2023年3月22日水曜日

年度末を前にに考えたこと

  この間,経済原論第3篇関連の文献を読んで勉強していたが,まだ論文にするほどの筋が見えてこない。しかし,来週始めには研究会,研究合宿のために上京するし,その後は新学期の準備がある。新学期が始まれば,まとまった時間は取れない。準備不十分でも現時点で考えておくことは重要であろう。


 経済原論第3篇に注目するきっかけは昨秋の学会報告だった。
 報告では,小幡先生の原論以降,労働価値説における搾取の説明が剰余価値論から余剰論に置き換わった。第2篇生産論で搾取が説かれている点は宇野以降一貫しているが,搾取の発生を階級単位の労働交換,支出された労働量T>労働者階級の取得する生活物資総量に体化された労働量Btとして説かれることになった。報告はその検討を行ったが,その中で,搾取が階級単位で説かれているために,『資本論』以来の特別剰余価値規定が消滅していることを指摘した。個別資本が労働時間を延長したり,労働の強化をしたりして,賃金労働者の労働支出量を増やすことによって剰余価値を増大する方法である絶対的剰余価値の生産に対して,生活手段ないし生活物資の生産に関わる技術革新によって生活手段の生産に必要な労働,必要労働が削減されることにより剰余労働を増大する方法が相対的剰余価値の生産であるが,社会全体で進行する必要労働の削減は個別資本の行動としては示すことができない。そこで,まだ普及していない新しい生産方法を用いた資本が現行生産方法によって生産された商品価値との差を特別剰余価値として取得すると説かれる。社会全体で進行する必要労働の削減を,生活手段の生産に限定せず個別資本における特別剰余価値取得を目的とした新生産方法利用進展として説いているのである。新生産方法の普及として必要労働の削減を説いているのであるから,特別剰余価値はプラスの値しか触れられないし,新生産方法の普及によって消滅する経過的存在と説明される。個別資本の行動に即さず,階級単位で搾取を説く小幡原論以降は,この特別剰余価値概念の存在の余地がない。しかしながら,その痕跡が第3篇機構論に特別利潤概念に残っている。特別利潤ないし超過利潤は同一生産部門における諸資本の生産性の差,用いる生産方法の差によって生じる平均利潤との差額である。平均的な生産方法よりも劣る生産方法を用いる資本はマイナスの(平均利潤を下回る)超過利潤を得ることになる。また,新生産方法の投入ないし,異なる生産方法の並立には終わりがないので,超過利潤が消滅することはない。ところが,小幡原論では特別利潤はマイナスもあるとされるものの,新生産方法が普及すると消滅すると説かれている。さくら原論研究会の「これからの経済原論」の特別利潤は,マイナス値に触れられないと同時に,やがて消滅すると説かれる。資本・賃労働関係に即して搾取を説くべき第2篇生産論が階級単位で叙述されたために,第2篇から特別剰余価値概念が消失すると同時に,その痕跡,資本・賃労働関係に即して説くべき剰余価値論の痕跡が諸資本の競争態様を分析すべき第3篇機構論に特別利潤概念として遺った(これからの経済原論の特別利潤は第3篇に紛れ込んだ特別剰余価値概念そのもの)と指摘したのが学会報告であった。

 このよう第2篇生産論ないし剰余価値論を余剰論に置き換えた影響が第3篇機構論に遺っていないだろうか,という問題意識で比較的最近の文献に当たってみた。後期の成績評価など年度末の学務処理に目処が立った1月末あるいは2月初め以降のことである。


