2010年1月30日土曜日

立ち往生

 ここ数日「すぐにでも論文を書ける」「書き出せる」気がしながら,他方で「構成が甘い」「浅い」という思いもあり,立ち往生している。結局,考察対象となる文献を読み直したり,ノートを作り替えたりして1週間が終わった感じだ。論文をモノにする過程ではこういったモヤモヤ感が至るところで持ち上がる。しかし,頭の中で整理が付いたときの「霧が晴れる」感覚が忘れられないので論文を書き続けているわけだ。
 1月29日 久しぶりの充分な睡眠に「モッタイナイ」と思ってみたものの,ドトール・コーヒー,ファミレス,ジム,ファミレスといつもの休日行脚の末に「起きている時間の長短は関係ない^^;」と実感。田舎から寒餅と竹輪。年末届いたお餅をまだ残しているのは親不孝と言うべきか。

2010年1月29日金曜日

花の金曜日に虚脱状態

 1月29日 昨日中に採点を終えた宮城学院女子大「経済社会特論」の成績を再チェックし,成績簿に転載。結局,不可が10名を超えたが,このうちのほとんどは小テストに2度とも参加していない。当然昨日の期末試験も受けていない。その他は,期末試験は受けたものの,小テストも1階は欠席していたり,4回も行なった新聞記事の読み取りの内1回しか参加していない。小テストや記事の読み取りにより基礎点60点を与えているので,期末試験でいくら頑張ったとしても挽回できないのは致し方あるまい。教養科目「市場経済」は格差問題。毎週金曜日はそうといえばそうだが,今回は期末試験前の最後の授業だから,終わった途端しばらく虚脱状態に陥った。講義室から直接山形大学生協に赴いてアイスクリームとコーラを買った,それくらい疲れて甘いものを求めたくらいしか思い出せない。「仕事が終わった」開放感なのか,「忙しかった」徒労感なのか。これからが花の金曜日なのに?「モヌケの殻」然ととしている様はとても他人様にはお見せできない。
 ようやく帰る間際になって,本日〆切のシラバス投稿。
 「市場と組織」は,内部労働市場の仕組みや人的資本理論や知的熟練という理屈付けの解説を薄くしたり,割愛して,非正規雇用の増大=内部労働市場の変容という視点から資本主義の現状に考察することにした。
 「経済原論」は昨年度までの19世紀末以降の資本主義の発展を解説するスタイルに戻した。資本主義原理の仕組みばかりを説いても,学生には何のための議論か理解しにくいだろうと思ってのことだ。学説上の対立にはなるべく踏み込まず,仕組みを簡潔に説いているので,講義内容自体は理解してもらえていると判断するが,「関心を持って」はもらえていないようだから。現代と結ぶ部分を解説する代わりに,いわゆる競争論,市場機構論を思い切って割愛した。

毎回試験の後で考えること

 1月28日 宮城学院女子大「経済社会特論」にて期末テストを実施,直ちに採点。
 数十名くらいの答案は2時間くらいで採点完了,当日は時間に余裕が出来る,と考えていたが,丸一日かかった。答案内容が当初予想していたのと異なり,得点が伸びず,結果特典のバラツキが小さくなりそうだったからだが,よく考えてみれば毎度のことである。
 自分なりに練ったつもりでも,学生の方は肝心なところは箇条書き程度で簡単に記し,それだけで答案が終わっていたり,枝葉的部分でやけに詳細だったり。結局,肝心なことを学生に伝えられなかったということであろう。さらに論述式の指導は全くしていなかった。その上で,設問の意図が伝わらなかったのではないか。要は設問の練り方が拙い,ということであろう。
 来週末には教養科目「市場経済」の期末試験なので,練り直しが必要だ。

2010年1月28日木曜日

64の煩悩

 1月27日 前日夕方配達された生協カスタマイズPCの環境設定。
 つい最近,中古ノートPCに同様の作業を行なったので手慣れたものだが半日かかった。
 Windows7によって64bit版OSが普及すると噂されていた。従来の32bit版が内蔵メモリを3GBしか認識利用できないのに対して,アプリケーション・ソフトが処理すべき情報は大きくなる傾向にある。その限界を大きく超える64bit版が一緒に梱包されているWindows7によってユーザーは自然に64bit版に移行すると目されていたからだ。16bit版ソフトは32bit版OSではほとんど動作しなかったのに対し,64bit版は32bitシミュレーションモードで旧ソフトにもほぼ対応しうるからだ。但し,プリンタ等の周辺機器のドライバが揃っていないという前評判だった。それなら数年に1度の買い換えだからこの際,64bit版を導入することにした。印刷は別のPCからでも可能と考えたからだ。
 しかし,むしろプリンタはOSがすんなり認識してくれたし,オフィスや日本語入力ソフト,さらにファイラーや時計,あるいはバックアップソフト等ユーティリティソフト群も無事インストール完了。
 ところが,使用環境の基本である仮想デスクトップソフト(複数のソフトを仮想画面に振り分け,ソフト毎に画面を切り替えるソフト)は何度もインストールを試みて失敗。それ自体は小さな機能だが,文章作成時にはブラウザやメーラー,あるいはエクセル等複数のソフトを立ち上げて,いろいろな情報を集めながら作業しているので,仮想デスクトップが機能しなければ,オフィス等を使いこなすのも難しい。半日掛けてもCore2 Duo 8400の高機能を満喫するには至らなかった。

 1月28日 寝坊して3,4校時に登校するようでは,仕事も進まない。午後,春休みの公務員試験宅昨講座の打合せ会議に出た他はPCの子守をした,という記憶しかない。

寝ても覚めても

 数日前から無性にカツ丼が食べたくなって夕食に摂った。
 この頃近くの生協弁当位しかカツ丼を食べていなかったので,「厚味がないカツ」「ベチャベチャのご飯」という酷い記憶しかなかったからだ。
 ところが,店で食べたカツ丼は,「厚味があり」「ご飯もほんのり」としていたが,前日の「餃子の王将」同様,甘かった。なか卯を選んだのが間違いか^^;。
 気付いてみると,自分の口にするモノは,生協の総菜といいファミレスやファーストフードの甘口大味な料理ばかりだ。味覚が子供と同じ,発育不全のまま粗食家になっていた。

