2010年8月19日木曜日

誰も知らない

研究会報告を翌日に控え自宅研修。
午前中近くのドトールコーヒーで推敲後,例によって長ーい昼休み。

気分転換に,と先日借りた是枝裕和『誰も知らない』再生。

この救われない展開は何だ,という感じで
ドッと落ち込み気分転換にならない。

結末は目に見えている。
しかし映画はその結末,福祉施設に保護,までは描かない。
自明の結末を描かなくとも,
子供達を捨てた母親が戻らないこと
母親が戻らないと悟った子供達(父親の異なる子供4名が残された)の変化は描かれている。

母親が家でしても,家計が廻っているうちは,子供達が学校に通えない,外出できない他は暢気なものだ。

しかし,蓄えが底をつくと,
電気,水道を止められる。公園で洗濯をする。自宅でプランテーションを試みる。
行きつけのコンビの親しい店員から期限切れ廃棄物を貰う。
昼間はなるだけ寝て体力を温存する。
「ママ,いつ帰るの」とは幼児も問わなくなる。

監督は子供達が放置された状態を描いて,結末を描かないのは,
結末がわかりきっていることもあるが,
養育放棄ばかりでなく,人が人を「放置する」状態を詳しく描きたかったからであろう。
「無関心」の怖さが良く伝わったのではないか。

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