2023年12月30日土曜日

貧困の所在

  更新が大幅に遅れた。
 学会報告を文章化することに難渋した。
 報告本文は9月中旬に提出していたし,そこでは詰め切れなかったこと,主に第3節も報告直前の1,2週間でかなりの程度練り上げた,と思っていたが,いざ文章にするとそう簡単には行かなかった。その他,報告後に回していた学務のことなどが降りかかって。。。
  その後も学務中心だった。1風邪で発熱風邪で発熱はなくても咳が止まらず2,3日静養せざるをえなかったという計算違いもありつつ,ようやく昨日3つ目目の採点を終えた。

 しばし時間ができたので改めて今後の研究を考えてみた。
 これまで発表した研究とは無関係,唐突に見えるかも知れないが,最近の関心を端的に表現すると,「貧困の所在」ということになる。

 これも最近ずっと頭をもたげていた問題でありながら,現時点ではまだ簡明には示せないので,箇条書きにしてみる。(ここまで記して3日経った。当たり前で,まだ詰めてもいないことを説明しようとするから足踏みして進まない。そこで無責任だが,終わりがない。現在の関心を結論風に示す)

  1. 現在,格差拡大とともに「貧困層の拡大」が喧伝されているが,内実は一様ではなく,資本・賃労働関係に起因するのは独身非正規雇用,特に女性が中心ではないか。
    炊き出し参加者増は単なる賃上げでは解消し得ない。丁寧な就労支援が必要。「下流老人」も年金等,社会保障の制度設計の問題。橋本健二早大教授のしてきされる「アンダークラス」とはパート主婦,学生バイトを除いた1千万人弱の非正規雇用であるが,うち高齢者は年金収入があり,貧困率は低い。59歳以下の非正規雇用も,女性の貧困率の方が著しく高い。
  2. 橋本氏は新中間階級(男性事務職,女性管理職が含まれる),労働者階級(男性ブルーカラー+平の女性事務職)を「貧困とは無縁」と位置付けられているが,では彼らはどこに問題を抱えていないのか。
    もちろん,働き方に裁量性が乏しいこともその1つであろうが,やはり「貧困」とは言えなくても,分配問題はあるであろう。それが大きな声にならない(もちろん労組は賃上げを第一に考えてはいるだろう)のは,彼らが収入を世帯単位で捉えているからではないか。
  3. 最初の女性単身非正規雇用の貧困も上の問題が根柢にあるのではないか。
    後藤道夫都留文科大学名誉教授は1990年代末の日本経済における大量リストラを背景に,90年代後半までのワーキングプアが日本型雇用とは無縁で生活保護と労働市場の間を行き来する存在であったのに対し,「日本型雇用の解体」によって生じたのが「現代のワーキングプア」と指摘された。しかし,その後の景気回復に合わせて,その対象を賃金が年功的でなくなったブルーカラー職業群に限定された。後藤氏は元々「日本型雇用」のメルクマールを新規一括採用,長期勤続,年功序列型賃金の3点に求められていたため,その解体論を事実上撤回することになった。
    ところで,日本型雇用の他の側面に「男性片働き型モデル」がある。女性は一般職として入職しても結婚退社し,その後は家計補助的パートに止まるものと想定されていたは家計補助を目的とする就労は,「年収の壁」を意識して「就業調整」する存在であり,「安い労働力」として重宝されることを受け容れてきた面がある。当人たちも,配偶者の年金賃金と併せた世帯収入で考えると,「貧困とは無縁」の生活であったからであろう。
    しかし,女性の社会進出の進展や若年層の未婚化,晩婚化の進展を考えると,世帯賃金が妥当性を有するとは思えない。
  4. つまり,「現代のワーキングプア」は日本型雇用が解体したからではなく,ワークライフの変化にも関わらず,未だ解体していないからこそ発生したのである。

2023年11月5日日曜日

講義資料の補充

  11月4日,価値論分科会出の報告を終えた。
  コメンテーター及び質問した下さった先生方にはお礼を述べたい。
 頂いた質問票(質問者による質問の要約)を参考にさらに内容を練ってゆきたい。

 しかし,この間ずっとこの件に没頭していた。
 6月西南部会の準備から,8月研究会報告,9月半ばの報告本文の提出,そして今回の準備とずっと追われてきた。第3節の論点設定がなかなか決まらなかった,迷走を続けたのでその感が強い。

 今回の報告のために作り溜めしていた講義資料も,ストックがほぼ尽きた。
 しばらくは講義資料の補充を進めながら,今回の報告を整理することにしたい。

2023年10月30日月曜日

報告レジュメ提出

      告まで残すところ1週間もかない。

 前回10月12日の投稿を読み直すと,もう既に構成は固まった体でろうろうと論点提示していた。

 ところが,その後,関連文献を読み返していて不十分と感じる点が多々出てきて立ち往生していた。


 ともあれ,今朝,コメンテーターをお願いしていたY氏にスライド配布資料を提出し,後は論点毎の文献を読み返し論旨を整理するくらいとなった。

2023年10月12日木曜日

報告予定稿の整理

 先月19日締め切りの学会報告予定稿は直前まで最終第3節の構成に迷っていたため内容も文章も練る時間が足りなかった。
 そのため,後で読み返すと,誤字脱字が混じっているばかりでなく,浅い叙述になっている。

 学会報告の骨子はこうだ。

  1. 最近の経済原論概説書では,特別剰余価値を第2編生産論の相対的剰余価値論では説かず,第3部機構論の市場価値論で超過利潤として説かれる傾向がある。特別剰余価値規定を超過利潤と統合する見解はかねて認められていたものの,こんちの統合論は,超過利潤を新生産方法の普及とともに消滅する,すなわち新生産方法の普及費用と捉えている点に特徴がある。
  2. 新統合論は,経済原論体系という視点に立つと,生産論の構成に大きな問題提起をしている。すなわち階級視点か個別資本視点か,個別資本は同質的な代表単数かバラツキのある資本か、個別資本視点とすると,同じ個別資本視点である第3編競争論ないし機構論との位相差はどこにあるか。
  3. 両者の位相差は,機構論は競争の態様を叙述しているのに対し,生産論は資本による社会的再生産編成という到達点が予め設定されている点にある。

