2011年1月4日火曜日

カマトトの限界

三が日も最後になると,寝正月にも飽きて,もぞもぞし始める。
このまま「喰っちゃ寝て」では不健康だし,第一,エコに反すると反省したり
翌日からのことが気になり「少し準備しようかなぁ」という邪念が生じたりする。

前の晩は紐解いただけの高樹のぶ子『蔦燃』が丸一日掛けても進まないのは
そういう寝正月への退屈ムードが寄与しているのは間違いない。

しかし,それ以外に,その小説固有の問題もある。

高樹のぶ子の文体スタイルには昔から馴染めず,読みづらいという苦手観があった。
ある意味,緻密な心裡描写は,見ようによっては,観念的かつ冗長でなかなか消化しきれない。

この作家の小説を久しく読んでいなかったもう一つの理由は「恋愛小説の女王」という世評への抵抗だ。
その余りにも通俗的な偶像性は読書の関心を退かせるに十分なものがある。

今回読んでみて,
読書が進まず,久しく遠ざけていたもう一つの理由として新たに浮かんだのは,
その性愛描写だ。

詳しく記すとブログ・コード?に抵触しかねないので略すが
第三者との関係を想念することで当事者間が一層わかり合えるという本小説のモチーフがピンと来ない。

理屈としてはわからなくもないが,実際にそうかなぁ,と不審に思えて仕方ない。
それを豊富な実体験や深い洞察力による男女関係の精緻な描写と見る向きにもあるかもしれない。
しかし,カモトト振るわけではないが,
理屈だけというか,余りに図式的ないし単純なモチーフにしか見えない。

小説の展開に納得できない,半分眉唾ツケなら読む状態になるともうダメで,読書は遅々として進まない。

「図式的」というのは言い過ぎたかもしれないが,
少なくとも
心裡描写を軸に展開する小説,とくにそれが性愛において増幅されるというモチーフは体質的に合わないようだ。

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