2015年2月28日土曜日

曲折だらけ

2月23日 学会誌に掲載される論文「複雑労働の理論的可能性」の初校ゲラ到着。
投稿したのは約1年前だから「紆余曲折あり」だが,
実はその前の方が「曲折」だらけだった。

自分の研究テーマ「生産的労働」の一部としては「再生産労働」をテーマとして構想し,文章にしてみたが,
シックリ行かなかった。

既発表論文「消費における労働---家庭に残る労働」が家事・介護労働を生産的労働・不生産的労働というフレームワークから規定したのに対し,
同じ問題を従来の再生産労働論というフレームワークから迫ろうとしたが,
調べてみると,再生産労働概念自体が明確な定義がなく,なかなか深まらなかった。

その際,複雑労働という視点は全くなかった。
複雑労働は生産的労働の一部であり,生産的労働・不生産的労働が混在する家事・介護労働を考える際には念頭に置かれることはないからだ。

複雑労働に関する考察は,ひとつ前の論文「消費における労働」の延長線上に発生したのではなく,
「消費における労働」を含む,生産的労働に関する論考を全体として総括した際,浮かんできたテーマだ。

生産的労働に関して長々説明する内に,
熟練労働ないし複雑労働は価値を生まない,という自分としては「当たり前のこと」が理解されていないということが分かり,
熟練労働と複雑労働の区別から過去の学説を勉強し直し,
ほぼ1年前,学会誌に投稿した。

全体の構成には腑に落ちないところもあったが,
次の論文に関しては,上述のように,構想が固まらない期間が続いたので(計1年半ないし2年),
「この機会を逃しては」まとめられるのは何時になるかわからないと,
生煮えを承知しつつ思い切って投稿した。

そのため,論文示唆は長引いたようだが,
こちらは投稿後も,昨年3月末,8月初めと2度に亘り研究会発表を行ない,あるいは生産的労働に関するまとめを書き直していた。
その過程で複雑労働に関する従来の見解や議論の問題点,自らの見解も定まり,
昨秋,編集委員会から改善意見が届いた時には,
他の仕事に追われている中で比較的短期間の内に改訂稿を仕上げることが出来た。

今回の校正でも,読み直してみると,
相変わらず誤字脱字,引用ページ数のズレ等が見つかった。
そればかりでなく,表現の足りないところも目に付いた。
しかし,次週は別の仕事が入るため,最低限の修正を加え,初校を投函した(2月27日(金)。

今後は,複雑労働も加え,生産的労働・不生産的労働論の他の理論分野への展開を考えていくことになる。

2015年2月27日金曜日

非自発的,の謎

完全失業率,1月は4カ月ぶり悪化(27日総務省発表「労働力調査」)。
前月比0.2ポイント上昇3.6%。

なぜ?
鉱工業生産指数2カ月連続プラス(同日経産省発表「鉱工業生産指数」)や「自発的な離職」3万人増からは人手不足の局面も想定できる。

しかし,他方で「非自発的な離職」も1万人増。

2015年2月23日月曜日

同級生の子ども

2月21日 FBで高校の同級生が関西の大学に入学した息子の下宿探しに同行して大阪にいると知ってビックリ。
 子どもはとっくに大学も卒業し社会人になっている,場合によっては孫が出来ていて不思議ではない歳だからだ。
 人のことは言えないが,相当遅い結婚,出産だったのだろう。それだけに可愛さや寂しさも一入と想像できる
 しかし,子どもにとっては「人間ジンカン到るところ青山せいざんあり」。多様な将来は開けており,羨ましい限りだ。

2月20日経済原論演習。河村哲三「戦後パックス・アメリカーナの転換とアメリカ発のグローバル金融危機」(「現代経済の解読」増補版第2章)。
 補講のためこの時期に入った。
 学部3年生にとっては初めて聴き目にする用語が多い。
 そのすべてを調べてくれれば良いわけだが,量が多くて追いつかない,というのが現状だろう。
 春休み中に時期テキストの候補を考えておくように伝えて今年度最後の演習を終了。

2月19日 既に登録した来年度シラバスの修正期間が与えられたので,「評価基準」と「学生へのメッセージ」を中心に少し書き直した。
午後,学部主催のFD「わかりやすい授業をどう工夫するか」
学生が3グループに分れ,わかりやすい授業についてワークショップ。
要は,学生の主体的関心を呼び起すことが肝心で
講義資料はあまり細かく内容を記さず,学生が書き込む余地を残す等々。

