2010年5月20日木曜日

伝わらないのは中味か,中味がありそうということか

ファンとはわがままなもので,今季の,ブラウン監督が率いる東北楽天イーグルスには期待しないと公言していても,交流戦では「あの」広島カープや横浜ベイスターズ,ヤクルトスワローズには全勝とは言わないまでも「それに近い」成績を期待してしまう。そして裏切られた気持ちになるから身勝手^/^。

しかし,そもそもなぜ「期待していない」と公言していたかと言えば,
選手がランナーに出ても監督の指示がなければ盗塁もさせない,
むしろランナーが出れば,判を押したようにエンドランを敢行したがる
バッターの調子が悪くても打順をなかなか代えない
など選手の特性,調子に合わせた用兵ではなく,
用兵がパターン化している点もあるが,
試合後の談話も「敗因は打てなかったこと。それだけ」など他人事のような空疎感を感じるからだ。

前監督の場合「そこまで言っちゃあ,選手のやる気を削ぎ,逆効果では」と心配になるほどの毒舌ぶりだったが,
ブラウン監督には選手を揶揄するような発言をほとんど聞かない。
それは,選手にストレスを与えず,周囲の目に萎縮せずに力を発揮して欲しいという配慮からかもしれない。

しかし,他方で,叱責も激励もそもそも選手に対して具体的指示をするだけの内容がないのではないか,という懸念も生じる。

のびのび自主性を重んじる野球かと思いきや
前述のようにランナーがいる場合の走塁やバッティングに細かい指示を与えている。
ところがその内容がパターン化されている。

どんな管理野球でも,状況は無限に多様なので,選手の一挙手一投足を拘束することは出来ない。一定の決まり事を作って後は選手の判断に任せるしかない。
しかし,その決まり事が状況に即したものではなく,硬直的だとすると,
それは野球観自体の問題ではないか。
つまり,自軍及び相手の戦力や試合の動きに関わりなく,単に「投げて打つ」だけの平板な野球観の持ち主ではないか。

そんなことを考えていると,
我が身を振り返って,身に詰まされることが多いことに気付いた。

 5月18日 「経済原論」は労働生産過程。「地域社会論」先週締め切った4月21日分,28日分の講義へのコメント編集。
 5月19日 「市場と組織」は日本の賃金制度史と成果主義。昼休み,山大職組人文支部総会。ゼミ生の佐藤君来訪。ゼミのこと,就活のこと。「地域社会論」は人文学部と連携協定を結んでいる蔵王観光協会の岡崎副会長「観光振興」。講義の前後,講師紹介や学生への連絡,講義後の講師への挨拶等で同時並行で開かれたいた教授会にはものの30分も参加できなかった。

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