2013年12月31日火曜日

起伏が乏しいだけなら

最近,松田龍平が主演男優賞を取って話題の作品。
映画を見てしまったら原作を読むことはないだろう,と授賞の報に接するやアマゾンで中古本発注,
年末寝る前に少しずつ読んだ。スーリー展開は抑制されている,というか起伏に乏しい。

辞書部に赴任した者はいずれも当初,外見・言動から誤解を生むがやがて受け容れられる。
またいずれの恋愛も特段の葛藤もなく成就する。
出版社から見て,栄誉でもあるが,金食い虫の辞書造りは途中で完成が危ぶまれるが,経営層と辞書編集部との具体的攻防が描かれるわけではない。
辞書作りの蘊蓄がそこかしこにちりばめられている程度。

起伏を抑えるのも一手法かも知れないが,描かれる内容が乏しかった。

2013年12月30日月曜日

敬意

昨日の山形新聞オンラインによると「婚姻歴ない「ひとり親家庭」に寡婦控除みなし適用 山形市、2014年度から」。

私も山形県経済研究所年報に載せた「第2期吉村県政への期待」で自治体への支援を訴えたいたところだ。
もちろん,自分の解説記事は刊行されたばかりなので,影響を与えたわけではない。
山形市が独自に検討し,決定されたことであろう。
敬意を表したい。

 12月29日 今日はドトールコーヒー2往復+ジム。勉強部屋を掃除していたため。基本的に近所のドトールか,街中のスターバックスを利用しているので,ほとんど使っていない。そのため,書類,分権型だのゴミと一緒に山積み。数「年に一度の大掃除」となった。

2013年12月28日土曜日

先を見ない再建計画

相変わらずカフェにて先を見えないまま呻吟しているうちに,世の中は速いスピードで動いているようだ。

26日,安倍首相が,首相としては小泉首相の06年以来の,靖国神社参拝を強行。アメリカ政府は即日,大使館を通じて「失望」コメントを公表。
読売新聞でさえ翌日の社説で「A級戦犯合祀が問題」「国立追悼施設を検討すべき」「中韓の悪のりを許すな」「気がかりな米の失望」と懸念を表明している。

他方,東京電力は,27日,新しい「総合特別事業計画(再建計画)」を政府に提出した。
今後3年間で集中的に改革を断行し,国の持ち株比率を現在の1/2から1/3に引下げて貰い「脱国有化」を目指すのだとか。
今朝の日経によれば,今回会長に就任した数士氏は,昨年3月,会長就任要請を断っている。
「当時、東電の賠償、廃炉、除染の負担が青天井だったのが一因とされる。..昨年11月には記者会見で国の追加支援を求めたが、民主党政権では実現しなかった」。
しかし「今月20日。国が中間貯蔵施設の全額を負担し、除染には国が保有する東電株の売却益をあてる方針が決まった。これで東電の負担は賠償と除染で最大8兆円」(日経)と確定したことになり,経営に責任持てる見込みが着いたのだとか。
もちろん,原発の再稼働込みの話だ。

しかし,11月成立した改正電気事業者法では,16年を「目処」に電力小売りの完全自由化,18-20年を「目処」に「発送電分離」が謳われている。
同法は「目処」付のスケジュールを示しているにすぎず,業界の巻き返しもあり得る。
しかし,小売り自由化や発送電分離といった,地域独占電力事業から競争産業への転換は、アベノミクス第3の屋「成長戦略」の目玉であったはずである。
再稼働頼みで再建が可能になるのか,懸念するところである。


12月21-23日 カフェ行脚も成果は乏し。
24日 夕方,県村山総合支庁地域振興課の方来訪。支庁と学部の合同研究会「山形仙台圏交流研究会」の運営をめぐって。
25日 午前中会議。午後,本来20日の大学院演習の振替。苑志佳『中国に生きる日本的生産システム』第5章。
26日,27日 近所のドトールコーヒー三往復+ジム×2日。

