2012年8月15日水曜日

良品のシェア

無印良品がFACEBOOKで「シェアという発想」というコラムを載せている(FACEBOOK外のくらしの良品研究所のサイトでも)。

「最近、「シェア」という言葉をよく聞くようになりました。カーシェアリングや自転車のシェアリング、シェアハウス、そしてソーシャルネットワークでの情報のシェアなどなど。..そこには、どんな意識の変化が潜んでいるのでしょう。」
「一人一人で持つよりシェアしたほうが、無駄もなく効率的だということは、誰の目にも明らかです。しかし、合理的、効率的というだけでシェア意識の高まりは語れません。そこには、「所有」に対する意識の変化が感じとれます。」
「所有することに価値を置くのではなく、実際に使えること、それを活かすことに価値を置き、そのためにはあえて「自分で持たない」選択をする。誰もがものを持てることをめざしていた消費社会という時代を経て、「所有」への欲望が薄らいできているのでしょう。」

所有離れが進んでいることは否定しない。

先週の研究合宿でも若手研究者が
「自分の世代は,クルマ離れ,テレビ離れ,活字離れ,マンガ離れが進んでいます」と話していた。

しかし,「モノ離れ」ではない限りで,その裏面に選択の中であるモノは所有しないし,できないという事情が介在していることを見落とすべきではないであろう。

年齢階層別非正規雇用比率では,かつては最も低い階層だった若年層前半が2000年代から上位集団になっている。一言で言えば,若年層の非正規雇用比率は高い。






先の発言も安いテレビは所有しているけれどあまり観ないという意味であろうし,
クルマは利用しても,購入し,駐車場代を毎月支払う経済的余裕はない,ということであろう。

実際,先の研究者の発言のうち,所有離れはクルマくらいで,
テレビ離れ,活字離れ,マンガ離れはあまり関心が無い,アクセスしない,利用しない,という意味だ。

言い換えれば,昔から連綿と続く興味・関心の変化だ。

そもそも本人も「電子書籍リーダーは欲しいですね」と語っていた。
もっと一般化すれば,クルマは持たなくても「スマホを持たないなんて想像できない」という若者は多いだろう。

スマホは個人的ツールといわれるかもしれない。
しかし,通話・通信しているときは個人的でも,あまり利用しなせず家人の携帯電話だけで(シェアで)良い,という人も多数派ではないがいる。
多くの若者は「シャアしない」スマホの通信料を支払い続けるためには他の所有を諦め,「モノは利用したい」のでシェアざるを得ないという現実も視野に置くべきであろう。

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