 余剰論の第3篇への影響は今のところ,他に見つけられなかった。
 しかしながら,最近の第3篇に係わる研究には一定の傾向,おおよそ3つがあるように見受けられる。

 第1は,前にも述べた第3篇を分析基準,ツールとして捉える傾向が強い。
 これは山口重克先生が経済原論の役割として,体制比較の基準としての本質規定の提供と,分析基準提供の2つがあり,第2篇生産論が前者であり,第3篇が後者と割り振られたことに端を発している。
 もちろん,銀行信用や商業資本等の市場機構を説く第3篇が分析基準を提供していることは間違いない。
 しかし,分析基準の提供は第3篇ないし経済原論全体を通してであって,個々の章,節の問題ではない。例えば,冒頭利潤論では産業資本しか登場しない。商業資本や銀行資本の影響は論じられない。商業資本と銀行資本,どちらを先に説くかは分れるところだが,先に説いた章節では後に説かれる機構は説かれていない。第3篇の最終章はたいてい景気循環論になっており,そこで分析基準としての諸機構がとかれれば良いのである。
 むしろ,各所でいきなり分析基準を示さなければならないとすると無理が生じる。
 例えば,商業資本ないし流通過程の移譲が説かれない段階,産業資本が流通過程を担っているという想定の下にある冒頭利潤論で,生産価格を細かく規定しようとすると,費用価格に流通費用を含めるべきか否かという厄介な問題が生じる。
 流通過程の不確定の処理,端的には流通費用の計上可能性も,産業資本のみの段階と,商業資本が登場する段階,商業資本がさまざまな産業の,さまざまな資本の流通過程を集中代位する段階では異なるのではないだろうか。

 第2に,変容論の影響が色濃く認められる。
 変容論は小幡先生による宇野三段階論,特に(発展)段階論への代替案であり,話せば長くなるが,資本主義社会の多様な発展,変容への萌芽,開口部という,が経済原論の各所に垣間見られるというものである。
 しかし,上の点と同様,原論の規定がそのまま現状分析のツールになるわけではなかろう。
 現状分析に必要なのは,資本主義的生産様式に本来的に備わっているという説明に止まらず,今日的形態は資本主義的生産様式にとってどのような歴史的意味を持つか,その説明材料を提供することであろう。
 その意味では,資本主義的生産様式には開口部として複数の形態が想定しうると言うだけではなく,資本主義的生産様式にとって本質的なのはどちらか,という優先順位を示すことであろう。例えば,貨幣形態として金属貨幣と信用貨幣が考えられるとして,両者は資本主義的生産様式にとって「等価」なのだろうか。そうではなかろう。明らかに金属貨幣が優位であるし,逆にこんにちでは金属貨幣(金本位制度や銀本位制度)は想定できない。優位でない信用貨幣が主流とすれば,それは資本主義的生産様式にとってどのような意味を持つか,こそ問われるのではないらろうか。