2013年12月22日日曜日

かえって傷つく

12月20日(金) 朝から仙台側は雨,山形は雪。

午後,大学生協で歳末セールの抽選当選品を受け取る。
これにはこちらの勘違いもあったのだが省略。


夕方より,人文学部外国人留学生懇談会。
担当している大学院生が留学生であるため,この4年間くらい続けて出席。
例年なら「大学借り上げのバスの発車時間が早すぎる」とか院生室のPC等機器の使い勝手などについて要望が出るのだが,
今年印象的だった発言は「日本人は本音を言ってくれない」。
アドバイザー教師の一人が,相手を傷付けまいとする日本人ならではの配慮と解説すると,
留学生が誰ともなく「かえって傷つく」。
周りの留学生頷く,という場面。

「表情,空気を読んで」は日本人でも傷付くことある。

2013年12月21日土曜日

難しいです

12月19日 宮城学院女子大学「経済社会特論」。前々回の雇用保険、前回の公的扶助(生活保護)の話を承けて「給付と訓練」。福祉国家体制とポスト福祉国家体制、消極的労働市場政策と積極的労働市場、あるいは就労ないし訓練を給付の条件とするワークフェア、例としてドイツのハルツ改革および日本の求職者支援制度。

積極的労働市場政策との位置づけには従来の給付中心の施策が「消極的」労働市場政策と映るように、「ワーク」フェアとの位置付けには給付にハードルを課する、被保護者に対する無慈悲さ、あるいは性悪説的、上から目線というニュアンスが漂う。

しかし、私は必ずしも反対ではない。
生活保護受給世帯の8割強は高齢者世帯、傷病障害者世帯、母子世帯が占める。つまりオファーがあってもフルタイムで稼げる、労働に能力のある「その他の世帯」は、急増しているといっても、2割弱にすぎない。
まだ生活保護予算の半分は医療扶助であり、国民医療費の3分の1を占める高齢者世帯の影響であるものと推測できる。
さらに話題の不正受給も額にして全体の0.4%にすぎない。
講義では、それらも解説している。
そういった要素を加味しても、現行のセイフティ・ネットには、社会保険制度は安定的就労を前提にする一方で、公的扶助は働く能力ある層を労働市場に戻す仕組みがない、という問題点があるのが現実である。
訓練すれば直ちに正社員の職に就けるわけではないものの、新たな職業能力を身に付ける仕組みは必要であろう。

勤労は国民の「権利」と言っても、働かなくても良い層はごく一部に過ぎない。
にもかかわらず、給付を受け続けたり、ますしてやベーシック・インカムを恒久的に受けたりするうちに、「働かなくても良い」「働かないことを選択する」のではなく、「働くことができなくなる」「働かないという選択しかない」状態になりかねない。
働く女性が、安倍政権の育児休暇3年に危惧を抱くのと同じである。

しかし、レスポンスカードでは「講義は難しかった」。

2013年12月19日木曜日

心の中で感謝

12月18日 決して嬉しくもない何度目かの誕生日。

午前中は何をしたか余り覚えていない。
結局,何も進まなかったようだ。

午後は学部教授会。
定例が第3水曜日。
そのため何年かに1回は12月教授会終了後の忘年会で「僕一人のためこんなに多くの皆さんにお集まりいただき有り難うございます」。
謝辞を心の中で呟いている。


ビンゴゲーム。7等賞は15名いて,昨年と同じくワイン。

2013年12月18日水曜日

壁にボール

 12月17日 午後,山形県社会経済研究所にて,理事会,定期総会の後,年報報告会。

9月に投稿した解説記事「第2期吉村県政への期待」の報告「吉村県政二期目への期待」。

吉村知事の再選時の主な項目について論評したもののだ。
5月開催の編集委員会では他のテーマはだいたい具体的な執筆者が念頭に置かれていたようで,自分にお鉢が回った。

しかし,現知事は全会派が支持に周り,無投票で再選されている。
しかも,再選立候補持の公約は主要な会派が綿密に摺り合わせた結果と報じられており,その論評は割に合わない。
硬い壁にボールを投げるような気もする。


