2019年12月30日月曜日

落ち着かない1年

 28日,土曜日から年末年始の休みに入った。
 お陰でドトールコーヒー3往復,合間にジム通いの日々が送れる。

 そのジムも明日から正月休み。
 つまり年内の利用は今日で最後。

 ジムでは運動前に体重,体脂肪,同率を測り,退館前にロビーでスマホのアプリ「減量計画 Classic」に記録している。その記録をスマホのメモリフォルダにバックアップの上,ファイルをパソコンに転送。
 年ごとに縦に並べると,永年変化とともに,1年間のサイクルも一目歴然。
 体重,体脂肪とも冬場がピークで,梅雨時がボトムという年間サイクルの存在は前にも記した。
 
 今回気付いたのはこの2年間,特に今年夏以降,ジムをサボりがちであったこと。
 以前は月20日前後通っていたのに,7,8月は10日前ゴン半減,9,10月は3分の1以下の6日に。
 
 様々な用務に追われていると,せわしい気持ちになって,ジムをサボっていたようだ,
 しかし,ジムに通う時間を端折ったからといって,仕事が捗るわけではない。
 一日に集中できる時間は限られる(と思っている)。

 サボった意識持つくらいなら,身体を少しでも動かして一日をリセットしたい,と反省。
 
 
 

2019年12月28日土曜日

課題は年を越す

 12月25日年賀状の作成投函。
 ここ10年来,年賀状はハガキにGW旅行の写真を貼って謹賀新年と印字するだけなので,作成は簡単だが,研究者仲間には一言近況や最近の関心を手書きで添える。

 文章を完全に練ったうえで記すわけではないから,書き進むにつれ,人によって文面が変化していったが,大要,次のようなことを述べた。
・そもそも評価に完全に客観的なものなどない。
・しかし,評価が求められる労働があり,最近の関心はその理論的位置付けにある。。
・というのも,それらの職種が増大しているからである。最近は貧困ばかりが着目されているが,労働市場関係の中心にあるのは単純な経済的貧困ではないが,酬われない,あるいは不安な人々であろう。
・他面で,それらの労働は従来の労働組合運動ではすくい取られていないのではないか。
 労働組合組織率の下落が止らない原因も,労働内容が従来の典型的な工場労働から拡散しているにも拘わらず,従来の労働類型を前提にしている点にあるのではないか。

 最後の一点以外はここで繰り返し述べてきたことである。
 同時に未だ論文にできてない点でもある。

 個人的課題は年を越しても続く,ということであろう。f

意外とも当然とも

 半月前,12月14日に書きかけで終わっていた記事。

 一仕事終え,しばらくテーマ外の文献を手にとって勉強しようとしていたが,直に学務に追われてそれも沙汰止みになった。

 広い意味の勉強は続けなければならないが,次のテーマを漠然としたものであれ,頭に描きたい。

 12月12日投票の英国議会選挙,EU離脱を掲げる保守党が圧勝し,労働党が大敗したことは意外とも当然とも思えた。

 意外というのは,先の国民投票はEU離脱が勝利したものの,投票に行かなかった者,特に離脱反対の若者には,離脱最強硬派のジョンソンが党首を務める保守党には投票しないだろう,と思ったからだ。

 当然というのは,労働党が公共交通機関等の「国有化」を掲げていたからだ。
 従来の公共サービスの中には,国の責任で維持すべきものがあるのは確かである。
 しかし,それは一律ではないし,関与の仕方にはいろいろありうるからである。

 半月経って読み返すと,かんぽ生命のノルマ問題,不適切な勧誘問題,その後の総務省からの情報漏洩等々,わが国でも国の関与のあり方が真剣に議論されるべきであるにも拘わらず,その時々の政治情勢で組織運営が翻弄されているように見える。
 単純に民営化すれば良いわけでないのは当然だが,制度設計が曖昧なままでは「名ばかり民間会社」で実態は旧官庁の,代々引き継ぐべk9天下り先という点でしか,つまり事なかれ式に管理されないことになる。

2019年12月1日日曜日

やはり

 原稿を仕上げて以降は,最近頂いた本を読んだり,以前から気になっていた論稿を読み返してみた。
 執筆中狭まっていた視野を広げるためだ。
 
 と言っても,1,2週間勉強しただけで新たな視点,論点に逢着するわけではない。
 次は間接労働,という予断は変わらない。
 自給論,共同体論では見落とされているように思うからです。

2019年11月17日日曜日

違和感

 更新が遅れた間も書きたいことはあった。

 それは,この間,夏の研究会や秋の全国学会で接した報告で特に関心を抱いたのはオルターナティブ論への違和感だ。

 一方で相変わらず国有化論。 他方で自給圏構想。

 正直どちらもピンとこない。

 彼らがそれらを唱える契機として世界的な格差拡大があるというのは理解できる。
 しかし,それを理論的にはどのようなレベルでとは別だ。

 目先の格差,貧困,そこから直ちに「労働力商品がその価値以下で売買されている」「労働力の再生産が不可能になった」と言えるのかどうか。
 賃金が労働力商品の価値以下とは収奪であって,搾取のように理論化は難しい。

 最低水準以下の賃金で苦しんでいる労働者がいるのは確かであり,彼らは一般に非正規雇用である。しかし,非正規雇用のなかでも最低生活水準以下の賃金しか得られない者が一般労働者とはいいがたい。
 例えば,働き方改革で問題となった長時間労働や同一労働同一賃金は決して貧困の問題ではない。
 過労死に至らなくてもワークライフバランスが取れない,家庭生活がないがしろになる,という問題であろう。
 あるいは,非正規雇用即生活できないという問題ではなく,同じような労働をこなしているのに,酬われないという問題であろう。

 ところが,最初に貧困と結論づけているために,多くの労働が直面する問題,長時間労働に駆り立てられ家庭生活が犠牲になるとか,職場で言われなく差別的扱いを受けているという問題が視野視野から落ちてしまうのではないか。
 懸念されるのは分析,研究の貧困であろう。 
 

4ヶ月

 更新が遅れた。
 前期科目の採点を終えてから論文を書いていた。
 正確に言うと,夏の研究会報告はスライド資料で準備を進めたので,文章西始めたのはその後,8月下旬からだ。

 といっても,9月になれば学務上の様々会議やその準備,10月になれば後期の授業開始と続き,思うように時間が取れなかった。
 
 しかし,執筆が長きに亘ると煮詰ってくる。
 10月下旬からは第3節のみを書いては打ち出し,読んでは朱を入れていた。

 昨年末に書き上げた論文は,単純繰り返し労働とは異なる裁量的な労働を念頭に,その複雑労働としての理論的位置付け,祖のっほうかに踏み込んで考察したものの,はるの研究合宿では,原理的な問題なのか,それとも段階論的な問題,さらに現状分析がハッキリしない,むしろ混同しているとの疑問,批判を受けた。
 そこで,その一歩手前の,多様な労働を分類枠組みに遡って考察を進めることにした。

 しかし,最近は完全に煮詰ったので,一旦筆を置くことにする。
 

2019年10月23日水曜日

意外あるいはやはり

 先週は学内の書類書きに追われ,大して準備もしないまま週末の学会,経済理論学会第67回大会(19/10-19-20,駒沢大学)に出掛けた。
 別に自分が報告するわけではないが,参交うする分科会の報告要旨および本文にもう少し目を通しておきたかった。

