文全体からすれば,中心論点ではないものの,ここ数日,喉に刺さったままの小骨のように困惑させられていた。

他人の考えといっても,主観的な思いではなく,かつては代表的言説の一つだったのだから良く理解できないのはこちらの問題と呻吟していたが,昨晩ようやく何とか理解できたと思えるようになった。

人によって関心が異なることもあるが,論争激しかった4,50年前とこんにちでは学会の問題関心が大きく変わっている。暗黙の前提とされるものの見方,捉え方に「時代の空気」を感じた。

 8月27日 スポーツジムに着いてから携帯電話がないことに気付いた。下校毛色を思い返して,高速バス内下,しないか,あるいは自宅か。いずれにしてもしかるべきところに早急に連絡する必要があるなどと考えると落ち着かなくなり,風呂に入っただけで退散(いつもの店と異なり,系列店は風呂がある)。幸い?自宅門扉前で見つかったが,この2,3年で落としたのは数回目。さすがに懲りて腰ポケットからネックストラップに切り替えた(スケジュールをGoogleカレンダーで管理士,携帯にメールで通知しているので肌身離せない)。
8月28日 歯科通院,管理人組合理事会を終えると14時。ジャーマン・ドッグを昼食にドトール・コーヒーにて資料読み。夕方からジムにてマッサージを受ける。「背中が張っている」と訴えたところ首を中心にモミモミ。ファミレスで一山越す。
 8月29日 ドトール・コーヒーで推敲,自宅で編集。午後はファミレスで2度目の推敲,編集。ここまで息切れ。ジムでストレッチ教室を受けてそのまま帰宅静養。

2010年8月28日土曜日

メールサーバ不通

27日(金)夕方から30日(月)朝9時までキャンパスが停電となり,
メールサーバも不通となります。

月曜日に送信されるか,
お急ぎの方は別アドレス(ぷらら,gmail,携帯)に連絡下さい。

2010年8月27日金曜日

眠りは浅くても深くても

いつも同じことを愚痴っている気がするが,
寝坊して遅く登校すると,仕事の段取りも狂ってくる。

椅子に座って1時間少しで昼休みになので,
午前中は集中した仕事は出来ないと,細々した仕事に専念する。
午後もなかなか気分が乗らないと,また別の雑用に手を染める。
すると,もう下校の時間だ。
こういう時こそ集中しなければならないのだが,
出足が遅いと,集中すら難しい。

なぜ遅いか。
原稿を書いていると,1日のサイクルが24時間を超えるので,起床時間がずれる。
南東北は朝晩涼しいというのはもはや昔話で
朝も晩も蒸し暑い。眠りが浅いので寝起きも悪い。
さらに最近薬の影響か,眠りは深くなって目覚ましでも目が醒めない。

眠りが浅くても深くても,朝起きられない。
起床が遅いと,仕事の着手がさらに遅くなる,という悪循環だ。

結局,夏休みで気持ちが緩んでいるということか。
夏バテ対策の前に夏呆け対策が必要だ。

 8月26日 10月の学会往復便を予約。原稿に没頭して予約開始日を数日過ぎたために最安便は売り切れ。
 8月27日 「地域社会論」6月末から7月末までに講義された学外講師の方に学生のコメントと礼状を発送。学期末処理と研究会準備に追われて発送が遅れてしまいました。m(_ _)m 午後推敲。

2010年8月26日木曜日

マスコミの論調・その2

口を揃えて政府に盛んに為替対策を求めるマスコミに違和感を覚える
出来ることは限られているし,
慌てて対策を打っても,投機筋には一層の円高期待を抱かせる虞がある,
と記した。

現に昨日の日経第1面は,円高による景気への悪影響を打ち消す策の一つとして,法人税現在や規制緩和を挙げていた。「火事場の。。。」という気がしないでもない。
今日26日も「円高対策 時機を逃す懸念」として「想定される主な追加緩和策」を列挙しているが,他方で,円安に戻した「今のタイミングで動いたとしても,本当に有効な政策手段があるのか」という声が日銀内で出回っていることを紹介している。併せて,外国為替市場がここ数年間で3倍近くに膨らみ,介入が「かつてのような神通力はない」との市場の声まで紹介している。

