2010年4月22日木曜日

三段階論・その2

三段階論の提唱者宇野弘蔵の場合,第2次大戦以降は段階論の対象とはされなかった。
1917年のロシア革命によってもはや社会主義への「過渡期」に入ったという認識と,それと裏表の関係にあるが,戦後の政策は支配的資本の利害だけを反映するものではなくなったという認識からである。

既存資本主義がほぼ崩壊した今日では,「社会主義への過渡期」という理由付けは通じないであろう。また,それと裏表で,戦後の,カッコ付きであれ「民主主義」や社会保障政策は社会主義が崩壊したからと言って廃棄されるものではない。したがって,第2次世界大戦後を段階論の対象にしない理由はなくなるはずだが,そうは行かない事情がある。
宇野弘蔵の場合,段階区分の基準を支配的資本の蓄積様式に求めているからである。
今日も支配的資本が金融資本である以上,新たな段階分析が必要になるわけではない。

これに対して,政策は支配的資本の利害から相対的に自立して展開されると考える加藤榮一の場合,第2次大戦以降も新たな段階規定が可能となる。
つまり,宇野が段階区分の基準を支配的資本の蓄積様式に求めているのに対して,加藤は政策に求めていると言えよう。

しかし,加藤のような捉え方では,政策は何に由来するかあ吉良かではなく,恣意的な段階区分に陥る可能性がある。
例えば,今日を「後期」資本主義と捉えているが,なぜ後期なのか,後期の後はないと言えるのか,甚だ疑問となる。(以下続くが,続稿いつになるやら)

 4月22日 所用を済ませた後,登校。9時台初めのバスも学生で一杯だった。

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