2020年12月16日水曜日

最後の部分

  更新が1ヶ月半途絶えた。
 下書きを記してからも半月以上経った。
 そんなに慌ただしかったかと言えば,さほどでもないが,学務等に追われていたのかもしれない。

 覚えていることは3つ。

・全国大会共通論題「少子化と現代資本主義」に係わって,ワークライフバランスの重要性や分配の問題は報告者に賛同しつつも,どこで理解が異なるのか考えてみた。
1)育児に係わるコストは,地域(進学率)や親の職業によっても異なる。
 例えば,進学率が低い地域や低学歴でも親が現状に満足していれば,指定に高学歴を求めない。関連して,機会費用に関しても,県民所得が低い地域は出産(退社・非正規転身)によるコストを低く見積もる可能性がある。現に,県民所得が最も高い東京都の出生率が最低で,最も低い某県の出生率が最も高いなど。
2)費用化しにくい不確定的な要因が見落としがちとなる。
 育児に関わる直接的費用はまだ見通しやすく,費用化は容易だが,少子高齢化自体がもたらす将来不安等はそうではないであろう。

・その不確定的な要因に関わって,
 11月前半,経済原論2で2週にわたって生産的労働概念を解説した。
 まずその前の週,流通過程論,特に流通費用論に関わって,山口重克氏の価値形成労働の姚娟を紹介。ついで,家事労働論争を紹介しつつ,価値形成議論を解説。そのうえで,生産的労働概念にまつわる議論を紹介し,こんにちの多層化した労働の理論的位置付けを解説した。
 しかし,学生には難しかったようだ。 特に独自の見解でもある最後の部分に関して,「価値を形成しない生産的労働のところが難しかった」という感想があった。
 こんにちの多層化した労働,評価が入ってくる間接労働等や費用化しにくい家事・ケア労働等の意味,意義を理解するには,従来,表裏一体的に捉えられていた生産的労働を価値形成労働を分ける必要があるというのが一番伝えたかったことで,その区分基準が,労働とその成果との量的関係についての定量性と量的技術的確定性であった。
 しかし,後者の方で引っかかったということであろう。
 「技術的」に「定まる」なら同じではないか,と思われたのではないだろうか。
 確定性が得られないケースとして,成果の捉え方が主観的で定量性が保てない不生産的労働と,量的に定まった成果が求められていても,経験や知識に基づく判断が介在し,技術的視点ばかりで量的確定性を示せないものがあることを明確に伝えるべきであった。


2020年10月26日月曜日

先週末,発言してみた

  先週の土曜日,24日は経済理論学会第68回大会の初日がZoom方式で開催された。(当初は北星学園大学で24-25日両日開催の予定だったが,コロナ禍により,いずれもZoom方式で共通論題中心の1024日と分科会中心の1212日に分けて開催されることになった。)

 午後の共通論題「少子化と現代資本主義」では3名の報告の後,質疑が交わされた。

溝口由己(新潟大学)「少子化要因分析の視点──資本主義機能不全としての少子化」

宮嵜晃臣(専修大学)「少子化の歴史的位相と日本の特性」

勝村務(北星学園大学)「人口減少と資本蓄積」

 3名の報告者のうち2名は同じ研究会SGCIMEでご一緒していることもあり,結局3報告それぞれに質問を出してみた。(今回は紙の質問票に記入するのではなく,オンライン入力なので質問を提出しやすくなっている)

 溝口報告は,出生率低下の要因を「子から得られる便益 > 子の養育費用」にあると捉え,戦後日本の出生率低下を1974年までの第1期と第2期に分けたうえで,出生率低下の要因を,それぞれ左辺の低下,右辺の上昇に求めている。第1期における便益低下とは,高度経済成長の過程で,第一次産業衰退による労働力としての子の価値低下や社会保障充実による老後保障としての子の価値低下を指す。

 第2期を規定する養育費用はいくつかの要因に分けられる。即ち,育児コスト=直接費用+間接費用(ex.機会費用) / 世帯生涯所得とし,主に機会費用の増加に主因を求められている。

 即ち,小括「日本の第2期出生率低下の主要因」では「正規の雇用慣行(長時間労働)ゆえに、女性の就業と育児の両立が困難。このことが女性就業率が高まる中で、育児の機会費用を増加」。したがって「時短が日本を救う!」と。

 これに対して,次のような質問をしてみた。

「報告スライドでは「日本(中国、韓国も)の出生率低下の7割は非婚化・晩婚化」また「一組当たりの夫婦の産む子の数の減少は少ない」とされており,結婚した夫婦にとって育児コストは大きくは上昇してこなかったということを意味しないか?とすれば,出生率低下の主因を育児コスト上昇に求める全体の主張と齟齬を来さないか?」

 報告者からは大要,次のような回答を頂いた。「上昇する育児コストがハードルと鳴って,乗り越えられると判断したカップルは結婚に踏み切り出産するが,克服困難なカップルが多く,晩婚化=出生率低下を招いた」。質疑はそれで終えたが,所得は婚姻率に関係しているだろうが,低所得者でも結婚し出産している以上,育児コスト上昇だけで出生率低下を出張するのはムリがあろう。(同報告は他に日中韓の育児コスト増大要因の違いを分析したり,働き方の問題や社会環境としてのサブシステンスの重要性を訴えたりしており,特に後者は興味深く共鳴するところも多い)

 宮嵜報告は,溝口報告が出生率低下の主因を育児コスト上昇に求めたのに対し,貧困(所得低下,不安定就労)に求めている。即ち,戦後日本では,「「福祉国家の遺産」(加藤榮一)という側面と新自由主義という背反する諸要素が交代し、並行して進展している」(報告要旨)とみている。前者は老親扶養の社会化を指し,後者は新自由主義政策による規制緩和(福祉国家の掘り崩しや労働市場流動化)を指す。後者で最も強調されているのが,非正規雇用の増大による貧困化の進展である。そのうえで,含意として,2年前の大会で半田正樹先生が発された疑問,非正規労働の増大は「働く貧困層」をつくりだし、労働力の再生産だけでなく,労働力の世代間再生産にも綻びをもたらし、「「グローバル資本主義が一つの社会構成体としての要件をいまなお担保しえているのか」との疑問を再提示されている。