 第3に,宇野派の中堅以下では第3篇を「市場組織論」として読み直す傾向,「組織化」論が顕著である。
 組織化とは,流通過程の不確定性に起因する遊休貨幣資本量の発生を抑えるために,複数資本が事前に取引方式を取り決めることである。
 それだけであれば,これまでも費用削減の試みとして信用代位(手形割引)や流通過程の委譲・代位(商業資本の分化独立)が説かれていた。
 組織化論の特徴は,遊休貨幣資本量の発生を抑えるために,取引方法の継続・安定化が進む,主流になる, と唱えている点にある。
 これは先の開口部が複数あるとしても優先順位をハッキリさせよという疑問に対して,継続取引を主と捉えていることになる。
 これはこんにちの,特に日本の系列取引など長期相対取引や,終身雇用とも呼ばれる長期勤続を念頭に置いてのことであろう。
 しかし,継続取引が主流というのは常識に反し,一般には理解されにくいのではないか?
 経済源論第1篇流通論のハイライトは「貨幣の必然性」にある。商品は売れるか売れないか分からないものの,商品交換拡大,価値表現拡大の試みのうちに,何でも買える。直接的交換可能性を独占する貨幣を生み出す,と。
 これに対して,継続取引では商品と貨幣の非対称性は消えている。言い換えると,貨幣所有者が何でも買えるという商品に対する貨幣の優位性を手放しているのであるから,それを償うに足るだけの有利な取引条件,1回毎のスポット取引よりずっと有利な条件,端的には商品を市場より格安に購入できることがなければ成立し得ない。裏面から言えば,売り手はスポット取引よりずっと不利な条件でしか継続取引に応じて貰えない。すると,流通過程の不確定性への事前対応と言っても,長短所を比較衡量してみると,継続取引が優位とは言えない。むしろ不利だから,一般的にはスポット取引が主流なのであろう。
 理論的には,継続取引の発生は,市場競争が阻害される(独占)か,その取引においてしか回収し得ない埋没費用の存在の少なくとも一方の想定が必要であろう。
 例えば,以前から指摘しているように,訓練費用の発生だけでは,その職,例えば,看護師に止まる誘因は発生しても,その職場,例えば,特定の病院に定着することは導けない。その職場でしか回収し得ない費用の発生を指摘する必要がある。
 経済原論に求められるのは,その場合の競争の制約や埋没費用の発生は資本主義経済の発展にとってどのような意味を持つかの説明であろう。
 例えば,小池和男氏が説いたように,大量生産技術の普及は分業を細分化させ,職場毎の企業特殊熟練が発生し,OJTによる訓練とその費用回収のため勤続が発生した。また,産業構造の変化によって比重が増大した間接労働は,直接生産労働に比し,複雑な,企業特殊的管理業務を要する。あるいは,こんにちのデジタル技術,部品組み立てに比し,それ以前の図面すり合わせ技術の場合には固有のノウハウ,埋没費用が発生し,系列取引を促すなどである。
 継続取引重視へのもう1つの疑問は,第3篇全体として示すべき景気循環分析への影響である。
 第3篇の理論的は分析基準の提示のみならず,資本主義固有の再生産機構,本質規定の提示も含まれる。
 例えば,産業資本から分化独立したものとしての商業資本や銀行資本は産業資本の蓄積をあるときは促進し,またあるときは要請するもの,いわば触媒として,利潤率の均等化や景気循環の転換を促進する役割を果たしている。
 商人資本や金貸資本,あるいは(労働力ではなく労働を購入する)生産資本は第1篇流通論でも設定可能である。第3篇で設定される商業資本や銀行資本は産業資本の利潤率増進活動追求の延長線上に成立したものとして,産業資本と内的関連を保つ。
 商業資本の得る利潤の源泉は,商人資本のように自身にとって外在的な間的空間的価格差ではなく,産業資本との関係で勝ち取った価格差である。生産過程から恒常的に生み出される諸商品の流通過程を集中代位することによって読み出された流通費用の節減等を源泉に保つ。
 銀行信用も,第1篇の金貸資本や『資本論』第3部第30-31章「貨幣資本と現実資本1.2」のように自己資本を中に貸し出しているのではない。産業資本の資本蓄積か不断に生み出される利潤,遊休貨幣資本が流入する預金をベースにしている。
 商業資本や銀行資本は産業資本の蓄積運動と内的に結び付いていると同時に,景気循環の局面では,売れ行きの良い商品を生産し利潤を上げている産業資本に対しては,仕入れ値を上げたり,手形の割引率を引き下げ,資本蓄積を促進すると同時に,売れ行きの落ちた商品を生産する産業資本に対して,仕入れ値を押し下げたり,手形の割引率を引上げたりして資本蓄積の抑制ないし他部門への撤退移動を促し,資本蓄積を加熱させたり,落ち込みを深めたりして,結果として,景気循環の波をハッキリさせ,あるいは利潤率の均等化を促進する役割を果たしている。
 継続取引の強調は,産業資本に比し固定資本の割合が小さい商業資本や銀行資本だからこそ可能な,資本蓄積のアクセラレーターとしての役割を見えにくくして言えるのではないだろうか。

 以上長くなったが,本質規定・分析規定の安易な二分法,優劣を意識しない開口部の並置,販売者,商品所有者視点に偏った組織化論によって第3篇における機構論が歪められているように思われる。



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