 新統合論検討の意義を経済圏論研究上の具体的論点に即して示すというのが第3節の趣旨なのだが,その論点選びに難渋し,6月の西南部会報告では具体的に示せなかった。8月の仙台経済学会報告では,利潤率における流通費用の捨象問題の検討に充てたが,まだ理解が浅く結論も明確ではなかった。さらにその後,下旬の研究会行脚のうちに他の論点に関心が移り,迷いが生じた。

 提出した予定稿では,再び第3節で流通費用捨象問題を取り上げることにしたが,時間不足で練りが不十分だった。

 したがって,提出後もその内容を詰めていく作業が続いた。

 今のところ次のように考えている。

 利潤率算定における流通費用捨象論者もその批判者も,費用と成果との間の量的技術的確定性/不確定性を,①生産過程,流通過程を分ける属性として捉えている,②費用の計上可能性/不可能性の基準として捉えている点では共通している。

 しかし,既に拙著『生産的労働の再検討』において説いているように,①生産過程にも調整効果など不確定的な労働がある反面,流通過程には保管,運輸など確定的労働もある。②費用計上可否の根拠は労働の定量性であって確定性ではない。生産的労働は確定的なものも不確定的なものもあるが,目的に対し手段的に追求されているため,一様に定量性を有する。,

 流通費用問題に関する混乱は,第2編生産論の課題,資本による社会的再生産の包摂,言い換えると社会的再生産における様々に種差的な労働の編成を正面から説いていなかったために,第3編機構論の費用価格問題として扱われたことに原因がある。その意味では2節までに説いた特別剰余価値論の超過利潤への統合論の問題と同じである。

チャリで

  10月12日 先週は降雨がちなので,晩翠草堂前までバス,その後歩いてみたが,今日は天気が良いので,初めて自転車を利用して非常勤講師先の土樋キャンパスまで通学?してみた。

 宮城学院女子大を加え三大学合同ゼミではしば自転車を利用していた。
 街並みは変わらないが,車道の一番外側に自転車レーン>を示す青色マークが付いたぐらいだ。
 トライしてみると20分少々で到着。
 癖になりそうだ。


塩味しか残っていなかった

  10月10日 久しぶりに球場へ。
 学会準備が整っていなかったためBS放送さえ観る予定はなかったが,楽天イーグルスの最終試合は,勝てば,勝ったときのみAクラス入り=クライマックスシリーズ進出が決まるとあって,急遽球場へ。



 しかし,序盤からエラーやソロHR被弾などで失点を重ねる一方,チャンスは活かせない攻撃のため,双方のCS参がを掛かっている割には一方的な試合,塩っぱいになってしまった。

1シーズンを通してほぼBクラスに安住していたチームらしい試合。
戦力,戦術見つめ直して来季に臨んで欲しい。

2023年9月26日火曜日

後期の準備

 更新が途絶えた。
 9月19日まで秋の学会報告予定稿の成に追われていた。
 報告の大筋は6月の西南部会でも8月の仙台経済学会でも報告済みであり,既にスライドはあるのだから,文章にするのにそんなに時間は要しないだろうと,9月第2週にようやく筆を執った。
 しかし,執筆は遅れたのは,2度の報告後も,細部の構成に迷っていたからであり,執筆開始後も迷走した。

 その細部については専門的な話なので別の機会に譲るが,11月4日の報告までに報告のあちこちでもっと勉強して補強しなければならない。

 その前に,現行優先で後回しにしていた後期の授業準備をする必要がある。

2023年8月24日木曜日

旅立ち

 今日から3泊4日の私費出張。
 杉並経済学研究会の後、SGCIMEの2泊3日夏季研究合宿。

 まず母をショートステイに預ける。
 本人は型態可能品以外を毎度荷物の準備に大わらわ取り出すなど要領を得ないので。

 送り出すや否やヘルメット被って駅へ。

 予約した新幹線の出発まで時間が空いていたので、駅前の吉野家で昼食。
 国分寺駅に着いてから食事をしていては30分後には始まる研究会で居眠り必至なので、出発地で早めの昼食。
 普段の昼食は13時前後なので、かなり早い昼食だ。

 一息つく間もなく新幹線がホームに現れ、出発!

2023年8月22日火曜日

代講します。

 こんにちは。
 S先生が産休に入られるのに伴い,急遽,本科目を担当することになりました。
 
 1つお断りしなければならないのは,
 S先生のシラバスをもとに既に4月時点で履修登録されたみなさんには申し訳ないですが,S先生と同じ講義メニューは提供できないということです。
 S先生が丁寧に解説されているテキスト『現代経済の解読 第3版』の諸章の多くを,私はみなさんの多くが受講したであろう「資本主義経済理論II」で講義しているからです。
第2-5回「日本経済の歩み①-④」は2回に分けて講義しています(21年度は4回?)
第10回「日本型の社会保障制度」は21年度まとめシート2の教材にして出題していますし,社会保険と生活保護については雇用のセーフティ・ネットとして毎年詳しく解説してきました。
第13回「雇用の多様化」も,非正規雇用,若年層の雇用,裁量労働,限定正社員,同一労働同一賃金と詳しく解説しています。