にもかかわらず,為替介入を求めるのはなぜか?
日記は「円高・株安が加速し,さらに効果の大きい政策を迫られる」との国内証券会社の声を紹介してる

しかし,ヨーロッパではギリシア国債の償還危機に機にユーロ不信が起きていること,米国では労働市場や住宅市場が反転せず二番底の虞が大きくなっていること,オバマ大統領がドル安による輸出増を狙っていることなどいずれの要因を考えても,この程度の円高で収まるとは期待できないであろう。
もう一段の円高は不可避であり,為替対応力を増したり,内需を確固とする政策の方が求められているのである。
その際,ギリシャ国債と絡めて,早急な財政再建を追求するのは,今の時期としては不適切であり,しばらく封印すべきであろう。


主要マスコミでは唯一,毎日新聞が昨25日,社説「円高株安 古びた発想から卒業を」で論じたように,円高下の成長戦略を探るべきであろう。

 8月23日 6月末受けた人間ドックの経過観察で病院へ。追加検査ともう1件予約。
 8月24日 留学生の研究計画書指導。午後は,関連文献を探巣だけで時間が掛かり,下校も遅れ,仕方なくジム通いをパス。
 8月25日 近くの歯科医院へ。女医さんは治療も懇切で熱心だが,研修医?の指導にも容赦がない。あけすけでねちっこい言葉が診察台の左右で飛んでくる。誰しも通る修業時代ということか。その後,別の病院に移動して人間ドック後の経過検査。家にいると,無意識?のうちにお菓子を頬張り,コーヒーをお代わりしかねないと危惧したため。朝から絶食は問題ないが,水しか飲めないのが苦痛。待合室で文献読んでいても睡魔が度々襲った。夕方驟雨。ジム経由でファミレス推敲。
 8月26日 2度寝したため遅く登校。昼休み行きつけの美容院でカット。

2010年8月24日火曜日

マスコミの論調

一時期は異口同音に「財政再建」が最重要課題としていたマスコミが
現在は円高対策だと口調を揃えている。

しかし,国債のほとんどを国内で引受けられている日本を海外投資家に依存するギリシャと同列に扱うのが不合理なのと同様,
現在の円高を政府が積極的に介入なり対策を打てば反転するかのように報じるのは不合理であろう。

現在,日本経済は昨年3月からの景気回復の歩みが緩くなっているにもかかわらず,円高が発生している。
米国経済の回復の遅れ,二番底の虞,ギリシャ等国債の償還金融機関に絡むユーロ不信という外部的要素が原因であることは疑いようがない。

米国は「日本の長期不況の再来」が怖れられている状況で,FRBでは深刻菜デフレへの突入を防ぐためには何でもする気構えのようである。また米政府はドル安による輸出増をハッキリと狙っている。

このような状況下で,政策介入の余地は限られている。

例えば,8月24日付け読売新聞社説「菅・白川会談 政策協調で景気の失速防げ」は,末尾で「カギを握るのが日銀の対応である。金融緩和は、財政出動による金利上昇圧力を抑え、円安を促す効果もある。日銀は一段の量的金融緩和に踏み切るべきだ。/政府が円売り介入で市場に放出した資金を日銀が吸い上げず、緩和効果を高める手法も、過去に実績がある。検討に値しよう。」と述べている。

しかし,量的金融緩和は意図的にインフレを引き起こす不況対策であり,現在,回復基調の日本経済に適しているか疑問である。回復の足取りが鈍くなれば,成長分野の投資,雇用促進で財政援助すべきであろう。
さらに,欧州,米国が深刻な経済状況にあるとき,小手先の介入で引き留められる為替の振幅は限定的とみた方が良い。

マスコミの口調を合せた円高対策論調が投機筋に一層の円先高感を与えているのではないか,と危惧する。

2010年8月23日月曜日

限られた余暇の選択肢

以前だったら「暇を見つけては」「平日でも」Kスタ宮城球場に通っていたものだが,
完全オフ,日曜日で田中将大投手の先発とわかっていても,
余暇の選択肢に野球観戦が上らない。

