2014年3月29日土曜日

朝花

3月29日 SGCIME春合宿2日目。
朝食前、腹ごなしに花見^^


(奥が本館,右が宿泊したさくら館)

実際は,例年と異なり,花を見つけるのに苦労した。

夜は三々五々

3月28日 八王子セミナーハウスで開かれる二泊三日のSGCIME研究合宿に参加。
午後13時から研究会が始まり,夕食を除いて,ずっと大学院セミナー室。
しかし,22時前後,最後の報告が終わると,三々五々懇親会。


あと9分

3月27日 スタバで2日後の報告資料の編集後,杉並経済学研究会参加のため,電車3度乗り換えて東京経済大学国分寺キャンパスへ。
例年なら桜並木を潜って,というところだが,今年は1分咲き。

2014年3月26日水曜日

いずれはもうなり

昨日、ウォールストリートジャーナル日本語版サイトに載った「2極進む米国社会―「都会」と「田舎」が対立軸 」を読んだ。

アメリカでは、都会と田舎で宗教を含む生活文化に違い、断絶がみられ、それが支持政党の違いになって現れている、という。
具体的には1990年代に比して、田舎では共和党議員へ、逆に都会では民主党へ支持が集中するようになった。

その背景として、民間、公共設備いずれの面でも生活基盤が都市部に集中し、田舎ではそれらが撤退したり、若者が流出したりしていることが挙げられている。

わが国はどうか?
現在はオール保守化である。
地方で保守政党が強いのは以前からだが、
現在は、東京都知事選で田野神候補が一定の会を獲得したり、大阪市で都構想が頓挫しているにも関わらず、出直し選挙で主要政党が日本維新の会の橋下徹現市長への抗馬立候補を見送ったりしたように、保守への支持が強まっている。

しかし、「見放された層」の共同体志向と括れば、共通面が浮かび上がってくる。
アメリカの田舎は官民の投資や若者から見放された観があり、
日本からでは都市部に多い若年層の非正規雇用比率が高まっており、安定した仕事ないし内部労働市場から見放された観がある。

そこから醸し出されるのは、
見放された共同体への強い共鳴(遷宮されるお伊勢参りブームや靖国神参拝への共感)であり、
見放すものへの反発(「売国奴」レッテル)である。

こう考えると、アメリカで進行している二極化は、とても対岸の火事には見えない。
「いずれわが国も」ではなく、「すでにわが国も」である。
株式投資に「まだはもうなり」という格言があると聞く。
意味はかなり違うようだが、慢心は禁物
という意味では似ているにではないか。

保守的感情が人間誰しも保有する共同体帰属意識なら、気に止めることもないが、
おもに市場経済に起因する生活基盤の構造的な劣化であれば、
自然発生的な、反射的な意識に解決を委ねず、
意識的な対応が必要であろう。

2014年3月22日土曜日

ひょんなことから

ここ2,3日,安倍政権が配偶者控除の見直しを検討していることが報じられている。
20日の朝日新聞は,安倍首相は経済財政諮問会議産業競争力会議の合同会議において「最大の潜在力である女性の活躍について、施策の具体化を進める」と宣言し,働き方を制約しない税・社会保障制度の見直しを検討するよう指示した,と報じている。具体的に見直しの対象とされているのは,配偶者控除や年金における第3号被保険者制度である。



しかし,政府自民党は,昨年の参院選挙では「配偶者控除制度の維持」を謳っていた。
第3号被保険者制度に至っては,2012年夏,消費税増税法案の前提とされた三党合意にも盛られていない。
消費税増税の決定は「税と社会保障の一体改革」の延長線上にある。
持続可能な社会保障制度を考えるうえで,社会保障制度の見直しと同時に増税もやむなし,という考え方である。
したがって,社会保障制度の見直しも含まれている。
パートタイム労働者への厚生年金適用もそうだし,子育て支援もそうである。
しかし,当時の与党民主党が主張していた「基礎年金の税方式への転換」は,ネジレ国会のなかでは参院多数の自民,公明両党の理解を得られず,社会保障改革国民会議の課題に先送りされた(事実上棚晒しにされたとも言える)。