 いくつもの報告を聞いたが,
自分の関心は共通論題にもあるオルタナティブ(現在の経済システムへの代替案)だった。
 特に自分より下の世代がどのように考えているかは気になった。
 学生にも人気がなく,ポストも十分得られない冬の時代に経済原論あるいは政治経済学,社会経済学を志す若手,中堅はオルタナティブをどのように考えているか気になった。

 オルタナティブの分科会は,同じ時間帯に関心のある別の分科会が開かれていたため,出席しなかったが,2日目午後の「資本主義のオルタナティブ―資本主義の限界と政治経済学の課題」をテーマとする共通論題に参加してみた。
 3名の報告者のうち,普段は数理的な手法で分析を進めている中堅の報告者は,左派の世界潮流が量的金融緩和や信用創造批判にあることを紹介しつつ,オルタナティブとしては生産手段の国有化を主張していた。量的金融緩和と信用創造否定との関係は,門外漢には相反するように見え,すぐには呑み込めなかったが,結局,行き着く先,代替案としては旧来の共産主義社会を考えているようで意外のようでやはりという感もあった。
 
 あるグループは,研究手法が数理分析であろうとマルクスの草稿解読であろうと,また用いるコトバが共産主義であろうとアソシエーションであろうと,国有化型共産主義を目指しているから。破綻した旧共産主義国は,共産主義ではない(国家資本主義)という認識になっている。
 しかし,たとえ政権選択が「民主主義的に」行われたとしても,旧共産主義諸国の弊害を免れないかはなはだ疑問だ。いわゆる公務員の行動原理と市民の個人的要求に基づく行動原理は異なるからだ。
 もちろんこの問題は共産主義型オルタナティブに限ったことではない。
 
 

2019年10月12日土曜日

18時に撤収

 学期が始まると,講義とその準備や後処理が加わる。
 しかし,それだけではない。
 講義は前期に傾斜させているので,その負担は前期より軽い。
 代わりに,来年度に向けた会議とその準備,合意したことに基づく書類作成の比重が大きくなっている。

 10月も12日土曜日,今年最大級の台風19号が迫るなか,近くのカフェでほぼ1週間ぶりに原稿を読み直してみると唖然!とした。
 肝心な結論に近い部分が文章の単なる継げ足し。書いたの自分だけど^^;
 そう言えば,先週末,構成を見直した際,考えあぐねて,「埋め草」として過去の自分の原稿のあちこちからコピー&ペースとしておいたんだった。
 読み直すと,冗長かつつながりのみえにくい贅肉!
 昼から警報が繰り返し発令され,カフェが閉店となた18時に撤収。


後期開始

(10月2日にかきとめたこと)
 9月27日(金)に担当学生に前期成績表を渡し,諸注意を伝えるアドバイザー懇談会,同30日(月)から授業が始まった。最初の週はガイダンスでも授業の準備と後処理に追われる生活の再開だ。

 夏休みと言っても,9月には学内行政が前面再開し,会議が頻繁に入ってくる。
 しかし,それでも目先の講義に追われないで済むので,9月中旬以降は束の間の「自由時間」を使って草稿の推敲を進めた。

 全体は完成しておらず,最後の3節冒頭を書いては打ち出して朱入れしていた。
 あるいは見通せないからこそ細部に拘った。
 細部を突くことでその後の展開を絞ってゆこうとした。

 その結果,時間を掛けた分,分量は達した。
 しかし,所詮,それ部分毎に書き足し,書き改めたに過ぎない もちろん,粗っぽくても全体像を頭には描きながら進めたつもりだが,飛躍がある,全体との繋がりが明確でない等の理由で,インパクトは乏しい。
 
 やはり大きな図面は必要だ,と気付いたところで後期開始。

2019年9月13日金曜日

思い出せない

 更新が滞っていた8月から9月初旬,何をしていたか思い出せない。

 山形花笠まつり,昨年に続いて見学。
 報告の準備で盆休みをほとんど取れなかった。
 通常は盆休みの間,小説を2,3冊読んでいるので罪悪感^^;。
 それでも暇を見て球場に駆けつけた。
 後半下降続ける東北楽天イーグルスに反転の兆しはなく,Bクラス安住。
 春購入したばかりのコンタクトレンズ片方紛失。
 格安のドライブレコーダーをAmazonで購入するも,きれいに配線できそうにないので,ディーラーに持ち込む。取り付け料の方が高くなった^^;

  楽しい想い出がちっともないので,思い出せないわけだ。

手短に

 いろいろの出来事があったように思うが,更新が滞っているので手短に一報。

 8月の下旬は,仙台経済学研究会,杉並経済学研究会,二泊三日のSGCIME八王子合宿とこなした後,仙台経済学研究会での報告をスライドをもとに文章化しようとした。

 しかし,スライドは所詮スライド,文章化してみると,上手く説明もできなければ,敷衍もできないで,断念。

 そうこうするうちに9月上旬。中盤から始まる私学の講義科目や10月半ば高校での講義の準備,あるいは会議等々が入ってきた。

 本務校の後期開講までにある程度の見通しを立てたい。

2019年8月23日金曜日

ホッと、いやぼうっと

 8月20-23日 先週の内に第45回仙台経済学研究会の報告レジュメを完成させたので,そこでは盛れなかったこと,積み残したことについて文献読み,ノート取り。
 また週末から研究会,合宿が続き,次に登校するのは来週後半になるので,再来週の会議の準備など。
 ようやく目処が付いた23日(金)夕方はホッとした。

 しかし,市議会議員選挙の不在者投票をするには、ホッと,いやぼうつとし続けられない。
 投票日である日曜日は早朝出発するし,土曜日は研究会報告がある。結局,不在者投票するには今日23日、早めに帰宅するしかない。

2019年8月21日水曜日

保健室

 8月3日のオープンキャンパス,あるいは5-7日の花笠まつり辺りから報告スライドの作成に取りかかった。

 故馬渡尚憲先生が主催されていた仙台経済学研究会が今も続いている。
2日開催が1日開催に代わったものの,ご遺族の意思もあり,お弟子さんたちが引き続き参加,報告している。
 先生ご存命中から報告は経済学史中心になったため,当方は傍聴参加だったり,懇親会のみ参加になっていたが,今回久々に経済原論のテーマで報告することにした。

 春合宿の報告「熟練養成と賃金制度」で十分説明できなかった点を補うつもりで,7月中辺りまでは価値非形成労働ないし複雑労働の理論的位置付けをさらに詰め,明確にすることを念頭に置いていたが,そのうちそれ以前の,価値形成労働の導出に焦点が移った。
 最近の,商品論以前(序論ベース)での,あるいは生産過程を省いて行なわれる「労働の同質性」の抽出について検討することにした。

 新構想を報告スライドの形で表わし始めたのが8月初めで,お盆休みを潰してほぼ完成させた。その後も,その先,報告では触れられなかったこと,抽象的人間労働概念の多層性に焦点を当て考察を続けた。今週末にその報告,日曜日に東京で研究会,翌日から八王子で研究合宿と続く。

 お盆休み全く休まなかったわけではない。
 14日は外出したし,15日は野球観戦に出掛けた。

 しかし,丸一日の休みを設けていなかったせいか,切実に思う。
 中高の生徒じゃないが「保健室が必要」。
 蝉の鳴き声ばかりが響く夏の終わりになって夏バテを実感した。

