この間,大学院改組上の問題が持ち上がったり,基本的に対面授業となる後期の授業準備を進めていた。
基本対面授業と言っても,三密を避けるために,列を1つ空ける必要があったり,資料の配付やレスポンスカードの回収に工夫が必要であったりする。また,それでも履修登録者数が教室定員を超えた場合,オンライン授業に移行する必要がある。
2017年度の改組によって2単位科目が基本となり,経済原論も,経済原論1と同2に分割された。
当初は元の通年授業を単純に前半,後半で分けていたが,今年度から,原論1で原論の概要を一通りお話しし,同2で主な論点を詳しく解説してみることにした。
そのため,いわゆる価値形態論は原論2(後期)の冒頭に回し,価値形態の展開と価値形態論争の2回に分けて解説することにした。さらにもう1コマ追加して,3-4週からなる1単元に括ろうと考え,これまで解説してこなかった『資本論』商品論第4節の「商品の物神性」も解説してみることにした。
そこでは,ロビンソン・クルーソーや中世領主農奴制,自由人のアソシエーションを例に人格的依存関係とは異なる物象的依存関係が解説されている。
解説していて,以前ここで披瀝した共同体理解への疑問と同様のことを覚えた。
共同体経済,あるいは人格的依存関係で統一された社会が望ましいか,ということである。
長くなりそうなので,一言で言えば,依存関係から切り離される面を認めない限り,自由人には受け容れがたいのでは,という疑問である。
もっと言えば,人格的依存関係にあることが望ましいのか,ということである。古代や中世のような身分社会を思い描いてみれば容易に想像つくであろう。
もちろん,商品経済のような物象的依存関係が望ましいと言っているわけではない。
二分法による社会区分で将来を展望するのにはムリがある,ということである。
0 件のコメント:
コメントを投稿