第3号被保険者廃止も三党合意には盛られなかった。
第3号被保険者制度は勤め人である第2号被保険者の専業主婦に保険料を課さない制度であるが,自営業等1号被保険者の専業主婦は対象外である(保険料を課されている)。
また,65歳以上の第3号被保険者に支払われる基礎年金の財源は,半分が税金,残り半分が保険料であるが,別に彼女(彼)の配偶者が2名分支払ったわけではない。現役世代の第2号被保険者の保険料である。後者には,独身男女性もいれば,兼業主婦もいる。働く男女性が全員で第2号被保険者の専業主婦の年金を支えているのである。
二重に不平等であると同時に,社会保険上の専業主婦の要件である給与所得130万円を限度に就労調整が起きているなど女性自身の就労決定に対して中立的ではないという問題もある(配偶者控除は給与所得103万円で同様のことが起きている)。

自民党は公約で「配偶者控除の維持」を掲げていたし,
もともと支持者には女性は家庭にという古い社会観念を抱いている人が多い。
安倍首相の「女性の社会進出」もお題目かなと思われていたところに,配偶者控除や第3号被保険者制度の見直しである。率直に言って,驚いた。

勘ぐれば,アベノミクスの息切れがある。
「第1の矢」大胆な金融緩和は一定効を奏して,為替相場が円安にシフトし,株価日経平均も2012年暮れから翌13年春まで急上昇した。しかし,米FRBが量的金融緩和QE3縮小予測を表明した昨秋以降,為替相場も株式相場も上下動が続いている。
「第2の矢」公共事業増発も功を奏していた。むしろ効き過ぎて,土木関連の資材や人手の不足を引き起こし,復興事業の入札不調が続いてくらいである。
しかし,「第3の矢」成長戦略は昨年5月以来,断続的に発表されても,市場にはインパクトを与えていない。
安倍首相がダボス会議等で「私のドリルで砕けない岩盤規制はない」と宣言しても,なんら具体的進展はなく(国家戦略特区くらいか),むしろ規制を崩す意思はないと看做されてきた。
矢折れ気味の成長戦略に残っていたのが,法人税減税と女性の社会進出支援である。

法人税減税は,官房長官が「15年度実施」を表明しているが,自民党内の調整を後回しのようであり,14年度予算案成立に伴う首相記者会見の質疑応答でも口を濁していた。
配偶者控除や第3号被保険者制度の廃止も同様で,産業競争力会議で議論され,同記者会見では首相自身が「6月には成長戦略を一段と強化します。女性の活躍を阻むあらゆる壁を突き破らねばなりません。女性の就労を後押ししてまいります」と表明してはいるが,与党内は先の公約との調整に途惑っているようであり,野田毅自民党税制調査会会長は,税制改正大綱を決定する「年末に判断する」と党内会合の講演で語った,と報道されている(日経朝日)。

しかし,経緯はどうであれ,労働力人口の減少,国内市場の縮小が懸念され,円安でも企業の海外直接投資志向が収まらない状況のなかで「女性の就労拡大」の阻害要因の見直しは重要であろう。もっと注目されて良い。

 3月19日 山形仙台圏交流研究会第65回定例会。来年度の事業系価格について。昼休み山大職組昼食会。退職者・転出者の送別。その後,定例教授会。
 3月20日 第10回基盤教育授業評価改善委員会。
 3月21日 ドトールコーヒー,自宅,ジム通い挟んでドトールコーヒー。研究会報告の準備。

2014年3月17日月曜日

今日もカフェ通い。

3月15日 月末合宿での報告準備。いろいろ穴が見つかって。。。
3月16日 昨晩,確定申告の電子申告e-taxをしようとしていて,電子証明書の期限が先月末で切れていることが判明。月曜日,電子証明書の再登録を行なうにしても,データの更新に1日掛かるらしく,申告の締め切り日17日を過ぎてしまう。そこで,朝から書面提出用に申告書を作り直し。その後,ドトールコーヒー,自宅,ジム,ドトールコーヒーはいつもの休日通りw
3月17日 自宅で報告資料手直し。開庁を待って自転車で税務署へ。確定申告を書面提出。
その後,区役所にて電子証明書の再登録。いずれも所要時間僅か。
市街地なので往復に時間が掛からないのが助かる。
今日もドトールコーヒー通いか。

2014年3月13日木曜日

時に埋もれて

 3月9日で一仕事終えて,詰め切れない部分も多く終えてはいけなかったも知れないが,ひとまず終えて,別の仕事,論作文講座の答案の講評作りに勤しんでいる間に,11日のあの時間を超えていた。