2019年8月9日金曜日

祭の後先


仙台七夕祭り(8月6-8日)は山形花笠まつり(8月5-7日)と1日違い。
 初日早朝と9日早朝。

昨年に続き生観賞


8月6日 いつもより長く居残って19時半頃街へ。
山形花笠まつり観賞。
昨年は断続的に雨が降っていたが,今年は打って変わって晴れ,むしろ蒸し暑かった。



半月ぶり

 8月4日 夕方よりほぼ半月ぶりに野球場へ。

チャンス潰し合った末の引き分けという前日の顛末知ってて駆けつけるのは重症と思われるが、結構埋まっていた。

重症はチームも同じでほぼ無抵抗惨敗。

今季の生観戦勝率は1割切ったかな。

その後の展開

 8月3日 うだるほどの暑さの中オープンキャンパス開催。
 社会系3コースの説明,3回。

 帰宅すると,鈴鹿医療科学大学にいらした青木孝平先生より『経済と法律の原理論』(社会評論社)。

院生時代にノートを取って勉強した『資本論と法原理』(論創社, 1984年)の大幅改訂版。

もっとも経済学原理論の,その後の展開(山口,小幡ら)を展開と認めてられないのか,残念!

2019年7月27日土曜日

一息

 7月27日(土) 2つの科目のまとめテストの採点を終え,単位評価を済ませた。
 どちらも毎回確認問題で配点しているほかに,論述式を交えたまとめシートを2,3回実施し,その素点合計で単位評価している。
 今年度は最後のまとめシートもオンライン回答方式とし,最終回の前に回答を締切り,最終回で採点基準を示し,講評することにした。
 そのため,先週末から空いた時間を全て採点に費やし,結局ジム通いも1週間辛抱した。

 その採点を午前中に終え,夕方には久しぶりにジムで身体を動かすことができた。
 何よりほぼ一週間ぶりに自分のテーマに時間を費やすことができた。

 価値非形成労働,複雑労働,評価を伴う労働と呼ぶなりすぎた前論文の反省から,価値形成労働/非形成労働の設定,さらに遡って生産的労働と価値形成労働の関係を考え直すことにした。
 というのも,従来表裏一体として捉えられてきた価値形成労働と生産的労働とを分けて取らえる,両者の間の断層に着目することが,博士論文ないし前書のポイントであったが,学会では全く逆に生産的労働概念ないし生産過程論という視角を端折る傾向が進んでいるように思えるからだ。

 そこで,スライド場で考えを練ったり,evernote上の過去のノートを取り出してみると,既に同様のことを考えていた^^;。
 そもそも上のような学会潮流に棹さす形で2年前に論文を発表していた(「生産過程論の埋没とその影響」)。

 しかし,事態は変わらない。
 これは自分の見解が受け入れられていないということだから,一層掘り下げて考える必要がある。
 改めて検討対象とした文献を読み直す。
 ノートを取り直す。

 そうすると,以前は気付かなかった問題点が浮かび上がった。
 「生産過程論の埋没」という結論には変わりないが,その埋没の仕方,形骸化の仕方が明らかになったように思う。
 これだけでは論文にならないが,生産過程論の重要性に思いを新たにした週末であった。


2019年7月17日水曜日

多層化したこんにちの労働

三連休のため,16日火曜日,特集を担当していた学会誌『季刊経済理論』第56巻2号が版元,桜井書店より届いた。

 「特集にあたって」の末尾は次のように結ばれている。
「以上4篇の論文によって,賃労働内部でもまたそれを支える家庭内の労働との関係でも多層化したこんにちの労働の一端が浮かび上がったのではないだろうか。また,47巻3号(2010年10月)の「労働論の現代的位相」以来9年ぶりに労働に焦点を当てた本企画を,本誌前号に掲載された昨年の全国大会共通論題「転換する資本主義と政治経済学の射程―リーマンショック10年」の諸報告と比べて欲しい。後者は対象を家計自立型非正規雇用と限定正社員から成る「一般労働者階層」,あるいは非正規雇用からパート主婦を除いた「アンダークラス」に絞り,労働力の再生産が危機に瀕していると訴えている。他方,本企画では,貧困に止まらない問題を浮かび上がらせるために,労働自体が多層化している面に焦点を当てようとした。併せて読み,比較しながらこんにちの労働の諸相と課題を検討して欲しい。最後に非会員でありながら,一面識もない当方の申し出に応じて,論文を寄稿して下さった大槻氏に謝意を表したい。」

 ここでは何度か指摘したが,
 貧困は重要な問題である。
 しかし,誰も否定できない貧困問題の重要性を言いたいがために,非正規雇用の増加即貧困という粗っぽい論法では困る。
 事実に反し学問への信頼が失われる。
 貧困の真の原因を見定めないと,対策も立てられない。(契約更新を繰り返す非正規雇用の無期転換は重要だが,それだけでは問題は解決しない。社会保険の負担の仕方や離婚後の生活など具体的な問題が横たわっている)
 正規・非正期間,正規内,非正規内,あるいは賃労働以外の,家庭内やNPOにおける労働など労働の多層化,多態化している現実を視野に入れなければ,「同じ労働者」「労働者間の連帯」と言ってもスローガンに終わる。

2019年7月15日月曜日

8年ぶりに参加

 大震災の年以来,久しぶりにサッカー観戦。

 この間,平日は様々な用に追われ,週末も来週,再来週と採点予定が入っている。
 ここしかない三連休,近所のドトールに通い詰めるしかないが,かといって久しぶりに論文構想に向かってもそうは進まない。

 そこで,チケットを事前に貰っていたこともあり,ユアテックサッカースタジアムへ。その前に,スタジアム近くのジム系列店で。先週は忙しくってほとんど通えなかったので,開始前に一汗。
 貰ったチケットはビジター席(ゴール斜め後ろ)、鹿島アントラーズのユニフォーム一色。試合前にエールの交換なのか,応援チャントが大音声で響いていた。試合自体は鹿島アントラーズの完勝。4点のうち3点は右サイドを崩してから左に振って,というパターンだったと記憶する(前半は相手ゴールから一番遠いところにいたのではっきりは見えなかった)。

 三連休の成果は?
 見えない^^;。むしろ苦し紛れに?故馬渡尚憲先生の研究会,仙台経済学研究会第45回大会の報告を申し込んだ。
 この研究会,最近は,あるいは先生御存命中から経済学史の報告中心だったので,膨張だけとか,その後の懇親会だけとかの参加になっていたが,被災ぶりに原論屋として報告することにした。

 「労働抽出の位相と労働概念の多層性」はあくまで仮題。
 だって学期中は構想練りも休み休みで進んでいないもの。

久しぶりの新潟

新潟駅万代口
会場の朱鷺メッセ
7月9日 大学の高校教師向け進学説明会参加のため久しぶりに新潟訪問。新潟は何年ぶりだろう。確かJRが工事中のため山形から高速バスで訪問した記憶がある。工事が山形新幹線,山形-米沢神田とすると20数年前になる。

