2015年8月14日金曜日

侮れない金融化の動き

立秋を「涼風 (すずかぜいたる)」とはよく言ったもので,八王子合宿からの帰途も,帰ってからも涼しい風が吹いて,暑さもずいぶん和らいできた。大雨ではないが,毎日のように雨は降っており,先月の空梅雨を凌ぐほどだ。

さて,八王子合宿では10件以上の報告に接した。
その場ではほとんど質問しなかったが,懇親会の席などで報告者と個人的に話してみた。

こちらの関心は金融資産の有無による格差拡大にあった。

今回の合宿も「経済の金融化」に関する報告があった。

2件とも,マイノリティや低所得者ほどサブプライムローンの犠牲になっていること--サブプライムローン適用者における彼らの比率は高く,また同じサブプライムローン適用者でも彼らの方が金利が高かったーーに焦点を当てていた。(もっとも同ローンの対象外にはさらに低所得者がおり,高利貸の餌食になっているとのこと)

そのことは勉強になったが,
個人的には同じマイノリティや低所得者の中にも,株式等の金融資産を保有するほどの余裕があれば,世界的な金融緩和の中で御恵を受ける者が出現し,彼らの中に実体面でも意識の面でも格差が拡大しているのではないか,という疑問を抱いている。

賃金や預貯金が1年で1割以上増えるということはない。
しかし,株式等の資産が1割かそれ以上増えたものは珍しくはない。

と言っても,金融資産とその収益で一生暮らせるほどの資産を持つものは少ない。
わが国では,金融資産1億円以上の世帯が100万を超える一方,金融資産の世帯の比率が35%を超えた。

ここでいうのはその100万世帯の方ではない。ずっと下の層である。
金融緩和の恩恵にありついていると言っても,しょせん賃金労働者にすぎない。
しかし,賃金が伸びない分,金融資産運用,ひとつの「経済の金融化」に有難味を受け,受容するという「意識における断層」「格差」が生じるのではないか。
すると,彼らの課題解決の取り組みに支障になるであろう。

「経済の金融化」は庶民にとっても侮れないのである。


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