 1月26日 何を忙しく立ち回ったのか全く記憶にない。甘口を求めたのも当然か。

2010年1月26日火曜日

消える書店

 アサヒコムによると,この10年で書店の数が30%近く減少したらしい(「消える書店、10年間で29%減 和歌山県ではほぼ半減」)。記事では和歌山県の書店商業組合の話として「スーパーとの複合型店や郊外型の大型店など」の増加による「中小書店の廃業」を理由としてあげている。しかし,そればかりではないだろう。
 書籍に「再販制度」が書店の品揃え能力を奪い,取次店の支店化していることは箕輪成男『情報としての出版』(弓立社,1983年)等が夙に指摘してきた通りである。売れ筋の本しか置いていない。その点ではどの店も代わり映えがしない。ならば,郊外の店で買い物ついでに買っても,近くのコンビニで買っても同じである。買いたい本は本屋になく,より遠くの大書店に出向くか,ネット経由で取り寄せるしかない。むしろアマゾンで検索すれば必ずヒットし,総計1,500円を超せば,送料無料で2日以内に届く。
 「本が売れなくなった」という事情もある。全体の売れ行きが落ちて,某有名評論家Tが秘書を解雇した,と聴いたのは10年以上も前のことだろうか。「本を読まなくなった」のか,「情報の氾濫」で本からばかり情報を集める時代ではなくなったのか。本の相対的地位が低下したのだから,売れ筋の本/雑誌ばかり置かれても用を足さない。書店が情報の「窓口」に止まりたければ,扱うメディアの種類も増やさなければならないだろうし,氾濫する情報を整理するナビゲートの役割も必要なのだろう。

 1月26日 前日到着した中古のレッツノートR8の環境設定に朝4時過ぎまでかかり,3-4校時登校後,明日正午〆切の紀要論文第3校を読み直し,2,3箇所手入れして提出。その後,来年度シラバスを1,2科目入力。

蘇る大味キング

 1月25日 先週末戻ってきた紀要原稿の校正。明後日正午〆切なので今日午前を引用原典との照合。既に書き終わった原稿の校正なんか関心がない。酷く非生産的に思える。しかも原典との照合なんか機械的作業だから,誰でもできる。秘書が雇えれば任せるられる仕事だ。こんなのやっていたんじゃ自分の仕事が出来ない!!そんな態度で臨んだせいか,引用ミスが2箇所見つかった。もう三校なのに^^;。 午後は諸連絡で終わる。
 学生だった云十年前,近所の「餃子の王将」によく通っていた。餃子定食,鳥の唐揚げ定食,麻婆豆腐定食をローテーションしていたような記憶がある。単に「単に安くて満腹」というだけでなく,本当に「おいしい」と思って食べていた。しかし,ある時,学部時代の同級生にそれを告げると「大味なのが好きなんだねぇ」と言われ,グルメではないことを悟った。
 昨今は「B級グルメ」ブームで「餃子の王将」にもスポットライトが浴び,「行列が出来る」ようになったと聴いて唖然として。昔から繁盛はしていたが,決して行列を作ってまで食べる料理ではなかったからだ。今日混んでいたら明日にしてもよい。そんな店だった。
 しかし,「餃子の王将」の看板をみると,往時のことを想い出して,帰途寄ってみた。18時過ぎ,繁華街でも行列は持ち帰り注文の客のみで,店内ににはすぐに入れた。迷った末,餃子1人前,唐揚げ3ピース,ミニかに玉にご飯の王将定食を注文。程なく配膳された定食を食すると,ほんのり甘い「大味」王将が蘇った。甘い分,冴え,切れを感じさせない。これが同級生のいった「大味」なんだなと改めて実感した。他方,安い米を使ったと思しきご飯は甘ささえ感じさせず,大味記憶が吹き飛んだ。
 ジムの帰りファミレスに寄ると,禁煙コーナーのテーブルは自分以外は学生ばかり。期末試験勉強組がファミレスでの勉強体験として後に想い出すのは何だろうか。やはりファミレス料理特有の大味さだろうか,それともお代わり自由のドリンクバーで継いだキャラメルマキアートなどの甘さだろうか。

2010年1月24日日曜日

夕方まで完オフ

 1月24日 早朝目が覚めたら思ったほど寒くない。もともと完全オフの予定だったので,myイーグルス2号で駅まで20分,漕いでいる間は手が凍える感じがしない。日中はむしろ暖かくなって厚いBDシャツを着たのが裏目に出た。帰りブックオフに寄ると,ちょうど105円本コーナー以外の文庫本が20%割引だったので,昔から時々読んでいた篠田節子も折角だからとわざと105円コーナーを外して4冊。『天窓のある家』(新潮文庫),『贋作師』(講談社文庫),『聖域』『コミュニティ』(集英社文庫)計1,120円也。
 ジムにいる内に気になったことが出てきたため,オフを2,3時間返上してファミレス。気になった点は少し見通しが付いたものの,篠田節子を読む時間は見通しが付かなくなった。

2010年1月23日土曜日

他人のことは笑えない

 1月23日 昨日ゼミ生に春休みに論文を,と宣言したほど煮詰まっていることが実感できた。実際,プロットをスライド形式で記してみると,昨晩いきなり6枚。今朝見直して5枚に絞った。さらに午後も検討を加えると8枚になって既に論文の「筋が見えた」と気分も高揚した。しかし,夕食後見直すと重複が多く5枚に。
 昨日の国会では「朝三暮四」の意味を尋ねられた鳩山首相が「朝令暮改」の解説をし失笑を買ったらしいが,他人のことは笑えない。
 スライドの枚数が増えたり,ドトール・コーヒー,ファミレス,ジムに寄って同じファミレス別店と場所を変えたことで,何か構想が進んだ気になっていた。自分で自分を誤魔化していたようなものだ。
 
 筋はまた見えなくなったが,ここを三合目としようか,それとも四合目としようか。

2010年1月22日金曜日

さまざまな意見・その2

 1月22日 排水管検査?清掃に立ち会ってから登校。教養科目「市場経済」は非正規雇用。期末試験の予告,そして学生による授業評価。ざっとみたところ,数値は悪くない。自由記述欄では「わかりやすかった」「オンラインテストで復習できるのが良かった」と。「経済原論演習」はゼミ生の就活報告^^;。進路選択から旧財閥,企業集団まで。有り体に言って雑談に終始したわけだが,その中でこちらも「春休み中に論文1本書きたいなぁ」とポロリ宣言。その内容テーマについて尋ねられたので,最近のベーシック・インカムにみられる労働と所得を切り離す動きなど説明したが,うまく伝えられなかったように思う。掘り下げ未だし。「目論見では2本」と言わなくて良かった^^;。