 これに対して,次のような質問をしてみた。

1)報告でも言及されているように日本の相対的貧困率はこの間,若干改善していること,溝口報告が指摘しているように夫婦の完結出生数は大きく低下していないことから,日本の出生率低下の原因を専ら貧困化に求めるのは難しいのではないか?2)そもそも貧困の原因を雇用が比較的安定的な製造業の空洞化や非正規雇用の増大に求めているが,非正規雇用比率は,性別年齢階級別に見ると,安倍政権下で上昇したのは主に65歳以上層(女性は55-64歳層も)で他は低下しており,出生率低下に結びつく貧困化と結論づけられるのだろうか?3)パート年収200万円未満というとき,自ら就業調整している家計補助的労働を一緒にしていないか?」

 宮嵜晃臣さんとは研究会でよくご一緒するので,気安くさまざまなコメントしてしまったが,整理し直すと,2)貧困化や3)出産に当たる世代の非正規雇用化の見積りが粗く, 1)出生率低下との因果関係を明確に示せていないのではないか,ということである。

 宮嵜さんからは,大要「全体しては非正規雇用数が増大し,率も上昇を続けている。不安定就労も相俟って,出生率低下をもたらしている」との回答を頂いた。

 私自身,非正規雇用には,働き方に見合った賃金や処遇(無期契約)になっていないという問題があることは重要だと思っている。その点は否定しないが,非正規雇用全体を一括りにして比率の上昇や低収入を主張すると,家計補助的主婦パートや年金受給者も含めた数字になった粗い分析になってしまい,結論の説得力が失われるというという懸念がある。また,「収入(貧困化=賃金)に限定し,育児コスト,特に機会費用を射程に入れていないので,働き方の問題(男性片稼ぎモデルの限界など)を扱わないなど視角が狭くなっていないか?」という感想めいたコメントも提出しておいた。

 勝村さんの報告は,従来の狭義の経済学では人口動態を扱ってこなかった(所与としてきた)として人口減少を視野に入れた場合,経済原論ではどのような影響があるか,論じたものである。

 これに対して,報告の本筋とは離れて次のような質問をしてみた。

「報告要旨では,新自由主義と共同体解体傾向が一体化されているように読める。しかし,「資本主義の発展による個人化」は「「老後」の社会化」によって補完される限り問題ないのだから,人口維持のための新新マルサス主義の要請が起きない限り,新自由主義が横行しても問題ない,ということにならないか?」

 勝村さんからは,大要,「資本主義の発展による個人化」は個人としては問題なくても社会の再生産としてはやはり問題との回答があった。

 振り返ると,練りが足りず,あまりよい質問ではなかった。聴きたかったのは,1)新自由主義が共同体解体の主因なのか,2)そもそも「共同体の解体」は社会的に問題か,ということであった。「解体」という字面から良くないことと即断されがちだが,内実は共同体,家族の多様化ではないだろうか。個人化でみなが子どもを産まなくなれば,社会が存立できなくなるのは当たり前だが,家族の多様化にすぎないのであれば,問題ないのではないか。

 総じて,少子化の背景にある働き方の問題(男性片稼ぎモデルの限界),非正規雇用の処遇格差,家族形態の多様化,社会環境としてのサブシステンスを問題にする点には共鳴できる点が多いものの,実際のデータとの照合が不十分なままでは因果関係にあるという結論が説得力を持たず,上の諸点の改善必要性という政策的含意も納得されなくなるのではないか,と懸念する。

 

2020年10月21日水曜日

恩師への失礼なお節介

 もう1週間以上前になるが,学部,大学院時代の恩師,逢坂充先生より「経済学と労働価値説(後編)」(九州大学『経済学研究』第87巻第1-3合併号)の寄贈を受けた。
 添え文に「今回の「後編」をもって終了といたしました」と記されていたのを目にして,失礼ながら急ぎ足で全4編拝読した(前編、中編,続中編はそれぞれ同誌第85巻第2-3号,同第5-6号,第86巻第4号)。


 価値形態論に付加価値形態論を対置させ,労働の二重性を商品論と生産過程論の二層で捉える壮大な構想に拡大する間接労働を射程に入れて労働価値説を「新生」させようとする先生の熱い思いを感じた。
 僕自身,ちょうどこの度,経済理論学会『季刊経済理論』第57巻第3号に掲載される「労働の同質性の抽出」では,「労働の二重性」を商品論以前に機械的に規定したり,生産過程論以前の労働過程論で演繹的に導出する見解を批判し,生産過程論の意義を宣揚しており,方法論としては逢坂先生とは異なっているが,労働概念を拡張し,こんにち拡大する間接労働を射程に入れようとする点は共通だ。
 何より先生が齢を重ねても研究論文を書き続けられている点を尊敬して止まない。

 ハガキで礼を述べると同時に,「「終了」と仰らずに書き続けられては如何でしょうか』と記したのは,無神経で礼を失したお節介だろうか。

2020年9月30日水曜日

二分法で良いか?

