2011年12月10日土曜日

グローバルではないことの難しさ

前回は地方の選択という七面倒くさいことを記した。
今回はある意味で全く逆のことを記す。

小説家池澤夏樹氏が朝日新聞のエッセー「終わりと始まり」で自身が70年代後半3年間滞在したギリシャについて記している。

友人としては最高。一緒に遊んであんなに楽しい人々はいない」「彼らにとって友情は絶対だからどんな無理も聞いてもらえる」

他方,「ビジネスの相手としてのギリシャ人はまことに始末に負えない」
輸入契約しても期日を守らない,サンプルを送ってよこさない,お金に関してももいい加減。

「生きる原理が違う」「個人主義者」で「国家を信用していないし,国家に依って何かを成し遂げることが得意ではない

だから81年EC加盟時には「大丈夫かな」と思ったという。

その上で,池澤氏は記す。
拡大されたEU加盟国の大半は貧しい国,お荷物になる国で
「それを承知で融資を続けたEUの北の国々はにはそれなりの責任がありはしないか」
貸し手責任を追及している

もちろん,すでに貸し手責任はある程度追及されている
ギリシャ国債を大量に保有する銀行は最初2割,次いで5割の減免を強いられた。
最終的には8割減免という声も聞く。

また加盟各国はPIIGS国債を買い支えるために資金提供を求められている。
そしてEU内で支援策がなかなかまとまらず,市場が欧州各国の国債を売り浴びせるなかで
やはり最大の経済大国ドイツに支える意思,覚悟があるかがますますクローズアップされてきたように思われる。


しかし,自分が着目したのは副題「幸福なギリシャ人 グローバルではない人々」の方。
普通「グローバルではない」とは我々日本人のことを指す。
相変わらず排他的で,そのくせ外国人による日本(人)評を気にしてばかりいる。
その「島口根性」はこれまでも繰り返し指摘されてきた。

しかし,日本(人)は「不況で沈んだ」ように思われがちだが,
ビジネスへの対応はまじめとも厳しいともいえる面がある。
つい最近もTPP協議参加をめぐってマスコミ上で議論が戦わされてきた。
経営者も経済学者も農民も庶民,学生も「我がことのように」利害得失を論じていた。
参加不参加は別にしてグローバリズムに立ち向かう意思を共有している。
まるで民族の興亡を占うかのごとくだ。

国として経常収支が逆調になろうと,
国の財政赤字がどれほど積み上がろうと
「我関せず」と開き直り
しかし公共料金は上げるな,サービスは落とすなとゼネスト(全国統一スト)を起こす
という風潮はほとんど見受けられない。

現下の資本主義経済では,
世界中グローバリズムが吹き荒れ,
グローバリズムへの批判,反対も渦巻く。
しかし反グローバリズムも立派にグローバルな態度であろう
一人たりとも「グローバルではない」ことは誠に難しい。

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