2010年10月31日日曜日

旅の効用も近場では?

「泊まるくらいなら自宅のソファに寝転がってテレビでも見ていた方が楽だけど、

温泉に浸かって美味しいものを食べたい」

という母の、年来の望に応えて昼前に秋保温泉目指して出発。

30分少々かけて寛永年間創業の岩沼屋に到着。


客室なし会席プランを予約していたので、大広間か大食堂での食事を覚悟していたら、個室が宛がわれていた。

一瞬、案内係の手違いかと、バツの悪い思いをしていたら、

客室の場合、トイレに洗面台に風呂、オマケに別室があり、くつろげるとのこと。

対して、個室は、トイレ等が省かれ、テーブルと座椅子だけの三畳一間。オマケに鍵はなく、如何にも束の間スペース。

僅か二千円強の違いながら階級理論はシッカリ貫徹していた。


もとより週末午後のひととき炊事を省いてノンビリしよう、だけがネライ,

到着早々、大浴場で一風呂浴びて食事を済ますと、

母は畳に寝そべって自宅から持ち込んだ週刊誌や月刊誌を読み耽っていたし,

こちらは座卓に座って吉田修一『ひなた』(光文社文庫)。


しかし、これじゃソファが畳と座椅子に代わっただけで自宅でくつろぐのとさして変わらない。

敢えて感想を言えば、

人はかくも家庭関係や友人関係に不安、不満を持ち、他のバートナーと関係を結ぶものなのか。(男女関係に限りません!)

おっとこれはひなたの感想^^;。


個室は有り難いが、座卓はくつろぎにくい!、くらいかな?

母は、田舎の料亭より料理が豪勢と感激して、仲居さん、フロント係かまわずお辞儀して「料理美味しかったです。またお邪魔しますしますね」と手形を連発していた。


10月30日 帰宅後、ドトールコーヒーにてノート。

10月31日 早朝ネットウォーカーをデイパックに忍ばせ外出。先々週末来読んでいた論文の表面的、つまり字面だけの意味がようやくわかった。

2010年10月30日土曜日

レジュメの評価

ゼミを終わる祭,
報告者のS君が「今回のレジュメは何点ですか」と尋ねてきた。
B(5段階評価の上から3番目)かなぁC(同4番目)かなと答えると,
すかさず「点数でお願いします」
うーん,50点かな。

「そうですか」落胆の色が見える。
60点未満じゃCではなくFだから落胆ももっともだ。
しかし,
冒頭からA説,B説,C説それぞれを抜き書き風に要約しているだけで
相互の違いが説明できない,
では60点は難しい。

しかし,S君よ。
報告担当箇所の内,そこが肝の一つだ。
従来の諸説に対する著者の見方がわからないと,
その後展開される著者の議論もその意図,意味が見えず,
字面だけの要約になりかねない。

もちろん,君は進学するのではなく,実社会に出て行くのだから,
学問的位置付け云々を細かく追う必要はない。
実社会では複雑に錯綜する現実の論点を能力して示すことが求められている。

ここで求めているのもそれと変わらない。
丁寧なといっても,詳細なという意味ではなく,
簡潔にして見通しのよい要約を示して貰いたい。

2010年10月29日金曜日

学生バイト先の現実

先週「名ばかり管理職」の記事を読ませ設問への答えと質問を書かせて回収したところ,バイト先の実例を記した答案がいくつかあったが,いずれもバイト先の店長,店長代理は「名ばかり管理職」そのものであった。つまり,他の社員やバイト・パートに指揮命令しその事業所を統括するという意味では管理職ではあるのだが,他の社員,パートと同じ勤務シフトの中に組み込まれており,仕事の内容や勤務時間に関する裁量権はない。自由出勤しようにも勤務シフトに穴が空くのでできないし,かといってパートを自由に雇えない。また自由出勤しようものなら減給・降格処分を受けるであろう。これは労働時間法制(1日,1週間の労働時間,休憩時間,割増賃金)の規制を受けない管理監督者ではなく,単なる管理職「名ばかり管理職」にほかならない。