 学部紹介は1学部2スライド5分の割り当て。
 そこで1スライド目の入試は改組により3つの入試区分が生まれた,AOとセンターを課さない推薦IIが現1年生から始まったに留め,2スライド目の教育的特徴を中心にした。
 「進学率上昇に伴い従来の専門教育以外に,専門と現実を結ぶ科目を学部共通
科目として配置した」。「AI時代のジェネリックスキル」,「企業と連携する実践科目(モンテディオ,楽天)」,「キャリア科目(座学のキャリア科目,学生が出向く就労体験・インターンシップ,実務家が来て講義する地域社会論,自治体経営,労働と生活)」等々力説した。

 しかし,その後の,学部毎にブースに分れて質問を受付けたところ,ほとんどの質問は入試,しかも推薦入試等特別選抜に関するものが中心だった。

 難しいところ。
 カリキュラムの特徴を理解したうえで志願して貰いたい。そこで,改組の経緯はどうであれ,新カリキュラムの特徴を中心に説明する。
 しかし,参加したのは高校の進路指導の先生方の関心は専ら入試にある。そもそも入試に受かられなければ,入学後のカリキュラムもへったくれもない。
 また,入試に関する質問は,校内で相談を受けた個々の生徒の学力や併願先等がまず念頭にあり,個別具体的な項目に関してなされるので,全体の説明の場面では一般的な制度の話しかできない。
 やはり学部毎ブースで個別に対応し,プレゼンは教育内容中心にするしかない。
 



2019年7月8日月曜日

日曜日の午後,束の間に

 この二,三週間,中間テスト(担当科目ではどれも単元毎のまとめテストを2,3回行なっている)の採点,期末テストの作成(つまりまとめシート2か3),学期末までの講義資料の作りだめに追われていた。

 この週末ようやく時間が空き,自分の仕事をしようとした。
 春合宿の報告「熟練養成と賃金制度」(論文「企業内養成熟練と勤続昇給」の一部を拡充),価値形成労働/価値非形成労働,あるいは単純労働/複雑労働という視角から,こんにちの日本の正社員における勤続昇給問題を考えようとしたが,原理論と現状分析という異なる次元の問題が混在していて,焦点がわかりにくいとの批判を受けた。

 どうも勤続昇給に係わる査定に拒否反応が多かったようだ。
 経済学原理論でそこまで踏み込む論者はほとんどしない。
 しかし,例えば,小幡道昭先生の『経済原論---基礎と演習』(東京大学出版会,2009年)では,賃金制度について,評価が加わるケースが検討されている。論文でも報告でもその議論を検討したうえで,査定とそのあり方を論じた。決して勝手な,思いつきの議論ではない。
 とはいえ,生産的労働/不生産的労働から価値非形成労働,さらに複雑労働を踏まえて勤続昇給する労働を1つの論文,報告で説明するのは欲張りすぎ,詰め込みすぎだったかも知れない。
 そこで,合宿以降,その前段,価値非形成労働と複雑労働の関係に絞って練り直そう,と思ったのだが,時間が取れないままに進んだ。

 そして,この週末,といっても採点が日曜日午前中まで続いていたので,実質日曜日午後だが,春合宿の報告スライドを眺め直してみた(実は前期中もスライドはたまに見直していたが。。。)。
 しかし,気になったのはさらにその前段,価値形成労働の理論的位置付け,導出の仕方の方だった。
 結局,I.価値形成労働の位置づけを明確にしてこそ価値非形成労働に焦点が当たるという関係にある。
 また,II.現在流布している経済原論系の書籍には,価値形成労働を単に人間の生理学的力能の支出のように捉える考え方が目立つ。そうである限り,単純労働と複雑労働,あるいは裁量性の高い労働など労働の多様性,家事労働やNPOの活動など労働の多態性に着目されることがない。「みな同じ労働」と同質性が強調される。
 I.との関係で言えば,価値形成労働の実体が生理学的力能の支出に求められる限り,価値非形成労働の位置付けは曖昧になる。
 家事労働やNPOの労働など商品を生産しないから価値非形成労働なのか,商品を生み出していても価値形成労働の条件を満たさないから価値非形成労働なのか曖昧になる。そもそもその違いが意識に上らない。

 この点が気に掛かったので,日曜日午後の短い時間,価値形成労働の引き出し方,経済原論上の序次について少し考えてみたのだが,結果,次回に回す,となった。

2019年6月10日月曜日

この間の慣行

1カ月近く更新が途絶えた。

この間,まとめシート1と称する中間テスト(科目によっては3回,あるいは2回実施。最後はいわゆる期末試験)の採点その他に追われていた。

少しだが勉強していたのは,日本的雇用慣行高度成長期成立説というべきものだ。
言い換えると,日本的雇用慣行は高度成長期の産物だから現在では持続可能性はない,との主張だ。

前の論文との関係では,価値非形成労働の理論的規定を詰めていくのが本筋だが,関心は別に向いたので仕方ない。

この考えはこんにち支配的な職能給という賃金形態にも言及しているので,前の論文でも取り上げているが,現在関心があるのは日本の雇用慣行の成立時期及びその変遷だ。

これまでの日本的雇用慣行は,正社員に長時間労働を強いる面があり,
1)男性片稼ぎ型家族(女性は家計補助的労働)を前提にしている
という点は首肯できる。
また,
2)高度成長期から中成長期まで現正規雇用の主力は主婦パート(家計補助的労働)と学生アルバイトだった
という点は事実である。
しかし,
3)現在の非正規雇用の問題点,賃金格差と身分の不安定の内,後者,「景気変動の調整弁」「雇用調整の先兵」という側面を女性非正規雇用が担っていた
かは疑問である。

というのも,
a.高度成長期の女性の就業率は低かった。
 『男女共同参画白書』H29年版によると昭和61年(1986年)は25-44歳層では52.1%に過ぎなかった(男性15-64歳層が80.7%)。1986年はバブル発生の翌年であり,高度成長(1955-73年)は疾うに終わっている(女性年齢計では,高度成長初期1955年は55.4%で2018年51.3%より高かく,むしろ行動成長期に下がっている。高度成長終了直後1975年,76年が45.0%で,その後また上がっているのは興味深い。労働力調査)。
b.家計補助的労働とは文字通りのパートタイム労働であり,フルタイムではないから,フルタイムである正社員に対して「雇用調整の先兵」とはなりにくい。企業の雇用調整は,本格化すると,パートの解雇の止まらず,フルタイムの解雇に進むからだ。
c.そもそも高度成長期に雇用調整の必要性は乏しかった。
 個々の企業は別として,日本経済全体に雇用調整が広まったのは,高度成長を終わらせた石油危機における「減量経営」であろう。
 その場合の減量経営も,非正規雇用比率はまだ低かったから,正社員の出向,転籍という形を取った。つまり,関連会社を利用したのであろう。

 男性正社員の長時間労働が女性を家計補助的労働に押し込めたというのはその通りであろうが,雇用調整の面ではこんにちの非正規雇用を利用したというよりも,関連会社を利用したのではないか。賃金格差,身分の不安定性は,正社員・非正規雇用という形よりも企業の二重構造という面で表れたのではないだろうか。

 ではこんにちなぜそれが正社員・非正規雇用という形で現れるようになったかといえば,産業構造の転換が大きいのではないか。
 製造業中心の間は,安い労働力,減らしやすい労働力としては下請会社を利用できたが,製品を作り置きできないサービス業中心になると,同じ事業所で使わざるを得なくなり,正社員・非正規雇用の身分格差が利用されるようになったのではないか,というのが推論である。