 更新が一ヶ月以上空いた。

 この間,大学院改組上の問題が持ち上がったり,基本的に対面授業となる後期の授業準備を進めていた。
 基本対面授業と言っても,三密を避けるために,列を1つ空ける必要があったり,資料の配付やレスポンスカードの回収に工夫が必要であったりする。また,それでも履修登録者数が教室定員を超えた場合,オンライン授業に移行する必要がある。

 講義の準備は,そのような授業形態の検討ばかりではない。
 2017年度の改組によって2単位科目が基本となり,経済原論も,経済原論1と同2に分割された。
 当初は元の通年授業を単純に前半,後半で分けていたが,今年度から,原論1で原論の概要を一通りお話しし,同2で主な論点を詳しく解説してみることにした。
 そのため,いわゆる価値形態論は原論2(後期)の冒頭に回し,価値形態の展開と価値形態論争の2回に分けて解説することにした。さらにもう1コマ追加して,3-4週からなる1単元に括ろうと考え,これまで解説してこなかった『資本論』商品論第4節の「商品の物神性」も解説してみることにした。
 そこでは,ロビンソン・クルーソーや中世領主農奴制,自由人のアソシエーションを例に人格的依存関係とは異なる物象的依存関係が解説されている。

 解説していて,以前ここで披瀝した共同体理解への疑問と同様のことを覚えた。
共同体経済,あるいは人格的依存関係で統一された社会が望ましいか,ということである。
 長くなりそうなので,一言で言えば,依存関係から切り離される面を認めない限り,自由人には受け容れがたいのでは,という疑問である。
 もっと言えば,人格的依存関係にあることが望ましいのか,ということである。古代や中世のような身分社会を思い描いてみれば容易に想像つくであろう。
 もちろん,商品経済のような物象的依存関係が望ましいと言っているわけではない。
二分法による社会区分で将来を展望するのにはムリがある,ということである。

2020年8月24日月曜日

結末後が長い

 日曜日の夜は時間を持て余すのか、ジム帰りにまたも映画音楽作曲家エンニオ・モリコーネ追悼特集へ。『鑑定士と顔のない依頼人』。監督は前回と同じトルナトーレ。結末ついた後が長いのも同じ。蛇足と言っては失礼か。


 結末が付かなかったのが前日の報告。
 前日,8月22日(土)は午前バーチャルオープンキャンパスの溜川先生の模擬講義後の質問受付け役。午後は故馬渡尚憲東北大名誉教授が主催されていた仙台経済学研究会の第34回例会で「可変資本概念の変質」を報告。

 まだ構想段階でエントリーしたため,報告していて繋がりの悪さに気付く始末。
 収穫としては,
・搾取と収奪とは,ニュアンスの差を別にすれば,概念的に区別する意識が現在に限らず,以前から薄かったこと
・純生産物に労働者の生活資料を含めるのも一般的であること
を教えられた点。

  論文にするにはまだまだ勉強して補強が必要であり,結末後が長いことに変わりはなかった。

2020年8月20日木曜日

大旗

 先月くらいから映画鑑賞づいていaaる。平均すれば,年鑑賞回数1を切る人間がこの2か月で10年分以上鑑賞している。キッカケは毎日新聞オンラインニュースで知った『なぜ君は総理になれないか』。訪れた映画館では若尾文子映画祭を開催中と知り,『爛』『刺青』『華岡青洲の妻』。さらにその予告編で映画音楽家エンニオ・モリコーネ追悼特集が紹介され,『ニューシネマパラダイス』.。コロナ禍でどこにも出歩けなくなったせいかな。

 先週夜遅くパラダイスからてくてく20分掛けて帰宅すると大内秀明東北大名誉教授より『日本におけるコミュニタリアニズムと宇野理論』の寄贈。
 個人的には共同体原理やアソシエーションにさえ疑問を覚えるようになったが--無効無益という意味ではない--,大内先生が高齢をおしてコミュニタリアニズムという大旗を掲げられていることを尊敬し,刺激を受けている。

生煮え

 先月末,故馬渡尚憲東北大名誉教授が主催されていた第46回仙台経済学研究会の報告が2枠空いているという連絡を受けたので,「まだ形ができていない」と断りながら手を挙げてみたら,本決まりになった。

 8月22日(土)午後,Zoom開催。
 「可変資本概念の変質」

 可変資本概念が変質,あるいは形骸化し,一方で搾取と収奪との区別が薄れるなど概念的希釈化が進行し,他方で、価値形成労働の生産的労働化(生産費用化)が進んでいるのでは,という問題提起だ。

 未だ生煮え状態だが,同研究会は,今やほとんどの参加者が経済学説史専攻の方ばかりであり,搾取概念の生成,発展やマルクスの理論形成については疎いので,学史の方からアドバイス頂ければ,と思っている。

2020年8月9日日曜日

先は長い

 6月末,論文の刊行に目処を付けて以降,次のテーマに取りかかっているが,この間届いた学会誌の特集論文のテーマに触発されて関連する論文を読んだり,ノートを取ったりで,かなり横道に逸れてしまった。

 自身のテーマの方は,柱となる論点を挙げただけの段階。
 3つの論点を設定してみたものの,それぞれ掘り・練りが進まず,相互の関連も曖昧だ。
 学期末の様々な業務の合間に「論点だけノート」と睨めっこしている。
 お盆休み前の三連休も同じことを繰り返すことになりそうだ。

  朝昼晩,せいぜい1時間半か2時間。
 キーボード入力する実働時間はさらに短い。

 効率が悪い,ムダが多いと思うが,早々と結論を出していては碌なことがない,筋が浅い,第三者的には展開に無理があり理解を得られないという痛い体験が何度もあるので致し方ない。

 ところで,休日は朝昼晩通っている近所のドトールコーヒー。
 新コロナウィルスの感染が拡大して一時営業時間を極端に短縮し,徐々に拡大させ,カウンター席も椅子の数を減らして間隔を保っていたが,昨日辺りから椅子の数が戻り,席を空けなくなった。
 全国的には感染が再拡大しているのに。

 営業上の問題もあるだろうが,ワクチン未未開発の感染病対策は,比較しては不謹慎と言われるかもしれないが,論文構想と同じで,先を急ぐと意に反して完成が長引くことになりかねないことも考慮する必要がある。

2020年7月26日日曜日

残る疑問

 前々回,「ポストキャピタリズム」論が勉強になったことを述べ,最後に「物象化論とアソシエーション論の扱いや著者の貨幣の社会化論はまだ理解したとは言えず」と記した。

 アソシエーション論一般だと話が大きくなるが,
 いや実際はそっちに関心があるが,論じる理論次元の話に限れば,
 疑問は「宇野派の議論にアソシエーション論が欠けていることは構造的に明らか」という点だ。
 宇野派に限らず,理論から直接アソシエーション論が出て来ないのは,福祉国家論が原理論から直接出て来ないのと同様に思える。
 福祉国家の一部である政治的同権化(労働者の政治的地位の向上,例えば普通選挙権)も理論からは直接導き出せないだろう。
 労働組合もそうだ。
 市場の理論から市場競争自体を阻害する結社,談合を導くのは難しい。
 結局,価値法則なんて機能していない,という話になるからだ。古典派経済学に批判的だった初期マルクス段階なら別だが。。。

