例によってソファで仮眠してサッカーワールドカップ南アフリカ大会の試合,いよいよ最後の決勝戦を見た。
今大会はヨーロッパNo.1のスペインが優勝できるのか,倒すとすればどこかが話題になった大会だった。
4年に一回の世界大会で下馬評通りの展開は望むべくしてありうるものでははない。
1998年フランス大会はFWロナウドの全盛期でブラジル優勝確実と思われたが,周囲の期待が災いしたのか,フランスが初優勝した。
2002年日韓大会は,韓国がイタリア,スペインを蹴散らしてベスト4に入った。
2006年ドイツ大会は,MFロナウジーニョのための大会と目されたが,ブラジルは準決勝でフランスに退けられ,そのフランスがカルチョ・スキャンダルに巻き込まれていたイタリアとPK戦の末,準優勝に止まった。
今回も,ヨーロッパチャンピオンのスペインがグループリーグ初戦で躓き,オランダも無敗でここまで進んだもののかつてのような攻撃における歯切れの良さは影を潜めていた。
何よりスペインもオランダも「キレイなサッカーをするが大舞台には弱い」が通り相場のチームだったので,両チームが決勝戦で顔を合わせることを想像した者は少ないのではないか。
試合はボール・ポゼッションこそスペインが上まわっていたものの,オランダ選手の球寄せが厳しく,スペイン選手は球の出し先に窮し,お得意のダイレクト・パスは影を潜めていた。準々決勝からの試合間隔が3日とオランダより1日短いのもスペインには負担のようだった。
見ていてヨーロッパ・チャンピオンズリーグの準決勝,バルセロナ(西)×インテル(伊)を思いした。インテルは,攻めをFW2,3名に任せ,屈強なDF陣でゴール前を堅めた上で,MFもバルセロナのシャビ(西)やメッシ(ア)にスペースを与えないようシッカリと寄せていた。しかも,守備的と言われながら,インテルの得点はバルセロナのそれを上回っていた。前目のポジションで,決定的なチャンスを創りだし,バルセロナに引導を渡したのがスナイデル(蘭)やミリート(ア)だった。インテルは決勝戦ではロッペン(蘭)を退け,チャンピオンズリーグの優勝を果たした。
バルセロナ,インテルの試合の引き写しのような印象を受けた決勝戦も,後半になると,オランダ選手に疲れが見て取れ,中盤が空き,スペインの攻めが一層加速した。
決着は90分では付かず延長線,しかもその後半生にもつれ込んでいた。パスを繋ぐスペイン,六編の突破便りのオランダという構図は変わらなかった。
15分ハーフの終盤,右サイドを駆け上がったFWナバス(西セビージャ)が逆サイドにクロスを挙げ,これをFWフェルナンド・トーレス(英リバプール)がゴール前に放り込んだ。ボールは相手DFに跳ね返されたが,詰めていたセスク(英アーセナル)が相手DFを惹きつけた末に横パス。MFイニエスタ(バルセロナ)がゴール右からDFを一人交わしてシュート。待望の一点をゲットした。
試合のポイントは選手交代だった。準々決勝,ドイツDFをかき回したペドロ(バルセロナ)をアッサリ見切ってナバスに代え,FWを得点王候補のビジャから不調のはずのフェルナンド・トーレスに代え,そして動きが鈍かったシャビアロンソに代えてセスク(英アーセナル)を入れた。貴重な一点はほとんど交替選手のみの連携でゲットされた。交替を決めたデルボスケ監督の冴えが光った試合だった。
ヨーロッパチャンピオンズリーグ準決勝と引き写しのようなワールドカップ南アフリカ大会の決勝戦で,バルセロナを最後の最後に勝利に導いたのは,怪我でチャンピオンリーグを欠場していたイニエスタだった。
終わってみれば,一番注目を集めていたスペインが下馬評通り優勝した,珍しい大会となった。
7月11日 既に期日前投票を済ませていたので,デイパックにノートPCを忍ばせて外出。
7月12日 講義の準備追われる。夕方には睡魔がピークに達しジム通いを回避。
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