初めてAクラス入りし(リーグ2位)CS(クライマックスシリーズ)に進出した昨シーズンは特別にしても,
その前の3シーズン,負けても負けても,
試合終了後,自転車を漕ぐ足が重く感じられてもあw
懲りずに球場に通っていた。

ところが,今シーズンは交流戦くらいまでは球場通いしていたものの,
サッカー・ワールドカップの試合観戦時間を確保するために球場通いを自粛したっきり
ワールドカップが閉幕しても球場に足が向かなくなった。

パ・リーグ6チーム中単独借金状態もあるが
「ただ投げて打つだけ」で工夫が認められない。
だから,結果は「番付通り」で観る前からわかっている
となれば,「球場に通って応援するまでもない」ということになるのは当然であろう。
(今シーズンは交流戦前も土日限定だった)
チケット代丸損だが,惜しいとも思わない。

「丸裸の戦い」を好むブラウン監督続投とのこと。
しばらく余暇の選択肢が限られてしまうが,仕方がない。

2010年8月21日土曜日

関心を伝えるということ

 関心を伝えるのは本当に難しい。
 それぞれ専門分化して関心が分散しているのか,具体的現実的政策に関連しないかぎり友に考えてみる,という姿勢が失われているのか。(ここまで言うと独善的か。少し反省

 八王子合宿で「生産的労働論の意義がわからない」という質問を受けたので,いわゆる宇野理論では,生産的労働という形での「労働の二重性」措定が価値と労働を結びつける結節点になっていることを丁寧に説いたつもりだが,同じような質問を受けた。

 主な質問は2つで1)価値形成労働,つまり労働価値説に言及する意味,および2)生産的労働を再定義する意義。
 回答したことは,1)価格の決定については,単なる効用や生産費用に止まらず,資本の効率性原則で締め上げられていることが重要だと考えているから,2)a.生活関連活動に不生産的「労働」という位置づけを与える,b.熟練労働,裁量的労働,能力主義的労働など価値非形成的生産的労働が原理的に必然的なものとして光を当てる,c生産的労働措定の場以外に労働の二重性,特に労働の同質性は措定できない。

 8月20日 仙台経済学研究会第36回研究会のあと,秋保温泉「ニュー水戸屋」に場所を移して懇親会兼馬渡尚憲先生古稀祝賀会。翌朝,マンションの消火器点検が予定されていたため,飲まずに車で帰宅。
 8月21日 研究会2日目 共通論題は「構造改革と代替経済政策-リーマン・ショック後の世界」。この研究会,前夜祭,懇親会(含む2次会),後夜祭?と飲み会続きだったのに,みんな忙しくなったのか,そのまま解散。ジム経由でファミレスにて推敲。
 8月22日 完全オフのつもりがデイパックにノートPCを詰めて外出すると。。。。

2010年8月19日木曜日

誰も知らない

研究会報告を翌日に控え自宅研修。
午前中近くのドトールコーヒーで推敲後,例によって長ーい昼休み。

気分転換に,と先日借りた是枝裕和『誰も知らない』再生。

この救われない展開は何だ,という感じで
ドッと落ち込み気分転換にならない。

結末は目に見えている。
しかし映画はその結末,福祉施設に保護,までは描かない。
自明の結末を描かなくとも,
子供達を捨てた母親が戻らないこと
母親が戻らないと悟った子供達(父親の異なる子供4名が残された)の変化は描かれている。

母親が家でしても,家計が廻っているうちは,子供達が学校に通えない,外出できない他は暢気なものだ。

しかし,蓄えが底をつくと,
電気,水道を止められる。公園で洗濯をする。自宅でプランテーションを試みる。
行きつけのコンビの親しい店員から期限切れ廃棄物を貰う。
昼間はなるだけ寝て体力を温存する。
「ママ,いつ帰るの」とは幼児も問わなくなる。

監督は子供達が放置された状態を描いて,結末を描かないのは,
結末がわかりきっていることもあるが,
養育放棄ばかりでなく,人が人を「放置する」状態を詳しく描きたかったからであろう。
「無関心」の怖さが良く伝わったのではないか。