 もちろんマルクスの『資本論』にも絶対的窮乏化論や「最期の鐘が鳴る」論もあるにはあるが,理論的展開とは言いがたいというのが宇野弘蔵以来の認識であろう。

その他,著者による紹介は
  過渡期論 ポストキャピタリズム論
久留間派  アソシエーション論
宇野派 福祉国家論 市場社会主義論 
のように読める。

しかし,
・ポスト・キャピタリズムとしては両派は同じ内容に行き着くのか?(そもそも理論から一義的に導けるのか)
・アソシエーションは共同体原理(人格的依存関係),いわゆる生産手段国有化論は非共同体原理(機能的関係)であり,接合可能なのか? (接合するとなると,いわゆる国有化論は共同体体制(人格的依存関係)になり,共同体と問題を共有する。
・共同体の人格的依存関係という問題点,所有権論(国有化論もその一つ)の問題点(失敗)はどのように克服されるのか?
という点に疑問を覚える。
 「労働者のアソシエーション」というフレーズであたかも問題が解決したかのようだが,
・アソシエーションがどのように成立するのかという問題
・アソシエーション,あるいは共同体(人格的依存関係)は無前提に肯定されてよいか
という問題が残っているのではないか。

時代性

 学期末,さまざまなレポート等の処理で忙しいはずだが,
先週末は楽天イーグルスの試合を生観戦。
最近,コロナ感染が拡大しており,罹患も濃厚接触者になるのも怖かったが,感染者は今後拡大の一方と思うと,「今が最後のチャンスになりかねない」と考え,球場へ。
 18,19日の2試合,決Kは1勝1敗だが,内容は打てる限りで勝てるというBクラス野球(早速次の週は連敗街道)。

 24日には,毎日新聞の政治エッセイで紹介されていたのを読んで,突如,映画を観たくなった。
 「なぜ君は総理大臣になれないのか
 急遽ジム通いを20時半からの鑑賞にスイッチ。

 最近は劇場HPから座席指定,チケットもクレジット決済。

 そのHPに「若尾文子映画祭」のニュース。
 著名だが一度も映画を見たこともない女優の,1962年の映画を25日(土)21時から鑑賞。
 浮気,不倫はいつの時代でもだろうが,妻の座を争うに時代性を感じた。

2020年7月20日月曜日

ポスキャピ?

 先週は学務に追われ,剰余価値論の勉強は後回しになった。
 他方で,その前の週くらいに届いた経済理論学会誌『季刊経済理論』57-2の特集企画「ポストキャピタリズムへ」に関心を引かれ,特集論文を読んでみた。
 特に結城剛志「ポストキャピタリズム論の諸相---貨幣の社会化への射程」は勉強になった。
 福祉国家論と市場社会主義論の違いが整理されていた。
 他方,物象化論とアソシエーション論の扱いや著者の貨幣の社会化論はまだ理解したとは言えず,ノートを取っている最中だ。

2020年7月19日日曜日

ほんつゆ

 前回,南東北では一日中降り続くことは少な久,今年は「優しい梅雨」と記したが,先週になって一転。一日中降る日が続いた。
 
 先月,一時はベルトがキツくなっていたが,今では手のひら一つ,二つくらい空くようになった。

 例年通り体重と体脂肪率が落ちる「本物の梅雨」だ。 


2020年7月7日火曜日

第2の就職氷河期は形成されるか


 「失業率はさらに伸びそう」というのは無神経な物の言い方だったかもしれない。
  休業者や就職活動中の学生には今後のことが不安になるからである。

 先月末発表された総務省「労働力調査(基本集計)」5月分によれば,完全失業者は万人(前年同月比33万人増),完全失業率は2.9%(前月比0.3ポイントの上昇)であった。
 しかし,休業者が423万人いる。
 今回,中小企業の場合,企業が休業者に支払う休業手当は100%雇用調整助成金から補填される。(労基法上,企業の都合による休業の場合,賃金の6割以上の支給が必要)
 しかし,企業にとって毎月の支払は賃金だけではない。
 家賃や諸々の契約上の基本料金が必要であろう。
 地方自治体による休業要請が解除されても,売上げがさほど回復せず,企業がそれらの支払に堪えられなくとなると,廃業・倒産となる。
 休業も失業になる。

 報道によると,失業率は年末には4%に達するとの予測が立っている。
 直近では,リーマンショックの翌年2009年7月の5.5%が月間失業率の最高値だから,まだまだ低い。

 しかし,上の予想は, 新型コロナウィルスの感染拡大が終息したまま第2波が到来しないという想定であろう。
 第2波が到来し,緊急事態再宣言や休業再要請が生じると,失業率の二番底が形成される。

 懸念されるのは,ワクチン開発が遅れ,感染拡大が何度か続くケースである。

 「就職氷河期世代」はリーマン・ショックでは形成されなかった。
 91年バブル経済崩壊後,長い不況の仮定で,新卒採用の収縮が何年か続いたため,氷河期が形成されたのだ。

 その意味で,景気下落が短期に終われば,就職率の低下も短期に終わり,就職浪人の学生も正社員採用されて行くであろうが,景気低迷が長期化すると,新卒採用を絞り込みが何年か続き,「第2の就職氷河期」が形成されてしまう。

 失業率がさらに上がるのは良くないことだが,それで済めば,今の経済状況から言えば,御の字。
 上がったまま高止まりすると,新卒採用も抑えられ続け,影響も長期にわたるのである。