 未だに被災者住宅にいる方や,実際に自宅で被害に遭った型は決して忘れることはないだろうが,地元と言っても,実際にほとんど被害を受けていない者は反芻しばしばという体験ではない。
 離れた職場で地震に見舞われ,職場で一夜を過ごした。翌日帰宅したところ,自宅に物理的な被害はほとんどなかった。個人的な被害と言えば,停電2日,ガス供給停止1月,高速バス2時間待ち1,2度,食料買い出し2,3回くらいだった。
 そのため通常の生活に戻るのも速く,日々の仕事に追われれるうちに,記憶が呼び戻されることも少なくなる。

 一々反芻する必要がないというのは恵まれた生活であるには違いない。
 しかし,あれだけの被害を出すと,直接の被災者だけでなく,また目先の対応だけでなく,考え直さねばならないことが多い。

 震災を機に生活スタイルを変えた人は多いだろう。
マイカーや公共交通機関の利用から自転車に切り替える,節電に努める,エコロジカルな生活を送る,果ては転職する。

 しかし,個人の生活を自然や社会と切り離して,それらのことを考えなくても成り立たしめる社会システムの方がやはり問題の根源ではないか。
 個人的にも目先の業務に追われて震災の時間を忘れていただけにその思いを強くした。

2014年3月7日金曜日

ほんのり

3月3日-6日 変わりなし,は良いとして進展なし。5日は,夕方からの学部送別会の出席届を取り下げながら。

3月7日 公務員対策講座論作文模試。前日より配付する補足資料の作成。
 前日の方が雪でキャンパスも久し振りにほんのり雪化粧。

2014年3月2日日曜日

有名学者の遺言

3月2日 日曜日も早起きして仕事に取り組むはずが,例によってネットサーフィン。

東京新聞WEB「ドナルド・キーンの東京下町日記 「福島」伝え続ける

「「おくの細道」で松尾芭蕉がみちのくへ足を踏み入れた最初の地が福島だった。
..そんな福島は、今や世界に「Fukushima」として知られる。
..芭蕉は「おくの細道」に..「国破れて山河あり…」を引用しながら、..山河もなくなることはあるが、永遠に残るのは「言葉」だと。
..私たちは、いつまでも言葉で伝え続けなければならない。」


無名漫画家の遺書

2月28日 二晩夜更かしてやなせたかし『アンマンパンの遺書』(岩波現代文庫)

遺書とはタイムリーな,と思って手に取ったら,単行本の発売は20年前。
遺書というより,葛藤の自叙伝。

本人は(アンパンマンまで)ヒット作もなく終わる漫画家人生と思い悩んでいた。
「中くらいの才能」「日陰の生活」という謙遜じみた表現がたびたび出てくる

しかし,世間一般に知れ渡る大ヒットが晩年までなかっただけで,
業界では着目され,常に売れていた(舞台美術家,作曲家,シナリオライター,絵本作家)。

人生万事そのうようで,「起」「承」「転」「結」と4つの部に分けられているが,起伏には乏しい。
 幼くして夫に先立たれた母が再婚したため,既に弟が跡取りとして養子に迎えられていた伯父宅に預けられ,伯父や弟が住む奥座敷とは離れた書生部屋で叔父と一緒の生活を余儀なくされたが,それ以外に生活に制約は少なく卑屈な思いはせずに済んだ。
 東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)への進学に一浪しているものの,自由な校風と銀座に近いという立地のため青春を謳歌できた。
(徴兵は青春の時間を奪ったことになるが,理不尽なビンタなどは入隊直後に集中し,暗号班に配属されたため灼熱下の訓練・しごきを免れ,戦場でも前線に立つような緊迫感はなかった(項立ても「空白地帯」)。)

売れている同業者への見方も一歩退いている。
手塚治虫と馬場のぼるが内輪の会でどちらの花笠踊りが正統かで後に退かなかったとか,手塚は天才だから晩年になっても台頭する新人に嫉妬して「アドルフに告ぐ」で対抗ようとした,自分(やなせ)にはできないとか。

世間での無名への悩みとは裏腹に「自足の人生」を送っていたように思う。
遺言があるとすれば,その一点のような気がする。