2015年5月17日日曜日

不遜な要求

学生からの質問とこちらの回答を連投しているうちに,気付いてみれば学生の反応は乏しくなった。
毎回レスポンスカードで確認問題への解答,質問・感想を募ったり,理解度,分量適切度について5段階評価して貰っているが,
理解度のスコアは落ちた。
学生には取っつきにくいと思われる方法論部分より,本論の方が明らかにスコアが低い。
また質問が減ってきた^^;。

第1に,前回の質問への回答,解説時間が長くなり,本論が圧縮された。
こちらとしては,経済原論は経済への見方の転換を迫っているわけだから,現実経済への関心がベースだ。
そのため学生の質問は,理論とは離れて時事問題の解説になっても答えておきたい。
しかし,導入部が間延びするのは事実だ。。
第2に,本論について,今年度からテキストの解説と学問上の議論を分けて解説しようと試みた点が学生にはかえって難しくなったようだ。
これは,昨年度の学生のコメントに,「教科書との結びつきが弱い」とあったのに対応したものだ。
初めはコメントの意味が理解できなかった。講義はテキスト内容の解説が基本だからだ。
いろいろ考えてみて,テキストーー元々教養のテキストだからアッサリしているーーを補足するために,学問的に敷衍したり,現実経済から例を拾ったりした部分がそれに当たるのかなと。
これは,場合によっては複数方向からの解説になり,難解に感じられたかも知れない。

ここは悩むところだ。
テキストのアッサリした叙述で理解して貰えばそれに越したことはないが,
それは説明を端折っている,論点に触れないということであり,「理解した」ことになることは疑問だ。
「わかんない」で関心を喪失させては元も子もないが,
「聴いているだけでわかる」のでは学問,問うことにならない。
教師側も論点の絞り込みが必要だが,学生にも聴いたことをいままでの理解と異なる,なぜだろう,と反芻してみる努力を求めたい。
大学が大衆化した今日,不遜な要求だろうか。

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