2017年2月10日金曜日

格差と貧困

 ゼミのテキストを学生との話し合いで決めていると,
テーマはその時々で変わる。ピケティ,若者の雇用,貧困世代,労働法改正等々。
 
 もっとも「経済原論演習」らしく,柱は格差や貧困になる。
 こちらもこんにちの問題としてテキストを一緒に読み,内容を検討していく。

 そのうち,両者の違い,ズレ,振幅が気になってきた。
 もちろん,まだ考えが固まったわけではないが,
そのズレは何だろうか,と考えてみると,
対象,「主体」の違いに行き着く。

 今日「貧困」といって取り上げられるのは主に高齢者や母子家庭だ。
 もちろん,「経済指標の解説」でも指摘したとおり,2016年の消費は前年割れとなるなど,日本経済全体として消費抑制が進んでいる。また相対的貧困率でいえば,全体平均も子どもの居る家庭も15%を超えており,先進国では上位に位置する。
 しかし,生活保護需給世帯の5割超が高齢者世帯である。また,同じ子どもの貧困率もひとり親家庭となると50%を超える。
 つまり,「貧困」を以前より生活を切り詰めていることまで広げれば,日本全体で起きているとみることも可能だが,以前より低い平均水準にとうてい届かないという意味(相対的貧困率とは所得の中央値の半分以下)に捉えると,特定の主体,世帯類型に行き着く。
 
 これに対して,格差は労使間でも,正社員,非正規雇用という労働者間でも存在し,同一労働同一賃金の導入など社会的問題,政治的課題になっている。つまり日本経済全体の問題であり,主体は一部の労働者に限られない。

 もちろん,両者は関係する。
 今や就業者の9割超が雇用者なのだから,生活格差の源は収入格差と言って良い。
 
 生活保護世帯の半分が高齢者世帯(男女とも65歳以上の者のみで構成されている世帯か,これらに18歳未満の者が加わった世帯)であるのは,低年金,無年金が原因とされている。現役時代に週の所定労働時間が短かったり,会社規模が小さいため厚生年金には入れず,国民年金の保険料を払った期間が短いからであろう(昨年まで25年未満は「無年金」)。
 また,母子世帯の貧困率が高いのは,正社員非正規雇用の賃金格差と男女賃金格差の2つが重なっているからであろう。(幼子を抱える母子家庭では非正規雇用が多い)

 つまり,「格差」と「貧困」は当然関連している。
 しかし,「格差」と「貧困」では,より悲惨な「貧困」の存在に関心が引っ張られやすいが,別物である。
 格差の問題は,たとえ限定された意味の貧困でなくても,ついて回る。
 軽であれ自動車を所有し,たまにであれ外食や家族旅行を楽しみ,ローン奴隷といわれながらもマイホームをもっている者であっても,格差は見過ごしにできない。
 性別格差は男性であっても、「我関せず」されて良いわけではない。
 収入は抑えられているから,貯蓄は限られ,子息を大学に進学させることができても,奨学金ローンが子息に負債として残る。また,将来無年金ではなくても,国民年金は40年間は払い続けていても月65,008円に過ぎない。厚生年金が上乗せされても,低賃金であれば,上乗せ額は小さい。つまり,「貧困」にいう「無年金」「低年金」とは異なるが,準「低年金」であるから将来生活に不安を抱えることになる。日本経済に蔓延する消費抑制の源である。

 「貧困」に対しては,子息に養って貰え,同居させて貰えとか,離婚するなとは言えない,強制できないから,対策は勢い対症療法となる。
 しかし,「格差」は,「貧困」ではなく,直ちに税金による給付(公的扶助)が必要になるわけではないが(もちろん高校,大学無償化等の政策はあり得る),将来「貧困」に陥らないような制度設計が必要になる。
 賃金格差の解消,勤続の保障,ステップアップのための職業訓練への助成,「無年金」「低年金」を生じさせないような年金改革等々。

 対策を分けて考えるためにも,「格差」と「貧困」は意識的に分けて考える必要があるのではないだろうか。

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