 代わりに,S先生の第4,5回,第11-13回を引き延ばして「日本型雇用とその課題」という観点から14回の講義にしようと考えています。

 現在考えている講義メニューは次のようになります。
 欧米は職務(ジョブ)の内容が明確な「ジョブ型雇用」であるのに対して,日本は社員(メンバー)であることが重視され,身分が保障される(終身雇用である)代わりに職務の内容が曖昧,あるいは無限定な(長時間労働,全国転勤が当たり前の)「メンバーシップ型雇用だとされています。
 前半はその職務設定の違い,日本型雇用の特徴を賃金制度から見てゆきます。
 後半はワーキングプア,男性片働きモデル等,日本型雇用の問題点を考察します。

 現在,代わりのシラバス,初回ガイダンスの資料の準備をしており,出来次第アップロードします。

2023年8月20日日曜日

一休み

   最近の,経済原論のテキスト(概説書)における特別剰余価値概念の超過利潤概念への統合現象を題材に,それが経済原論に投げかける問題を考える,が秋の学会報告の趣旨だ。

 6月の西南部会報告は「わかりにくい」とのコメントを受けた。
  統合論の投げかける方法論上の問題の検討に終始し,学問上の成果が見えにくい,と理解して,学問上の論争の1つを取り上げ,その問題への適用を試みた。その論点の選択に迷った。

 昨日,第49回仙台経済学研究会で「特別剰余価値の超過利潤へ統合論が投げ掛ける諸問題」と題して報告してみた( 東北大学経済学部, 23/8/19)が,コメンテーターのT.O先生からのコメントは生産論の展開主体と特別剰余価値規定の意義に関するものであった。

 具体的な論点の展開というより理論点の追加に終わって否か,全体の構成に無理があったのか再検討する必要があるが,この間,ろくに夏休みもなかったので一休みしたい。 


 

2023年8月8日火曜日

旋回

  8月7日 成績入力。ほとんどの担当科目について7月末には毎回の確認問題や3回のまとめテストの点数を集計し,単位評価を終えていた。科目のページにも「素点合計 x点以上,単位評価S」など評価との関係を掲示していた。これに対してたいてい数件は成績の問い合せがあるので,1週間以上おいて正規の成績入力に取り掛かるようにしている。お盆明けには地方の学会報告もあるし,その後は秋の学会報告本文の執筆も控えているからだ。

 先週,研究会に参加するため上京したが,研究会の前後は決まってドトールコーヒーやスターバックスなど会場近くのカフェに籠もっている。
 また週末は自宅近くのカフェに日参した。
 この間,秋の学会報告の構成を手直ししてみた。
 大きく変えてはまた元に戻し,で一進一退状態だ。

 気付いたこともいろいろあるが,それを一々組み込んでいては,全体が見渡しづらい。
 しかし,一進一退の主な原因は,周辺的なことばかり細部を詰めて,肝心な論点について詰めないまま進めていたこと,避けていたことにある。

 なぜ生産論で流通過程を論じなければならないのか,なぜ費用価格から流通費用を控除すべきではないか,ある程度は頭にあるが,まだ弱いように感じて文章化していなかった。これを詰めてゆかないと,報告の構成として座りが弱い。

 敢えて難所に挑む必要がありそうだ。

2023年8月4日金曜日

平日上京

 8月3日(木) オープンキャンパスの人垣掻き分けて12号館4階経済学部共同研究室へ。


14時より立教大学池袋キャンパスにて経済理論学会問題別分科会「現代の労働・貧困問題」主催の「現代日本の階級構造と貧困」テーマの研究会,。

 報告は2件。 


「現代日本における階級構造の変貌とアンダークラスの形成」 橋本健二(早稲田大学)
「労働力窮迫販売の日常化 ── 失業給付の制度圧縮と不安定雇用増大の相乗作用」 後藤道夫(都留文科大学名誉教授)

 橋本先生の『新・日本の階級社会』や後藤先生の『ワーキングプア』はゼミでテキストとして取り上げたり,ゼミ生が卒論のタネ本に選んだりして,一時集中して読み,ノートも取っていたので私費出張。

 橋本報告には,アンダークラスの前後について質問してみた。
1)われわれの教え子,男性事務職+課長以上の女子事務職が属する新中産階級は当然のこととして,課長未満の女性事務職及び男女正規技能職が属する労働者階級は貧困率も低く「貧困とはほとんど無縁」と2018年の経済理論学会共通論題報告では仰っているが(学会誌『季刊 経済理論』56-1,2019,p18),彼らの労働問題はどこにあるか?
2)非正労働者2千万人超に対しアンダークラスは900万人台とされている。差分の主婦パートは独立の階級なのか,それとも稼ぎ手の夫と同じ階級に属するのか?

 これに対し,純粋に経済原論的視点から質問されていたのが,今秋の学会報告でも取り上げるO先生だった。敬服!



2023年7月21日金曜日

問題は広がった

 練っている最中のことを記すのは難しい。

 秋の学会で報告予定の報告「特別剰余価値の超過利潤への統合について」は,最近の経済原論の概説書における両概念の統合傾向を題材にして経済原論三篇構成についての再検討を問題提起しようというものであった。
 統合傾向の背後に,剰余価値論の余剰論への組替え論と生産論の設定である「代表単数とwしての資本」の2つに求め,生産論の視角や同質的な資本設定(代表単数)の是非を問おうとしていた。

 しかし,方法論的なアプローチでは抽象的すぎる,と具体的論点を取り上げようと試みた。

 最近のt学会誌に載っていた,「流通過程の不確定性」を根拠にした流通費用の費用価格からの控除問題である。

 山口原論では,「流通過程の不確定性」は生産論で価値形成労働を抽出する際に1つのメルクマールとして用いられており,価値論レベルの疑念であって,諸資本が相互に競争する際の基準とされる利潤率や費用価格の設定に直接援用することに疑問を感じていたからだ。

 しかし,「流通過程の不確定性」概念は,小幡原論では正に機構論で始めて説かれており,生産論では帰りみっれていない。それどころか,資本の流通過程も生産論では扱われていない。

