2022年9月28日水曜日

穴を塞ぐ

  8月末,学会報告の予定稿を提出して以来この方,10月下旬締切りのもう1つの原稿,解説論文の執筆に取りかかってきたが,先週末には勝手に「山は越した」と学会報告の準備に戻った。

 まず最初に,配付資料の原案をコメンテーター及び分科会司会者に送った。
 準備再開早々送ったのは報告直前ではお二人の先生が困惑されるだろうと考えたからだ。既に報告本文,同要旨は学会HPで公表されているとは言え,実際の報告に用いるスライド配付資料が手元にないとコメントの準備が進まないだろう。
 また,8月中旬の仙台経済学研究会で報告しており,スライドの原案もある。

 順番は逆のようだが,既に報告の構成は報告本文を提出した時点で確定しているので,スライドで文字表現されていない部分を詰める形で報告準備しようと考えたのだ。

 しかし,報告スライドは所詮,各パートの結論を箇条書きにしたようなものだから,スライドを前提にすると,報告本文には説明が足りないところは多々ある。

 多々,の最たるものは,
1)経済原論における生産論=代表単数という位置付け
2)余剰論の特徴としてあげた3点(a.資本主義における搾取が労働と生活物資との間の本源的弾力性という普遍的な事実の説明で終わっていること,b.労働と価値との関連づけが明らかでないこと,c.経済原論の三篇構成から逸脱していること)の理論的背景。

 1)は学会では常識と思うが,そうは考えていない立場の人には改めて説明が必要だ。
 先日お別れ会のあった山口重克氏は資本相違を度外視するというような意味で「代表単数」という言葉を用いている。宇野さんは言葉こそ用いていないようだが,生産論は階級関係そのものを叙述するのは適さないと述べている。

 2)はこちらの説明自体が未整理だった。
 要は,生産を自然過程の一部として捉えられているために,また労働と生産物との関係がいきなり物量体系で叙述されているために,「労働の定量性」が所与の前提にされてしまい,逆に「労働の定量性」を導くために必要な,(資本の)生産過程間の生産物と生産手段,生産的労働の絡み合い(a.代表単数的な視点)が埋没し,また労働一般を価値形成労働に塑造するための資本の価値増殖活動による締め上げ(b.価値と労働との相互規定性)が看過されている,ということだ。
 また,余剰論にいう本源的弾力性には,労働者が得る生活物資の量と支出する労働量との間の弾力性と,生活物資とそれを基に再生産される労働人口との弾力性という「二重の弾力性」が込められており,後者は社会再生産視点であるためにa.代表単数視点が後退してしまった。しかし,後者,労働人口の増減は,貨幣実在する市場論(商品在庫論)だけで説明しうるものではない。

 こうしたa.代表単数視点から階級視点への転換やb.価値と労働との関連付けの稀薄さが,c.代表単数視点の生産論と諸資本の競争態様を叙述する競争論との区分を曖昧にさせたのであろう。



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