単なる管理職と管理監督者との違いは労働時間法制との関係を説明しないとわからないだろうが,学生は実態をしっかり認識しているのである。
言い換えると,法的知識がなくとも,その「異常性」は覆い隠しようがないのである。 

10月28日 宮城学院女子大「経済社会特論」。前回「名ばかり管理職」記事読み取りで上がっていた質問に答え,資本蓄積の2パターン解説。

2010年10月28日木曜日

もののあはれかな

 ここ数日,めっきり冷え込んで11月を前に冬モード。
 もう少し「秋を楽しみ」たかったのに。
 9月が暑かっただけにダラダラとそのまま秋に続くと思っていたら「既に秋は終わっていた」。
 もののあはれを感じた瞬間というと俗っぽい?

 10月26日 紀要投稿論文のうち,編集委員会が審査委員の意見を踏まえ改善を提言した原稿が全て出揃い,図書館総務係に掲載論文一覧を提出。これで刊行の目処が付いた。午後「専門基礎演習Ⅱ」は第2章。「学生賃金」論を理解できたかな? その後,ある本を学生にも紹介して欲しいと来訪者。しかし,本題はそこそこにかつての職場の話に移りここでは詳細を記せなくなった。
 10月27日 来年度のゼミ募集要項の提出。山形仙台交流圏研究会(未更新)は村松眞さんの報告「蔵王温泉樹氷通りの振興政策の提案」。スキー客が往時の3分の1に減っている蔵王の進行には,今やスキーばかりに頼っておれず,それ以外の観光客向けに景観整備など街づくりが求められている反面,以前としてスキーが大きな柱であり,他のスキー場に流れている客を呼び戻す努力も必要である。「自治体経営」は地域福祉論。配付資料がなかったため質問のための予習ができず,最後まで拝聴。制度の話が主だったので質問が思い浮かばず,学生には連絡事項を伝えてのみで終了。

2010年10月25日月曜日

脱大阪記・その2

学会初日,土曜日,懇親会終了後,電車に乗って迷子。
行きが南森町駅から堺筋線で関大前まで直通だったので,帰りも直通と思っていたら梅田駅に直行。
淡路駅で乗り換える必要があったようだ。
関西出身の先生が親切にも一緒に堺筋線の駅を探してくれたが,見つからず,結局,前日と同様,2,3キロ歩いてJR北新地駅から大阪天満宮駅へ。
翌日「梅田からは谷町線に乗れば良かったんですね」と教えられたが,遅いよ!
そもそも南森町駅も堺筋線北千里行きのホームに行き着くまでが迷路。
「東京の地下鉄は地方から来る人を前提に掲示をしていますが,こっちはそうではないですね」遅いよ^^;

学会2日目,久々に参加されたO東北大名誉教授を囲んで「お茶でも」となったが,周辺に喫茶店が見つからない。飯屋飲み屋ばかり。モスバーガーの満席でつぼ八へ。ところが,料理が出るのが遅く,急いで空港へ。

「関西に接した」と実感したのは大阪を発ってから。
機長が機内放送で「しゃべくり」を披露。
周囲の乗客は声を出さずに顔を見合わせて笑っていたが,
仕舞いに「機長もボタン押せばすることなく暇なんだろう」「毎回同じことしゃべっているだろうなぁ」「ぜったい台本書いている」とか身も蓋もない反応。
この落差がローカリティの証か。

2010年10月23日土曜日

脱大阪記

金曜日22日午後一番の基盤教育(旧教養教育)「市場経済」を済ませて車で仙台空港へ。
明日から経済理論学会の全国大会が関西大学で開かれるためだ。

数年前同じく学会で短期日逗留しただけで基本的に大阪の街を知らないため,
よくあるイメージ,先入観をもって赴いたところ,現地は「脱大阪化」していて戸惑った。

大都市だからと地図も打ち出さず,「乗り換え案内」だけメモしてところ,電車の乗り方がわかりにくい。
階段前でどちらのホームに降りるか,主要方面が記してあるだけではわかりにくい。
乗り換えもわかりにくい。
阪急梅田からJR東西線北新地駅まで案内所で一度聴いただけではわからない。
所々に掲示が欲しい。JR大阪駅から地下街に降りるところでようやく掲示を見つけた。
電鉄会社は違うといっても乗り換え客は双方利用するから不便だ。
降りた後も出口に地図がないところもありわかりにくい。
伊丹空港には予定通り着いたのに,南森町のホテルに着くまで1時間近く余分にかかってしまった。