 すると,先の統合論の問題は,剰余価値論の余剰論への組替えに止まらないことになる。
 生産論で扱われる社会的再生産,資本による社会的再生産の包摂とは生産過程論だけになる(生産論第3章は蓄積論であるモノの,そこでは資本蓄積の展開は論じられず,資本構成,蓄積率の定義が与えられているだけだ)。
 
 問題は剰余価値ないし純生産物(剰余価値+労働力商品の価値)の扱い方ばかりではなく,資本による社会的再生産包摂の理解,説き方まで広がったことになる。
 あるいは,元に戻って,総資本と賃労働による新生産物の取得と分配という階級視点の論述だけで資本制経済における社会的再生産を説いたことになるのか,ということになる。
(以下次回)

2023年6月30日金曜日

報告の要旨を作ってみた

  学会の地方部会報告を終えて2週間。
 秋に発行する学会レター向けに報告の要旨を作成しろ,と命じられた。
 前便では,これを契機に部会報告後の方向性を占おうと宣言してみたが,何せ容量200字前後。
 注文直後,思いつくまま書き連ねたら2倍以上となった。
 解説部分は余計,と取っ払ってみてようやく196字。

最近,特別剰余価値が第3部機構論で超過利潤として説かれる傾向がある。正のみで経過的存在である特別剰余価値は終わりなき競争態様を叙述する超過利潤に解消するこはできないが,その背景には,剰余価値論の余剰論への組み替え,生産論=代表単数説等があり,資本の生産過程の主体は階級か資本か,資本は均質的な代表単数かバラツキのある個別資本か,生産論と機構論の違いはどこにあるかという問題を投げかけている。

 やはり関心は特別剰余価値,超過利潤そのものよりも,両者混濁を産んだ背景事情としての生産論の視角等にあった。

舵を失った部会報告

  部会報告から2週間。
 戻ってくると,学務に追われた。
 部会間際は報告スライド作成に専念したいとGW前後から作り溜めしてた講義資料が尽き,今度は学期末に向け作り溜めを始めた
 中間テストの採点に追われた。
 毎回復習問題を実施して3点配点するほかに,小テストを3階実施して残り60点を配点している。
 その2回目のまとめテスト,まとめシートの採点に追われた。(週末から週秋にかけていちばん履修者の多いまとめシートの採点が残っている)。

 種々の理由で忙殺されたが,結局は部会報告後の方向を決めかねていた。
 タイトルに忠実に特別剰余価値,超過利潤の研究を深堀りしてゆくか,
それとも当初の構想通り,生産論から特別剰余価値概念が駆逐されつつあるという観点から,生産論の立脚点,移送,視点を再検討するか,
決めかねていた。
 舵を失っていたようなものだ。

 最近になって部会方向のまとめ提出を求められた。
 これを機会に方向性を占いたい。



2023年6月18日日曜日

報告してみたが

  6月17日 経済理論学会西南部会で報告してみたが,結果は芳しくなかった,

 頂いた質問はその場でメモしているが,なんせ悪筆なので,一つ一つ思い起こせないものが多い。しかし,冒頭K先生が仰った「分かりにくい」がすべてであろう。

 K先生はその後続けて「特別剰余価値論を超理論へ統合するどどのような問題か生じるか」に絞るべきだ,と助言くださった。

 確かに報告タイトルは「特別剰余価値と超過利潤」なのに,それば前振りで,本題はそのことを通じて生産論の主体,視角の見直しになっているのは問題であろう。

 しかし,主眼点はやはり後者にあるのだから,後者にあるのだから,前者に特化する方向は取りがたい。
 前者の検討が後者の考察に役立つように展開を整理する必要がある。

 全国大会報告の予定稿締め切りまでに構成の見直し,検討事項の絞り込みが必要になる。


(翌朝ホテル近くの袋町電停から朝の散歩)

2023年6月9日金曜日

報告が決まって

 6月17日広島大学で開催される経済論学会西南部会で報告することが決まった。
 「特別剰余価値と超過利潤」だ。
(その後,秋の全国大会,経済理論学会第71回大会での報告も決まった。「特別剰余価値の超過利潤への統合について」11月4日,東北学院大学)

 その趣旨,意図を述べようとしたら更新がどんどん先延ばしになった。

 報告を申し込むときに記した報告趣旨は以下の通りだ。
『資本論』の第1部で展開されていた特別剰余価値概念を第3部の市場価値論における超過利潤概念統合して理解する試みは『資本論』研究の初期から散見された。最近,一部の教科書でも両概念の統合論が認められるようになった。しかし,統合された超過利潤の内容は全く異なる。報告では,最近の統合論の特徴とその理論的背景を明らかにし,経済原論研究に投げかける論点を考察する。
 
 新旧議論の対象は省く。
 問題は原論研究に名が書ける論点をどの程度検討するかである。
 最近の特別利潤論を取り上げ検討してみると,本来諸資本の競争態様を表わす超過利潤,特別利潤(常に変動し,マイナス値もあり得る)が新しい生産方法普及費用の社会的負担を表わし,そのためプラス値のみであり,やがて消滅する特別剰余価値のように理解されている。

 しかし,特別別剰余価値概念における位相混濁自体は既に昨年の全国学会報告でも全体展開の一部ではあったが,指摘したことである。
 その原論研究における影響を明らかにする必要がある。

 ここで足踏みを続けている。
 位相混濁を説くことで従来の原論研究上の諸論点に新たに光が差す,というだけで良いのか,
具体的な論点に踏み込んで私見を展開すべきか。

 前者だけでは,具体性に乏しいが,
後者まで踏み込むと内容が膨らみすぎる懸念がある。
問題提起と具体的展開に報告の論点が分れてしまう。

 この2,3週間,問題提起部の整理は進んでも,結論部分で足踏みが続いている。

2023年6月8日木曜日

疾風怒濤の4月が終わり

 5月1日公開したつもりが,下書きのままになっていた。

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 更新しそびれて1月以上経った。

 4月の初めは,新学期の準備を始めた頃にドラフトへのコメントが届き,その対応を考えていた。

 しかし,実際に新学期が始まると,講義自体は短く終わる初回ガイダンスからさまざまな問い合せへの対応に追われた。今年度は,数年に1度のローテーションであったコース科目の世話役が当たったり,これまで主指導教員として当たる学生がいない限り受講生がいなかった大学院科目を開講したりで,予定外に忙しくなった。

