前回,復興需要で東北活況の記事を紹介したところ,高校の同級生より
「私が採用した総務課社員は仙台出身。実家は半壊、父親は勤務先が津波の被害を受け解雇。
一人息子で独身の彼は、自分の預金と社員からの義援金、私が保証人になり取引銀行から低金利で借りたお金を両親に送金した。
銀行の返済と両親への仕送りのため、切り詰めた生活をしている被災者の家族が北九州市にも居ます。」
とのツィート。
それはそうだ。
復興活況ばかり目を奪われて,
今なお仮設住居に暮らしたり,住環境や生業の再建,あるいは職業への復帰になおめどが立たない人々が多く居ることは見過ごしてはならない。
しかし,復興はどこかから始まり,そうでない分野,地域,人との不均衡は不可避だ。
それが呼び水になり,投資や雇用bの拡大に積極的になってくれないと,
陽が差さない分野,地域,人はいつまでも浮上できない。
復興予算には額と期間に限りがある。
願わくば,その間に民間投資が復興事業周辺に止まらず,
地方経済における多様な消費,サービスに向かって欲しいものである。
地方経済と言えば,高齢化と人口減少による「市場縮小」の面ばかり着目されるように捉えかねないが,
前回の記事のように,復興予算等で一旦火が付けば,豊かな消費マインドを備えているからである。
潜在能力を備えた地方市場,それは奢侈財ばかりでなく,ケア等のサービス需要もある,もまた見落とされがちなことではないだろうか。
1月18日 先週末提出した『春闘パンフレット』「経済指標の解説」。読み直してみると,手に尾羽の間違いばかりか,意味が通りにくい箇所いくつか発見,校正。教授会終了しバス停に一目散。ジムには行かずにスタバに駆け込む。割と集中していたつもりだが,隣の隣のテーブルにいる女子学生3名の会話が筒抜け。どうやら東北大らしいが,サークルのこと,就職のことなどで盛り上がっていた。いわゆる人物評はあけすけで耳にする者を身構えさせるほどだが,自身の話はまた別。「もうみんな就活に没頭していていまから恋愛は無理。職場に期待するしかない」って,恋愛への一途さが伺えて微笑ましかった。この点はいつの時代も同じ?
1月19日 ディーラー車検にクルマを持ち込む「ついでに」母を医院まで送迎。ディーラーを出たのが昼前だったため,駅前のファミレスへ。ランチとドリンクバーで3時間半も占拠した後,アーケード街向かいのスタバへ。NTTフレッツスポット(公衆無線LANサービス)に対応しているのでようやくノートPC開く。ジムで走った後,別のスタバへ。昼間ノートを見ていろいろ考え,メモしていたことも,いざキーボードを叩き始めると,文章と繋がらないもどかしさ。しかし,このもどかしさがあるから,さらに検討し理解を深めようという気になる。これってマゾ?
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