2010年8月18日水曜日

ロハスとは名乗れない理由

昨日は歯科医院に寄ったために炎天下登校。
体力消耗してコーヒー1杯飲んで下校。

それに懲りて
今日は朝からマイカー登校。
まずコーヒーを淹れて金曜日の研究会報告資料を完成。
午後,2件の提出書類を完成。
2杯目を飲んでようやく原稿の推敲。

早朝登校して4Lの保温ポットに1-2Lのお湯を沸かしてもコーヒー,お茶を全く飲まずに下校するときがある。保温自体の相当の電力を消費するから電源を切って帰る。
保温ポットの操作は水を入れ,電気コードを挿す,外すの3つだけだ。

予定があるから電気エネルギーを消費しながら予定が流れて発生した熱エネルギー?は使わないままとなる。
反エコロジーであること甚だしい。

なぜロハスとは名乗れないか。
忙しすぎる。
あるいは仕事の段取りが下手なのである。

2010年8月17日火曜日

昼下がりのホッ

お盆休みも昨日で終了。
ただ休み中に歯茎が腫れてしまったので,朝一番,近くの歯科医院に駆けつけたが,
待ち時間を加えて2時間半。(休み中は予約もできなかった)

それから昼前の暑い中をバスを乗り継いで大学へ。
ところが,高速道路は一部渋滞して25分オーバー。
もともと高速バスの所要時間が55分なので,5割増しだ。

正門前のソバ屋で昼食を摂って4日ぶりに研究室を訪れたときには14時を回っていた。

それから提出書類に必要事項を記載し,大学図書館で参考文献を借り,スキャンする,所蔵しない雑誌は他大学への複写依頼を申し込むで2時間くらい掛かった。

必要な手続を済ませ,教員談話室の冷蔵庫から氷を調達して,コーヒーを淹れて,一服したときは文字通り「ホッ」としたが,時計をみるともう帰る時間だ。

慌てて休み中中断していた研究生の研究計画書の検討。
学生によくあることで,自分でもそれがないとは言えないが,
勉強を進めると情報量が格段に増える,しかしそれを咀嚼するには時間が掛かる。
すると,文章としては情報が多い割には以前よりわかりにくくなることがある。

電子書籍

電子書籍と聞いても,

  • アルファベットと違い,漢字は画面では見づらい
  • 論文などは既にPDFファイル化しておりノートパソコンで十分
  • 他の作業をする上でもノートパソコンと2つ携帯するのは面倒

などと懐疑的に捉えていた。

しかし,例によって長い昼休み,ソファに寝転がって西田宗千佳『iPad vs. キンドル』(エンターブレイン,2010)を読んでいたら

  • 利用されている電子インクは液晶とは異なりバックライトを用いないので,目が疲れない
  • PDFファイルも読み込める
  • 契約不要の形で携帯通信端末が着いており購入した書籍は記録を参照して外出先からでも読み込める(予めメモリに読み込んで外出する必要なし)
  • 電源オフ時にも映し出せ,ページをめくる,新たにダウンロードするとき以外は電源を使用しないので,バッテリーの保ちがよい

ことがわかり,ノートパソコンとは別に携帯する意義がありそうだとわかった。

問題はコンテンツで
アマゾンのキンドルや(2007年)やソニーのソニーリーダー(2009年)先行した電子書籍リブリエ(ソニー)が失敗したのも,書籍の数が少なく,既刊本中心だったからだ。

アマゾンアメリカの場合,今年1月段階で41万冊,昨年5月段階で35%がキンドル版になっている。(その普及は昨2009年に著しく,昨年「アマゾンでもっとも売れたのがキンドル(ハード)」と発表されている)。

コンテンツさえ揃えば,デイパックにどの本を詰めようかとか外出先で読みたい本が見つかっても行く先々でさらに荷が増えないかなどと悩む必要もなくなるだろう。

2010年8月15日日曜日

歩いても 歩いても

論文の推敲といっても,集中力の維持という点で,日に何度も繰り返せるものではない。

すると時間が余る。そこで,午後は文字通り午睡に当てたり,録画したテレビ番組を観たりしていた。
それにも飽きて,ドトール・コーヒーからの帰りにTUTAYAで電子書籍の解説本,西田宗千佳『iPad vs. キンドル』(エンターブレイン,2010)を購入,さらにレンタルDVD,是枝裕和『歩いても 歩いても』,同『誰も知らない』を借りた。