[1]日本的雇用慣行(正社員の解雇に慎重)が威力を発揮したのは高度成長終焉による。
[2]「雇用調整の先兵」として非正規雇用が利用されるようになったのは,あるいは非正規雇用比率が上昇したのは,産業構造の転換による面が大きい。
 80年代はまだ2割未満だった。それが3割を超えたのは1985年労働者派遣法の成立も寄与しているだろうが,その根底に産業構造の転換があった。
 派遣が禁止されている時代は「請負」という形を取ったが,違法でも請負という形で派遣せざるを得なかったのは,部品製造の下請ではなく,「作業」の下請になっていたからである。

 日本的雇用慣行が高度成長後にこそい旅行を発揮し(持続可能であり),法律一変の問題ではない(派遣法を撤廃しても産業構造がサービス業中心になっている以上,偽装請負がはやるだけ)以上,賃金・身分格差にどう対応すべきか,が次の問題である。

 働き方に合せた処遇が必要なのではないか。
・家庭との関係では
 女性25-44歳層の就業率は上昇の一途なので,「仕事と家庭の両立」は大きな問題であろう。
 正社員の付帯条件のような長時間労働,有無を言わせない転勤は見直しが必要だ。
・雇用調整は避けられない問題ではあるが(解雇禁止にすれば良いという問題ではない),労働者の内部での調整が必要であろう。
 契約更新が続いているのは長期雇用なのだから無期転換すべきだし,
 家計補助的労働と家計支持型労働とは分けて扱う必要がある。
 

先の世代よりも

「福岡タワーや博多湾を見渡せるタワーマンションの1室。大藪さんの書斎の壁を、1000冊を超える専門書が埋め尽くす。。。「今は資本主義社会は安定しており、現実的には革命は起きない」と理解しながらも、先の世代に向けて研究を続けている」。

政治史のゼミにいた学部生時代,『マルクス、エンゲルスの国家論』を読んでゼミ論を書いた記憶がある大藪龍介先生が西日本新聞「ワタシペディア「私」辞典~全共闘ダイアリー (3)」に登場されているのを発見してビックリ。

ゼミ教員の紹介で(既に富山大に赴任されていたのに)キャンパスでお会いもしています。「(君が読んでいるという)降旗節雄(当時筑波大教授)の理論は宇野弘蔵先生そのままだからね」などと仰ったのに頷いた(失礼!)記憶があります。

研究を続けられていることは,先の世代よりもいまの世代に響く,と思います。

2019年5月19日日曜日

推測に過ぎないが

 更新し忘れたため「1週間も前のことになるが,5月12日(日)の午後,橋本健二『アンダークラス』(ちくま新書, 2018)を読んだ。
 行きつけのカフェは書店と隣り合わせなので,カフェで今後の構想を練っているときに急遽思い立って購入。
 氏の論稿は,ここでも触れたように,『新・日本の階級社会』(講談社現代新書, 2018)も同年秋の経済理論学会全国対価8位での共通論題報告予稿集も読んでいたが,前掲書では,アンダークラス(氏の基準では非正規雇用からパート主婦を除いた900余万人)をさらに4つに区分して論じているので,興味深かった。すなわち,59歳以下男性,59歳以下女性,60歳以上男性,60歳以上女性。性別と年金受給年齢による区分である。
 そのため,
アンダークラスの約半数は60歳以上であること,
 しかし,60歳以上のアンダークラスは,貧困率が日本全体の平均値を少し上回る程度であること,
 他方,アンダークラスの3割弱を占める59歳以下の女性は貧困率が56.1%と著しく高いこと,
 同約4分の1を占める59歳以下の男性も貧困率が28%台と高いこと
がわかった。

 すると,労働者階級のなかでも特異なアンダークラス900万と言っても,本当に貧困率が高いのはその3割,59歳以下の女性ということにならないだろうか。
 ではその原因は,私が図表データから推測するところ,賃金が比較的低いサービス職が多く比較的高いマニュアル職が少ないこと,(アンダークラスからパート主婦を除いているため)全員独身であること(未婚56.1%,離死別43.9%),さらに性別賃金格差であろう。
  ではなぜこれらの独身女性が低賃金職種に就くかというと,さらに大胆な推測になるが,高卒(彼女らの66%が高卒)の正規雇用職が減ったということではないか(ある文献によれば,事務職が大卒にシフトした)。
 原因論は推測に過ぎないので,なお検討の余地がある。




2019年5月12日日曜日

同じテーマでも焦点の違い

 特集論文の紹介原稿をたずさえたままGW旅行に出掛けたが,編集する時間はほとんどなかった。その中でもWEB上でTexファイルのコンパイル作業を提供してくれるサービスには助かった。スマホで綴ったTex原稿の診察状態をPDFで取得確認できるからだ。
 
 でも編集は初日の待ち時間だけで,加賀・山代温泉,輪島朝市,金沢兼六園に21世紀美術館と回った。金沢市は人出が多く,美日間では入館にも人気のある展示室入場でも1時間以上待つことになった。

 そのため,戻ってきてから編集を続けたが,軸を置き換えるばかりで,内容はほとんど買わない状態になったので,締切り前のに筆を置くことにした。以下,その末尾部分。
以上4篇の論文によって,賃労働内部でもまたそれを支える家庭内の労働との関係でも多層化したこんにちの労働の一端が浮かび上がったのではないだろうか。また,47巻3号(2010年10月)の「労働論の現代的位相」以来9年ぶりに労働に焦点を当てた本企画を,本誌前号に掲載された昨年の全国大会共通論題「転換する資本主義と政治経済学の射程―リーマンショック10年」の諸報告と比べて欲しい。後者は対象を家計自立型非正規雇用と限定正社員から成る「一般労働者階層」,あるいは非正規雇用からパート主婦を除いた「アンダークラス」に絞り,労働力の再生産が危機に瀕していると訴えている。他方,本企画では,貧困に止まらない問題を浮かび上がらせるために,労働自体が多層化している面に焦点を当てようとした。併せて読み,比較しながらこんにちの労働の諸相と課題を検討して欲しい。

20数年ぶりの金沢。フォーラス6階から眺めた金沢駅。









金沢駅正面

白米千枚田










21世紀美術館。レアンドロのスイミング・プール



 兼六園では徽軫灯籠(ことじとうろう)と芭蕉の俳句碑「あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風」(1689)



2019年4月21日日曜日

和やかないま                                                                       

  学会誌特集企画の続き。
 昨年9月委員会で最終提案し,10月に編集委員長より執筆者に依頼を出した。
 その締切りが今月上旬だった。
 つまり実質上の編集作業は委員任期終了後になる。

 いままさに寄稿された論文を読んで特集解説「特集にあたって」を執筆しなければならない。
 テーマ解説以外に,一つ一つの論文についても解説する必要がある。
 過去の例では論文解説は1篇につきだいたい千字程度だ。

 論文は届いた端から読んではいるが,テーマ解題も論文解説もまだフレーズくらいしか頭に浮かんでこない。
 執筆するまでには何度か論文を読み返す必要がありそうだ。

 重大任務だと思いながら,週末とあって球場に足を運んだ。



   前半は背に当たる日差しがキツかったが、風は和やか。
 南東北の令月はいまか?