2010年1月21日木曜日

さまざまな声

 1月20日 定例教授会。投票ばかり多かったような記憶。遅れたのでジムではシャワーのみ。
 1月21日 宮城学院女子大「経済社会特論」はは格差社会。終了後,東日本FDネットワーク"つばさ"で共同運用している授業アンケートの用紙を配布。自由記述欄では良かった点として「パワーポイントの配付資料が配られるので参考にできる」「説明が丁寧」が挙げられていた。他方,改善すべき点として小テスト(の問い掛け文)が難すぎること,時間が一杯になることがあることが挙げられていた。また,「一方的に話している。もっとコミュニケーションをとりながら進めた方が良い」という厳しい指摘もあった。こちらとしては学生を指名してプリントの穴埋をさせたり,確認問題を解かせたりという形で理解の確認をしながら進めているつもりだが,毎回のテーマに関して,もっと学生との問答,往復の回数を増やして学生の考え,理解を引き出した方が良い,ということであろう。
 田中史郎先生が昼休み会議のため独り教職員食堂にて昼食をとった後,1年生を対象とした教育コース説明会に出席するため山形大へ。
 担当した公共政策コースについて,教育科目「公共政策」基礎科目・同発展科目は政治学を指しているが,教育コースとしての公共政策コースは,3分野からまんべんなく履修すること、しかしコア科目の必要数は3コースで最も少ないこと,またゼミは法経政,どれから選んでも良いなど自由度が高いことなどをアピールした。つまり一見拘束がきつそう見えて,実はそうでもないことを力説。ただこの点も,同僚に言わせれば,法経両コースはどちらかを修めればよいが,公共政策コースはどちらも修める必要がありゼミ生が苦労している,と。コース説明は先頭バッターほど不利なようた。

 ジム帰りにファミレスによると見慣れた光景。セールスなのか,オルグなのか,資料を基に自分たちの企業?組織?について説明する者とそれに聞き入る者。喋っているのは圧倒的に説明役だが,聞き役も時々自分の考えを述べている風。説明役-聞き役という構造は「固定的」だが,決して「頭ごなし」に教え込んでいるという風ではない。これが「一方的」ではない「コミュニケーションをとりながら進める」ということかもしれない。
 しかし,他方で,「固定的」関係を「利用」した説得術のようにもみえる。
 

2010年1月20日水曜日

伝えるということ

 自分の考えを人に伝えるのは難しい。
 研究会や学会で報告してみても,報告内容に内在した質問はあまりない。
 資料付きとはいえ,いきなり口頭発表を聴いたところで,理解できる範囲は限られていることもあろう。しかし,何よりも相互に関心が狭い,といういことがあるのではないか。
 関心と言っても社会科学だから,社会事象への関心が低いわけではない。当該テーマに関する関心が低い,言い換えると自分も含めて勉強不足だからであろう。いわゆるタコツボ化しているわけである。それがわかってくると,準備する報告資料も量を抑えることになる。

 講義も同じで,抽象的な経済原論はもちろんのこと,時事の解説部分では「新聞記事よりも深く」と思って仕組みを詳しく解説する,「データを用いて具体性,視認性を増す」ことを念頭にスライドに図表を盛り込む。
 しかし,その効果は怪しい。小テストをしてみれば,そこそこ理解できているように思えるものの,講義中に首を傾げる姿が目立つ。自分の学生時代の経験から講義に「中味がない」,テキストそのままでは良くないと,深く論じたつもりでもそれが学生にちゃんと伝わるかは怪しい。

 1月20日 早朝,車で大学に向かっていてふとそう思い,既に作成していた教養科目「市場経済」と宮城学院女子大「経済社会特論」の,残り2回分,「非正規雇用の実態」「格差問題」の講義プリントを整理圧縮してみた。それぞれ24枚のうち,内容が重複する部分(例示など)や細かな分を端折って18枚にした。なんと 25%カットだ。それでも2,3年前に比べると半減してる。
 さて,「教えしすぎるから学生は消化不良に陥る」「関心さえ喚べば,後は学生が調べる,質問してくるだろう」というレトリックが通じるのか否か。
 

2010年1月19日火曜日

通院生活

 1月19日 週末から悪化したアトピーの治療。
 研究室のスチームが効き過ぎて一定の温度になると上半身が無性に痒くなる。
 就寝時も痒くて眠れない。不眠症って煩ったことないんだけど。
 これでは集中できないということで週末を予定していた通院を早めた。
 安寧はいつ来るのやら。

 国会開催。昼休み,大島自民党幹事長による代表質問の一部を聴いていたら,
暫定税率の存続はマニフェスト違反だと批判していたが,
後期高齢者医療制度の改革案については触れていなかった。
税率問題は財政事情によって変更はありうる。今朝の日経だったか?では
ガソリン価格に応じて率を変動させ,国民の負担と批判を和らげようという政府案が載っていた。
これに対して,後期高齢者を国保に戻すが,現役世代とは「別勘定」にするという政府案は
「年齢による差別」を廃止するという制度の根幹に係わるマニフェスト修正,翻言だと思うが
政治資金規正法の不実記載ほどは関心がないようだ。

2010年1月18日月曜日

聴き取り

 1月18日 昨年夏行なわれた教養教育ワークショップ第2ラウンド第1分科会「大学間連携FDネットワークを考える」の記録を起稿の上,投稿。
 今年度の『山形大学教養教育改善充実特別事業報告書』に盛るためだ。
 当日,8月7日は,ノートパソコンを持ち込んで記録に務めたが,キータッチミスがあり,元の言葉がわからなかったり,そもそも口頭報告なので聞き取れない用語もあり,編集に午前一杯かかった。
 後は,報告スライドを保管しているであろう事務局にチェック願うしかない。
 夕方,山形県社会経済研究所理事Fさんが年報記事の原稿料を持ってこられた。領収書に捺印。

 4名のパネリストの報告記録を読み返して気付いたのは,将来の道州制移行を睨んで「大学間連携」に参加し,あるいは積極的に構築しようとしていること。
 道州制で国立大学の統合があるとはよく言われることだがFD等,個別事業の成果で決まるのか甚だ疑問に思っている。細かな点を評価していては人により評価の力点が異なり,結論が導き出せないだろうから。やはり政府が責任を持って統合案などを示さないと各大学は各評価点をまんべんなく挙げるために疲弊困憊してしまうだろう。「国民の代表」である議員たちが判別基準を示す必要があろう。

