2010年6月14日月曜日

後輩指導

先日のゼミで,学生が後輩を指導していた。

端で聞いていると,?と思う部分もあるが,何も言わないことにしている。

先輩としてのメンツへの配慮もあるが,
後輩に指導していることは,当人がそれなりに咀嚼したうえでの知識である。
教師が一々正解を告げていたのでは,咀嚼する労を省いて,丸暗記,オウム返しになってしまう。
しかしこれでは大学の勉強にならない。

全くのハッタリで対応しているのではない限り,勉強しないと指導を続けられない。
教える,とは勉強の結果,あるいはその一プロセスであることを再認識させられる。

 6月13日 近くのコーヒーショップにて構想。昼頃,自宅前の横断歩道で信号していた時にタテ揺れ(福島沖地震)。身構えたものの余震なく,自宅にて講義資料作り替え。「経済原論」では各編が終わる毎に関連する記事,論文などを読み合わせ,Blackboard上で読み取りに答えて貰うことにしている。これを5,6回行なうと,期末テスト前に基礎点が半分近くになる。先週,再生産編が終わったので労働力調査や失業時給付についての解説記事を読んでもらうつもりで,既に資料を作成しBlackboard上にアップロードしていたが,よりテキストの内容に密着した資本蓄積に関する商品過剰論と資本過剰論の解説に差替えることにした。最近は学説の違いについてはほとんど触れずテキストの解説に止めていたが,少しでも経済原論に関心を持って貰うため,研究の発展なども意識的に触れるようにしている。最近扱っていなかったため昔のノートを引っ張り出しスライド作成。夜ファミレスにて構想再び。

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