2月15日 来年度「地域社会論」で1回ずつ話して下さる学外講師の方に配布する講義の手順(来校時に持参して貰うもの,来校時間,受付先から講義する上での注意事項)を作成・印刷,その他事務連絡数件,しただけで下校。
かねて「時間がない」「忙しすぎる」とは本人の問題に気付かない者の戯れ言だと指摘してきた。24時間拘束されている債務奴隷ではあるまいし,自分で自分の時間を管理できるのに管理仕切れていないかお決まりのボヤキになるわけだ。要は段取り能力の問題だ。
ところが,顧みれば,研究室では自分の仕事が出来ず,ジム帰りにファミレスに寄って遅れた仕事を少しでも挽回しようとしている自分がいる。
もちろん,ジムに寄る時間や忙しくてもちょこちょこと雑誌や小説を盗み読んでいる細切れ時間,弱いのに続けているナイトキャップを傾ける時間を省けば,まとまった時間ができる。
しかし,それでは別のストレスが生じるし,問題の根本的解決にならない。段取り能力の向上にならないからだ。
振り返ってみると,仕事に優先順位をつけることは無意識のうちにこなしているし,その順番に誤りはないとは思うが,仕事に取りかかるまでが遅い!お湯を沸かして,コーヒーを淹れて,ネットで諸々の情報を漁って,ようやく仕事が始まる。これも「段取りが悪い」と言って良いであろう。ファミレス残業が解消できないはずだ。
「時間は平等ではない」。物理的には同じ24時間が,仕分けが甘い人間,腰が重い人間の前では速く過ぎ去っていくのであろう。
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