「大阪に来たはずなのに」と期待を裏切ったことは他にもあって,
阪急梅田の案内所の駅員が丁寧な標準語で喋ってくれた(行き交う人の関西弁も聞き取れた)。
ヒョウ柄を来た中年女性にも出会わなかった。
翌朝乗った市営堺筋線の車内案内は舌足らずなアニメ声だった。
グローバリゼーションのために個性が薄れて。。。。ではないはずだが。。。

初日午前は書評部会の第1報告以外,関心を惹く報告が少なく,控え室で第1報告のレジュメを復習。

2010年10月21日木曜日

ちょっと。。。

アマゾンから届いた星亮一『偽りの幕末動乱』(だいわ文庫,20099を就寝前に読破。

著者が戊辰戦争研究会の主催者ということで期待したが,
幕末,ペリー来航以来の,幕府を中心とした鎖国・攘夷から開国への方向転換を辿りつつ
ところどころに自説---幕府自体は時間をかけ開国へ転換しようとしたが、時間をかけすぎ優柔であったし,将軍,老中に実行力がなかった,他方,薩長は皇室を利用して幕府にそれをさせなかった。結局,優柔不断な開国派と狂信的攘夷派が幕府を解体に導いた---を披露しているが,
反証(どういう異説があるか)を考慮せず,論拠を一つ二つ挙げているだけなので,コメント風にしか感じられなかった。
だから一晩で読了できたわけだが。。。

当時の世界情勢、アヘン戦争等を知る者は皆本音では開国不可避を考えていたわけで,それを実行する手順を示すことが出来なければ,とても開国派とまでは言えないのではないか。
あるいは当時は誰も明治維新の客観的意義---資本主義社会への転換---を理解できなかった、喧噪・混迷のなかで事態が進んでいたのだから,客観的意義は個別の言説や行動とは別にある,と言ってしまえば皆そうであるわけだ。

 10月20日 教授会の合間に「自治体経営」の講師への挨拶,学生への紹介、終了時の質問取り。母の術後半年毎の検査無事終了。

2010年10月19日火曜日

フレンドリーの限界

日曜日夕方,IP電話の設定を変更したところ,電話が通じなくなった。
そこでプロバイダのサポートに電話し,指示に従ってIP電話対応ルーターにソフトをダウンロードしてみたが,相変わらず「利用不可」。
「ルーター機器の問題と思われますので,(ルーターを貸し出している)電話会社に当たって下さい」と放り出されてしまった。
たらい回しにされては適わないから,そちらで電話会社に回してくれと要求したが,応じない。
押し問答しているだけ時間が無駄,と電話会社に修理の予約。
電話会社は電話会社で「修理は17時まで」とお役所的。

仕方なく19日月曜日は「専門基礎演習Ⅱ」を早めに切り上げさせて貰って帰宅。
予約した16時に間に合って無事無料で機器交換。無事電話が繋がった。

プロバイダーも電話会社の修理担当者も対応は親切というかフレンドリーなのだが,業務の範囲・時間には融通が利かないのが難。

夕食時,パリーグクライマックスシリーズCS第2ステージ第6戦「千葉ロッテマリーンズ7x0福岡ソフトバンクホークス」を途中まで観ていて,CSという短期決戦で勝ち抜いたことのないホークスに用兵名人,東北楽天イーグルスの野村克也名誉監督を貸し出したくなった。これはフレンドリーというよりもただのお節介であろう。