流れ出る

 体重や体脂肪が落ちると,梅雨入りを実感する。
 食事や運動は年間を通してさして変わらないのに,冬場にピーク,梅雨にボトムのサイクルを繰り返しているからだ。

 南東北では,今年は一日中降り続くということは稀で,土砂降りもほとんどない優しい梅雨を迎えている。
 3年ぶりの豪雨に見舞われた九州には険しい梅雨となった。

 九州にいた間も熊本にはあまり訪れた記憶がない。
 大牟田には,短大で非常勤を勤めていたので,大牟田線は2年間,前期だけ毎週大牟田線で通っていた。
 久大線は2度くらいしか利用したことがないが,先が長いとのんびりできた。

 街は浸り,橋が流れ,住民の方は大変な思いをされているだろう。
 亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
 避難所に逃れた方には,大震災をみても辛抱も長くはないと伝えたい。

 それとは別に,個人的な思い出と思いが流れ出て止まらない。

2020年6月30日火曜日

失業率は今後さらに伸びそう。

 前回から1か月近く空いてしまった。

 この間,日本的雇用慣行の健在ぶりをマザマザと見せつけられた。
・コロナ禍の,行政からの休業要請や外出時出(売上げ激減)に対しても,正社員の休業で対応した(労基法上,事業主の都合による休業には賃金の6割以上の支給が必要)。
・他方で,中小企業のなかには,特に非正規雇用に対し休業手当の手続きをとらない業者も多かった。
・テレワーク(在宅勤務)という点でも,大企業や正社員はテレワークが促進されたものの,中小企業や非正規労働者のの中には満員電車に揺られて出勤を求められるものが多かった。
・しかし,休業が続くと,体力の無い企業,売上げ激減続き体力を奪われた企業からは失業者が輩出された。
 総務省の分析によると、4月時点の休業者のうちおよそ5割は5月も休業を続けている。このほか1.7%は完全失業者となり、さらに4.9%は職探しを止めた非労働力人口になった。つまり,合わせて約7%が職を失った。

 感染第1波はおわり,緊急事態宣言も解かれた。
 しかし,客足,売上げの回復が容易には進まないなかでは,事業存続を危ぶんだ企業が解雇に踏み切る事態が起きそうだ。つまり失業率はさらに伸びそうである。


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 実はこの間,学会誌投稿原稿の結果待ちだったので,余り具体的なことは欠けなかったのだ。
 最初の投稿が昨年11月末(12月編集委員会向け)で,その結果(改善意見付きの継続審査)が届いたのが今年3月末,そこから5月下旬に再投稿するまで改訂作業を行なっていた。その後は,6月編集委員会の結果待ちだったのだ。
 投稿論文は査読委員はおろか,編集委員にも正体を明かせないので,ここでも触れるわけにはゆかなかった。

2020年6月9日火曜日

ここでは伏す

 この間,5月末まではかつての研究会報告へのコメントを参考に自身の考えを再検討していた。
 コメント,批判への対応という形で論点を1つずつ考えるたびに,自分の考えがより一層クリアになった。言い換えると,それまでの自分の考えの浅さが明らかになる。しかし,同時にそれは考えが深まっていくわけだから,最初は難題に見えても自分なりの回答を得たときには充実感がある。
 それを繰り返してきたわけだが,そうしている内に自身がまだ明らかにしていない点,穴も浮かび上がってきた。

 ここ2,3年,純粋に経済原論的な研究をベースにより現実的な問題に適応できないかと,その可能性を探っていたが,今回の研究を練り直してうちに経済原論の領域に止まる必要も感じてきた。

 というのも,最近の経済原論研究の傾向と自分の考えに開きが大きいことが明らかになり,これをそのまま見過ごすことは自分のこれまでの研究が見過ごされることになるのでは,と考えるようになったからだ。
 その論点とは何か,このまま研究をその方向に進めるか未だ定かでないので,ここでは伏す。大仰かな?



2020年5月19日火曜日

したたか

 2か月前,労組の勉強会に出席して,「組合は「底上げ」「底座さえ」「格差是正」をスローガンに賃金引き上げを訴えてきたが,企業は内部留保を積み上げるばかりで,賃金上げは思うように進まなかった」「どうすれば良いか」と問われたとき,頓珍漢な答弁をした記憶がある。
 内部留保が貯まるのは有効な成長戦略が描かれていないのであるから,生活環境の充実,将来が安心できる社会保障など市民にとって有益な成長戦略を示してあげるべきだったのだろう。

 しかし,この間のコロナ感染爆発による世界的な不況に遭遇すると,生半可な成長戦略では企業の内部留保取り崩しは進まないと実感した。
 企業は安倍政権を支持しているだろうが,アベノミクスやその成長戦略など全く信じていなかった。だから内部留保が溜まっていったのである。
 バブル崩壊後の長い経済低迷やリーマンショック後の景気低迷が忘れられない企業は,政府の成長戦略を当てにせず,ひたすら内部留保を積み上げたのである。

 やはり資本は強かだ。

気は緩む

昨日で1か月続いた在宅勤務が空けたため,早朝家を出て高速バスにのったところ満員。
こちらも一日中,研究室を使えるということで気が緩んだようで,思ったように作業は進まない。

2020年5月5日火曜日

在宅勤務

 在宅勤務が4月20日から5月10日までと長い上に,世間の休み(4月20日からステイホーム週間,29日からゴールデンウィーク)と重なり,平日の感覚が掴めない。
 
 自宅では集中できないので,近所のドトールコーヒーに通っているが,ドトール通い自体,週末の行動そのままなので,土日がずぅと続いている感じだ。

 緊急事態宣言の延長と同様,出口戦略が重要ということであろう。

宣言について

 緊急事態宣言はいろいろなことを考えさせられた。
 
 専門外なので手短に感想を。
・私権の制限自体はそれほど脅威に感じなかった。
 三密を避ける名目で集会を禁じられたとしても,こんにちではむしろネットの言動の方が威力がある。むしろネットに載らない政治的言動はあたかも存在しないかのような雰囲気は怖いが。。
・恐れたいたこと,国民の側が制限を求める雰囲気が出てることは現実化した。
 全国知事会が緊急事態宣言の全国一律延長を求めた。
 知事は制限する側だが。。住民に直接対面する立場にある。
 (インフルエンザ特措法では,緊急事態宣言の対象となる都道府県に私権の制限を委ねる。但し,都道府県は私権の制限に際し,国が定める基本的対処方針に従う必要がある。)
 市民の側から休業要請に従わない業者へのクレームが殺到したり,県外移動が禁止されていることから他県ナンバーの車への投石が起きている。
(同法では,都道府県に病床確保のための施設収容には強制収容権限を与えているものの,休業要請等には守らない業者名の公表を認めているだけで罰則はない)
 