 その後は,昨年同様,中間テストの採点等で忙しくなるであろう6月半ばを睨んで講義資料の作り溜めに追われた。

 忙しい反面,規則正しい生活を送ることになり,スポーツジムもほぼ休むことなく通っていた。

 大学院時代の友人と出掛けていたGW旅行は,コロナ禍が終熄しつつある今年も見送られ,図らずも独りの時間が確保できた。

 5月分の講義資料はほぼ作り終えたので,このGWは,今日のような谷間の平日も,自分の関心を追求できることになる。
 時間ができると油断してしまうのかなかなか進まないが,おおよその方向が決まれば披露したい。

 

2023年3月22日水曜日

年度末を前にに考えたこと

  この間,経済原論第3篇関連の文献を読んで勉強していたが,まだ論文にするほどの筋が見えてこない。しかし,来週始めには研究会,研究合宿のために上京するし,その後は新学期の準備がある。新学期が始まれば,まとまった時間は取れない。準備不十分でも現時点で考えておくことは重要であろう。


 経済原論第3篇に注目するきっかけは昨秋の学会報告だった。
 報告では,小幡先生の原論以降,労働価値説における搾取の説明が剰余価値論から余剰論に置き換わった。第2篇生産論で搾取が説かれている点は宇野以降一貫しているが,搾取の発生を階級単位の労働交換,支出された労働量T>労働者階級の取得する生活物資総量に体化された労働量Btとして説かれることになった。報告はその検討を行ったが,その中で,搾取が階級単位で説かれているために,『資本論』以来の特別剰余価値規定が消滅していることを指摘した。個別資本が労働時間を延長したり,労働の強化をしたりして,賃金労働者の労働支出量を増やすことによって剰余価値を増大する方法である絶対的剰余価値の生産に対して,生活手段ないし生活物資の生産に関わる技術革新によって生活手段の生産に必要な労働,必要労働が削減されることにより剰余労働を増大する方法が相対的剰余価値の生産であるが,社会全体で進行する必要労働の削減は個別資本の行動としては示すことができない。そこで,まだ普及していない新しい生産方法を用いた資本が現行生産方法によって生産された商品価値との差を特別剰余価値として取得すると説かれる。社会全体で進行する必要労働の削減を,生活手段の生産に限定せず個別資本における特別剰余価値取得を目的とした新生産方法利用進展として説いているのである。新生産方法の普及として必要労働の削減を説いているのであるから,特別剰余価値はプラスの値しか触れられないし,新生産方法の普及によって消滅する経過的存在と説明される。個別資本の行動に即さず,階級単位で搾取を説く小幡原論以降は,この特別剰余価値概念の存在の余地がない。しかしながら,その痕跡が第3篇機構論に特別利潤概念に残っている。特別利潤ないし超過利潤は同一生産部門における諸資本の生産性の差,用いる生産方法の差によって生じる平均利潤との差額である。平均的な生産方法よりも劣る生産方法を用いる資本はマイナスの(平均利潤を下回る)超過利潤を得ることになる。また,新生産方法の投入ないし,異なる生産方法の並立には終わりがないので,超過利潤が消滅することはない。ところが,小幡原論では特別利潤はマイナスもあるとされるものの,新生産方法が普及すると消滅すると説かれている。さくら原論研究会の「これからの経済原論」の特別利潤は,マイナス値に触れられないと同時に,やがて消滅すると説かれる。資本・賃労働関係に即して搾取を説くべき第2篇生産論が階級単位で叙述されたために,第2篇から特別剰余価値概念が消失すると同時に,その痕跡,資本・賃労働関係に即して説くべき剰余価値論の痕跡が諸資本の競争態様を分析すべき第3篇機構論に特別利潤概念として遺った(これからの経済原論の特別利潤は第3篇に紛れ込んだ特別剰余価値概念そのもの)と指摘したのが学会報告であった。

 このよう第2篇生産論ないし剰余価値論を余剰論に置き換えた影響が第3篇機構論に遺っていないだろうか,という問題意識で比較的最近の文献に当たってみた。後期の成績評価など年度末の学務処理に目処が立った1月末あるいは2月初め以降のことである。


 余剰論の第3篇への影響は今のところ,他に見つけられなかった。
 しかしながら,最近の第3篇に係わる研究には一定の傾向,おおよそ3つがあるように見受けられる。

 第1は,前にも述べた第3篇を分析基準,ツールとして捉える傾向が強い。
 これは山口重克先生が経済原論の役割として,体制比較の基準としての本質規定の提供と,分析基準提供の2つがあり,第2篇生産論が前者であり,第3篇が後者と割り振られたことに端を発している。
 もちろん,銀行信用や商業資本等の市場機構を説く第3篇が分析基準を提供していることは間違いない。
 しかし,分析基準の提供は第3篇ないし経済原論全体を通してであって,個々の章,節の問題ではない。例えば,冒頭利潤論では産業資本しか登場しない。商業資本や銀行資本の影響は論じられない。商業資本と銀行資本,どちらを先に説くかは分れるところだが,先に説いた章節では後に説かれる機構は説かれていない。第3篇の最終章はたいてい景気循環論になっており,そこで分析基準としての諸機構がとかれれば良いのである。
 むしろ,各所でいきなり分析基準を示さなければならないとすると無理が生じる。
 例えば,商業資本ないし流通過程の移譲が説かれない段階,産業資本が流通過程を担っているという想定の下にある冒頭利潤論で,生産価格を細かく規定しようとすると,費用価格に流通費用を含めるべきか否かという厄介な問題が生じる。
 流通過程の不確定の処理,端的には流通費用の計上可能性も,産業資本のみの段階と,商業資本が登場する段階,商業資本がさまざまな産業の,さまざまな資本の流通過程を集中代位する段階では異なるのではないだろうか。