2010年10月18日月曜日

いつもの週明け

かつて「週明けに製造されたアメ車は危ない。週末休暇モードの労働者が作ったものだから」とか,日本でも学生,社会人とも「月曜日は半分寝ている」と言われていた。

ところが,週明け早朝の高速バス,仙台-山形便はたいてい満席で,場合によっては補助席も空きがなく,乗れないこともある。
出張帰りだろうか,それとも週末だけ仙台で過ごして職場山形に出稼ぎに向かうのであろうか。

大学でも週末の間に仕事が溜り忙しい。
自分の場合,木曜日は非常勤で登校しないし,金曜日は講義に追われ,事務処理が溜る。
さらに先週金曜日職場はたまたま福島市へ高校訪問に出かけたため丸2日間登校せず,溜まり方もズッシリ。

今朝は,紀要編集委員会にて先週締切りの審査報告書の取り扱い,その結果の投稿者への通知,高校訪問の記録の入力,突如金曜日学科長から依頼された仕事の3つをこなすだけで一日が終わり,自分の仕事はできない。

しかし,今日だけのことではない,週明けの平日はいつものことである。
もちろん,忙しいと言い募ったところで,目の前の課題が目減りするわけでも,ましてや誰かが肩代わりしてくれる,できるわけでもない。
これもいつものことである。

2010年10月17日日曜日

二度遊ぶのはどちらか

前日,土曜日はさして仕事が進まなかったのだが,日曜日は完オフ(完全オフ)と決めて早めに起床。
グッスリ眠ってもなお眠い,と思いつつ起床したのが8時過ぎ。

完全オフといっても,無趣味なのかすることがない。
久しぶりに読もうと思ってアマゾンに注文していた小説も前日までには届いていなかった。

午前中は録画していた土曜日のニュース番組を再生。
次いで朝のトーク番組を再生。

タップリ寝ても疲れが取れないので,
昼食後,ジムにてリラクゼーション・マッサージ。
最初の一押しでホッ。

帰宅後,プロ野球パリーグCS第2ステージ,セリーグ第1ステージTV観戦。
そのうち,自宅のIP電話が不通になって,プロバイダ,次いで電話会社に問い合わせ。
結局,後日点検修理。

なんやかやで落ち着いた夕食後,午後到着した吉田修一『女たちは二度遊ぶ』(角川文庫,'09)を開くことができた。

200ページちょっとの短編集なので,合間にテレビのバラエティ番組を流しながらも読むことができた。
さすが「物語巧者」。十分楽しめたが,表題には納得できなかった。
二度遊ぶのは,追想しがちな男の方だろう。

2010年10月16日土曜日

藪から棒

若者の読書離れが指摘されて久しい。
大学生にもそれは顕著だ。
本来必携の教科書も授業で使わないと、クレームが出るし、講義プリントで丁寧に解説されていると買わなくて良いと判断している位だから、他の書籍は押して測るべし、だ。

しかし、当たり前だが、皆が本を読まないわけではない。
そう弁えていても、ジムの若者との会話で漢語的表現や負のスパイラル」などと書き言葉を耳にすると、
「藪から棒」でビックリ感動する。
世代と共に絶えると思っていたので。

10月16日 朝から外出。来週月曜日の委員会で必要な書類読み。一旦帰宅後、近くのドトールコーヒーにてここ2、3日追っているフェミニスト経済学関連論文再読。

2010年10月15日金曜日

早出の功罪

朝早くから非常勤講師先に出向く。
早速、講義資料の印刷を済ませて文献読み。
ファミレスやコーヒーショップに居すわるのと同じだ。

これを翌日の福島市内の高校訪問でも行なっている。
というか、研究会,学会出張でも同じだ。
かつて進路指導委員として行なった企業訪問を経験して以来の習い性だ。

見知らぬ土地では道に迷い到着に予想外の時間が掛かることが多い。
日中ラッシュアワーと重なると移動自体に時間が掛かる。
早めに着くに越したことはない。
時間までの間、自分の仕事をしていれば良いだけのことである。
出発時間ギリギリまで自宅に居るよりは仕事もずっと捗る。