しかし,そこは割り切って,
数分野に亘って(報告では3つくらい),
総花的でポイントがわかりにくい点,
優先順位がおかしな点,
追加して欲しいと思われる点などを指摘した。

2013年12月16日月曜日

2月の風景だろう

12月16日(月) 高速バスが山形蔵王インターを出ると,完全に冬景色。
当たり前と思われるかも知れないが,年内では珍しい,むしろ1,2月の風景だ。


9月に山形県社会経済研究所年報に投稿した解説記事「第2期吉村県政への期待」の報告スライド作成。
既に金曜日くらいから手を付けていたが,
いよいよ明日,研究所で年報報告会が開かれるために,今日中に完成せざるを得ない。

途中,研究所の方が,出来上がった年俸と原稿料を持ってきて下さった。
言わばホカホカの記事だ。
しかし,持ち時間40分なので,全体を解説しながら,実際の報告では農業,少子化対策,再生可能エネルギー問題に絞るつもり。

夕方完成して配付資料をpdfファイルを送信。

2013年12月15日日曜日

少し早い小雪

早朝自転車で外出。
もう手が悴む時期になった。

スタバ行脚はさして成果なし。

いざ返ろうとすると,夕刻からの雪が,時には牡丹雪のように,時には霧雨のように降り注いで止まない。

歩道も冠雪したため帰りはバス。

こちらは東北と言っても降雪は大したことはない。
それでも歩道が冠雪すると,後に轍が出来て,自転車にのっているとハンドルが取られる。
凍結すれば,滑って左右に振られたり,転けたりする。
また雪は少なくても,寒さは手加減ないので,一旦帰宅すると,少々の用は翌日に回して,外に出るのを厭うようになる。

12月半ばでここまで降るとは。

2013年12月12日木曜日

繰り返し

繰り言になってしまうが,日中FAcebookやTwitterをチェックし,気付いたことをツィートしていると,
わざわざ部録に綴ることはなくなってしまう。

元々論文を書いている時は,同時に筋や構成の練り直しを続けているので,とてもその内容を掛けない。
論文を書上げてしまえば,次の構想に移っているから,「終わったこと」をくどくどと論じる気にはならない。

したがって,日常考えてていること,感じていることを綴るしか他にないだが,
日中ツィートしてしまえば,同じ事を綴るわけにはゆかない。

お友だちと旧交を温めるFacebookはまだしも
Twitterの方は,フォローしているマスコミ,評論家からひっきりなしに書き込むがあるので,
それに反応しているうちに,吐露すべき想い,考えは払底してしまう。

ということで,この1週間の動き。c
12月7日(土)未明,開かれた2014年サッカー・ワールドカップブラジル大会のリーグ戦組み合わせ抽選会,
見るつもりはなかったのに,夜中何度も目が覚めたので,ちょうど日本代表のクジ引き当たりでしっかりTV観戦。
楽な組に入ったな,コロンビアに次ぐ2位,ひょっとしたら1位通過の可能性もある,とにんまりしていたら,
海外のブックメーカー(賭け屋)が,日本代表に設定したオッズはC組3番目,つまり予選敗退。
一般的な評価はまだそんなものかな,と落胆。