2月18日 教授会修了後,学科で2月赴任した新人の歓迎会。
22時過ぎ,トイレを借りただけでは失礼と,にコンビニで何を買おうか迷っているうちに市内バス発車。
小雨降る寒い夜に後続バスを20分近く待つ気にはなれなくて,先のバス停,その先と歩いて行く内に自宅に着いた。
中心街から徒歩は久し振り。
ちょうど良い酔い覚ましになった。

2015年2月17日火曜日

沈む象徴

今朝の日経。VAIOがソニーから独立して初めての新製品発表。

独立したからこそ,横並び競争から差を付けやすい「プロ向け」の高機能品に特化できた。
また,これまで関係の薄かった部品メーカーとも共同開発が可能に。

悩みは価格。税別18万9800円は似た仕様の「マックブックプロ」の5割高。
OSやCPUは発注量で差が決まる業界にあって,14年のVAIO出荷額は,ソニー撤退のため(現在の出資比率1%),前年の半分以下だった。
1月発売予定だった「VAIOスマホ」でも発表時は箱だけだった。生産委託先から製品が届かなかったのは規模が小さく後回しにされたかららしい。

ソニー本体が事業をゲーム,画像(カメラや半導体),携帯電話の3つに絞り込むなかで,
国際競争上,量を稼げないPCや高級スマホは別会社で名前だけ残す形になった。

問題は本体に残った携帯電話事業でも苦戦していること。「世界販売台数は中国勢との競争激化が響き,4000万台強と従来計画(4300万台)を下回る見込み。今期のスマホ事業の営業赤字幅は一段と拡大しそう」(日経14年10月25日付け)。

ヒット製品が乏しく,重電はプラント輸出で,弱電はデバイスで生き延びている日本家電メーカーの現在を象徴している。

2015年2月15日日曜日

耳が痛い

2月15日(日) 今朝の朝日。1面は「公共施設1.2万棟取り壊し検討」習志野は市保有123施設の維持費が今後25年間で約965億円。16万6千人の人口は17年がピーク。

他方「波聞風問」は兵庫,鳥取にも隣接する岡山県西粟倉(にしあわくら)村「百年の森林構想」。
平成の市町村合併に加わらず「森林の管理をここで諦めず、あと50年がんばろう」と腹をくくった。森林組合が、間伐など山林を管理する仕組みをつくり,第三セクター「西粟倉・森の学校」で柱や床材に加工して付加価値を高め、地方の住宅メーカーと取引を始めた。昨年,単年度黒字を達成。「これまでも地方の活性化を唱えた政権は多い。でも、東京一極集中は止まらない。それは支援制度があるから策をねる、という地域が大半だったからではないか。課題は自ら挑まないと見えてこない」。

地方自治体の話だが,個人的にも耳が痛い。

2015年2月11日水曜日

平等な「戦後社会」か

今日の日経「経済教室」。「格差を考える(上)」として森口千晶一橋大学教授「戦後日本,富の集中度低く」。




成人人口の上位0.1%の高額所得者の所得が総個人所得に占める割合「上位0.1%シェア」を1890年から2012年まで追い,キャピタルゲイン(株,土地の売買益)を除いた系列をみると,産業化初期の急成長期(1890~1938年)に所得の集中が急激に進み,大戦前夜に9%を超えたが,戦中に急落し終戦時には2%にまで激減,高度成長期(55~73年)には低位で推移し,安定成長期にさらに1.5%まで低下していることを確認し,「日本の高成長は戦前には「格差社会」,戦後には「平等社会」のなかで実現」「ピケティ氏が警告する「富裕層のさらなる富裕化」が起こっているようにはみえない」と結論。

戦後「平等社会」に転換した原因として挙げられているのは「日本的企業システム」(株式持ち合いによる内部昇進と企業内組合の企業統治への参加)により戦前に比べて配当・重役報酬が大きく低下したこと。

しかし,
「経済の金融化」が強調される今日ではキャピタルゲイン(グラフの点線)も考慮する必要がある,
統計の先=12年以降は株価が著しく上昇している,
日本的企業システム自体が変質している(配当・重役報酬重視への転換,労組組織率低下)等
を加味すると,
戦後と一括りにはできない時期に来ているのではないか。