しかし、集中し過ぎて本来の任務をすっぽかさないにしても遅れることがたまにある。

早出の目的を見失いホゾを噛んだり、バツが悪いと頭を掻く一瞬である。

2010年10月13日水曜日

ボールキープとゴール

ジム似通う時間をケチってサッカー国際親善試合韓国0x0日本の中継を観た。

先週のアルゼンチン戦では本田のボール捌きがもたついてその間相手DFに詰められチャンスを逸していた,タメを作っているじゃなくボール扱いが下手なだけだろうなどを感想を述べた。
ところが,今回の本田は全く別人で,ボールを素早く足下に落とすと,決して奪われないキープ力を示した。相手にボールを奪われた後の帰陣も素早い。
しかし,ゴールの香はしなかった。

ザッケローニジャパンは,岡田ジャパンと異なり,ボール奪取後の縦への(ゴール方向への)攻めが素早い,というのが大方の味方である。
実際,横パスの連続は少なく,ボール運びは小気味良い。

しかし,ペナルティ・エリアから先は個人技である。ドリブルで切れ込む勢い,シュートの正確性が物を言う。この最後の部分では「人がいなかった」。
本田が守備まで帰陣し,ワントップFW前田がサイドに流れるため,正面の人手は決して多くない。
攻め込んでからが雑,という印象を受けた。

 10月12日 午後になって細々とした作業が降りかかってきたが,口外無用。
 10月13日 月曜日の編集員会の準備。「自治体経営」の予習(だって学生が質問しないので^^;)をしていたら時間。午後,大学院修士論文中間報告会と「自治体経営」を行ったり来たり。

2010年10月11日月曜日

今昔も一入

午後,BS放送でプロ野球,パ・リーグのクライマックス・シリーズ第1ステージ第2戦「千葉ロッテマリーンズ5x4埼玉西武ライオンズ」を観た。
といっても13時開始だったので,時々昼寝してしまい,途中の経過は審らかではないが,前日に続いて終盤もつれたので,「クライマックス」は見逃さずに済んだ。
パ・リーグ第2位の西武ライオンズが2日連続して先制するも,終盤追いつかれて,延長の末逆転負け。
そもそも首位で優勝マジックの付いていたライオンズの,ペナント終盤のもたつきぶりが,そのままクライマックス・シリーズでも現れた。
他方,ロッテはペナント終盤の,日本ハムとの3位争いを勝ち抜いた勢いそのままだった。

勢いといえば,かつて東北楽天イーグルスは西武ライオンズとの3位争いを制した勢いそのままで2位ソフトバンクをもうっちゃり,創設5年目で発のパ・リーグ2位に上り詰めると,クライマックス・シリーズ第1ステージでもソフトバンクをアッサリ退けた。
終盤から第1ステージまで球場に通い詰めてドキドキして見守っていたのもほんの1年前のこと。今昔の感に堪えない。

もう一つ,夜,母の要望で録画していた同日BSハイビジョン放映の,松山善三監督「名もなく貧しく美しく」を観賞。
戦時中の東京空襲から敗戦後の満員列車での買い出しからGHQ進駐兵との遣り取りまで時代背景が古い。
配役も,主人公の聾唖夫婦役の小林桂樹,高峰秀子から加藤武,加山雄三,河内桃子,草笛光子,小池朝雄,高橋昌也,多々良純,沼田曜一まで,既に亡くなった人も多いが,物心ついていた時に既に中年ないし壮年俳優がその記憶以上に若々しいのだから,今昔感もまた一入だ。

しかし,時代を感じさせるのは,戦後,高度経済成突入前夜の風景や俳優の若かりし日が出てきるばかりではない。正社員と非正規雇用,就業者と長期失業者等,庶民の間での格差ばかりが喧伝される今日と違って,「貧しく」日々の生活で精一杯という点は庶民皆等しいように映るからだ。
他人事のように語られる「格差」「貧しさ」に映画のようなリアリティが感じられないのである。(主人公高峰の母役原泉の演技は自然でいながら迫真感に富んでいた)