特集企画

  3月まで学会誌編集委員を務めていた。
 編集員は,投稿論文について査読者2名を依頼し,その審査結果をまとめて委員会に最終審査結果を報告する,新刊の書評者を依頼する等の,3カ月に1回の業務の他に,任期中に一度だけ特集企画を担当する業務が割当たる。

 自分の担当は,今年7月20日刊行の56巻2号であり,昨年6月委員会で「多層化したこんにちの労働」というテーマを提案し,4名の方に執筆の打診をした。
 9月委員会で最終提案し,10月に編集委員長より執筆者に依頼を出した。

 もう半年も前になるが,企画書は以下の通りだ。
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◆テーマ:「多層化したこんにちの労働

 人口減少を迎えた日本では,経済成長の維持という観点から女性や高齢者の就労,労働生産性の向上を唱える声が大きい。こうした女性や高齢者への就労要請は,同時に,しばしば彼らが担う非正規雇用職の正社員との処遇格差問題,および働き方の多様性に関心を集めることにもなる。

政府の「働き方改革」でも,非正規雇用の正社員との格差是正を名目に同一労働同一賃金原則の適用が目指されると同時に,労働生産性の向上を目的に,プロフェッショナル制度の導入や(データ不正により今回は法案化が見送られた)裁量労働制の適用拡大が求められている。もちろん,こうした制度改正に対しては,客観的な職務評価を欠くという批判や長時間労働を助長するという懸念も根強い。しかし,同時に,その背後に,非正規雇用の数的増大とも相俟って,職場にはさまざまな形態の労働があり,一方で雇用形態は異なっても同じ仕事に就く同質的な労働があり,他方では同じ雇用形態でも権限と仕事の範囲が異なる異質な労働があるという認識が芽生えているのは確かであろう。

同一労働同一賃金原則の適用が話題にされる場面では,非正規雇用は正社員と同じ仕事に携わりながら,相対的に低い賃金しか与えられないなど,労働の同質性に焦点が当てられる反面として,同質性を超える部分が見落とされがちとなる。職場にあるさまざまな職務の間での労働の同質性の程度,範囲を知る必要がある。

労働の異質性は,職種間のヨコの違いばかりでなく,タテの違いもある。単純労働を超える労働には特別の訓練を要する複雑労働もありうるし,裁量性の高い労働もありうる。もちろん,それらの理論的把捉には,実際の職場におけるさまざま労働の職務の範囲や権限の広狭などについての実態分析が求められており,労働過程論,生産過程論に立脚した「労働の二重性」という視点からの考察も必それらの実態を踏まえる必要があろう。

以上は,タテにもヨコにも多様化した労働へのアプローチであるが,賃労働に限定した話である。賃労働を支え,また支えられる家庭内の諸活動も,労働の多層化に伴い変化せざるを得ない。例えば,世帯員による賃労働と家内労働の分担見直し,長時間労働と短時間労働の切り替え,あるいは家族によるサポートと外部サービスの切り替えないし分担等々である。市場における労働に限定せず,人間生活や共同体の維持という観点から人間活動と賃労働との重層的かつ広範に亘る結びつきやその変質についての考察が求められる。

以下,一つ一つのテーマと論文依頼者紹介は省略するが,
・職務分析による職務評価(職務評価からみた同一労働)
・裁量労働の理論的位置づけ
・熟練労働
・賃金労働と再生産労働
という4つのテーマで4名の方に論文執筆を依頼した。

添書き

 先週ようやく時間が取れ,抜刷を送る際の添書きと袋詰め作業を行なった。
 以下はその時の添書き
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 半田正樹東北学院大学名誉教授の退職記念号(東北学院大学『経済学論集』191,ご退職は昨春)に寄せた論稿「企業内養成熟練と勤続昇給」をお届けします。

 勤続昇給の有無は,正規雇用,非正規雇用間の賃金格差を齎している要因の1つですが,その勤続昇給をもたらす労働の理論的位置付けを試みた論文です。

この論文では,
 生産的労働・不生産的労働概念と価値形成労働・価値非形成労働概念との区別により多様化ないし多層化する労働の理論的位置付けを試みた私の研究の延長線上で,価値非形成労働の具体的内容を検討し,複雑労働に求めています(第1節)。

 また「特別の訓練を要する」複雑労働に関わる議論から型づけ労働と調整労働を取り出し,入職前に訓練を要する一般的熟練と,入職後の経験や訓練によって培われる企業特殊熟練との違いを見出し,勤続昇給する労働を後者に求めています(第2節)。

 さらに,「技能養成を誘発する」賃金制度に関する議論を検討して賃金の等級制度を抽き出し,具体的な等級制度の設計にも触れています(第3節)。


 位相の異なる論点を組み込んだのため,読みにくいかと存じますが,
ご笑覧頂ければ幸いです。

 2019年4月

2019年4月15日月曜日

カムバック

 タイガー・ウッズではないがカムバックする。

 といっては大げさ。
 先月末,研究会と研究合宿とハシゴして,そのまま月初めから新学期の行事が続いた。
 さらに合間に年休を取って駆けつけた東北楽天イーグルスの地元開催し合いで風邪を引いて週末寝込んでしまった。
 治ったと思って授業準備にしていたら風邪がぶり返した。
 というツマラナイ日々を送っていたのだ。

2019年3月24日日曜日

目処がつくのか

 3月17-24日 スライドを作成していた。
 1つは,月末の八王子合宿での報告「熟練養成と賃金制度」のスライドだが,もう1つは先行きのテーマに関すること,あるいはもっと大きいテーマに関するスライドだ。

 報告では,これまで生産的労働概念を基軸にこんにちの多様な労働を整理してきた中で,商品サービスを供給しながら価値を形成しない労働を「もう1つの労働」として,賃労働の一類型として位置づけ,技能形成を促すのはどのような賃金形態か,またその賃金形態が現実の場で齎す非正規雇用の正規雇用との賃金格差を生み出す原因にもなっていることを解明しようとするものだ。

 しかし,従来の生産的労働概念再検討による多様な労働の理論的位置付けという自分のテーマからすれば,いささか小さな話だ。
 こんにちの多層化する労働の把捉につながる視角をより一層明確に打ち出そうとしているのが2つ目に取り組んだスライドのテーマだ。
 しかしながら,今以て形を見ていない。
 否,スライドの形で何でも作り替えているが,未だ説得的ではない。
 短い春休みのうちにもう少し目処を付けたいところだ

編集委員任期満了

会場となった駒沢大学246会館
16年12月から学会誌『季刊経済理論』の編集委員を務めてきたが,10回目の3月16日 の委員会で任期満了。

 編集委員会は,3カ月に一度開催され,毎回,投稿された論文の審査報告,直近に投稿された論文の担当者割振りと審査委員の提案,編集部に寄贈されたり推薦されたりした図書の書評者の提案,特集企画の提案を行なってきた。
 論文の審査報告といっても,依頼した2名の審査委員の報告書をまとめたうえで報告するわけだが,2名が揃って指摘する箇所もあれば,見落とされていると思われる箇所もあるので,補いつつ審査報告書を作成して報告している。
 その論文の担当は,上記のように,委員会内で分担したり,任期終了した委員の担当を引き継いだりしているが,必ずしも自分の専攻,主テーマとピッタリ一致するわけではない。編集委員は10名と限られており,基本的に全体を見る委員長と副委員長は外れるので,実際には8名で分担することになるからだ(副委員長がリリーフ参加するときもある) 。

