「経済原論」では1篇を終わることに関連する記事を読み,設問に対して答えて貰う,という読み取りをしている。
原論は抽象的な話なので,現実に起きていることとの関連を示したい,講義は聴きっぱなしなので読み,まとめ,書くという積極的作業をして貰いたい,長い文章を読んでもらいたい等の意図からである。
Blackboardを利用しているのは回答を一覧表で打ち出せるので,1名1枚の紙に書き出す方法より取り扱いが簡単という理由からだ。
今日,6月1日はテキストの第3篇,資本主義の生産(剰余価値の形成)が終わったところなので,田中洋子さん(筑波大)の「新しい雇用・労働システムを求めて」(『生活経済政策』No.148,’09.5)を教室で読み合わせてみた。すると,授業終了後,ある学生から「ただ読むばかりじゃなく,要点を示してから,読む方法はどうでしょうか。論文を読むだけでは退屈なので」という感想が寄せられた。
しかし,文章を読んで要点を読み取ってもらうことこそこの読み取り形式で学生に期待していることなのだ。
また要点を示すことは実は通常の講義で行なっている。テキストの要点をパワーポイントに示して解説しているのだから。そのため「テキストは買わなくても良い」と考える学生も出てきていることは痛し痒しだ。通常の講義がそうであるからこそ,たまには学生に主体的な作業をしてもらうことにしているのだ。さらに,大学生の新聞講(購)読率が落ちているといわれる状況なので,長い文章を読んでもらいたいという意図を込めているのは上に述べた通りだ。
したがって,先の要望は読み取りの意図を理解しないものといって良い。
他方,「退屈」という訴えは無碍には否定できない。
実際,何カ所かに区切って輪読していたうち,学生が質問してきたのは最初のパートだけで,それ以降は質問も出ないため,こちらが気付いたことを解説していた。
学生が退屈に感じていたのは間違いないだろう。
「授業は遊びではない。面白可笑しいことが聞きたかったら,教室の外に出ろ」と言下に却下すべきご時世ではない。
「豊かな社会」では実利に訴えるか関心に訴えない限り,積極的に勉強することを期待するのは難しいからだ。
長々読んだ後に最後に設問に答えて貰うのではなく,パート毎に設問への回答を書き出す,記事だけでなく,参考となる資料,グラフや映像を示す,などの工夫が求められているのであろう。
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