2015年2月9日月曜日

乞ご期待

山形県から委託した「地域課題解決実践活動モデル事業」の一環として昨年11,12月に紅花の里,山形市高瀬地区にフィールドワークに入った学生たちが,地域活性化プラン策定のため,1月23日と2月6日の放課後,下平裕之,山田浩久,山本匡毅三先生の指導の下,グループワークを行ないました。最終的には各班模造紙2枚にプランをまとめ,高瀬紅花ふれあいセンターにて地元の方にプランを説明し,意見交換します。3月2日開催予定の成果報告会に乞ご期待。

と,学部HPの社会連携関連ニュースへの掲載依頼を週末に出した。直に載るでしょう。

先に立たず

1月5日(木) 前日実施した修士論文面接試験を踏まえ,大学院生の論文集に掲載に向けた,修論の加工編集について院生と面談。
昼は近くのレストランで2年間の勉学を終えた院生を慰労。

最初に,紹介者に釣られて研究室で会ったことや,最初のゼミでは簡単な施行から始めたことを振り返ると,
よくここまで漕ぎ着けた,と思うと同時に,
こちらの指導の至らなさ,
指導に十分時間を掛けられなかったこと等々が思い浮かんできた。



2015年2月5日木曜日

嫌な予感

2月4日 大学院生の修士論文面接試験。昼休み大学院専攻会。午後,学科会。その後,大学院生と卒業単位の最終確認。

2月5日 4月の学生履修相談に出席をお願いしていた学生ピアサポーター候補者と面談。昼休み,修士論文完了の労いを兼ねてキャンパス近くのレストランで会食。

 近頃再びhtmファイルを,編集,コピーや移動等操作していると,ソフトウェアがハングアップするようになった。
 研究室サイトが再び編集不能状態になるのか少々不安。
 ほぼ2年振りに復活したばかりだというのに。

2015年2月3日火曜日

交渉ごと

2月2日 雪は週末のうちに止んでいたが,解ける途中に凍って,歩道に轍やアイスバーンを齎していた。 

朝一番,基盤教育「」の後は,来年度の学部学部科目「地域社会論」の講師との交渉。

学外講師で13回,前後にガイダンスとまとめという科目。
13回分の講師を固めないと,メニューが作れない。
ほとんど今年度と同じ講師にお願いするが,それでも本人確認に時間を取る。
大学人と言っても,書斎に困る,では済まない一面だ。

2015年2月2日月曜日

業務とは言え

もう2月。「逃げる」ように去って行くのか。
土日,日中ドトールコーヒーに籠るが,進展なし。集中力も足りなかった。
代わりに,朝刊の書評欄,文庫本紹介に載っていた稲葉連『命をつなげ』(新潮文庫)を併設書店でゲット。


ジムから帰宅後,3章の内2章読んでみた。
太平洋岸国道45号線の復旧に当たった釜石・宮古(岩手),南三陸・気仙沼(宮城)の国道事務所,土木会社の取り組み。

一方で,東日本太平洋岸を結ぶ幹線道路には早期復旧の社会的要請がある。
他方で,2次災害の可能性も否定できない。
職員も被災者であったりする。

従来,道路復旧のために,長時間作業を続けていた。
しかし,大災害時,業務だが,安全を考えると,どこまで業務命令できるのか,何時間拘束できるのか,現場は悩みながら使命感で臨んでいた。

震災復興には,国道45号線の場合も,
 山形県長井市の土木会社等ボランティアの協力があった。

しかし,中心,主力は,業務で普段から国道の維持に当たっている道路整備局国道事務所や土木事務所をおいて他にない。

すると,「強制」でもある業務にこそボランティア「自発性」,社会的使命感が問われる。

ボランティア論に影に隠れていたことを強く認識させられた。


自分だけの目

1月31日 ジム帰りに淳久堂で取り置き依頼した蜷川幸雄「千のナイフ 千の目マナザシ」(ちくま文庫)。創造的であろうというヒリヒリとした想いが伝わる。

ふと自分は,いくつの目を意識しているだろうか,と自問。

他方で、演劇評論家への「生活者視点」という対置が少々鼻に付く。