2015年8月29日土曜日

目処が付く

月末締め切りの原稿に目処が付いた26日(水)辺り,久し振りに浅田次郎をKindle版で。

『壬生義士伝』



『武士は義のために生き,義のために死ぬ」の武家社会が終わりかけていた幕末,
最も忠実たらんとしたのが百姓上がりの足軽レベル。

しかし,その受け止め方は下級武士の間でも様々であったように読んだ。
なんせ義を提示する側が揺らいでいたので,

28日(金)昼前に原稿「生産的労働と生産過程論の再構成」を投稿。

2015年8月26日水曜日

小声で言えば

8月26日,昼,そば屋で盛りそばを取りながら手に取った河北新報で飛び込んだのが,全国学力テストの結果報告「<学力テスト>秋田6教科で全国1位」。

地方ブロック祇だから東北各県を紹介。

「東北各県(公立)の平均正答率は秋田が小中学校の全10科目中6教科で、全国1位となった。他4科目も2、3位で引き続き上位を維持した。青森は小学校の全科目で8位以内と健闘した。..岩手は小学校が算数Bを除き平均を上回った」。

大きく言えば,北東北は上位あるいは平均以上,南東北は平均以下あるいは下位。
小声で言えば,だからどうなんだ。

2015年8月23日日曜日

帳尻は合わせられない

 8月22日は仙台経済学研究会が開かれたが,参加しなかった。
 主催された馬渡尚憲先生は既に亡くなられているし,随分前から経済原論系の報告は少なく,経済学史系のの報告が大半を占めるようになっているからだ。
 しかし,最も大きな理由は,その馬渡先生追悼論文集向け論文の締め切りが月末に迫っているものの,あまり捗っていないことであった。

 他の研究会で報告した内容で,ある未刊行の論文の一部を整序して発表しようと思っていた。
 しかし,ほぼ毎日講義が入っていた前期中はあまり進まなかったし,基になる文章があるという意識がその整序を鈍らせていた。

 身も蓋もない言い方をすれば,「他人の報告を聞くより先ず自分の論文」というわけで,研究会は欠席することにした。
 しかし,年1回しかお会いしない方もいるので,懇親会には飛び入る参加するつもりでいた。
 これも身も蓋もない言い方だが,「帳尻合わせ」だ。

 ところが,当日も論文の執筆は遅々として進まず,懇親会に顔を出したのは1次会終了間際となった。
 そこで,仙台銀座の「んBistor」での2次会ばかりか壱弐参横丁のカラオケスナック「膳」の3次会にも参加することにした。。

 自分はカラオケが苦手なので,スナックでは日本酒をチビチビすすっていただけだが,参加者による昭和歌謡,と言っても舟木一夫等は十分楽しめた。また,こちらに遠慮したのか,たまに歌われる常連さんのカラオケはこちらが恥ずかしくなるほど上手かった。

「もうそろそろ」と声を代えると,「そうだね。そろそろ」という応答が木霊した。
 しかし,常連組を残してわれわれが退散したのは2時を回っていた。

 翌日も原稿を推敲した。
 しかし,チビチビと言っても,2次会の21時から5時間もアルコールを舐めていたので,翌日は大して進まなかった。
 帳尻は合わなかったのである。

2015年8月18日火曜日

お盆休み

結局,今年のお盆休みは,近所のドトールコーヒーとの往復とジム通いで終わった。

馬渡尚憲先生追悼論文集の原稿締切りを月末に控え,
思うように進んでいなかったからだ。

基本構想は昨年暮,引受けた時からほぼ決まっていて,
従来の生産過程論は,労働過程と区別して生産過程を提示した宇野弘蔵の創意を汲んでおらず,
その結果,生産的労働および労働の二重性措定に齟齬を来している,というものだ。

既に昨年春の合宿で報告したり,
ある論文の一部に後で追加したりした部分が元になる。

しかし,元原稿は,各論者の引用が長々と続いており,そのままでは到底16千字の紙幅制限に収まらない。
論述を圧縮整理する必要がある。

さらに,既に報告したことの確認ではと,他で述べたこととの関係を組み込もうとしたので,論点がぼやけてしまった。

元来の構想をとるか,プラスアルファ部分を強調するか,書き始めて迷ったので埒があかない。

そうこうしているうちに,元々信心の薄い自分のお盆休みは終わってしまった。
亡父,祖父母には後ろめたい気持ちだ。

2015年8月14日金曜日

侮れない金融化の動き

立秋を「涼風 (すずかぜいたる)」とはよく言ったもので,八王子合宿からの帰途も,帰ってからも涼しい風が吹いて,暑さもずいぶん和らいできた。大雨ではないが,毎日のように雨は降っており,先月の空梅雨を凌ぐほどだ。

