もう一つ,よく聴かれる,あるいはそう問われているように思うのは,なぜ労働力商品概念を用いるのか,ということである。
労働力商品概念については相当の研究蓄積があるので,思いつくままに論じるわけには行かない。
しかし,昨夏の研究会で数理派の中堅研究者は労働力商品概念を敢えて使わず,別の概念を用いる試みを論じていたので,むしろ労働力商品を使わないで資本主義経済を論じられるのか気になった。
その報告は,労働力は本人と不可分離なので売買不可能であり,むしろ労働力請求権が売買されるという主張であった。
労働力商品概念のポイントは,法的には雇用とされることを(労働力の)商品売買と捉え返している点であろう。
- 雇用は封建社会までの人格的拘束関係からは自由である。資本主義固有の生産関係を表わすことになる。
現在,世界中で,従来フリーランスないし個人事業主と位置付けられていたギグワーカーを雇用として保護すべきか否かが問題になっているように,業務委託と雇用の違いは主に指揮命令権の有無にある(その他に労働としての対価性の有無,報酬が一定時間拘束した対価なら雇用)。業務委託の場合,求める業務(労働ないしその成果)の指示だけで,その遂行方法,場所等に本人の裁量性を認めている。これに対して,雇い主に指揮命令権を認める雇用は,労働の手順,場所の指示,管理を伴う。 - しかし,雇用のままでは,資本主義経済のメカニズムを表現できない。家庭内の執事の場合も雇用に含まれる。労働力の商品化とすることによって,それが収入との交換かそれとも資本との交換かを明確にできる。
つまり,それ自体価値を持つ商品とすることによって資本主義的経済機構の叙述が可能となる。 - 資本・賃労働関係間で商品交換が行われると捉える場合,その商品が労働か,労働力かが問われる。
労働の売買という理解では不等価交換によってしか価値増殖を説明できない。労働力商品の価値と労働の生み出す価値との差による価値増殖を説明するのが剰余価値論である。逆に言うと,剰余価値概念不要論とは価値増殖を権力関係,階級関係から説くこと,階級関係から収奪を説明することになり,形式的には自由式,契約の自由の原則を取りながら,価値増殖を果たす資本主義経済の特殊歴史性を明らかにできないであろう。
労働力請求権の売買とする見解も同じである。そのポイントは労働力商品化,労働力商品の価値という概念を認めない点にあるから,剰余価値という概念を使っても使わなくても,階級関係から利潤の源泉を説明することになる。
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