2010年1月17日日曜日

疲れた時の司馬遼太郎


 1月16日 早朝,依頼原稿「経済指標の解説」初校を書き上げたため,疲労困憊。
 疲れたときは家でマッタリがよい。 前の晩,大学の宿舎,瑞樹荘で寝る前に備え付けの司馬遼太郎の対談集(週刊朝日別冊?)をめくっていたこともあり,帰宅後,近くの書店でしばらく物色。司馬遼太郎は一時期集中的に読んでいたが,蘊蓄が鼻についたり,英雄史観(人間の大きい者が歴史を動かす,といった)に違和感を覚えて遠ざかっていたが,蘊蓄が心地よいときもある。頭が疲れているからか^^;。
 さんざん迷った末,『日本史探訪』(角川文庫)と『一夜官女』(中公文庫)。
 1月17日 完全オフで司馬本と,と思ったが,ソファで居眠りばかりでなかなか進まない。結局,ジム帰りにいつものファミレスに陣取って読書。
 昨晩選ぶまでは楽しめたが,開いてみると,『日本史探訪』は瑞樹荘で読んだような対談集ではなく,義経等歴史上の人物について,それぞれの作品からの引用の後,見解を述べているだけ。(もともとはNHKドキュメンタリー番組)
 他方,『一夜官女』(中公文庫)は表題作を読んでみただけだが,女性の描き方が類型的で.....

2010年1月16日土曜日

経済指標の解説


以来のあった,全国及び山形における「経済指標の解説」の初校を書き上げてみた。

2010年1月15日金曜日

油断大敵

 1月15日 いつもより早めに就寝しながらいつも通り寝坊。一度は目が覚めたが時計のアラームを止めて2度寝。2度寝の誘惑に駆られたのか,目覚まし通りに目を覚ました優越感?に浸ったのか,油断大敵。
 10時前に登校したものの,月曜日〆切の紀要論文第2校のチェックには身が入らない。
 今日は夜遅くまで研究室に残ることになっていたため,時間に余裕があると思ったのが間違い。しかし,普段,次,そのまた次の論文のことを考えているのに,既に書き終えた論文の誤字脱字,引用ミスを捜すのにはどうも「消極的」な気がしてなかなか気乗りしない。読み返して内容を手直しする手もあるが,新たに書き下ろした方が効率的だ。気乗りしないままに午前を過ごし,午後も長閑に過ごしていると,教務関連で新たな仕事が複数舞い込んだ。油断大敵。
 午後,ゼミ生のS君来訪。進路のことなど。
 第2校を終えてから「経済指標の解説」の校正へ。

計画倒れ

 午後,ドトールコーヒーで構想スライドを読み返してもなかなか進まない。朱を入れたまま自宅に戻りPCの前で呻吟。今日は大きなお祭りで一体は交通規制が掛かり4時間近く車の出し入れが出来ないから,ジムに通うには遅くとも16時半には家を出なければならない,と頭の左側ではわかってはいたが,肝心な右側が回転しないので,進まない。そうこうするうちにいつもの時間が近づいて,自転車で出発することになった。冬はペダルを握る手が悴むので自転車を利用していなかった。それが良くなかったのか,出発して100mもいかないうちに,ブレーキワイヤーが切れ,近くの自転車屋に逆戻り。結局,ジムに行くには遅くなったし,往来は参拝客で数珠繋がりだしで,家に閉じ込められる形になってしまった。当初の計画通り行動していれば,と思っても後の祭り。

 1月14日 宮城学院女子大「経済社会特論」は非正規雇用。その社会的問題点まで話していると時間オーバーして学生の昼食時間を喰ってしまった。しかし,問題点までは喋りたいという強い意志があったのだから仕方ない。もっとも80分授業なのに,冒頭,第2回小テストの答え合わせや厚労省の後期高齢者医療制度改革案の解説に20分以上費やす無謀を思いとどまる意思まではなかった^^;。

2010年1月13日水曜日

p72に変更

 1月13日 振替休暇なのにいつもより早起き。2,3メールで連絡を取った後に,近くのドトール・コーヒーで構想スライドに朱入れ。自宅に戻って入力して打ち出してディーラーに12か月点検を予約していたディーラーへ。点検の間,近くのファミレス。
 夕方まで粘ったものの,進展,というより書き換えはわずか。4時間近く粘っても,その間メールをチェックしたり,新聞読んだり,居眠りしたり。NetWalkerを起動したときには自分で書き加えたコメントが直ちには読めなかったりする。
 ディーラーで車を受け取り,いつもより早めにジムへ。数十分違うだけでメンバーの顔触れも変わる。
 構想を練るのにも飽きて,自宅では昨日届いた紀要論文第二校が初校の修正点を反映しているかチェック。さすがプロ。矢印だけで前後の入れ替えを支持した箇所や汚い字で朱を入れて箇所を正確に修正してくれていた。しかし,校正ミスも数か所見つかった。「第2に」を「加えて」に変えるよう指示していたのに「加えるに」に置き換えるのはちょっとしたゴーストライター気取りか。また,「の中で」を「では」に変えるつもりが「p72」になっていたのには唖然としたが,やがて悪筆ゆえと合点して恥ずかしくなった。

2010年1月12日火曜日

マニフェストの虚妄


 後期高齢者医療制度に変わる新しい高齢者医療制度に関する厚労省素案が今朝の日経に報じられていた。

 それによると,新制度は,後期高齢者医療制度を廃止し,75歳以上の後期高齢者を65歳以上の前期高齢者と併せて国民健康保険(略称,国保)に加入させる,という。
 民主党は,昨夏の総選挙に際し,「後期高齢者医療制度を廃止し、国民皆保険を守る/年齢で差別する制度を廃止して,医療制度に対する国民の信頼を高め る」と公約に掲げていた(同党マニフェストの各論第21)。「年齢で差別する制度」とは75歳以上の後期高齢者だけを対象にした保険である後期高齢者医療制度そのものを指す。したがって,後期高齢者を現役世代と同じ国保に加入させることは「年齢で差別する制度を廃止」するという公約の実現のようにみえる。  
 
 他方で,日経によれば,前後期高齢者は国保には入りながら「現役世代とは別勘定とし」とある。しかし,これでは国民健康保険という同じ名称を用いているだけで,保険制度としては「年齢で差別する制度」そのものではないか?