お盆という時期もあり,兼ねて観たいと思っていた『歩いても 歩いても』を観賞。

脇役が原田芳雄,樹木希林というだけで観る前から安心感がある。
亡き跡継ぎの命日,彼らの下,つまり実家に集まった嫁いだ娘,子連れ女性と結婚した次男,それぞれの配偶者や子供等と彼らとの会話には,表面的な賑やかさとは別に,新しい家族のあり方,旧来型から外れた家族関係を受容れ切れない親たちの苦悩と子供達の抵抗が垣間見れる。

過剰な物語展開を排した点も含め,期待通りだった。

長い昼休み

書きかけの原稿を読み直し,書き換えるだけで3,4時間かかる。
またそれだけでグッタリしてしまい,おいそれとは繰り返せない。

昨日からは割り切って,午後は昼寝するなり,溜った録画番組を見るなりして,時間を潰し,夕方ジムに通った後,改めて推敲するようにした。

つまり,1日2期作システムだ。

問題は2期作目が24時で終わらないこと。
結果として,翌日の「鍬入れ」もだんだん遅くなっている。
講義がない夏休みならではのことだ。

2010年8月13日金曜日

思案のしどころ

近くの皮膚科に通院。夏休みのせいか待合室満杯。診察開始30分余り前に駆けつけたにもかかわらず,立って1時間,座って1時間弱待つ^^;。午後はファミレス,ジムを挟んでファミレスと行脚を続けた。

要は報告へのコメントを承けて,
基本構成はそのままに説明不足のところを補うか
不生産的労働の部分を次回に廻し,生産的労働中心に構成替えするか
ということ。

前者では補足が多くなる
後者では再構成に時間が掛かる。
思案のしどころだ。

2010年8月10日火曜日

報告の顛末

SGCIME夏合宿第2日目「生産的労働の意義と限界」というタイトルで報告。
いろいろ批判ないしコメントを頂いた。

大別して3つ。

  1. 生産的労働の定義がよくわからない。いままでの定義を踏まえていない。
     (機能的定義なので特徴が定義と答えると)スミスなら資本蓄積に資する労働か否かであったが,それがない。
  2. 定義する意義がよくわからない
  3. ジェンダー経済学成立以降,再生産労働は生産的労働と排他的概念と捉えられ
    ている(故に生産的労働でも不生産的労働でもない)


 従来の生産的労働は価値形成性と不可分離であったため,ある労働が生産的労働か不生産的労働かの裁断でそれ以上の分析が閉ざされていた。そのため,国民所得論争が生産的労働規定を経由せずに進められるようになると,生産的労働概念は学会から事実上忘れ去られた。

 生産的労働定義の意義は,報告資料にも記したように,生産的労働の限界を定め,不生産的労働の存在を明らかにすること,そのことによって生産的労働の一方的膨張に歯止めを掛けることにある。それはまた,生産的労働的視点から労働と所得との切断を説くベーシック・インカム論や両者に疑念を示すアンペイドワーク論に対しても,労働と所得との関連再検討を求めることになる。

 家事・育児を「再生産労働」と括られる次元と,「個々の労働」に対して生産的労働,不生産的労働を問題にする次元は異なる,先ず「労働」と認定するのが後者だ。

 いずれにしても稿を起こす際には,これらのコメント,批判に対して,直接答えたり,少なくとも言及したりするなど,もっと丁寧に説く必要がある,と痛感した。

 8月11日 昼前,久しぶりに登校すると,馬場宏二先生より「社会科学を語る(続)」(青森大『研究紀要』33-1,2010.07)が届いていた。添書きに「貴君はまだ成長至上主義で頑張るおつもりか」とある。以前,先生の富裕化論に対し,一定の経済成長は不可避ではとコメントしたことを未だに覚えていらっしゃる,その矍鑠ぶりに安堵^^;。インタビューに答える形式で振り返えっていらっしゃるご自身の研究史についてはロハス的に(Lifestyles Of Health And Sustainability)ゆっくり拝見することにしよう。