 10月9-10日 いけ及び近くのドトールコーヒーにて研究計画案を練る。普段いろいろ構想をんへっていても,それを第三者的に説明するのはまた別の作業で四苦八苦。
 10月11日 前夜遅くまで映画鑑賞していたせいか遅く起床。駅前の眼科までmyイーグルス2号。午後は,昨日の日経読書面に載っていたマイケル・ルイス『世紀の空売り』

2010年10月10日日曜日

ホクホク感

自宅で栗を湯がいて食べる。

やはり違う。甘栗と^^;。
デンプンの甘さは同じだが,
ホクホク感は独特。

グルメ記事・番組に全く興味がないのに不覚にも「食欲の秋」「味覚の秋」を実感。

2010年10月9日土曜日

タメを作っていたのか

タメを作る。
サッカーでボールを受けた者がパスを出したり,ドリブルを仕掛ける振りをして相手を惑わし筒ボールをキープして,味方選手が責め上がるまでの時間稼ぎをする。味方の枚数が揃えば,数的優位をもって責められるからだ。

サッカーキリンチャレンジ2010日本代表1x0アルゼンチン代表戦における
トップ下MF本田圭佑選手の動きを見ていて戸惑った。

パスを受けるトラップの動きが大きく,足下にボールを収めるまで時間が掛かり,
そのうち相手DFに詰められて,無理に放ったシュートは弱々しい。

これは不調なのか,タメを作っていたのか。

翌日のマスコミでは屈強な相手DFに囲まれてもボールを失わない強さが評価されていたが,
単に不調,でなければ下手(失礼!)のようにしか見えない。

もちろん,長旅の疲れが癒えないアルゼンチン代表との親善試合とはいえ,
公式戦初の勝利は「快挙」と言って良く,結果に不満はない。

しかし,
ザッケローニ新監督が代表合宿で強調したとされる「組織的守備」と(ボール奪取後の)「縦への速い責め」
のうち,後者は必ずしも実現できていなかった,
ボールの運びは,トップないしトップ下までは早かったものの,そこからは時間が掛かっていた。
特に中央,つまりトップ下にボールを預けた場合にそれは顕著だった。

トップ下だから相手の守備が最も警戒しているのは当然として,トラップが緩慢すぎるように見えて仕方ない。

相手が長旅で疲れることがありえない,つまりこちらが隣の国へ赴く,来週火曜日,ソウルでの日韓戦でこそ新監督の目指すサッカーがタメされる,と言えよう。

 10月8日 午後,基盤教育「市場経済」は資本とは。「経済原論演習」はS君が小越洋之介『終身雇用と年功賃金の転換』第1章「終身雇用・年功賃金をめぐる諸説の検討」前半を報告。

2010年10月7日木曜日

興行と皮算用

東北楽天イーグルスの次期監督に星野仙一氏の名前が挙って以来,
ファンのサイトもネットニュースもこのネタで大盛り上がりだ。
なかには選手の移籍等で浮く年俸や岩隈久志投手のメジャーリーグへのポスティングで球団に入る資金の総額を計算して「○○億円まで補強可能」といった,傍目からみれば滑稽な皮算が飛び交っている。

しかし,
東北楽天イーグルスは
昨季のリーグ2位からダントツの最下位に転落し
ファンの落胆が著しいというのもあるが,
地方球団,特にパリーグの球団は成績の上で躍進を続けるか
スター選手がいない限り,
マスコミでは「空気扱い」という悲哀を味わわされる。
好きだから応援するといっても,
プロ野球はやはり興行で,着目されてなんぼ,という面がある。

その点,星野仙一氏は,野村前監督と並ぶ,球界の大立て者で,
黙っていてもマスコミがその動向を追う上に
二人とも黙ることができない質である^^;。
地方球団にはうってつけといって良い。

ところで,星野氏と野村前監督では
チーム戦術からチームの掌握の仕方,フロントとの関係の持ち方,そしてマスコミ戦略まで全く対照的である。
ある意味で表と裏,陽と陰,ポジティブとネガティブである。