 旧老人健康保険制度では,前期・後期高齢者は現役世代と同じ公的医療保険(健康保険<大企業の組合管掌健康保険,中小企業中心の協会けんぽ(旧称組合管掌健康保険>,共済組合,船員保険,国保)のいずれかに属していた。これに対して,2008年度からは後期高齢者だけがそれらの医療保険から脱退させられ,後期高齢者医療制度という独立の医療保険に加入させた。言い換えれば,独立の保険ではなく,後期高齢者の医療費を賄う財源に過ぎなかった老人保健制度を後期高齢者だけの「年齢で差別する」独立の保険とした点に後期高齢者医療制度の本質がある。これに対して,保険料の年金からの天引き,運営単位の市町村(国保)から都道府県への変更は技術的問題に過ぎない。保険料納付を銀行振り込みにするか,口座振替を認めるか,年金からの天引きにするか,それぞれ得失があり,いずれが優れているかは直ちには判断できない。また都道府県を運営単位にすることは新制度案にも維持されている。

 従来,老人医療費は,本人が窓口で支払う1割を除いた9割を,公費(国:都道府県:市町村が4:1:1)と医療保険で折半する仕組みになっていた。しかし,現役世代と同じ医療保険に属したままでは,高齢者と現役世代の負担比率が明確ではなく,高齢者の医療費節約意欲が削がれるからと,75際という「年齢で差別」して独立の保険制度,後期高齢者医療制度を発足してそちらに移行させた。新制度でも,本人が窓口で支払う1割を除いた9割を,公費(税金)と医療保険で折半するところまでは同じだが,後期高齢者医療制度がこの9割のうちの1割を支払うという負担区分,あるいは後期高齢者医療費の0.09%を負担するという負担利率が明確になった(本人窓口負担以外に)。これはたとえて言えば,各部屋に電気メーターが設置されておらず自治会でまとめて負担していた電気代を,各部屋にメーターを設置して応分負担を求めているに等しい。どちらが合理的かは国民がじっくり考えて判断すればよい問題であり,この場合,個別メーターの設置,すなわち部屋の利用実態(年齢)「で差別する」ことが直ちに不公正な仕組みとはいえない。

 民主党の社会保障専門家チームはこのことはよくわかっていたはずである。しかし,年金からの天引きや運営単位の変更による保険料アップに対する国民の一時的な不満に乗じて,「年齢で差別する制度を廃止」すると謳い,実際の提案は形だけ現役世代と同じ国保に属することにして,負担における「別勘定」は維持するというのでは国民の納得が得られるだろうか?財源が不足するから,給付を抑える,対象を限定する,廃止すると謳っていた暫定税率を維持するはいわば程度問題である。余裕があれば,マニフェスト通り実施した方が良いが,なければ縮小されても仕方がない。しかし,制度の本質的な点を廃止すると謳っておいて残すでは国民の政治不信が増しはしないか,懸念される。

 1月12日 「うかうかしていると何事もせずに終わる1日」だった。寝坊して10時前登校。久しぶりに「経済指標の解説」の編集に取り組んで呻吟しているうちに学部教育委員会。直前にゼミ生のS君来訪。冬休みのこと,進路のこと。委員会を終わってみれば,紀要論文第2校の校正,昨夏の教養教育ワークショップ分科会の記録起稿という2つの課題が新たに発生。事務によったのち自宅にて解説論文の校正。12時過ぎたところでお仕舞い。これでは寝坊するはずだ^^;。

プレゼンはようわからん

 OpenOfficeのPresentation(WindowsではImpression)が重くてビジー状態が続くのはNetwalker(CPU i.MX515)が非力なせいかと思っていたら,レッツノート(CPU Pentium M 753,
1.2GHz)を初期化して上で使ったMSオフィスのPowerPointも少し動きがのろかった。結局,プレゼンテーション・ソフトは重い。モバイルで使うの諦めた,というのが昨日の結論。

 NetwalkerでPresentation使った日にはほぼ常時ビジー,気まぐれで時たまキー入力を受け付ける。だからテキストファイルで編集しようと,文章をコピーするためにPresentationを立ち上げたところ,そこそこ動いたのでそのままPresentationで編集。時々やはりビジー。今日は機嫌がいいのかな?

 1月11日 3時までいったん初期化したレッツノートの利用環境を再構築していたため正午前起床。その後,ファミレス,ジム,ファミレス。完全オフのつもりだったが,Presentationが機嫌がよかったので^^;。 残念ながら内容上の進展はさほどなし。気分次第は機械やソフトではなく,使用者の方だった。

2010年1月11日月曜日

プレゼンは重い

1月10日 スライドが30数枚に及ぶとこちらはしゃべりっぱなしになるし,学生からすれば見ただけで「お腹いっぱい」食指が雨後完売,ということになりかねないので,スライド枚数を2割方減らすことにした。
 非正規雇用は,テーマが重なるエピソードや山形県における非正規雇用比率,雇用形態比率,あるいは内部労働市場のところで示した正社員の勤続年数などのスライドを割愛。格差問題では,橘木俊詔氏と大竹文雄氏の格差論争は概要だけ示し,データはバッサリ削除。その他,生活保護制度や公的年金制度に関する補足説明もカット。教養科目であること,同じような意味だが当該テーマに関する初めての解説であることから情報過多による消化不良を恐れてのことだ。

 しかし,非正規雇用の現在の境遇が単に格差拡大を招くというだけではなく,正社員の賃金上昇を抑制していること,生産性の伸びを抑制していること,公的年金の基礎を危うくしていること,晩婚化を通じて出生率低下を推し進める作用があること,あるいは労働組合のあり方,セーフティネットのあり方が多様な働き型に対し中立的ではないこと,つまり前回のべたように男性性者印モデルに立脚していることなどは,消化不良の虞があるとはいえ,「ノーカット」で上映?することにした。テレビのニュース解説を越えて何のために講義するのか,に関わるからである。

 ドトール・コーヒー,ファミレス,ジム,ファミレスの行脚の合間に自宅にてノートPC,レッツノートR4(Pentium M 753 1.2GHz)のリカバリーを実施。工場出荷状態に戻し,オフィスヤブラウザ,メーラーなど基本ソフトのインストール。Netwalkerはプレゼンテーションソフトがしばしばフリーズするくらい非力なので,モバイルPCと併用せざるを得ない。しかし,このR4もキー入力をしばらく受け付けないという「遅延行為」をはたらせることが目立っていたので,思い切って初期状態に戻し,一から再出発することにした。
 すると,90%を超えていたディスク使用率も30%未満に落ち着いた。動作も快適だ。
 ところが,上の講義スライドの編集に移った途端,CPU使用率は常時80%を超え,キータッチの受け付け模本の2,3泊遅れようになった。