 第2に,変容論の影響が色濃く認められる。
 変容論は小幡先生による宇野三段階論,特に(発展)段階論への代替案であり,話せば長くなるが,資本主義社会の多様な発展,変容への萌芽,開口部という,が経済原論の各所に垣間見られるというものである。
 しかし,上の点と同様,原論の規定がそのまま現状分析のツールになるわけではなかろう。
 現状分析に必要なのは,資本主義的生産様式に本来的に備わっているという説明に止まらず,今日的形態は資本主義的生産様式にとってどのような歴史的意味を持つか,その説明材料を提供することであろう。
 その意味では,資本主義的生産様式には開口部として複数の形態が想定しうると言うだけではなく,資本主義的生産様式にとって本質的なのはどちらか,という優先順位を示すことであろう。例えば,貨幣形態として金属貨幣と信用貨幣が考えられるとして,両者は資本主義的生産様式にとって「等価」なのだろうか。そうではなかろう。明らかに金属貨幣が優位であるし,逆にこんにちでは金属貨幣(金本位制度や銀本位制度)は想定できない。優位でない信用貨幣が主流とすれば,それは資本主義的生産様式にとってどのような意味を持つか,こそ問われるのではないらろうか。

 第3に,宇野派の中堅以下では第3篇を「市場組織論」として読み直す傾向,「組織化」論が顕著である。
 組織化とは,流通過程の不確定性に起因する遊休貨幣資本量の発生を抑えるために,複数資本が事前に取引方式を取り決めることである。
 それだけであれば,これまでも費用削減の試みとして信用代位(手形割引)や流通過程の委譲・代位(商業資本の分化独立)が説かれていた。
 組織化論の特徴は,遊休貨幣資本量の発生を抑えるために,取引方法の継続・安定化が進む,主流になる, と唱えている点にある。
 これは先の開口部が複数あるとしても優先順位をハッキリさせよという疑問に対して,継続取引を主と捉えていることになる。
 これはこんにちの,特に日本の系列取引など長期相対取引や,終身雇用とも呼ばれる長期勤続を念頭に置いてのことであろう。
 しかし,継続取引が主流というのは常識に反し,一般には理解されにくいのではないか?
 経済源論第1篇流通論のハイライトは「貨幣の必然性」にある。商品は売れるか売れないか分からないものの,商品交換拡大,価値表現拡大の試みのうちに,何でも買える。直接的交換可能性を独占する貨幣を生み出す,と。
 これに対して,継続取引では商品と貨幣の非対称性は消えている。言い換えると,貨幣所有者が何でも買えるという商品に対する貨幣の優位性を手放しているのであるから,それを償うに足るだけの有利な取引条件,1回毎のスポット取引よりずっと有利な条件,端的には商品を市場より格安に購入できることがなければ成立し得ない。裏面から言えば,売り手はスポット取引よりずっと不利な条件でしか継続取引に応じて貰えない。すると,流通過程の不確定性への事前対応と言っても,長短所を比較衡量してみると,継続取引が優位とは言えない。むしろ不利だから,一般的にはスポット取引が主流なのであろう。
 理論的には,継続取引の発生は,市場競争が阻害される(独占)か,その取引においてしか回収し得ない埋没費用の存在の少なくとも一方の想定が必要であろう。
 例えば,以前から指摘しているように,訓練費用の発生だけでは,その職,例えば,看護師に止まる誘因は発生しても,その職場,例えば,特定の病院に定着することは導けない。その職場でしか回収し得ない費用の発生を指摘する必要がある。
 経済原論に求められるのは,その場合の競争の制約や埋没費用の発生は資本主義経済の発展にとってどのような意味を持つかの説明であろう。
 例えば,小池和男氏が説いたように,大量生産技術の普及は分業を細分化させ,職場毎の企業特殊熟練が発生し,OJTによる訓練とその費用回収のため勤続が発生した。また,産業構造の変化によって比重が増大した間接労働は,直接生産労働に比し,複雑な,企業特殊的管理業務を要する。あるいは,こんにちのデジタル技術,部品組み立てに比し,それ以前の図面すり合わせ技術の場合には固有のノウハウ,埋没費用が発生し,系列取引を促すなどである。
 継続取引重視へのもう1つの疑問は,第3篇全体として示すべき景気循環分析への影響である。
 第3篇の理論的は分析基準の提示のみならず,資本主義固有の再生産機構,本質規定の提示も含まれる。
 例えば,産業資本から分化独立したものとしての商業資本や銀行資本は産業資本の蓄積をあるときは促進し,またあるときは要請するもの,いわば触媒として,利潤率の均等化や景気循環の転換を促進する役割を果たしている。
 商人資本や金貸資本,あるいは(労働力ではなく労働を購入する)生産資本は第1篇流通論でも設定可能である。第3篇で設定される商業資本や銀行資本は産業資本の利潤率増進活動追求の延長線上に成立したものとして,産業資本と内的関連を保つ。
 商業資本の得る利潤の源泉は,商人資本のように自身にとって外在的な間的空間的価格差ではなく,産業資本との関係で勝ち取った価格差である。生産過程から恒常的に生み出される諸商品の流通過程を集中代位することによって読み出された流通費用の節減等を源泉に保つ。
 銀行信用も,第1篇の金貸資本や『資本論』第3部第30-31章「貨幣資本と現実資本1.2」のように自己資本を中に貸し出しているのではない。産業資本の資本蓄積か不断に生み出される利潤,遊休貨幣資本が流入する預金をベースにしている。
 商業資本や銀行資本は産業資本の蓄積運動と内的に結び付いていると同時に,景気循環の局面では,売れ行きの良い商品を生産し利潤を上げている産業資本に対しては,仕入れ値を上げたり,手形の割引率を引き下げ,資本蓄積を促進すると同時に,売れ行きの落ちた商品を生産する産業資本に対して,仕入れ値を押し下げたり,手形の割引率を引上げたりして資本蓄積の抑制ないし他部門への撤退移動を促し,資本蓄積を加熱させたり,落ち込みを深めたりして,結果として,景気循環の波をハッキリさせ,あるいは利潤率の均等化を促進する役割を果たしている。
 継続取引の強調は,産業資本に比し固定資本の割合が小さい商業資本や銀行資本だからこそ可能な,資本蓄積のアクセラレーターとしての役割を見えにくくして言えるのではないだろうか。