どちらが成績を残るか,ファンを満足させられるか,ファンを超えて社会の着目を浴びるか,
楽しみではある。

 10月4日 何をしたか記憶にないばかりか,何かしたという記録もない^^;。翌日の編集委員会の準備くらいか。
 10月5日 紀要社会学編編集委員会。応募資格の確認,査読者の決定。
 10月6日 午前中,気が乗らず,ボーッといていると,昼休みから旧講座会議,
自治体経営」の講師への挨拶,学生への科目ガイダンス,学科会議,科研費説明会と時間に追われて一日終わり。

2010年10月5日火曜日

日経社説のすり替え

日本経済新聞は10月4日付けの社説「『有期労働』規制は雇用不安を広げる」で,厚労省労働政策審議会で今秋から検討が始まる有期労働規制策論を先取りして,懸念を示している。(審議会の議論のベースとなる研究会の報告では,「期限付きで契約を結べる仕事を一時的、季節的な業務に限ったり、契約の更新回数に上限を設けたりすることなど」の検討を求めている。)

パートなどを文字通り「一時的な仕事に限る」という規制の強化は,「契約期間に定めのある人たちの処遇が改善するかは疑問だ」。「人件費の増加を嫌い、正社員への登用は進まないのではないか」。「期限付きの契約を認める仕事を限定すれば、働けなくなる人が増えるだけ」との懸念を示している。
具体的には「企業は雇用契約を、更新の上限に達する直前で打ち切ろうとするのではないか。そうすると、これまで繰り返し契約を交わしてきたパート社員などは働き続けることができなくなる。」「契約を結べる仕事が限られ、非正規の労働力が使いにくくなれば、企業の海外移転がいっそう進み、国内の雇用がさらに減りかねない。」

一見もっともな懸念であり,以前から方々で指摘されきた。
しかし,2つ(更新規制と低コスト労働力)は問題が異なると同時に,その混同こそが非正規雇用問題の核心でもある。

規制案は長期に雇用されているのに,短期(有期)契約の更新で対処しているために生じる身分の不安定性を解決しようとするものである。しかし,企業は非正規雇用を有期雇用として利用しているだけでなく,低賃金労働として雇用している。
有期契約を更新している,実質的に長期に雇用している以上,「期限の定めなき雇用」(正社員)に切り替わっても実質的に問題はないはずである。しかし,正社員となることは賃金コストを文字通り引き上げることになる。日経は有期労働規制に懸念を示しながら,その実,後者に反対しているのではないか。

社説は最後に「正社員と同じような仕事なのに賃金が低い人は少なくない。期限付きで働く人の処遇の向上が大切なのはもちろんだ。それには原資となる企業の利益を増やす必要がある」と述べているが,賃金格差の解消は企業の業績と絡めるべき問題ではない。

賃金格差は非正規雇用との間だけでなく,性別,人種,民族間で起こりうる。
しかし,企業業績が芳しくないから業績が上向くまで,不景気だから好況に転ずるまで,格差はそのままでも仕方ない,と言い直せば,その不適切さは明らかであろう。むしろ戦後の日本社会は賃金格差を放っておいたために非正規雇用問題の解決を困難にしてしまったのである。
労働者派遣法の成立(1985年),大幅改正(1999年,派遣業種の原則自由化)が非正規雇用の利用を促進し格差を拡大したのは間違いないが,賃金格差,もっといえば労働市場の二重構造はそれ以前から存在した。それをそのまま放っておいたために,非正規雇用比率が3割を超えた時,問題が覆い隠しようもなく露呈したにすぎない。

農業資本主義

戦後日本の農業経営の推移を,施策を進めた農水省(霞ヶ関)のトップ官僚と山形市の農家を対照させながら描いたドキュメンタリー「なぜ希望は消えたか」(NHK教育放送ETV特集)を観た。

この番組の中で興味を惹いたのは,農家と霞ヶ関高級官僚を対置させるあざとさ(米価はほとんど政治米価だったように,農家と関係なく行政が専横して施策を決めたかのような単純さ)もさるとことながら,今も農業を続けるバイタル・セブン*の中心人物で今も農業を続けるSさんが,農業基本法の想定とは異なり「挙家離農」が進まなかった原因を「農業資本主義」と呼んでいたことだ。