2010年8月8日日曜日

どこも夏祭り


SGCIME夏合宿に参加するため八王子へ。
駅前のガストで明日の報告資料の校正。
昼頃,窓の外を見ると,法被姿の行列。やがて山車が通り,ここも夏休みだとわかる。

八王子セミナーハウスで開かれた合宿初日。岐阜大T氏の「ドイツ社会的市場経済論」について質問。

ドイツでは旧来の社会的市場経済論を超える「第三の道」として社会保険中心の制度を展望されているとのことだったが,
社会保険は雇用関係中心で,雇用から外れる専業主婦の位置づけや,安定的雇用が望めない非正規雇用の未加入未納問題が日本では問題になっている。また,日本では基礎年金の2分の1が賄われている。税金投入で社会保険方式の体裁をようやく保っている日本の現実からすると,なぜ社会保険方式が旧来の福祉国家とは異なる「第三の道」になるのか?

回答は,ドイツでは税金はほとんど投入されていない,ということだった。
しかし,そうであれば,給付金,年金の額は抑えられ,福祉として不十分ではないか。

本末転倒

某所にて研究会。

早朝起床,2日後の報告資料の練り直し。午前中にファミレスに移動して続き&昼食。

研究会では2本の報告。
再生産論と過渡期論。
後者に関しては講義で加藤榮一氏の論文読み取りを行なっていることもあり大いに関心があった。

しかし,勉強不足か,なかなかテキストの主張と噛み合わない。
管理通貨制度をどう捉えるか。
資本主義経済にとって,画期的ではあるが,しょせん制度の問題。
それによっていわゆる修正資本主義化したが,修正の中味も大きく変わっている。
また,国家の経済介入が大きく進んだという意味では画期的だが,
金融のあり方が投機的になるか否か,とは別ではないか。
投機的になるのは過剰資本が原因であろう。

いろいろ考えているうちに,早朝起床の影響か,睡魔が襲い,度々船を漕ぐことに。
自分の報告は明後日,今日は別件。本末転倒になってしまった。

2010年8月6日金曜日

七夕祭り

いよいよ七夕祭り。山形では一足先に昨日から花笠祭り。あいにく日曜日から合宿で。その前も。。。。(予算の関係上,合宿当日出発となっていますが,実は。。。)

今日は午後から基盤教育(旧教養教育)ワークショップが開かれる予定だったが,参加を申し込んでいた「スタートアップセミナー」分科会がラウンド2になっていたため,朝から登校したものの,開始1時間後の14時30分までは週末の報告資料の見直しに専念していた。もっとも穴はなかなか埋まらず,時間ばかり過ぎ瑠,という結果に終わったが。

その分科会,出向いてみたら,既に報告が始まっていた。3つの分科会同時開催なので,ワークショップ開始と同時に1時間前から始まっていたのだ。
報告者は全て本学の教員。各1名,地域教育文化学部,理学部,工学部各1名の構成だった。

並べて聴いてわかったことは,第1に,スタートアップセミナーをどの学部学科も,人文学部法経政策学科以外は,従来の専門基礎教育を流用しており,「専門基礎」という位置づけをしているということだった。

基盤教育科目と言っても,学生の所属部局の教員が担当しているので当り前と言えば当り前である。
しかし,法経政策学科は,旧来の1年生向け専門基礎演習を2年次開講に移したため,新設されたスタートアップセミナーはあくまで基盤教育科目なのか,専門基礎科目なのか,位置づけを巡って担当者の見解が分れていた。
併せて,スタートアップセミナーの全学共通テキストが,レポートの書き方,ディベート,ワークショップなど,アカデミック・スキル中心の叙述になっているため,担当教員の専門専攻に関わりなく基盤教育としてアカデミック・スキルの伝授に徹するのか,それとも専門専攻をベースにした演習とし,共通テキストはあくまで副読本程度の活用に止めるのか,についても担当者の間でも見解が分れていた。
これに対して,他学部学科は共通テキストを尊重しているとは言え,それをそっくりそのまま活用するのではなく,旧来の専門基礎科目の中で部分的に活用していた。