8日(日),自宅でグダグダしていた記憶しかない。

9日(月) 前期開かれ,運営を担当してる学部共通科目「地域社会論」のまとめを仕上げ,学部目標評価委員会,社会連携部会長に送信。学生の感想,質問等をみると,そろそろ講義スタイルを変える必要がある,と実感。
つまり,今までは外部から地域社会で様々な課題に直面している方を呼びして1人1回90分ずつ話して貰い,学生には要約,感想(+質問)の提出のオンライン提出を求めるだけであった,つまり学習自体は学生任せであったが,講師の方のお話しを現在の3分の2くらいに縮めて貰い,前後で学生の取組み,予習や感想をその場で,つまり講義時間内で照らし合わせた方が,学生の参加をより積極的なものにできるかな,などと感想を抱いた。


10日(火) おおよその構想を固めたが,その瞬間,筆が止まった。

11日(水) 山形仙台圏交流研究会は東北大学工学研究科の後藤光亀先生をお呼びし手「仙山線の魅力」について講演願った。その後,系会議,定例学科会議。

12日(木) 宮城学院女子大学「経済社会特論」は生活保護。「講義内容を源泉圧縮して,前後に余裕を持って復習・確認すできるようにしたい」と毎回反省しておきながら,毎回内容詰め込みで時間不足,消化不良。
帰宅後,次回「給付と訓練」の講義スライドを編集。
例によって「少し量が多いかな」「詰め込みになっていないかな」と思いつつ,
他方で,「せっかくだから具体例も,背景事情も解説しなきゃ」と考えると,
今回,解説し残した部分や,質問への解答,解説を加え,スライド枚数は今回とほぼ同じ22枚。

繰り言になるわけだ。

2013年12月7日土曜日

元に戻った

この間,「アベノミックス,実はオールド・エコノミックス」と書こうとしていた。
大胆な金融緩和によって円安の為替差益と輸入原材料の昂騰はあっても,インフレ目標を達成するには至らず,
成長戦略と言っても,大衆薬のネット販売も三木谷楽天会長が不徹底とコウギして辞任を表明(後に撤回)
TPPと言っても,年内妥結は見込み薄で,
減反廃止と言っても,代わりに転作補助金等で農家所得は農地集約に至らなくても増える見込み,
他方で,復興法人税は1年前倒しで廃止され,
増税対策として,5兆円の経済対策が施される,
等々,守旧派そのままであることが露呈した。

さらに,マニフェストにない特定秘密保護法案上程(可決)と官僚サイドの政治も見事に復活。

しかし,時間が取れなかった。
この間,ここ1,2か月,ある論点を追って,戦後の議論を振り返る必要が生じ,
古い文献を読みあさってみたものの,
その整理に時間を取っただけで,それだけでは論文になりそうもないことがわかってきた。

ヤレヤレ!
結局「元に戻った」点は政治と同じか。

2013年12月1日日曜日

形式論理を超えて

11月30日 宮城学院女子大学にて第25回三大学合同ゼミ「それをお金で買いますか?」。
 4つ設定された論点がいずれも明確で,ラウンド毎に2つの班をそれぞれ賛成班と反対班に指名したので(他の6班は自由),盛り上がった。

困るのは,最後に教師講評を求められること,しかも僕でも4名の中で最も若いので,最初に指名されること。

「ディベート形式である以上,個人的意見とは関係なく,割り当てられた立場でメリット,デメリットを突き合うこと。

賛成論を述べるのはある意味,簡単。契約は二者間の合意である以上,双方にメリットがあったから。しかしそれは誰でもわかること(形式論理)。
しかし,当初は必要に迫られて発生しても,一端発生してしまうと,相手との関係よりも,その制度を利用した方が低コストという損得勘定が先に立つようになる。つまり,自由な意思決定を歪めている点,サンデルが繰り返し述べている「中立的でない」ことをどう回避するかが焦点。

他方,反対論を唱えるのは難しい。双方メリットがあるから成立しているという形式論理を崩さなければならないので。
その場合,倫理観を持ち出すのは良いが,倫理観は時代により社会により異なる。過程によっても異なるので,具体的に検討する必要がある。
やはり非中立性を具体的に突いていく必要があったのではないか。
この点は論点によってはある程度出来ていた。」