またまた更新が滞り1ヵ月経った。
学期末で慌ただしかったこともあるが、秋の学会報告、しかと構成が定まらないうちにエントリーしたため、学期中もスライド上で論点構成を繰り返し入れ替え検討いた。
そうこうするうちに8月。
そうこうするうちに報告予稿の締め切りまで半月。
ようやく構成を固めた。いや「腹を固めた」という方が正解か。
小幡先生が「マルクス経済学を組み立てる」(2016)で提唱された剰余価値理論の余剰論の組み替えについて、余剰論と他の組み替え論点3つとの関係を踏まえながら、検討していく。
報告における検討課題は差し当たり3つ。
剰余価値理論の余剰論への組み替えによって
1.搾取はどのように説かれるのか?
剰余価値理論は資本主義経済を対象にしている。労働力商品の価値を超えて労働の生み出す価値を剰余価値と規定しているからだ。しかし、余剰論の対象は資本主義経済に限定されない。普遍的に労働者に与えられる生活物資とそこから抽き出される生きた労働との間には意義的関係はない、本源的弾力性があることに余剰、純生産物発生の余地を見ている。
では、資本・賃労働関係ではどのように余剰の発生が説かれるのか?
2.労働と価値との関係はどのように説かれるのか?
「組み立てる」では労働生産物ではない労働力商品に投下労働価値説を適用することはできないとして、客観価値説が提示される。
剰余価値論の場合、労働力商品概念を基軸にその価値とそれによって購入される生活資料に投下された労働という形で労働と価値とが関連づけられていた。
では、余剰論ではどのような形で両者を結び付けるのか?
3.経済原論体系はどのように組み立てられるのか?
マルクスの『資本論』の場合、冒頭商品論で2商品の交換関係から価値とその実体である抽象的人間労働が関連づけられていた。そのため「資本の生産過程」(『資本論』第1部のタイトル)から流通論が分離独立することはなく、また生産論の中に流通過程論が組み込まれることもなかった(マルクスが生前公刊したのは『資本論』第1部のみであり、その遺稿の中から「資本の流通過程」として第2部が、「資本主義的生産の総過程」として第3部が公刊された)。
これに対して、抽象的人間労働の抽出(価値と労働の同定)を資本の生産過程で行った宇野弘蔵の場合、『資本論』第1部「資本の生産過程」における商品、貨幣、資本に関する規定を流通論として分離独立させ、それ以降の叙述および『資本論』第2部を生産論の中に組み込み、基本的に同3部に当たる分配論と合わせて3篇構成とした。
余剰論における価値と労働の関連づけによってこの3篇構成はどのように変わるのか、が第3の検討箇所となる。
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