 以上長くなったが,本質規定・分析規定の安易な二分法,優劣を意識しない開口部の並置,販売者,商品所有者視点に偏った組織化論によって第3篇における機構論が歪められているように思われる。



2023年3月15日水曜日

A先生を送る(職組人文支部昼食会にて)

  

 職組人文支部昼食会(2023年3月15日 昼休み)にて

 A先生に支部の選挙管理委員?をお願いした2017度執行部で委員長を務めていました。17年度は「非正規雇用の無期転換」が翌年度に迫っていて,本部執行委員のT先生に誘われて年末から本部交渉にオブザーバーとして参加したのですが,支部のことは書記長のN先生におんぶにだっこで活動内容は余り覚ええていないんですね。

 むしろA先生との仕事の付き合いは,2019年度総合法律コースのコース代表になられて,系運営委員会,学部目標評価委員会でご一緒しました。

 A先生の印象の第一印象は「よく喋られる方」だなぁというもので,それ以前最初に懇親会でご一緒したとき,話が落ち着き掛けたと思ったら口を挟まれていましたので,悪い印象はなく,むしろオジさん体質の積極的に発言される方だなぁ,と思っていました。

 ただ,系運営委員会や学部目標評価委員会では余り発言されていなかったように思います。その中でも覚えているのは,委員会の本題ではないのですが,大学院の非常勤講師の依頼についてです。私は大学院改組時,時,改組される大学院の課程認定の取りまとめをしていたので,認定後転出される教員にも非常勤をお願いしなければならないのですが,ご本人から断られて困っているとこぼしていると,「転任する以上,当然,転任先の業務が優先され,転任当初はなおさら忙しく,非常勤に出る余裕はないのではないか」と助言頂きました。

 課程認定上は完成年度,院は2年間は開講の責任を持つべきだ,は一般的な理解だと思いますが,やはり使用者的な考えで,転出先の任務を超えての業務負担を第一に考える,という方が「組合的な思考」だったかなぁ,といま振り返って思います。

 他方で,進路指導委員を留任して続けられるなど,ご自身に関しては献身的な方だったように思います。

 今回,職組を離れられます。そもそも非常勤以外は雇用者ではなくなるのですが,ご自身の業務も組合的視点からセーブされて,健康に過ごされればと思います。


2023年3月14日火曜日

経済源論第3篇の理論的位置付け

  前回,経済原論の3篇川迫英に興味を覚えていることを述べて一ヶ月近く経った。
 この間いろいろ論文を読み,ノートを作って見たものの,余り進展していない。
 しかし,この勉強したことをまとめて置くことは重要である。
 勉強したことと言えば,経済源論第3篇の理論的位置付けである。


 経済源論第3篇の位置付けを考えるとき,そのタイトルの違いがまず目に付くであろう。
 宇野弘蔵の『経済原論』は分配論であったが,山口重克『経済学原論講義』は競争論であった。小幡道昭『経済原論』およぶお弟子さん等のさくら経済原論研究会『これからの経済原論』はともに機構論である。
 その内容を知っている研究者はまず分配論とは剰余価値の分配と直ちに理解するいう意味であろうと推測されるが,通常,分配と言えば,純生産物ないし価値生産物(v+m)の分配であろう。
 そのため,宇野原論では第3篇の冒頭で以下のように断り書きしている。
第一篇で資本主義経済の一般的前提をなす商品、貨幣、資本の流通形態を明らかにし、第二篇でその物質的基礎をなす生産過程を究めたわれわれは、第三篇でその特殊歴史的原理をなす分配関係を展開することができる。資本主義社会の分配関係は、しかし前篇末にも述べたように年々の新たなる生産物を社会の構成員の間に単に分配するというのではない。いかなる社会でもそうであるが、分配せられる年々の生産物がいかにして生産せられたかということと関係なく分配せられるものではない。資本家的に生産せられたものは、資本家的に分配せられざるを得ない。資本家的に生産せられたものを他のなんらかの基準によって公平に分配するということは、一時的には、或いは部分的には行い得るにしても、永続的に、或いは全面的に行い得ることではない(旧『原論』:253)
 「資本家的分配」とは諸資本の競争を通してであろう。

