去る大家が総合雑誌上でベーシック・インカム論の理論的起源まで遡りその検証し,
ベーシック・インカム制度は資本主義社会では部分ベーシック・インカムとしてしか実現しないため,
労使関係の規制やセイフティ・ネットの拡充に努めない限り,
社会的弱者の生活の安定に繋がらない,と指摘されていた。
僕はこれをBI論を社会民主主義的主張へと繋げようとされている,と理解した。
しかし,僕はこれはベーシック・インカムへの片恋慕ではないか,と思った。
なるほどベーシック・インカムに賛同する論者のベーシック・インカム理解にはさまざまなパターンがある。
特に「給付」や「貧困救済」という点に惹かれている人は多いように思う。
しかし,「給付」だけなら,新自由主義者フリードマンがベーシック・インカムとほぼ同型の「負の所得税」を提唱しているように,ベーシック・インカム論固有ではない。
しかし,ベーシック・インカムのアイデンティティは,
就労を条件としているという理由で各種社会保険の一律給付への統合を主張したり,
「貧困の罠」を理由に累進課税を否定したり,
さらに被救済者に与える恥辱感(スティグマ)を理由に資力調査(ミーンズ・テスト)を拒否したり
する態度に現れているように,
無差別一律給付以外の市場介入を厭う思考,リバタリアニズムではないだろうか?
片恋慕と思ったのはそういう意味である。
僕は「負の所得税」には資力調査が前提とされている点で
さすがフリードマン,と感心したほどである。
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