高校を出たばかりの彼が農業基本法の謳う大規模化に農家と自身の将来を掛けたのものの,実際には「挙家離農」が進まず,大規模化の夢は潰えた。その原因を当時の「大人達は農家の利害は,農作物ではなく,農地を持っていることを理解していた」ことにあという文脈で「農業資本主義」という意味で使っている。つまり,資本主義と言っても,それを担う主体は資本家ではなく,小生産者(生産手段を所有し自ら労働する者)ないし土地所有者を想定している。

用語としては正確とは言えないが,日本農業の問題点を表わしていることは確かだ。

小生産者は利潤と賃金,利潤と地代とが未分化なために,宅地運用で儲かれば,得した気分になって,積極的な投資を行なわない。米の消費量が落ちる中でも,兼業か可能な米作に固執していたために,農業の将来像が描けなくなっていた。
つまり,実態は「農業資本主義」ではなく,「土地寄生生活者化」であったのだ。

しかし,農業の問題は,小生産者を大規模土地所有者と大規模農業資本家,及び農業労働者に置き換えるだけでは済まないことである。資本主義としては,超過利潤の上がらない土地からは差額地代が発生せず,土地を借りようという者がいなくなるだけであるが,土地保全という意味では耕作放棄されたまま土地が荒らされるままに放置されることは避けなければならない。商業ベースに乗る地域と乗り得ない中山間地とでは土地政策のあり方も異なってしかるべきではなかった。

*大規模経営を謳った農業基本法に触発された山形市の若者7名が集って(「バイタル・セブン」),農業基本法の理念を勉強し,理念に謳う大規模化に将来を掛け,4,5年かかる農地改革から始めた。
しかし,直ちに限界に逢着した。離農した周辺農家もなかなか農地を手放さず大規模化はなかなか進まなかった。基本法が描く大規模化は高度成長の中で「挙家離農」が発生する(都会に出るため土地を手放す)との想定に立脚していたが,農地解放で一端農地を手に入れた農民(自作農)は,農業を離れても農業を手放さなかった(一定面積以上の農地所有によって農地の売買資格を得る農家と認定される)。大規模化に展望が持てなくなると,宅地に転用する者が現れた。
そのうち「コメ余り」時代が到来し,「減反」が導入された。代わりに作る作物が定まっていなかったので,バイタル・セブンの中心人物は米価引き上げ運動の先頭に立った。しかし,やがて米価引き上げに限界が現れ,バイタル・セブンのメンバーも土地を資産として運用することに途を見出していった。
さらに,農業が衰退すると,土地放棄さえ広がった。土地を買う者がいなくなり土地売買が成立しなくなった。代わりに耕作を依頼する農家が増え,耕作者には農地が集中することになった。
単なる工業化やコメ余りに止まらず,農業が衰退して初めて業法が想定していた挙家離農が実現したわけだ。


 10月2日 管理組合臨時総会に続き同理事会。種々質問が出たものの,提案2件承認され一息「ホッ^^;」。夕方久しぶりにジム。
 10月3日 日曜日は早朝から外出。
 10月4日 翌日の紀要編集委員会の準備で終わる。

2010年10月1日金曜日

開講

後期が始まった途端,大忙し。

基盤教育の講義は初回だけに科目紹介だけで済んだものの,
学科会議のための議題打合せ(学会運営会議),
前期授業教養セミナーの授業評価に対するリプライ
作成
本日17時〆切の紀要原稿に対する編集委員会の日程調整等々。

おまけに久しぶりに好転,気温も秋から晩夏へ後転?,暑くて喉がカラカラ。

教養セミナーの位置づけなどは一学科の問題ではなく,大学全体の問題だし,初年次教育の位置づけという意味では中教審答申に如何に対応するか,という学部専門教育の問題にもかかわるのだが,当該学科内部でまず議論すべきことなので,ここでは詳細を述べない。