2010年7月14日水曜日

助言と容喙・その3

コーチングと言えば,「適切な時期に適切な水準の助言をする」ことが重要だとされる。

助言がうまくゆかない原因は様々ある。
環境要因(図書,ネット設備のようなハードからカリキュラム体系などソフト面まで),本人の問題(これまでの蓄積・経験というからいま現在のその問題への傾注度合いまで),助言者の問題(経験・知識から観察力、関心や傾注度合い)
これを「適切な水準か」とまとめただけでは何も問題点を示していない。

しかし,それでも単純に「内容が専門的すぎたかな」と思うことがままある。

先日,「経済原論」で商業資本論を講義した後,学生から質問を受けた。

一言で言えば,「商業資本は論理的概念か歴史的概念か」ということである。
これに対して,商業資本は産業資本(自身による流通費用の発生)を説かないと理論的に導出できないという意味では論理的概念であると同時に,歴史的概念である(資本主義以前の流通業資本、商人資本とは異なる)、と結論を示し,同時に,商人資本もマルクスや宇野弘蔵にとっては歴史的概念である(価値増殖の合理的根拠を持たないので資本主義的生産様式では存立し得ない,産業資本における価値増殖の合理性を示すための説明に止まる)のに対して,山口重克の場合には商人資本も不確定的な流通過程の中では譲渡利潤(売買差益)も合理的根拠を有さないわけではない,という意味では純粋資本主義でも存立しうる価値増殖であり理論的概念である,と説明した。

もちろん,山口重克が流通論で説いているのは,商人資本ではなく,商品売買資本形式であって,純粋資本主義で商人資本が存在するというのではなく,資本が譲渡利潤を得ることはありうるということであるが,
相当勉強している学生の,相当突っ込んだ説明なので,学説
上の相違にも敢えて言及したわけであるが,結論部分も学説上の説明もどちらも他の学生にはちんぷんかんぷんだったであろう。

大学や学校では多くの学生を相手にしている。
個別指導には限りがある。
皆の前でどこまで解説し,質問者にどこまで答えるかは頭を悩ませる問題だ。

さらに大学や学校では,学期,学年,修業期間とどれを取るにせよ短い期間なので、適切な時期を探っていると時間切れになりかねない。

最近,思うのはこちらの想定するタイムスパンが短い、つまりせっかちに成果を求めているのかな,ということである。
(この項書きかけ)

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