前稿「問題意識,問題関心」で記したことも抽象的でわかりにくかったであろう。
少し具体的に記してみる。
まず1.問題意識の相違
多様な労働を理論的に把握するための試みが現在2つある。
一つは,人間活動のうち,一定の仮定で区切って,成果が正の場合「生産」,腑の場合「消費」と位置付け,消費部門における労働を生産部門における労働特別する試みである。さらに目的意識的な「労働」の他に,目的意識性を欠き不定型な活動として「非労働」概念を設定し,生産・消費と労働・非労働の組み合わせで生産における労働,消費における労働,生産における非労働,消費における非労働の4類型を示す試みである。
もう一つは,労働過程の一要素としての労働そのものは主体相互のコミュニケーションを含むがゆえに必ずしも定量的とは限らないけれども,その一部,労働過程を成果である生産物視点で捉え返した生産的労働は定量性を帯びる,という見方である。
片方は,労働そのものは生産であれ消費であれ量的性格を帯びているけれども,人間活動には労働の他に「休息や遊びのような,非労働と一括するほかない不定型な活動」がある,という見方である。
他方は,労働それ自体には定量性はないけれども,特定の生産物・寮を念頭に置いた生産過程の絡み合いのなかで定量性を課される生産的労働がある,という見方である。
この2つは多様な労働へのアプローチは全く異なる。
これらは現代の諸労働への問題意識が異なるのだろうか。
必ずしもそうとは言えない。
というのも,どちらの見方も,ある論者の1995年の論文で示されていたからである(労働・博道は同じ論者の2009年の著書で出現)。
どちらも同じ問題意識「製造過程における機械化・省力化の急激な進展のもとで、商業・金融などの市場活動やそれに随伴する運輸・通信といったサービスにますます多くの人間活動が吸収される傾向にある。と同時に、これまで市場とは異なる原理に依存してきた人間の心身に直接関連する、教育・医療や育児・介護などのさまざまな活動も他者の活動を通じて社会的に維持されるようになってきている。そしてこのような活動の場の推移とともに、その内容も大きな変化を遂げつつある。それに対して、従来の労働概念をそのまま当てはめようとすれば、そこからはずれた側面ばかりが目につくのは当然のことであろう。…それが賃金労働という形態をとるかどうかは別として、むしろこれまでの時代に比べてますます多くの時間を他人のために〈はたらく〉ことに費やしている観さえある。このようにみると、旧来の労働概念を固定してそれと異なる活動が増大したという方向で考えを進めるよりは、むしろ労働概念のほうを再開発するほうが、変容しつつある人間活動を包括的に理解する捷径であるように思われる。」から出発している。
異なる見解,対立する見解だからと言って「問題意識が異なる」と視野の外に置いて良いはずがない。
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