したがって,第2に,アカデミック・スキルの習得と言っても体験させることに主眼があり,達成目標があるわけでもない,ということだ。その点で,情報処理科目とは全く異なる。

それはそうであろう。スキルの習得であれば,レポートの書き方1つとっても数コマ必要なはずである。ところが,スタートアップセミナーの共通テキストでは,レポートの書き方について解説はされていても,演習問題は設定されていない。担当者任せになっている。フロアからはレポートの指導について質問があったが,どの報告者もでは,レポートの作成には2コマ程度しか割り当てておらず,個別指導にそんなに時間を費やしていないと答えていた。他のメニューがこなせないからだろう。つまり,スタートアップセミナーでは。レポートの書き方,ディベート,ワークショップ,モックインタビューとスキル,ツールのメニューが豊富であるが,その消化,あるいは達成度の評価を予定していない。あくまで学生を飽きさせないようにメニューを盛り沢山にしているだけなのである。

第3に,スタートアップセミナーの位置づけが専門基礎科目であると言っても,専門科目体系の中の基礎科目を展開しているわけではない,ということである。むしろ専門専攻のオリエンテーション,動機付けに力点がある。

例えば,工学部電気電子工学科では,米沢キャンパスに招いて研究室を紹介し,そのまま蔵に連れて行って合宿を張り,技術者のキャリアを紹介して,それに必要な能力,知識を紹介している。理学部地球環境学科では,各教員が担当科目を紹介し,学生にそのようやくを求めている。あるいは触れ手万キャンプと称して蔵王に連れて行き,ルートマップの作成を体験させている。
そこでは専門知識の伝授,習得はさほど期待されていない。
両学科の担当者がいみじくも述べていたことだが,高校の進学指導の結果,当該学科に入学した学生には,当該学科,当該専攻のことをよく知らないままに入学した学生が少なからずいるため,その「ミスマッチ解消」が専門基礎科目の目標の1つとされている。

その点で象徴的なのは専攻によるクラスサイズの違いである。
専門性と卒業後の進路との関連が曖昧な人文学部,地域教育文化学部の場合には1クラス10余名で丁寧に専門専攻について解説しているようであるが,理学部,農学部では30-40名規模,工学部では80名である。ところが,医学部になると,医学科は1クラス125名,看護学科は60名となっている。
医学部医学科,看護学科に入学する学生の場合には,学部の専門性,将来の進路について迷いがないはずである。
したがって,専門性のオリエンテーション,動機付けという意味での「専門基礎科目」「導入科目」はいまさら不要で,いきなり専門科目を教えても何ら問題ないのであろう。

この点にこそスタートアップセミナーの本質が現れているのではないだろうか。これが当日一番感銘を受けたことでもある。

2010年8月5日木曜日

湧き出るか流れ出るか


研究会が迫ってきたので自宅で作業。

書斎にはエアコンがないため,汗が滴るように流れ,浴槽との間を数往復。
アイデアの方は一向に湧き出ない。

遂に根を上げて午後は近くのドトールコーヒーに駆け込む。
ようやく考えがまとまり帰宅。

近くのNPOでも七夕飾りの準備

いよいよ混雑

週末報告を控えているので,阿部さんの歓迎会を欠席して通常通り17時過ぎに下校したものの,西公園トンネルで渋滞。七夕祭りは2日後,七夕花火大会は明日というのに。

吉野家経由のジムにていつものお気軽セット。
帰途,自宅近くのドトールコーヒーへ。

前日のうちに成績処理をほぼ終えたので,大学でもコーヒーショップでも報告資料(パワーポイントの配付資料)をチェックしていたが,
読み返すたびに説明不足と思われる点が多々見えてきた。