 結局,プレゼーテーションソフトは動作が重いことがよーく分かった。
 最近は構想ノートもスライド形成で作成していたが,今後はプレーンなテキストファイルかTexファイルで編集し,Netwalkerではオフィスのワード互換,エクセル互換ソフトしか使えない,と実感。

2010年1月10日日曜日

非正規雇用に関する講義案・その2

 1月9日 午前中,自宅で講義スライド作り。残り2回の講義は非正規雇用の解説に当てる,1回目はその実態,2週目はその時代背景と宣言したばかりだが,2回目は格差問題を主テーマとし,90年代の労働者派遣法改正などの規制緩和はその一部とすることにした。

 労働者派遣法の改正,派遣可能業種の原則自由化があったからこそ,非正規雇用の比率が3割を超すことになったのは間違いないにしても,それだけで改正以前に戻せ,ということで終わりかねない。

 直前の講義で解説したように,非正規雇用の成立は内部労働市場の成立と軌を一にしている。したがって,非正規雇用問題は賃金格差ばかりでなく,労働組合の対象が正社員中心だったり,社会保険,社会保障が男性正社員(女性は家計補助労働者)であることを前提に制度設計されていること,人々の多様な働き方に中立的ではなかったことも係わっている。

 そこで,橘木俊詔氏の問題提起による格差論争の経過,その後の状況を解説した上で,賃金制度以外の非正規雇用に差別的な諸制度を具体的に解説した。

 しかし,スライドの数が初回36枚,2週目34枚に上った^^;。
 専門外の学生には細かすぎる。再検討しよう。

 昼過ぎより夕方までファミレスで粘り,ジム,そしてまた別のファミレスへ。

2010年1月9日土曜日

非正規雇用の講義案

 1月8日 寝坊したため久しぶりに車で登校。
 ほぼ同じ内容を教えている教養科目「市場経済」と宮城学院女子大「経済社会特論」の,残り2回分の講義案を練る。
 予定通りだと,非正規雇用,格差をそれぞれ1回となるが,どちらも1回では話しきれない。また両者は相互に関連しているが,独自の部分(格差には階層間格差もあれば,地域格差もある)もある。
 結局,教養科目なので,両者のズレや細かい点は無視して非正規雇用を2回に割って解説することにした。1回目はその実態を,偽装請負や日雇い派遣問題までは踏み込まず,なるべくデータやエピソードを用いて詳しく具体的に解説する。2回目は,1回目に対する学生の質問に答えつつ,非正規問題発生の背景について解説する。労働者派遣法の成立(1985年)やその改正(1999年以降)についての解説が中心となる。格差問題の再発はこの間の規制緩和と軌を一にしているからだ。

 しかし,格差の深淵はもっと別の所にある。授業で解説してきた各種社会保険は非正規雇用を補集合の一部のように位置づけている。たとえば年金では会社員,公務員が第2号被保険者であるのに対して,非正規雇用は自営業者や学生,無業者と同様に第1号被保険者だ(第1号の定義は第2号,第3号(勤め人の専業主婦)の補集合)。つまり正社員中心である。講義では扱わなかったが雇用保険,生活保護もそうである。短期就労者は雇用保険の加入資格を満たさない。生活保護の受給者の4割が高齢者世帯,同じく4割が障害者世帯,1割が母子家庭世帯であり,就業可能な物,失業者を相手にしていない。いわば正社員中心の完全雇用型モデルで,働かないのは本人の問題であるかの如くである。
 前回扱った内部労働市場もそうである。雇用調整は非正規雇用からが不文律になっている。賃金も企業横断的な制度が確立していないため,雇用形態による格差が忍び込みやすい。また労働組合もそうである。非正規雇用にはボーナスが出ない,というエピソードを良く聴くが,ボーナスも賃金の一部であるとは言え,月給のように全員に払わなければならないわけではない。にもかかわらず正社員には必ずボーナスが払われているのは,慣例としてであるが,それを慣例化した労働組合の力による。しかし,非正規雇用は労働組合が対象にして来なかった。だからボーナスを必ず支払うという慣例の外にあった。
 つまり,格差の深淵には,賃金制度も社会保障制度も労働組合も男性正社員中心,女性は家計補助的労働者というモデルがある。

 しかし,これらの点に最終回でどこまで触れられるかは心許ない。相当の工夫が必要だ。
 夕方,来週開催の学部教育委員会打合せ。終了後,「5km先はチェーン規制です」とのナビ音声をおっかなびっくり聴きながら286号線を東上。

2010年1月7日木曜日

小テスト

 1月7日 宮城学院女子大「経済社会特論」は内部労働市場について。年末本学教養で講義した時よりも内容を圧縮したが,学生の反応からするとなお詰め込みすぎか。終了後,前回配布した第2回小テストの解答用紙を回収。

 小テストといっても,選択式問題で冬休み後回収するという宿題方式。他方で,年金や医療保険の仕組み上の知識を問うているので,細かい面がある。結果は36名の平均正答数が10問中8.24問でなかなか出来が良く思わずニンマリ^^;。6問以上正答者31名に10点,4-5問正答者5名に6点を付与。

 近くの皮膚科に通院。到着時既に患者が待合室に溢れており,以後待ち時間1時間半。その間『山形県経済社会研究所年報』に載った同僚の論文を文字通り「立読み」。勉強になった。

 大学院の後輩から年賀状の返事「論文執筆の意欲がよく伝ってきました」。何じゃそれ^^;。

 その後,ジム,ファミレスも進まないものは進まず撤収。

早くもブログから離脱

 ブログに移行してから筆が進まない。

 以前の学部サーバー上のサイトはトラブルが生じた場合,夜間や休日など学外からの編集が難しかった。
 民間プロバイダ,ぷらら上にミラーサイトを設け,そこで常時更新していたが,学部上のサイトは学外からは更新できなかった。
 そこで,学外のサイトに一本化することにしたのだが,その際,従来のミラーサイトへの統合を選択しなかったのは,発足10余年を記念して装いを一新したかったからだ。

 しかし,ブログは表題を掲げて叙述するコラム方式なのでなかなか筆が進まない。表題に見合う結論を自ら下せることなどそうそうはないからだ。自分なりに検討した上で結論を下さすとなると,サイト発足当初のように月刊誌,隔月刊誌になってしまう。これでは面白くない^^;。そこで,1コラム1テーマに固執せず,以前のように日記調でダラダラ記そうと思う。

