2013年8月28日水曜日

幕間の難しさ

8月25日(日) 11時よりホテルKKR仙台にて馬渡尚憲先生を偲ぶ集い。


夕方.朝日新聞のいとうせいこうによる書評を思い出して.犬塚弘『最後のクレージー』(講談社)。インタビューによる一代記。


あとがきにインタビュアーが「人を笑わせることと人に笑われること」の違いを述べている。クレージーキャッツが前者で.最近の笑いが後者だという位置付けだとすれば.違うのではないか?


笑いは演じている人の話や話しぶりが笑われる点に違いはない。
古典落語だって.おどけた身振り.顔づくりする演者がいる(あの桂枝雀でさえ)。
話の枕レベルだと.たわいもない私生活の一端を紹介して笑いをとることはしょっちゅうだ。

その点では演奏中に音が出なくなって盥で頭叩いた途端に音が出始めるだとか.リズムが途中で狂ってくるとか.脚でトロンボーンを弾くなどといったクレージーキャッツの方が「演者が笑われる」類だろう。

違いは今の方が笑いそれ自体として売り出しているのに対し.
クレージーキャッツはあくまでショーの幕間の.邪魔にならない笑いから出発している点だ。

もちろん『おとなの漫画』は純粋にコント番組だが,
彼らはあくまで演奏の合間に笑い,というスタイルだったように記憶する。

最近はその「合間」「幕間」が成り立ちにくい。
もっとも視聴者の関心を惹く,笑いだけで番組を繕うとするから,
新ネタや即興中心になり,
毎度おなじみの笑いは「古くさい」「類型的な」「他愛もない」笑いと分類され,
正月でもなければテレビに登場しにくくなった。

他方で,歌番組の方も新曲中心になっているので,
スタンダードナンバーを次々に,という番組は成り立ちにくくなった。

実際は「類型的」「他愛もない」ではなく,唄を邪魔しない笑いであったが,
スタンダードナンバーを流す番組もクラブも成り立ちにくくなると,
笑い一本で勝負するタイプではないので放送業界とは疎遠となる。

新曲,オリジナル曲,新ネタ中心というのは見る方も演じる方も消耗する,消耗が早い、と思うのだが,
みな余裕がなくなったのか,
スタンダードナンバー中心,類型的ネタ中心の番組は視聴率という意味では受け容れられなくなった。




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