さて,八王子合宿では10件以上の報告に接した。
その場ではほとんど質問しなかったが,懇親会の席などで報告者と個人的に話してみた。

こちらの関心は金融資産の有無による格差拡大にあった。

今回の合宿も「経済の金融化」に関する報告があった。

2件とも,マイノリティや低所得者ほどサブプライムローンの犠牲になっていること--サブプライムローン適用者における彼らの比率は高く,また同じサブプライムローン適用者でも彼らの方が金利が高かったーーに焦点を当てていた。(もっとも同ローンの対象外にはさらに低所得者がおり,高利貸の餌食になっているとのこと)

そのことは勉強になったが,
個人的には同じマイノリティや低所得者の中にも,株式等の金融資産を保有するほどの余裕があれば,世界的な金融緩和の中で御恵を受ける者が出現し,彼らの中に実体面でも意識の面でも格差が拡大しているのではないか,という疑問を抱いている。

賃金や預貯金が1年で1割以上増えるということはない。
しかし,株式等の資産が1割かそれ以上増えたものは珍しくはない。

と言っても,金融資産とその収益で一生暮らせるほどの資産を持つものは少ない。
わが国では,金融資産1億円以上の世帯が100万を超える一方,金融資産の世帯の比率が35%を超えた。

ここでいうのはその100万世帯の方ではない。ずっと下の層である。
金融緩和の恩恵にありついていると言っても,しょせん賃金労働者にすぎない。
しかし,賃金が伸びない分,金融資産運用,ひとつの「経済の金融化」に有難味を受け,受容するという「意識における断層」「格差」が生じるのではないか。
すると,彼らの課題解決の取り組みに支障になるであろう。

「経済の金融化」は庶民にとっても侮れないのである。


2015年8月8日土曜日

涼風を求め

涼風を 求め八王子 丘登る



今日8月8日,履修は「涼風到る(涼風到る)」とも呼ばれる層で,駄句をひねり出してみた。

8月8日-10日間(および3月28日-30日)八王子セミナーハウス)にてSGCIMEの研究合宿が開かれるのは,毎年決まったことだ。
日付固定だから立秋と重なるが,初めに合宿を組んだ者がその点を念頭に置いたかは定かではない。

しかし,そこは八王子。
都心のように,ホームを出た途端,店を出た途端,熱気に包まれムッーとするということはない。
文字通り涼風も吹けば,蝉の声も間延びしていて気持ちも穏やかになる。とも

ともかく,前期は授業準備とその後処理に追われ,勉強が疎かになっていた分,ここでしっかり耳学問を積みたい。

2015年8月4日火曜日

行軍の合間に

前期に授業を固めているために,学期中は講義の準備とその後処理(レスポンスカードの採点,Webclassへの得点アップロード,質問への回答づくり)で追われていた。

特に7月最終週は,まとめと試験を兼ねているので,レスポンスカードの処理と,答案の処理,つまり答案を学生番号順に並べ替え,提出者と不提出者,受験者と欠席者を確定し,Excelシートに入力する作業に追われた。

そして,その週と今週は,採点と単位評価を一科目ずつこなしている。
後残っているのは,地域社会論の期末レポートの採点と単位評価くらいだが,レポートが230枚近くある。
これをSGCIME研究合宿(於;八王子セミナーハウス)に旅立つ前日までに終えたい。


ところで,8月4日の日経文化欄に「漱石の新婚旅行たどる」。

旧制五高教師が1896年夏休みに新婚旅行で立ち寄ったのは,正岡子規に寄せた俳句より,博多公園,箱崎八幡,香椎宮,天拝山,太宰府天神,観世音寺,都府楼,二日市温泉,梅林寺,船後屋温泉。

いくつかは学生時代の思い出の地だが,筆者,元福岡の高校教師小宮洋によれば,日清戦争後の,ナショナリズム昂揚を反映。
従軍記者を務めた子規と言い,人はみな時代の子。

しかし,旅行後,温泉宿の汚さ(と俳句三昧の漱石)に不満を持って寝込んだ鏡子を漱石が看病するあたりは今の夫婦と変らない。