2010年10月5日火曜日

農業資本主義

戦後日本の農業経営の推移を,施策を進めた農水省(霞ヶ関)のトップ官僚と山形市の農家を対照させながら描いたドキュメンタリー「なぜ希望は消えたか」(NHK教育放送ETV特集)を観た。

この番組の中で興味を惹いたのは,農家と霞ヶ関高級官僚を対置させるあざとさ(米価はほとんど政治米価だったように,農家と関係なく行政が専横して施策を決めたかのような単純さ)もさるとことながら,今も農業を続けるバイタル・セブン*の中心人物で今も農業を続けるSさんが,農業基本法の想定とは異なり「挙家離農」が進まなかった原因を「農業資本主義」と呼んでいたことだ。

高校を出たばかりの彼が農業基本法の謳う大規模化に農家と自身の将来を掛けたのものの,実際には「挙家離農」が進まず,大規模化の夢は潰えた。その原因を当時の「大人達は農家の利害は,農作物ではなく,農地を持っていることを理解していた」ことにあという文脈で「農業資本主義」という意味で使っている。つまり,資本主義と言っても,それを担う主体は資本家ではなく,小生産者(生産手段を所有し自ら労働する者)ないし土地所有者を想定している。

用語としては正確とは言えないが,日本農業の問題点を表わしていることは確かだ。

小生産者は利潤と賃金,利潤と地代とが未分化なために,宅地運用で儲かれば,得した気分になって,積極的な投資を行なわない。米の消費量が落ちる中でも,兼業か可能な米作に固執していたために,農業の将来像が描けなくなっていた。
つまり,実態は「農業資本主義」ではなく,「土地寄生生活者化」であったのだ。

しかし,農業の問題は,小生産者を大規模土地所有者と大規模農業資本家,及び農業労働者に置き換えるだけでは済まないことである。資本主義としては,超過利潤の上がらない土地からは差額地代が発生せず,土地を借りようという者がいなくなるだけであるが,土地保全という意味では耕作放棄されたまま土地が荒らされるままに放置されることは避けなければならない。商業ベースに乗る地域と乗り得ない中山間地とでは土地政策のあり方も異なってしかるべきではなかった。

*大規模経営を謳った農業基本法に触発された山形市の若者7名が集って(「バイタル・セブン」),農業基本法の理念を勉強し,理念に謳う大規模化に将来を掛け,4,5年かかる農地改革から始めた。
しかし,直ちに限界に逢着した。離農した周辺農家もなかなか農地を手放さず大規模化はなかなか進まなかった。基本法が描く大規模化は高度成長の中で「挙家離農」が発生する(都会に出るため土地を手放す)との想定に立脚していたが,農地解放で一端農地を手に入れた農民(自作農)は,農業を離れても農業を手放さなかった(一定面積以上の農地所有によって農地の売買資格を得る農家と認定される)。大規模化に展望が持てなくなると,宅地に転用する者が現れた。
そのうち「コメ余り」時代が到来し,「減反」が導入された。代わりに作る作物が定まっていなかったので,バイタル・セブンの中心人物は米価引き上げ運動の先頭に立った。しかし,やがて米価引き上げに限界が現れ,バイタル・セブンのメンバーも土地を資産として運用することに途を見出していった。
さらに,農業が衰退すると,土地放棄さえ広がった。土地を買う者がいなくなり土地売買が成立しなくなった。代わりに耕作を依頼する農家が増え,耕作者には農地が集中することになった。
単なる工業化やコメ余りに止まらず,農業が衰退して初めて業法が想定していた挙家離農が実現したわけだ。


 10月2日 管理組合臨時総会に続き同理事会。種々質問が出たものの,提案2件承認され一息「ホッ^^;」。夕方久しぶりにジム。
 10月3日 日曜日は早朝から外出。
 10月4日 翌日の紀要編集委員会の準備で終わる。

0 件のコメント:

コメントを投稿