 しかし,宇野原論は第3編ないし原論自体を「資本の商品化」,すなわち資本物神の完成で終わらせようとしており,諸資本の競争による分配の話と外れている。
 この点を指摘したのが山口重克であり,山口の『経済原論講義』は第3編を「競争論」と銘打っており,第2編生産論との関係も次のように述べている。
第2篇と第3篇では,この産業資本によって全面的に担当され,編成されている社会的生産であるいわゆる純粋資本主義の社会的生産を想定して,その理論的再編成を行なう。その課題を編成過程の考察と編成結果の考察の2つに大別する(それぞれ第3篇,第2篇---引用者)。個別流通主体の無政府的な行動がその意図せざる結果として社会的生産を編成するその現実的な過程は第3篇の競争論で考察することにして,第2篇では(社会的生産編成の---引用者)結果を、しかもそのうちの編成が達成されている側面をいわば先取り的に分析することに課題を限定する(78)。
 ここでは「個別流通主体の無政府的な行動がその意図せざる結果として社会的生産を編成するその現実的な過程は第3篇の競争論で考察する」と述べてられちるが,第3篇において,社会的生産を編成する個別流通主体として登場するのは当初,個別産業資本のみである。産業資本を前提にしない商人資本や金貸資本は別として,商業資本は産業資本による流通過程委譲が説かれて後に登場するし,信用代位業務を「専門的に行なう資本」(226)である銀行資本はさらにその後である。
 つまり,フルスペックの競争の叙述が展開されるのは,商業資本や銀行資本等の競争機構が揃う第3篇の末尾であって,第3篇前半ではいわば「制約された」競争を叙述しているに過ぎない。社会的生産を編成するその現実的な過程そのものを叙述しているわけではない。その意味では引用の前半にあるように。純粋資本主義の社会的生産を想定してその「理論的再編成を行な」っているのである。

 こうしてみると,第3篇のタイトルとしては,分配論でも競争論でもなく,(競争)機構論,競争機構の展開論が相応しいであろう。
 但し,小幡道昭『経済原論』やさくら経済原論『これからの経済原論』の第3篇機構論がそれに相応しい内容になっているかはまた別問題である。

2023年2月18日土曜日

束の間の春休みに考えてみたいこと

  今年度,月曜日授業の15回目が割り当てられた2月10日(金)で授業がすべて終了。成績を締め切って単位評価が可能となった。ほとんどの科目で毎回確認問題を実施し,まとめテストも3回に小分けして出題しているので,素点合計の集計には時間が掛からない。2月初旬締め切りの来年度シラバス入稿を終えると,本年度の学務はすべて終了した。

 すると,学務の合間を縫って報告や論文の構想を練ったり,それを認めた文章を練ったりした昨年半ばからほぼ半年間続いた忙しさが嘘のようにのんびりと時間を迎えた。昨年半ばから2つの学会報告,その前の予定稿の提出,論文執筆,解説論文,解説記事の執筆を1,2ヵ月単位で順にあるいは並行してこなしていたときにはこんな状態は全く想像できなかった。

 そこで,昨年末より気になっていた生産論の位置付けについて考える時間を得た。
 といっても,まだ論文のプロットも思い浮かばない。材料集めの段階(そう考えると気が楽)。

 勉強になったのが若手研究者,中堅研研究者の生産価格や市場機構・市場組織に関する論文。
 いずれも経済原論では,第3篇競争論ないし市場機構論の論点。
 またいずれも流通過程の不確定性の処理がテーマ。

 まだまだ当たるべき、言い換えると勉強すべき関連文献は多いが,
現時点で気になったことは,

  • 扱われる市場機構は第3編全体を通して確立されるのではないか(第3篇冒頭では個別産業資本しか登場しない)。言い換えると,
  • 第3篇冒頭の利潤率ないし生産価格の設定は暫定的なもので,銀行資本,商業資本が登場する段階ではまた別の規定もあり得る。
  • 「流通過程の不確定性」と対置される「生産過程の確定性」は理論的にどの段階で何を根拠に規定されるのか(第2篇生産論か第3篇機構論か,普遍的特性か資本主義的か)。

 新学期が始まるまでの短い時間でどこまで検討できるか楽しみだ。




2023年1月24日火曜日

「ジョブ型雇用とは」抜刷挨拶

 各位

  連合山形のシンクタンク,山形経済社会研究所の年報に寄せた解説論文「ジョブ型雇用とは何か」の抜刷をお届けします。 

  以前は連合山形の調査に帯同してコミュニティ・ビジネスの解説等を寄稿していたのですが,最近は経済原論固有のテーマに関心が移っていたためすっかりご無沙汰していました。
  本稿では,最近企業サイドから声高に叫ばれている「ジョブ型雇用」への転換論を濱口氏のジョブ型雇用・メンバーシップ型雇用論に依拠して検討したうえで,その内実が,現行の新卒一括採用や企業手動の職業教育を前提にした企業内人事管理制度の修正に止まり,市場横断的な職務区分を前提にしたジョブ型とは似ても似つかないことを明らかにしています。
  しかし,他方で,ジョブ型雇用の提唱が賃金等処遇の職務との関連性を高めようという点では,非正規雇用への手当不支給の是正に止まっている現行方式の同一労働同一賃金の限界を超える面がある,と評価しています。
 本来ならメンバーシップ型雇用と言っても,決して従業員管理型企業ではなく,濱口氏自身が指摘するとおり「中小零細企業を中心とした現実の労働社会においては..解雇が自由奔放に行われて」おり,資本の論理が貫徹する私企業であること,それがメンバーシップ型に映るのは株式の持ち合いによって経営者層まで生え抜きの深い内部昇進が転換されている大企業に焦点が絞られがちであることに言及すべきですが,解説論文であるため,込み入った話は省略しています。

  後半の職務内容に即した処遇改善は元々は昨年の学部の公開講座「働き方はどうなる?」で話した内容であり,前半のジョブ型雇用提唱論の検討から性急に結び付けた面がありますが,ご笑覧くだされば幸いです。 

仕切り直し

 年末,生産論の宣揚をしておいて1ヵ月経った。
 進展がなかったのである。
 普段読まない小説を手に取る正月休みも費やしたが,これといった成果はなかった。
 冬休みが終わると,その間中断していた授業の準備,後処理,卒業論文,修士論文の指導に忙殺された。
 そのうち,体調も明かした。
 睡眠が浅くなり,ここ数年小康を保っていたアトピー性皮膚炎も症状が悪化した。

 まだ学期末の成績処理が残っているが,これから仕切り直して検討し直してみたい。