3月9日で一仕事終えて,詰め切れない部分も多く終えてはいけなかったも知れないが,ひとまず終えて,別の仕事,論作文講座の答案の講評作りに勤しんでいる間に,11日のあの時間を超えていた。
未だに被災者住宅にいる方や,実際に自宅で被害に遭った型は決して忘れることはないだろうが,地元と言っても,実際にほとんど被害を受けていない者は反芻しばしばという体験ではない。
離れた職場で地震に見舞われ,職場で一夜を過ごした。翌日帰宅したところ,自宅に物理的な被害はほとんどなかった。個人的な被害と言えば,停電2日,ガス供給停止1月,高速バス2時間待ち1,2度,食料買い出し2,3回くらいだった。
そのため通常の生活に戻るのも速く,日々の仕事に追われれるうちに,記憶が呼び戻されることも少なくなる。
一々反芻する必要がないというのは恵まれた生活であるには違いない。
しかし,あれだけの被害を出すと,直接の被災者だけでなく,また目先の対応だけでなく,考え直さねばならないことが多い。
震災を機に生活スタイルを変えた人は多いだろう。
マイカーや公共交通機関の利用から自転車に切り替える,節電に努める,エコロジカルな生活を送る,果ては転職する。
しかし,個人の生活を自然や社会と切り離して,それらのことを考えなくても成り立たしめる社会システムの方がやはり問題の根源ではないか。
個人的にも目先の業務に追われて震災の時間を忘れていただけにその思いを強くした。
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