 国の定める基本的対処方針一本で市民同士が攻撃し合うのにも違和感を覚える。
 宣言は持続しても対処方針はクルリっと変わる。
 休業要請が守られない背景には,補償が十分でない点があると思われるので,犯罪のように国が強制排除してもいないのに,市民が排除しないでも,と思う。
(政府は宣言を5月末まで延長するのに伴い,13の特定警戒都道府県でもは公園,図書館等は一定の対策をした上で自粛解除を認め,他の34県には,パチンコ他多くの業種で自粛解除を認めている。)

2020年4月29日水曜日

不完全stay home

 緊急事態宣言について書こうとしていたら,間が空いた。
 4月20日から5月10日まで在宅勤務になったため,週末のように過ごしている。

 週末は,特に外出しなければ,朝昼晩近くのカフェに3往復,合間にジムに通っていた。
 ところが,スポーツジムが休業要請の対象となって休館。
 カフェも,  閉店時間を2時間半早くし,やがて3時間半に早め,開店時間も1時間繰り下げとなったため,せいぜい2往復といったところだ。

 同時に運動不足から身体が重たくなっている。

  完全なstay homeではないが,行動範囲は確実に狭まっている。

2020年4月9日木曜日

後手を踏んだ後に

 新学期の授業ガイドラインはたびたび見直され,現在はGW前までは対面授業を行なわず,オンライン授業支援システムWebclassを用いた遠隔授業を行なうことになった。同時に,GW明け後も,いわゆる三密(密集,密着,密接)が回避するための三条件(十分な換気,十分な間隔,直接対話の回避)のうちに条件が揃わなければ,遠隔授業の継続が求められる(おまけに教職員は隣接県を超えた出張の禁止)。

 しかし,Webclassを使ったことのない教員もいるし,何よりWebclassを利用する遠隔授業だけで良いかという問題がある。

 学部としては懸念されることを広く吸い上げると同時に,講習会を開こうとしている。
 なにぶん,新感染病の急速な拡大への対応だから「後手後手」になるのはいずこも同じだと思う。後手を踏んだ後のリカバリーが重要だ。

2020年4月5日日曜日

すべてが流動的

 更新が遅れた。この間ログ原稿を3点くらい作成してみたが,推敲している内に自体が大きく変わった。
 3月下旬,キャンパスおよび学部の新学期対応の授業実施ガイドラインが発表されると,こちらが予想した以上に大胆なもので,学外講師に変更を連絡するなどその対応に追われた。
 しかも,同時並行的に新学期の行事,前期オリエンテーションやアドバイザー懇談会の見直しも始まった。

 すべてが流動的で今後も変更はあり得るが,
ポイントは,いわゆる三密(密集,密接,密着)をなるべく避けるため,オンライン授業支援システムWebclassなどを利用した遠隔講義の活用により,教室での対面授業を遅らせることにある。
 本格的な対面授業はGW明けとされ,三密回避条件が整わなければ,遠隔講義の活用も可とされている。

体表面温度チェッカー
しかも,キャンパスないし学部の対応は,多人数集う場をなるべく方向で繰り返し改訂され,現在のところ,2年生以上の前期オリエンテーションは廃止,アドバイザー懇談会は全学年廃止となった。
 学生に全く会わずにアドバイザーを始めたり,講義を始めたりするのは不安だが,地方でも感染病が拡大しつつある局面では致し方ない。

 Webclassはずっと利用しているので操作自体に不安はないが,4月はすべて遠隔講義なので,講義資料も見直さざるをえない。
 
 

2020年3月13日金曜日

自粛期間に

 新感染病対策として政府の専門会会議は「風通しの悪い空間で人と人が至近距離で会話する場所やイベントにできるだけ行かないこと」と訴え、例としてブッフェ形式のレストランやスポーツジムを挙げている。

 しかし,運動不足解消のため長年通っているスポーツジムのマシーンスペースは,腕を伸ばせば他人と接触するわけでもなく,機器に触るのはステップマシーンのハンドルくらいなので,営業再開した11日から早速利用を再開した。
 また,近所のカフェは,オープンスペース(隣の店舗と通路で区切られているだけ)のため,土日や早く帰宅した日は利用を続けている。自宅では集中できないため。
 どちらも利用前後に消毒液を手に掛けたりして。

 また,この間は論文を読んで勉強。ワーキングプアや欧州のアクティベーションあるいは積極的労働市場政策。
 ワーキングプア論 2000-01年のリストラ状況を背景にしている。その後も非正規雇用比率が上昇を続けたのは確かだが,。。。
 アクティベーション,積極的労働市場政策 社会的支出(社会保障費予算)の圧縮が背景にある。

2020年3月8日日曜日

内職として

 日中ちょくちょくというと大げさか、集中ちょくちょくと学務が入るので,本来のテーマ掘り下げは横に置いて,3月末研究合宿の準備,合宿が中止になってからは,オルターナティブ論およびワーキングプア論。

 オルターナティブ論は春合宿で取り上げられる予定だったこと,その前に今年度講義のゼミテキストで扱っていたから。
 広井良典氏の『人口減少時代のデザイン』(東洋経済新報者,2019)。
 たまたま大学生協書籍部の店頭で見つけた。
 氏の立論は依然ざぁっと目を通したことがある程度。
 こんにち,われわれの研究会でも上の如くオルターナティブ論がテーマの1つになる現時点で振り返れば,持続可能性,地域循環型社会(含む再生可能エネルギー)、地域共同体と雨期になる論点ばかり。

