2012年4月6日金曜日

計画に合わせるということ

箱詰め予定通り3日間で終了。
前日までは福岡時代の本やノート,カード類まで荷造りしていた。
大学院および助手時代に集めた書籍--当時は古本屋を探しても本は購入すべきとされていた--は,関心,テーマが移ったので,赴任後殆どあるいは全く紐解いていないものが殆どだ。ノートやカードに至っては既発表論文の抜け殻に過ぎない。また当面紐解くと思っていないからこそ耐震工事で退避中,上山市の倉庫に送るよう指示を段ボールに記していた。

それは単なる感傷かもしれないが,3日目(4月5日)にはその余裕がなくなった。
開講が来週半ばに控えているため,当初から「今週中に引っ越しを済ませる」計画を立てていた。
午前中5,6箱本を詰めたまでは良かったが,それからはなかなか進まなくなった。
残っているのが論文コピーや委員会記録,各各種委員会が発行した報告書,更に個人的なメモ,備品の類いで,なかにはとっくに廃棄したパソコン周辺機器やソフトウェアのマニュアルや保証書,あるいは「いずれ使う」と取っていたメモ帳,ノート,原稿用紙,裏面を印刷に利用するつもりの反故紙,スーパーのレジ袋等がわんさか出てきた。
夕方近くなると,まだまだ再利用な資源も廃棄したのと同様,「いずれ」目を通しそうな論文コピーも,いざ必要になれば,他大学の図書館からでもコピーできる,と腹をくくって廃棄。委員会記録は個人情報を含んでいる紙を抜き取り他はすべて資源回収箱へ,そこも塞がるとその上に。
つまり20年以上前のものはそっくり保管された,数年前から10年くらい前のものは廃棄された。
日程は計画を守った形だが,内容には整合性はない。

あるいは論文の締切りや字数制限と同様,制約があってこそ準備に苦労した,時間を掛けた,思いで深い等の感傷を排して取捨選択が可能になった。
工事を終えたばかりで研究室にまだ何もおかれておらず空間的制約が緩いときが正念場,といえそうだ。

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