2022年10月30日日曜日

野下先輩

  地元紙に載せるジョブ型雇用の解説論文,10月25日の締め切り当日に投函した。

 学会報告後,しばらく,手に付かなかった。
 報告疲れもあったが,報告予定稿を投稿した8月25日以降,報告の1,2週間前までの1ヶ月半の間にほぼ7,8割方,原稿を埋めており,残り2,3割の短い叙述で説明が十分でない箇所を埋める補完的作業に気が乗らなかったのだ。
 実際に着手してみると,準備不足で下調べが必要な箇所や構成の細部見直しもあり,最終局面では見直し,補正が終わらないうちに投了,となったが。。。

 脱稿後,再び気が抜けている間に想像もしないニュースが飛び込んできた。
 大学院時代にお世話になった野下保利さん(国士舘大学政経学部教授)逝去の知らせを学会MLで受け取った。

 大学院時代,野下保利さんは金融論の深町郁彌先生の研究室に属する助手を務められつつ,逢坂充先生の経済原論演習にも参加されていた。
 研究手法は異なっていたが,テーマも視角も狭くなりがちな自分に声を掛けてくださった。
 野下さんとは研究室で,下宿で,また箱崎,なぜかたまに春吉のスナックでいろいろ議論した。
 そのテーマは,時節柄?恐慌論,価値論中心だったように思うが,詳細は全く思い出せない。
 頭脳明晰かつ勉強も広くされていた方で,全く歯が立たず,子ども扱いだったように思う。

 山形大に赴任した後,東京での研究会に誘ってくださったので,出席してみると,野下さん自身はいらっしゃらず,面識のない先生方ばかりで当惑した思い出がある。

 また,国士舘大が各地に持つ父兄会?の東北行脚の際,山形にも立ち寄られたので,駅前の居酒屋にお連れしたところ,「地元の美味しい店全く知らないんだなぁ」と呆れられたことがある。
 その後は,年1回の学会でたまにお見かけしては挨拶する程度だった。
 金融不安定性について研究され,ミンスキーの訳本も出されていたが,こちらの関心と異なっていたためでもある。
 数年前の学会懇親会の場で知人に紹介するのに「こいつは経済原論の枠組みに浸っている」という趣旨のお言葉を頂いたのが最後であった記憶がある。

 今でいうぼっち族の自分にとって,野下さんは大学院時代最も親しく接しさせていただいた先輩,あこがれの大先輩であった。

  パイプを咥えた野下さんのお顔は今でも忘れられない。
 ひたすらご冥福をお祈りする。








2022年10月12日水曜日

報告記録

  10月8日経済理論学会第70回大会(東京経済大)の分科会で報告した。
 報告が分科会コーディネータ,司会者のY氏より学会誌の大会記録に載せるため報告と質疑の記録提出を求められたが,学会中は報告の疲労と安堵で質問票に目を通していなかったが,大会明けの祝日,早速目を通して記録を作成した。600-700字以内,報告部2/3,質疑1/3程度という制約のためで何度か書き換えた。


 本報告は小幡道昭氏が論文「マルクス経済学を組み立てる」で提唱した剰余価値論の余剰論への組み替えを,(1)資本主義における搾取の説き方,(2)価値と労働との関係づけ,(3)経済原論体系への影響の3点に亘って検討し,(1)生活物資(労働力)Btと支出労働量Tとの弾力的関係から余剰(T>Bt)発生を説く普遍的余剰論に止まり,個別資本の行動に即した説明を欠く,(2)価値と労働とは価格・労働時間両タームとも階級単位の集計値で照合されている,(3)流通形態資本による社会的生産の包摂を背景に価値と労働の関係づけがなされるからこそ社会的生産を予定しない流通形態の分析が流通論として『資本論』第1部「資本の生産過程」から分離した。両者の関係づけが流通形態である資本によらずに階級単位で済まされるならば,流通論と生産論の別が維持できない。生産論が階級単位で叙述されたため,同じ個別資本に即しながら労働者に向かうか他の資本家に向かうかという生産論と機構論との位相差も曖昧になっている,と結論した。
 コメンテーターE,K1会員,K2会員,司会者Y会員より大要3点質問;1)生産論=代表単数の意味(個別資本や階級単位との違い),2)特別剰余価値概念の意義(機構論の特別利潤概念で十分),3)従来の生産論に止まる,余剰論(労働力の本源的弾力性)の意義は近経や転形論争との関連で評価すべき。答弁;1)単数ではなく競争捨象,2)資本が操作しえない相対的剰余価値に繋ぐ概念,3)生産過程論再構成により労働の多様性を設定しようとしている。 

 今回報告したことにより,自分と周囲との問題に対する理解の齟齬が第3点、価値と労働の関係づけにあることがよくわかった。
 また,2日目昼休み、分科会には参加されていなかったK3先生から第1点について質問を受け,代表単数についてもさらに説明が必要であることもわかった。
 これらを念頭にさらに練ってゆきたい。