 ワーキングプア論は,来年度ゼミに移ってくる学生が今年度属したゼミで昨秋発表した論文のテーマであったから。
 後藤道夫氏ワーキングプア急増の背景と日本社会の課題(『社会政策』1-4,2010)、同「日本型社会保障の構造---その形成と転換」(渡辺治編『日本の時代史27 高度成長と企業社会』吉川弘文館, 2004) ,同「ワーキングプア再論」(『唯物論研究年誌』24, 2019)
 説明すると長くなるので,結論のみ挙げると,
 戦後日本の社会保障の特徴を,欧州の福祉国家体制とは異なる開発主義体制、日本型雇用に求めている。
 貧困の基準を,生活保護あるいは相対的な貧困点よりも1.4-1.5倍高い「ふつうの生活」が可能な点に求め,その比率が高まっていることを指摘している。
 原因を90年代以降の新自由主義施策,2000年代初頭の小泉改革,2004年のリストラに求めている。
 ふつうの生活を支えていた年功賃金がカバーできる範囲が縮小し(男性ホワイトカラーのみに限定され,ブルーカラー系職群の「非年功賃金下層・中層化」がすすんだ)、現代のワーキングプアの中心をブルーカラー系職群に求めている。

 いずれも個人的に共鳴したという意味ではなく,むしろ懸隔を感じさせながら,そのことで大いに勉強になった。

2020年3月1日日曜日

8月合宿に持ち越し

 この間,学務に追われる合間に,準備を進めてきた春合宿が中止となった。
 三月になると他にさまざまな用が生じると,早めに準備していたのだが。

 「グローバル資本主義の変容と労働」というテーマを与えられ発表しようとしたことは

  • グローバル資本主義の下で非典型的雇用の増大,格差の拡大が進んだ。
  • しかし,日本的雇用システムは維持されている。
  • 。。。
  • 。。。
  • もちろん,変化もある。労働者の階層分化。。。。
  • 格差・貧困との関係も非正規則貧困ではなく,非正規層の中でも年齢,性で貧困状況に違いがある(課題も異なる)。
 今回,「グローバル資本主義の変容と諸論点」という統一テーマで論点頭出しを試みた様々な報告は8月の合宿に持ち越しとなった。

2020年2月14日金曜日

春合宿の準備

 2月前半は期末レポート,期末試験の採点に専念。
 他に会議も。
 歳をとるとなんやかやの委員が割り振られ,今日のように会議の予定が入っていないと,ホッとする。

 採点作業はいまも続いていているが,来週になると,春合宿の準備など。
 今春のSGCIME合宿は,単独のテーマを掲げ議論を深めるではなく,「グローバル資本主義の変容の諸論点」という題目を掲げた全体会を3日間にわたって行い,幅広いテーマでの論点出し・検討を行うとのこと。
 すなわち,この間の(特にリーマン危機後の)グローバル資本主義の変化を意識し、「グローバル資本主義の変容と○○」として,原発,地域,労働,格差,ジェンダー等それぞれの分野での論点を洗い出す方針のようだ。

 「グローバル資本主義の変容と労働」が当たったので,3月からその準備に入る予定。
 (2月後半はたまたまいま手を着けている地域と共同体の問題についてノートレベルだが,まとめておきたい)
 日本的雇用慣行の存続と変化,展望についての報告になるだろう。
 日本的雇用慣行がしぶとく残っているという考えは,メンバーの大方の理解と対照的なので有意義なのでは,もちろん変化と展望についても考えを示したいと,依頼してきた幹事には伝えておいた。

2020年1月31日金曜日

三編の地域社会展望

 この2週間更新が途絶えたのは学務に追われた面があるが,その合間に地域社会の展望に関して相異なる三つの見解を追っていたからでもあった。

 キッカケは経済原論演習の後期テキスト,半田正樹他『原発のない女川』。
 テキストの大半,戦後日本の原発推進や反対運動,原発の地元への経済効果等,大半はさしたる議論も起こらず進んだため,最後の第4章「地域循環型社会を目指して」に関してはじっくり取り上げることにした。
 ちょうどゼミの時間に臨時会議が設定されたこともあり,2週間くらいおいて,参考文献にも当たったうえで報告する,という風に。

 第4章の著者である半田先生は,地域社会に関する様々な論稿を参考文献に挙げられている。
 ゼミ生にはそのうち神野直彦『地域再生の経済学 豊かさを問い直す』(中公新書,2014),第7章「知識社会に向けた地域再生」,同『「分かち合い」の経済学』(岩波新書,2010)第7章「新しき「分かち合い」の時代へ―知識社会に向けて」,関根友彦「グロバリゼーションと資本主義を超えて」(松原望・丸山真人編『アジア太平洋環境の新視点』第8章, 彩流社,2005),半田正樹「共同体的編成原理の射程」(『季刊経済理論』50-3,2013)を挙げ,自分自身でもノートを取ってみた。

 すると,半田先生が地域循環社会論のなかで参照を求められていながら,地域社会に関する展望はそれぞれ全く異なっており,興味深かった。学部生にはいずれも難しく,相互の認識,構えの違いまで抑えきれないかもしれないが,。。。

 神野先生の論稿は,農業から離脱し発展した工業化の,さらにその先に知識産業化を捉え,知識産業化すなわち人的資本への投資を,人的関係に基礎を置き,「分かち合う」地域社会と並列において,今後の社会の発展を地域社会に求めるものである。
 半田先生の「共同体的編成原理の射程」は関根先生の経済表に公共部門を付け加えたものである。すなわち,生産手段国有化という定式ではなく,純粋資本主義からの乖離を社会主義への移行段階,脱資本主義と捉える関根先生は,経済表上に財の再生産関係を表現することによって社会主義の現実妥当性を明らかにしようとされた。その三部門からなる経済表に公共部門を加えたのが半田論文だ。
 他方,半田先生の地域循環型社会論は純粋な自給自足型社会,共同体経済論だ。