 1月6日は経済指標解説のための資料加工と定例学科会議。みな忙しい中で丁寧に手続を踏みながら物事を決めていくのは難しい。所与とすべき諸条件がなかなか整わないので原案作りも進まない。しかし,だからこそ与えられた条件の中で議論しながら物事を決めていくことが重要なのだろう。

トレード・オフ

 昨年暮れ以来,外出時には携帯するノートPCをレッツノートRシリーズ(10.4インチ,光ドライブなし)から5インチ画面のNetwalkerに替えた。
 Rシリーズの重量は1kg弱だが,デイパックには他にもいろいろ詰めているので「肩にズッシリ」と感じるようになったからだ。Netwalkerならば,半分以下の400g弱だ。
 バッテリーのもちもよい。レッツシリーズはバッテリーの持ちが売りのノートPCだ。カタログスペックで9時間。しかし,使ってみると1時間半から2時間弱。昨年初めバッテリーを交換してもこれだから,ファミレスで粘るには短い。対して,Netwalkerはスペック上10時間。ネットでは数時間と噂されていた。実際に使ってみると3時間から4時間といったところか。

 ここまでは予想通りだった。OSがWindowsでないことは承知の上だが,Linuxにはフリーウェアが多いし,NetwalkerにはブラウザFirefoxとメーラーThunderbird,そしてMS-Office互換のOpenOfficeが初めからインストールされている。無線LANアダプターは装備しているし,通信カードにも対応しているから,いつでもどこからでもネットで情報検索しメールを送受信するができる。ユーザーはOSの違いを意識しないで済む,はずである。

 ところが,やはり省電力使用のモバイル用CPU,i.MX515は非力で,特にパワーポイント互換のOpenOffice Presentationを編集しているときには,キー入力を受け付けないフリーズ状態が長く続き,場合によっては強制終了するしかない有様だ。これではパソコンの意味がない。
 今日ではネット上のサイトの閲覧もメールの送受信も携帯電話で可能であり,外出時にパソコンを携帯する意味は,通常の文書が編集できること,キーボードで入力(ブラインドタッチ)できることに限られる,といっても過言ではない。
 言い換えると,モバイルPCは文書の作成・編集が出来ないと携帯電話と差別化できない。
 おまけにOpenOfficeはMS-Officeとの互換性が完全ではない,かなり劣る。ページ進行がずれたりするので,他社とのファイルの遣り取りには使いにくい。
 かといって,レッツノートでは「重い」「バッテリーの保ちが足りない」。




























機種 OS CPU 重量 バッテリーの保ち オフィスソフト
レッツノートR4 Windows XP Pentium M 7531.2GHz

△最近,入力が重くなった
▼999g 2時間弱

MS-OfficeもOpenOfficeも
Netwalker Ubuntu 9.04 i.MX515

▼プレゼンテーション作成には重い,フリーズ
◎409g 4時間弱

OpenOfficeのみ

▼MS-Officeとの互換性は思ったほどでもない





 レッツノートの限界を打開したNetwalkerによって,Linuxという新しい旅に出たつもりが,つもりが,別の面でトラブルに逢着し,「行こうか戻ろうか」闇に突入した状態だ。

2010年1月6日水曜日

景気動向・その2

 5日は自宅で山形県の景気動向を示す諸指標をチェックしていた。
 傾向は日本全体と変わらない。
 景気の回復は専ら個人消費と生産によって後押しされている。

 しかし,現金給与総額は対前年同月比(実質値)で2年近く減少を続けている。
 とすれば,個人貯蓄の取り崩しではないか。

 「コンクリートから人へ」「外需主導から内需主導へ」のスローガンは首肯できるにしても,景気回復に時間がかるようでは,内需が主導する前に個人消費も下手って来るであろう。
 内需主導型の新産業とはどのようなものか明確にプランを示すと同時に,たとえ場つなぎでも積極財政を展開する必要があろう。

2010年1月5日火曜日

景気動向・その1

 毎年依頼を受けている春闘パンフレット用の「経済指標の解説」のため,4日は早朝登校して,日本経済全体に対する,官公庁の資料及び解説を読みあさってみた。
 普段,専ら理論研究を行なっているので,リアルタイムのデータに触れるまたとない機会だ。
 
 実際の指標に当たってみて,巷間言われるほど悲観的データばかりではないことがわかった。
 確かに全国的な状況を見ると,消費者物価総合指数は前月比で1年以上下落を続け,四半期毎の企業収益は前年同期比で減少を続けながらも,家計支出が対前年同月比で3ヶ月連続して増加していたり,アジア向けを中心とした輸出の増加から鉱工業生産指数における生産及び出荷は9ヶ月連続の増加を示していたりと,回復の足取りを確認することが出来た。その意味で12月『月例報告』の「景気が持ち直している」との判断はあながち誇張されているわけではない。しかし,同時に,就業者は22か月連続で減り続け完全失業者も13か月連続で増加を続けるなど雇用情勢が依然厳しく,現金給与総額が減少を続ける中では,家計支出と輸出便りの景気回復は「自律性に乏し」いと政府自らが認めざるを得ない状況である。

 こうした状況では,財政による下支えと一層の金融緩和が求められてくる。
 問題は財政出動の中味であろう。
 旧来型の公共事業中心では,財源の終了と同時に,景気に下向く。手当等の給付は,所得再分配や子育て支援など社会政策的な意味があるものの,乗数効果だけでみれば,公共事業を遙かに下回る。(公共事業で1ちょっと,給付は貯蓄に廻ることもありその半分くらいと言われている)

 最近の若者は地元志向が強い。しかし,地元には仕事がない。やむなく大学所在地の都会に残ったり,都会に出て行っている。そこで地方への事業誘致や公共事業が求められるわけであるが,上記のように財政出動は「景気の呼び水」に過ぎない。財政出動の間に新事業,新産業が創出されない限り,「元の木阿弥」である。
 新事業も製造業中心には限界がある。2002年以降の景気回復が輸出主導であったため,米国発のサブプライム・ショックによって日本経済が大きく落ち込んだ。日本経済におけるの稼ぎ頭だったトヨタが創業以来の営業赤字に見舞われたことは記憶に新しい(10年3月期も赤字見通しである)。普及品の製造では,人件費コストという点では他のアジア諸国に太刀打ちできない。また地元志向が強い若者もブルーカラー職を希望しているわけではない。
 地元志向が強い若者のもいわゆるデスクワークばかりに固執しているわけではない。彼らの関心が強いのは町おこしであったり,農業や介護である。しかし,それらの職では生活の見通しが立てにくいため,地元に帰れないでいるわけである。