 2年3カ月の間,自分の担当も含め,様々なテーマ,手法の研究に触れることができた事は,狭い範囲で研究しがち自分にとっては大いにためになった。
 今後の活動に活かしたい。

2019年3月10日日曜日

フォーカスのズレ

 この2週間,専ら学会の仕事に専念していた。
 目処が付いた今週末,ようやく八王子で開かれる研究合宿での報告「企業内養成熟練と賃金制度」の報告資料づくりに取りかかった。
 難航しているのは,元々の論文が難産の果てに産み出されたからだが,それは繰り返しになるので割愛^^;

 元々はこんにちの多様な労働とその処遇問題をどう捉えるか,という問題意識がある。
 一方に,日本企業は従業員の雇用が守られ,年功賃金のメンバーシップ型だが,女性の社会進出により企業本位の長時間労働は難しくなったし,低成長によりそのカバーできる範囲が狭まり,格差の激しい非正規雇用が若年層を中心に広がった。今後は,メンバーシップ型から職務に応じた処遇ないし企業組織,ジョブ型に切り替えるべきであり,幹部候補以外は職務と昇給が限定された限定正社員になる,という見方がある。
 この場合,職務ベースであってメンバーシップ制ではないから企業からの自立性が高く,会社人間ないし社畜的に私生活(どころか生命)を捧げること(過労死,自殺)もなくなる,ということであろう。

 会社人間,まして過労死・自殺を擁護するわけではまったくないが,上の認識の底に,かつての産業別労働組合に集うブルーカラーのイメージが念頭に置かれていないか,という疑問がある。流動性が高く,当然会社から自立している。
 
 しかし,こんにちの日本では非正規雇用も勤続期間が長い。
 『パートタイム労働者総合実態調査』(H28)によれば,その67.5%は有期契約であり,平均契約期間9.6ヶ月,平均更新回数9.2回である。非正規雇用にも同一企業への勤続傾向が認められるのである。元々勤続初給は日本だけの傾向ではない。しかし,その間の技能・知識の集積は認めれず,勤続昇給していない。

 不熟練労働者か,熟練労働者でもその技能・知識に企業特殊性がなく勤続昇給することもない,離職のコストを意識しないから企業からの自立意識の高い労働者か。
 企業への忠誠という意味ではなく,勤続昇給の傾向があり,離職しないわけではないが,離職のコストも意識している労働者か。
 こちらの関心は後者にある。教壇に立つ大学の卒業生のほとんどは後者になる,という認識があるからである。
 

ゆかりある場所で

 3月5日 午後,山形市漆山のポリテク山形にて「高齢・障害・求職者支援機構山形支部」の今年度2回目の運営協議会。
 3コーナーに分けて事務方より今年度事業計画の実施状況,来年度の事業計画の説明があった。当初,説明が終わっても特に質問もなく次の説明が続くという体だったが,全ての報告が終わると,委員から矢継ぎ早に質問が出され,事務方が丁寧に答え,滞りなく終了。

 漆山と言えば,退職前に癌に罹患した鈴木均教授(欧州経済論)が定年後,「晴耕雨読」の終の棲家として選ばれた土地だ。その先生も1年前の1月半ば逝去。改めて黙祷。

2019年3月3日日曜日

代わり映えしない週末

 2月半ば,貧困論へのアプローチについて勉強したきり,その後は,大学の業務や学会業務に追われ。
 週末は,例によって,近所のドトールコーヒーに午前,午後,夜と1日3回も顔を出し,合間にジムで気分転換の生活だった。
 代わり映えしない,とはこのことだ。

2019年3月2日土曜日

先月のこと

 後期の採点と成績評価に目処が付いた付いた2月半ば,関心を抱いていた貧困問題(へのアプローチの仕方)について考えたことを綴ってみたが,自ら読み返してみても冗長。あれこれ書き換えてみてもスッキリしない,やはり冗長。その後,様々な用事に追われ,月を越してしまった,

そこで,解説をなるべく省いて,何をしたか,どう考えたか要点だけ記しておく。

1.昨秋の経済理論学会全国大会(14/10/2018,立命館大学びわこ・くさつキャンパス)の共通論題「転換する資本主義と政治経済学の射程---リーマンショック10年題」に違和感を覚えたのがきっかけ。
印象を一言で語ると,「全般的危機論」(失礼!)。

2.ようやく時間の取れた2月半ば,共通論題の報告の1つ,橋本健二氏の「現代日本における階級問題の変容」や同氏の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書,2018)も読み返し,ノートを取ってみた。
上の違和感は橋本報告に対してではないが,階層・階級調査に基づく報告なので現状認識を検証しやすいと考えた。

3.「非正規雇用ーパート主婦」(2015年調査で928.7万人)は,端的には貧困率が高いという点で他の四階級(資本家階級,新旧中間階級,労働者階級)と異なる特徴を有するため,被用者ではあるが別の階級「アンダークラス」と規定されているが*,その具体的特徴を語る際には,「高齢者が多い」「女性では離死別者が多い」など生活保護受給者**の属性に寄せている感がある。
*労働者階級内に異質なアンダークラスが出現し,四階級が五階級化している,というのが氏のいう「新・階級社会」の意味。
**被保護者の世帯分類では高齢者世帯が5割を超えており,しかもその約9割が単身世帯。
4.他方,大学生の行く末である労働者階級や新中間階級に関する分析はアッサリしている。
氏の分類では,新中間階級は管理的・専門的職業従事者ばかりでなく,男性正規労働者の事務職も含まれる。したがって,アンダークラス以外の働者階級はブルーカラー正規労働者,女性正規労働者事務職,およびパート主婦となる。

 労働者階級は「ほとんど貧困とは無縁な」で済まされている感がある。
 もちろん,所得以外に,階層意識,支持政党を始めとする政治意識,仕事や生活に対する満足度等の調査結果も分析されているが,「雇用に伴う問題」は満足度などの単一の指標ではすくい取れないであろう。

 例えば,裁量労働制が適用されている職種もそうだが,そうでない職種はなおさら仕事における裁量性が乏しいとか,長時間労働であるとか,働き方に柔軟性が乏しい点が問題であろう。
 あるいは正規労働者と非正規労働者で二分されているが,非正規労働者の問題点は単に賃金が低いだけではなく,一旦非正規労働者になれば,正規労働者になりにくい点,雇用形態の選択が一方通行で柔軟性が低い点にある。正規労働者事務職でも性別により新中間階級と労働者階級に二分されている点はその点を端的に表わしているように見える(女性の,出産退社後の労働市場復帰は非正規雇用が多い)。
 逆に,貧困の問題は非正規雇用という雇用形態だけの問題ではない。実際の貧困は高齢者が多いように年金制度の問題(=保険方式による低無年金の発生)との係わりが大きい。

 新階級=アンダークラスの出現の主張に力点が置かれ,非正規,正規(=労働者階級+新中間階級)を通した問題が背景に退いている。これは別に橋本報告に対する感想ではない。非正規雇用=貧困論に対して常々感じていることだ。