 半田先生は地域循環型社会を論じる中で他の2つの論稿に参照を求めているが,3つは地域社会の展望について全く異なる,あるいは相対立する理解に立っている(個人的にはこのことに触れずに参照を求めるのは疑問を覚える)。
 地域純型社会とは農工一体論というか,農業をベースにした自給論だ。理想社会としての現実妥当性を生活資料が自給できることを以て示そうとしている。したがって閉鎖型社会になる。
 他方,神野先生の論稿にも地域社会の自立を訴える面があるが,発想としては農業社会とは全く逆だ。自然に直接働きかける農業から,自然をむしろ原材料として利用する工業化(農工分離)を経て,さらに人間に働きかける知識社会化を展望している。地域社会には食糧の自給に期待しているわけではなく,農工一体型の,地域循環型社会論とは真逆の展望に立っている。
 関根先生の経済表,あるいは半田先生の経済表はその中間だ。経済表上,主に最終消費財とされる質的な財を供給する地域社会部門は,地産地消型社会にも見えるが,主に中間財である量的な財は都市部門,大企業部門から供給を受けている(大都市部門には住民がおらず都市部門から労働力を受け入れ,その生産物を都市部門に返し,都市部門が地域社会に量的財=中間財を供給している)。関根経済表が地域社会に社会主義の展望を見出すのは,質的財=最終消費財の自給自足にあるのではない。確かに地域社会内での,顔見知りの間での需要供給関係に財の質への信頼感・安心感を求められている面があるが,社会主義的展望はむしろ地域社会部門が都市部門,大企業部門双方に土地用益を排他的に供給している点にある。すなわち,土地貸与を盾に都市部門,大企業部門の資本主義的暴走を牽制しようという発想である。地域社会を規制主体に据えているのは,それが共同体としての相互扶助を社会の編成原理として評価しているからとは言えるが,社会経済の規制,すなわち社会主義の展望はけっして共同体内に収っていない。その意味では自給自足論=地域循環型共同経済経済論ではない。農工はむしろ分離しており,それを一方で商業が他方で土地賃貸契約が結びつけているのである。
 このの相違に触れないのはももったいないと思う。
 視角の異なる論稿を相互比較し検討することによってこそ地域社会の展望に関する考察が深まるからだ。

 興味深いのはこれらの視角の相違以外に,それぞれに疑問を覚える面があったこともあるが,長くなるので今回は省略。

2020年1月20日月曜日

一息

 1月17日夜,東北学院大学経済学部「政治経済論II」のまとめシート2の採点を完了。
 毎回3点配点する確認問題と2回のまとめシートで評価しているから,来週の、最終講義の確認問題で
10日が締切りだったので,単位評価の素材はすべて揃うことになる。
 それでも,まとめシート2は10日が締切りだったから採点に1週間を要したことになる。

 この間中断していた連合山形『春闘パンフレット2020』の「経済指標の解説」原稿を20日午前投稿。こちらは官庁発表の経済指標を新聞記事等も参考に解説したもの。

 担当科目は他にもあり,未だ学期末処理は残っているとは言え,一番大きい(受講生が多く時間を要する)作業を終え,ホッと一息。

2020年1月14日火曜日

機微に触れる

 読書三昧,と言っても小説3冊の3が日の後はしばらく構想を練っていたが,休み明けの6日からは毎年請け負っている連合山形『春闘パンフレット』の「経済指標の解説」を執筆を再開。
 官庁公表の経済指標を新聞記事とと照合しつつ解説。
 但し,データによって公表時期がまちまちなので,最新データが未発表なものは翌週に残して書きつなげた。

 他方,先週末は,少し早めにオンラインで実施した東北学院大学「政治経済論2」のまとめシート2の採点。
 従来,期末試験は事前に問題の候補を2,3予告したうえで,最終日に行なっていた。
 しかし,予告したテーマが学生には上手く伝わらないことがあり,昨年度は事前に問題を記した答案用紙を配付し,最終日に回収する方式をとった。
 ただ履修学生が多数の場合,答案用紙を学生番号順に並べ変え,ワークシートに提出記録を入力する整理にけっこう時間が掛かる。
 中間試験,まとめシート1は以前からオンラインで実施していたが,今年度は前期の「政治経済論1」から期末試験に当たるまとめシート2もオンライン入力方式に切り替えた。
 この場合,「。。。について論ぜよ」「解説せよ」の論述式ではワークシート上でも読みにくいので,問題を小分けして,論点毎に20字以内,400字以内と字数を限定した記述式とした。
 しかし,字数を制限しても,記述式の場合,内容は学生により様々である。選択式問題ならば,正答肢と誤答肢を限定できるが,記述式はそれができない。たとえ,100字以内の問題でも,こちらの設定した採点基準と多少ズレた記述を正答とするか,部分点を付けるか判断に迷うことしばしばだ。また,採点している内にその判断がズレることもあるので,答案の読み直しを何度か行なう必要がある。つまり,短い記述式でも採点には時間が掛かる。オンライン出題の利点は集計作業くらいだ。

 今回も三連休費やして372名の採点を終えられず,結局3日目の夕方には作業を中断。
 ネットでインタビューを読んだ足立紳『喜劇愛妻物語』(幻冬舎文庫)。夫婦関係の機微にも触れ,頭の休養に充てた。

2020年1月1日水曜日

3が日

正月3が日は完オフ。
帰省先もなくなり,暇潰しに小説。
最近は気持ちに余裕がないのか,小説を読むのは盆休みと3が日くらい。

それが分かっているから,年末の恒例行事,る新聞の書評委員が選ぶ「今年の3点」を待って,数ある委員のなかから直感的に1名が挙げたた3点をアマゾンより取り寄せておいた。

3が日の内に読み終えられなかったらどうしよう?

昨年と変わらず

 田舎を引き払い帰省の宛がない正月は,元日昼前に大崎八幡宮に散歩し,3が日は完オフにして読書が習わしになっている。

と言っても,お賽銭を投げ鈴を鳴らすわけでは無いので,「参拝」というより参拝客の冷やかし。

今年は11時前だったせいか,賑わいもそこそこ。
母向けに求めたお守りは最も安い「守護みくじ」が二百円也。こちらも昨年と変わらず。





先人の知恵を