 景気回復に「自律性が乏しい」中で,その回復の足取りを確固たるものにするには,地方でも需要が大きい農業や介護,環境分野における規制の緩和を含む事業支援であったり,その分野で働く者の報酬の補償にこそ財源を投入すべきではないだろうか。

 (3日は早朝登校したものの,4日は寝坊したため,自宅にて県内景気の分析に当たることにした)

2010年1月4日月曜日

正月休み・その3

 正月休みが短くなったように思う。
 初売りが2日になった際には奇異に思ったが,今ではスッカリ定着した。今回の帰省客の戻りのピークは3日だ。

 初売りが早くなることは商業労働者の休暇という点ではやはり問題があるだろう。彼らに限らず,日本では盆と正月,中学,高校の同級生が集ったり,親戚が一堂に会す貴重な機会となっている。また,帰省ではなく,この期間を利用して旅行に出る家族も多い。

 しかし,他方で商業施設にとってはこの時期がかき入れ時という面もある。彼らに限らず,正月は親戚や友人に会う他は家の中にいては「退屈の時間」ということもある。年末のNHK紅白歌合戦は相変わらず,視聴率が40%前後に低迷したという。正月のTV特番は「面白くない」が昔からの通り相場だ。海外旅行を計画している向きには長期休暇が取れないのは問題だが,みなが「同じ時期に一斉に長期休暇を取る」しかないことの方が問題ではないだろうか。公共交通機関の混在という問題もあるが,休暇の取り方,過ごし方は人それぞれ,あるいは家庭の事情もあるだろうから。

 大晦日は家族揃って歌合戦を観て,除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦をいただくというパターンを「良き風習」と見る向きもあるだろうが,さまざまな家族の実態から目を背けて,家族の団欒という定式ないし伝説を信じて安堵しているだけのようにみえる。それは「幼子の教育は家庭で」「介護は自宅で」の風習視と通じるものがある。
 
 要は正月休みの内実と年間を通した休暇取得の弾力性にあるのではないか。

 3日はジムに寄った他はドトール・コーヒーとファミレス行脚。また例によって多少とも進展したのはボトルネック以外だった。 

2010年1月3日日曜日

正月休みその2

 1月2日 居間では食べては寝るでジム経由でファミレス。吉田修一春,バーニーズで』(文藝春秋,2004年)。タイトルから軽めの風俗小説かと想像していたら,まったく逆。若い頃ゲイバーのママと同棲し養われていた30代の男性が子持ち女性と結婚し妻の実家に義母とともに暮らしているという設定はほぼ踏襲されているが,文芸誌に断続的に発表された5編の独立の小説。夫婦関係が悪いわけではない。仕事で著しい問題を抱えているわけではない。しかし,現代人はさまざまな人間関係の中でストレスを抱えている。「ふとしたはずみに,もう一つの時間へ」(帯に記された惹句)という想いは誰にでもある。ポイントは「もう一つの時間」の描写ではなく,そこに至る経緯,プロセスの描写だと思われるが,純文学的お作法なのか,なぜ「もう一つの時間」なのかという具体的な描写が乏しく,腑に落ちなかった。『初恋温泉』(集英社文庫,2009年)。こちらはいわゆる大衆文芸誌に断続的に載せられた大衆小説。5つの物語で,離婚話が持ち上がっている夫婦が,不倫カップルが,おしゃべり好き同士の夫婦が,職業上の圧列が夫婦関係に及んだ夫が,高校生カップルが温泉地に赴くかが,決してメロドラマ仕立てではなく,つまり冗長にならずに,過不足なく描かれている。作家吉田修一の特長はこちらの物語巧者の方にあるのではないか。予定通り吉田修一尽くしで終わった正月。唯一の不満は残った1冊『7月24日通り』が1年半前に文庫本で読んでいたということ^^;。

2010年1月1日金曜日

正月休み


 正月元日 寝正月ならぬ座小説吉田修一悪人』(朝日新聞社,2007年)。たまにしか小説を読まないせいか,元々読むのが遅かったのにさらに遅くなった。結局丸一日かかった。小説のモチーフは,タイトルの悪人/善人観の相対性と,人間関係の危うさ・非対称性(ズレ)にあるように思うが,前者は有り体に言うと陳腐。他方,後者は新聞の連載小説ということから数頁で話者が入れ替わるスタイルを取ったことも与って,うまく描写されているように思った。しかし,後者だけなら400頁も要しなかったのではないか。前者のモチーフがサスペンス仕立てを取らせ全体を冗長したのではないか。午後,サッカー天皇杯決勝戦,ガンバ大阪4x1名古屋グランパスエイトをTV観戦。アトランタ・オリンピックでブラジルを破って以来,西野監督を応援しているが,日立製作所(柏),パナソニック(ガンバ)と大企業親会社の豊富な資金で戦力を整えて貰いながら,優勝経験は少ない。攻撃サッカー,パスサッカーは観ていて面白いのだが,もっと効率を重視しないと,最終結果はついてこない。この試合も前半層,パスを繋いでキレイに相手守備陣を崩して得点しながら,追加点を得損なっている内に,前半終盤,豪州代表の長身FWケネティの,ゴール前ヘッディングによるアシストで1点失った。パスにこだわるばかりで得点に結び付かなければ単なる曲芸。同点で息を吹き返したグランパスに後半押し込まれている最中,負けを覚悟した。ところが,後半30分頃,パスサッカーで膠着した局面を,そのパスワークの中心である遠藤選手の個人技でDF2枚を抜き去った後にゴールゲット。これが試合の全てで後の2点はおまけ。全日本代表監督オシムが繰り返し指摘していたように,中盤の選手がその技術におぼれずに,もっと走って点に絡まない限り,日本代表が好成績を収めることはあり得なし,選手個人も国際市場では評価されない。その遠藤がメッシ張りのDFゴボウ抜きでシュート。パスチームとカウンターチームの遣り取りで退屈だと思って観ていたが,このゴールシーンを観ただけで十分観戦の価値があった。このままガンバも日本代表も一皮むけないかな?その後,大崎八幡宮前まで散歩。雪は止んでいたが,アイスバーン状態の歩道をバランスとりながら,スナップ写真。