10日ほど前の記事,アップし忘れていた。
6月18日寝る前,
日付は19日になっていたが,
宮尾登美子「柝(き)の音(ね)の消えるまで――追悼市川団十郎丈」(文芸誌『新潮』)を読んだ。
宮尾『きのね』はまだ読んだことはないが,
かつて読んでいた母が朝日新聞の上記回想記紹介記事を目にして同誌を買ってきたからだ。
内容は,紹介記事の通り,先ごろ亡くなった十二代目市川団十郎の両親(父が十一代目團十郎,特に母親のことを小説にするに公言しているうちに、歌舞伎のプロモーター?松竹から圧力がかかったものの,跳ねのけ,念願通り小説(朝日新聞連載小説『きのね』)にした,というものだ。
個人的に面白かったのは2点。
一つは,宮尾は松竹からの圧力は気に求めなかったが,母親のことを記すに当たって十二代團十郎に「絶対触れて欲しくない点があれば,予め教えて欲しい」と伝えたものの返事がなかったという点だ。第三者を交えて,また両者で,確か計3回くらいは面談しているが,十二代目は宮尾の問に対しては直接返事をしなかった。結局,宮尾がしびれを切らせて,特に考慮せず,連載小説をものにした。
歌舞伎の総本家,市川家の統領という点からも迂闊なことは言えなかったのかも知れないし,もともと相手に厳しく出ることを好まなかった(察して欲しいと思っていたのかもしれない)。いずれにしても技巧派ではないが「存在自体,所作自体が歌舞伎」という十二代目のイメージにぴったりだ。
もう1つは宮尾個人の話で,
終戦後,身を寄せた耕地の農家では,農閑期のひととき,村人総出で芝居,歌舞伎を演じるのを楽しみにしていた,という点だ。
役者もそうだが,舞台の設営,演技指導をしてくれる指導者(これも元農家で,先祖伝来の田畑を処分して芝居用具一式を揃えた)への接待等,村人が分担して行う。
素人歌舞伎,農家歌舞伎は各地で行われていたようだが,回想記冒頭の農家歌舞伎に関する叙述は農家の,束の間の農閑期を積極的に楽しみたいという雰囲気がリアルに描かれていた。
十二代目の対応や農家の園芸に掛ける取り組みは,既に十数年前のことだったり,数十年前のことだったりするが,
名うての小説家の手に掛かると,その像が目に移り,音が耳に響くように感銘を受ける。
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