自宅に帰られな者,市内バスは動いていたから仙台から通っている者が本部会議室に集められ世を過ごすことになった.
四紙の恐れがあったため,学部等は閉鎖となり,自家発電設備がある会議室に集められたのだ。
のちに体躯間に避難していた学生も移って着て総勢数十名.
椅子に座っ手休養をとった.
ガスストーブ1台ついていた.
2,3日前より大きい揺れが長く続いたので「大地震」であることはすぐ分かった
電機が消え,「建物の外に出るように」との館内放送により当初腸並木に出たが,
やがて玄関前に集まり教員は点呼がとられた。
1時間もすると,事務長より「建物に入ってもYいが」
(つづく)
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