2019年2月10日日曜日

一進一退

 前回,原稿の練りが甘いのが露見したと恥も外聞もなく綴った二校は,最小限の補正を施して締切り前,先月のうちに返却し,一昨日三校が届いた。
この間,ある科目の採点が難渋した。
 答案を通して読んでみて,採点のブレの補正に移る段階で,種々業務が入り中断。
 結局,試験実施から成績入力までに3週間も掛かった。
 今回も校了となる三校と同時に,種々の業務が入ってきているが,こちらは締切りに未だ余裕がある。

 そこで,以前から気になっていた格差・貧困問題を考えてみた。
 要は,貧困問題は重要だが,理論的にどのように扱うかよくよく考える必要があるということ。

・事実としての貧困,格差の指摘を繰り返すだけでは理論的には発展がない。
 絶対に否定できない貧困はあたかもそれが結論,指摘すれば終わりのようになりがちであるが,それでは理論的に新たな解明をしたとは言えない。
 資本主義経済の発展との関係を明らかにする必要がある。
 それも耳にする「新自由主義の影響で」「労働者派遣法の成立により」では,それ自体間違っているわけではないが,浅い分析に終わる。
1.「労働市場に二重構造」は派遣法によって発生したのではなく,以前から指摘されていたこと。
 派遣労働者の数は非正規雇用全体の中では多くないが,派遣法の成立と改正により非正規雇用比率が上昇したのは間違いない。しかし,ジニ係数,相対的貧困率の推移を見ると,戦後に限っても派遣法成立以前に現在よりもっと高かった時期がある。
 とすれば,格差の発生,拡大という指摘に止めず,その現れ方の変化を指摘すべきではないか。例えば,以前は直接雇用と間接雇用(請負労働)という正規雇用間の格差が直接雇用内の正規,非正規に転換したと言えないか。とすればその要因は。
2.貧困を問題にする場合,対象を特定する問題もある(賃金労働者全員,非正規全員が即貧困というわけではないから.貧困の定義を緩めれば別だがそうすると使えない定義となる)。
 端的に言えば,高齢単身世帯及び母子家庭。
 前者は高齢化時代の定年後の生活保障(高齢者雇用と年金等)の問題,後者は高い女性就業率時代の生活保障,あるいはその前の賃金格差, あるいはさらにその前の出産退社(非正規雇用としての労働市場復帰)

 いずれも労使関係という経済原論的な視点だけではすくい取れない。高齢化の進展,共稼ぎ時代という視角を1,2枚噛ます必要がある。


2019年1月26日土曜日

立ち往生

 1月25日 山形県内陸部は大雪の影響で,最上地方新庄地区でトラック等100台が立ち往生している,というニュースが流れた。

 論文初校の構成で戸惑っていたのも束の間,同日,再校が届いた。
 
 初校は難儀した。
 前回触れたように,誤字脱字が多いだけでなく,説明不足,飛躍が見られた。
 後者は重大問題だが,現在の到達点と割り切った^^;。
 もちろん説明不足の箇所,論理の飛躍のある箇所では説明を加えた。
 また,掲げた要点と実際の説明がズレている箇所も見つかり,補正を施した
 しかし,課題を挙げながら説明不足の点は現時点での考察の限界なので,さらに調査研究するほかない。
 一番困惑したのは,引用文やページ数の原典とのズレ。
 著述者本人ではないので引用ミスもありうるが,多くはこれまでも論文で引用した箇所であり,これまでの論文でその都度正を掛けた箇所である。にもかかわらず,原文とズレているとはどういうとか。我ながら納得行かない。今回見つかっただけでも良かったと考えるほかない。

 さて,再校。
 〆切が2月1日(金)に設定されている。
 しかし,受講生の多い科目の期末試験の採点は未だ3合目辺りだし,来週になると来年度シラバスの入力,その他にも会議の準備がいくつかあり,じっくり読み直す暇がない。

 万事休す。立ち往生が大往生に発展しないよう気を付けたい。

2019年1月13日日曜日

相変わらず大困惑

 先週末,半田先生の退職記念論文「企業内技能養成と勤続昇給」の校正刷りが届いた。
 他の用事があり,ちゃんと目を通したのは昨土曜日。

 大困惑!
1.相変わらず誤字脱字が多い
2.相変わらず表記上のミスが多い
 てにをはレベルのミスは恥ずかしい。
3.相変わらず論理の飛躍が多い。
 説明不足と言えば聞こえが良い?が,規定自体が不明確,不適切,規定とその挙例がズレている。。。。
 疑惑のある点が大小7つあった。
 
 1週間で終わるのか大困惑
 
 

2019年1月6日日曜日

三が日

 盆,正月は,田舎を引き払った者は行くところさえない。

 毎年元日は神社まで散歩。参拝するわけでもなく,母に「守護みくじ」200円也。

 














ここぞとばかり読書三昧としたいが,読むのが遅く,一日一冊。
最初の2冊は年末読み新聞の特集,書評委員の勧める「今年の3冊」より。
女子高時代の契がその後の恋愛の基準になるのか,エリート大のインカレ(大学間)サークルに参加するつ気持ちが描き切れているか,疑問に思いつつも読書満喫。





 分断社会に対峙して,ベーシック・サービスによる頼りあえる社会。
  ベーシック・インカム論と似ているが,また別の違和感も。例えば,「高福祉高負担」は福祉社会の再建しようとしているようにも見える。

 とは言え,その対峙する姿勢は共鳴多いだろう。
 



2019年1月2日水曜日

理論の後退


 2019年謹賀新年
 
 年末,博論の指導をして頂いた先生に近況報告をメール送信した。
 文章は長くなったが,要点は2つで,12月初め仕上げた論文の要旨,論点構成と今後の抱負・関心だ。

 そこでは今後,研究を進める方向として,
1つは,久しぶりに論文で考察した賃金形態について最新の動向を含め一層調査,検討をすることであり,
もう1つは,理論と現実との関連性を示すことだ。

 後者の背景,意図としては,現実の資本主義経済は大きく展開し,従来の発展段階論や現代資本主義との有効性が問われるという学問状況や,雇用保障等の悪化が進むという時代状況の中で,自分の研究が経済学原理論という領域の,さらに狭い領域の枠内に止まっているという半生,焦りもある。

 しかし,それ以上に,上述の学問状況や時代状況のゆえに,学問研究として前面に出ているのは,疾に下火になったと思われていた絶対的窮乏化論やいわゆる全般的危機論ではないか,という疑問,危機感である。
 そこでは戦後,経済学会の資源が集中的に投じられ,学問的に発展してきた価値形態論を始めとする流通形態分析や,段階論を中心とする現代資本主義論の立体的重層的展開が端折られ,私的生産と社会的再生産の矛盾,非正規雇用増大による社会存立の危機が直裁に主張され,むしろ理論分析が後退しているように見える。

 しかし,景気は変動し,失業率は低下し,非正規雇用比率も低下する。
 生活保護の被保護者数も減少する(高齢単進化により世帯数は増加)
 にもかかわらず,賃金労働者の就労条件や生活状態の改善や将来不安の解消はさほど進んでいない点を浮かび上がらせるためには,
・先進資本主義諸国の低成長経済への転換を理論的に位置づける現代資本主義分析,
・こんにちの雇用問題を,労働者派遣法が成立した1985年以降ではなく,労働市場の二重構造という枠組みの中でその形態転換として位置づける段階論的分析,
・仮想通貨やフィンテック ,あるいは労働のAI転換など,産業資本に限定されない資本形態の多型性分析
 が求められるのではないか。