なかには単なる説明不足で2,3行補えば済むものもあるが,
問題提起の甘さも認められた。
イベントが近づくと混雑するというのは,トンネルの中だけではなかった。

2010年8月4日水曜日

寡言実行も善し悪し


未だに時々咳き込む。
ただ,ほんの一時なので,通常の生活に復帰。

昼休み,非常勤講師のA氏を囲んで,Hさん,S君と近くのヘリアンへ。お二人はよく利用しているらしいが初めて。大学周辺にこんな洒落た店があるとは。

話題は例によって大学事情。
大学教師の報酬も話題に出た。確かに私立は高いが,自分ではどうしようもないことなのでスルー。
こちらからは午前中,前期科目の成績登録を済ませたばかりなので「いままでブラウザに手動で入力しなかったでしょう。今季からExcelデータ,といってもcsvファイルで転送できるようになったんだよ」。

大抵の教員は担当科目の出席や提出の有無,小テストや期末試験の成績を,紙の一覧表か電子一覧表,つまりExcelなどの表計算ソフトで記録している。
従来はこれを打ち出して,手動でキーボードから入力せざるを得なかった。
したがって,元データと入力データとの間で齟齬が生じる可能性があり,両者のチェックに手間取っていた。

これからは元データを一定のフォーマットのファイルに加工すれば,そのまま転送できるので,2つのデータが発生し,両者をチェックする可能性はなくなる。
もちろん元データ自体のチェック,転送可能なファイルへの加工する際のチェックが必要なことは言うまでもない。
それでも電子データのまま転送する分,チェックのステップ,手間は減る。

皆もこれは便利,「(そうするのが)当然でしょう」といった反応であった。

夕方,ジムに行っている間にS君から学科全員宛にメールが発信されていた。
Excelでそのままファイル保存すると。学籍番号冒頭の0が抜けるため読み込めない(冒頭2桁は入学年度なので09年入学者の学籍番号は09から始まる),これを回避するにはExcelにこれこれの設定が必要です,と。

昼食時そこまで伝えておくべきだったかな。
S君。ゴメンね。2時間も浪費させて^/^。

 8月3日 手間取ると思っていた前期科目の成績登録。新方式により午前中で終了。「さて,自分の仕事」と思うと,力んで^^;空転?2日続けてジムでトレーニングとは久しぶりだ。

2010年8月3日火曜日

下手の逆襲

非常勤講師に来られたA氏と,そのお世話をする教員を加えて昼食をともにした。
A氏は元同僚で,2年しかいらっしゃらなかったが,赴任が動機なので,ここでは記すのが憚られるような^^;想い出が沢山ある。

そんな昔のことや昨今の大学状況について話しているうちに昼休みもあっという間に終了。
急いで店を出た途端に,咳がぶり返してきた。

あれっ,治ったはずなんだけど。
もともと気温のちょっとした変化にも咳き込む質で,
夕食を摂りに入った中華料理屋でも,久しぶりに筋トレしたジムでも咳き込んだ。

その後は自宅で大事を取ったが,
用心してエアコンを消し,窓を開けて就寝してみると,暑くて汗ばみ,真夜中また咳き込んだ。

シャワーで汗を流して,エアコンを作動させて就寝。
余計な用心しなきゃ良かった^/^。

8月2日 総合講座IIIの採点。今回は非正規雇用問題に絡めて内部労働市場を紹介したのだが,90分では消化不良だったかな。正社員の身分が守られているため,非正規雇用も就職できない,と答えている答案が少なからずあった。内部労働市場の成立と非正規雇用問題は軌を一にしていること,非正規雇用を積極的に利用している点が十分伝わらなかったようだ。昼前から「地域社会論」の期末レポート採点。途中で終わる。

2010年8月1日日曜日

半身の復帰

静養に2日間費やしたし,合宿で突如生じた空き時間に応募したところ報告が認められたので,安穏としていられない。

定例管理人組合理事会,といっても4名で管理会社の月例報告を聞く会,に参加後,
そのままデイパックを担いで週末恒例のファミレス行脚に出た。

外出すれば灼熱,のため,
ガスト,マック,スタバ,別スタバと渡り歩いて終了。

報告要旨の方はともかく,
体調の方は,ちょっと温度が変わると,咳が続くなど万全ではなかった。
さらに時々立ちくらみなのか,頭がぼっーとしてしんどさは変わらなかった。
まぁ自宅に戻ってエアコンつけても咳が出なくなったのは前進か。

月曜日復帰を予定していたが,焦ったために半身の復帰となった。