2020年10月26日月曜日

先週末,発言してみた

  先週の土曜日,24日は経済理論学会第68回大会の初日がZoom方式で開催された。(当初は北星学園大学で24-25日両日開催の予定だったが,コロナ禍により,いずれもZoom方式で共通論題中心の1024日と分科会中心の1212日に分けて開催されることになった。)

 午後の共通論題「少子化と現代資本主義」では3名の報告の後,質疑が交わされた。

溝口由己(新潟大学)「少子化要因分析の視点──資本主義機能不全としての少子化」

宮嵜晃臣(専修大学)「少子化の歴史的位相と日本の特性」

勝村務(北星学園大学)「人口減少と資本蓄積」

 3名の報告者のうち2名は同じ研究会SGCIMEでご一緒していることもあり,結局3報告それぞれに質問を出してみた。(今回は紙の質問票に記入するのではなく,オンライン入力なので質問を提出しやすくなっている)

 溝口報告は,出生率低下の要因を「子から得られる便益 > 子の養育費用」にあると捉え,戦後日本の出生率低下を1974年までの第1期と第2期に分けたうえで,出生率低下の要因を,それぞれ左辺の低下,右辺の上昇に求めている。第1期における便益低下とは,高度経済成長の過程で,第一次産業衰退による労働力としての子の価値低下や社会保障充実による老後保障としての子の価値低下を指す。

 第2期を規定する養育費用はいくつかの要因に分けられる。即ち,育児コスト=直接費用+間接費用(ex.機会費用) / 世帯生涯所得とし,主に機会費用の増加に主因を求められている。

 即ち,小括「日本の第2期出生率低下の主要因」では「正規の雇用慣行(長時間労働)ゆえに、女性の就業と育児の両立が困難。このことが女性就業率が高まる中で、育児の機会費用を増加」。したがって「時短が日本を救う!」と。

 これに対して,次のような質問をしてみた。

「報告スライドでは「日本(中国、韓国も)の出生率低下の7割は非婚化・晩婚化」また「一組当たりの夫婦の産む子の数の減少は少ない」とされており,結婚した夫婦にとって育児コストは大きくは上昇してこなかったということを意味しないか?とすれば,出生率低下の主因を育児コスト上昇に求める全体の主張と齟齬を来さないか?」

 報告者からは大要,次のような回答を頂いた。「上昇する育児コストがハードルと鳴って,乗り越えられると判断したカップルは結婚に踏み切り出産するが,克服困難なカップルが多く,晩婚化=出生率低下を招いた」。質疑はそれで終えたが,所得は婚姻率に関係しているだろうが,低所得者でも結婚し出産している以上,育児コスト上昇だけで出生率低下を出張するのはムリがあろう。(同報告は他に日中韓の育児コスト増大要因の違いを分析したり,働き方の問題や社会環境としてのサブシステンスの重要性を訴えたりしており,特に後者は興味深く共鳴するところも多い)

 宮嵜報告は,溝口報告が出生率低下の主因を育児コスト上昇に求めたのに対し,貧困(所得低下,不安定就労)に求めている。即ち,戦後日本では,「「福祉国家の遺産」(加藤榮一)という側面と新自由主義という背反する諸要素が交代し、並行して進展している」(報告要旨)とみている。前者は老親扶養の社会化を指し,後者は新自由主義政策による規制緩和(福祉国家の掘り崩しや労働市場流動化)を指す。後者で最も強調されているのが,非正規雇用の増大による貧困化の進展である。そのうえで,含意として,2年前の大会で半田正樹先生が発された疑問,非正規労働の増大は「働く貧困層」をつくりだし、労働力の再生産だけでなく,労働力の世代間再生産にも綻びをもたらし、「「グローバル資本主義が一つの社会構成体としての要件をいまなお担保しえているのか」との疑問を再提示されている。

 これに対して,次のような質問をしてみた。

1)報告でも言及されているように日本の相対的貧困率はこの間,若干改善していること,溝口報告が指摘しているように夫婦の完結出生数は大きく低下していないことから,日本の出生率低下の原因を専ら貧困化に求めるのは難しいのではないか?2)そもそも貧困の原因を雇用が比較的安定的な製造業の空洞化や非正規雇用の増大に求めているが,非正規雇用比率は,性別年齢階級別に見ると,安倍政権下で上昇したのは主に65歳以上層(女性は55-64歳層も)で他は低下しており,出生率低下に結びつく貧困化と結論づけられるのだろうか?3)パート年収200万円未満というとき,自ら就業調整している家計補助的労働を一緒にしていないか?」

 宮嵜晃臣さんとは研究会でよくご一緒するので,気安くさまざまなコメントしてしまったが,整理し直すと,2)貧困化や3)出産に当たる世代の非正規雇用化の見積りが粗く, 1)出生率低下との因果関係を明確に示せていないのではないか,ということである。

 宮嵜さんからは,大要「全体しては非正規雇用数が増大し,率も上昇を続けている。不安定就労も相俟って,出生率低下をもたらしている」との回答を頂いた。

 私自身,非正規雇用には,働き方に見合った賃金や処遇(無期契約)になっていないという問題があることは重要だと思っている。その点は否定しないが,非正規雇用全体を一括りにして比率の上昇や低収入を主張すると,家計補助的主婦パートや年金受給者も含めた数字になった粗い分析になってしまい,結論の説得力が失われるというという懸念がある。また,「収入(貧困化=賃金)に限定し,育児コスト,特に機会費用を射程に入れていないので,働き方の問題(男性片稼ぎモデルの限界など)を扱わないなど視角が狭くなっていないか?」という感想めいたコメントも提出しておいた。

 勝村さんの報告は,従来の狭義の経済学では人口動態を扱ってこなかった(所与としてきた)として人口減少を視野に入れた場合,経済原論ではどのような影響があるか,論じたものである。

 これに対して,報告の本筋とは離れて次のような質問をしてみた。

「報告要旨では,新自由主義と共同体解体傾向が一体化されているように読める。しかし,「資本主義の発展による個人化」は「「老後」の社会化」によって補完される限り問題ないのだから,人口維持のための新新マルサス主義の要請が起きない限り,新自由主義が横行しても問題ない,ということにならないか?」

 勝村さんからは,大要,「資本主義の発展による個人化」は個人としては問題なくても社会の再生産としてはやはり問題との回答があった。

 振り返ると,練りが足りず,あまりよい質問ではなかった。聴きたかったのは,1)新自由主義が共同体解体の主因なのか,2)そもそも「共同体の解体」は社会的に問題か,ということであった。「解体」という字面から良くないことと即断されがちだが,内実は共同体,家族の多様化ではないだろうか。個人化でみなが子どもを産まなくなれば,社会が存立できなくなるのは当たり前だが,家族の多様化にすぎないのであれば,問題ないのではないか。

 総じて,少子化の背景にある働き方の問題(男性片稼ぎモデルの限界),非正規雇用の処遇格差,家族形態の多様化,社会環境としてのサブシステンスを問題にする点には共鳴できる点が多いものの,実際のデータとの照合が不十分なままでは因果関係にあるという結論が説得力を持たず,上の諸点の改善必要性という政策的含意も納得されなくなるのではないか,と懸念する。

 

2020年10月21日水曜日

恩師への失礼なお節介

 もう1週間以上前になるが,学部,大学院時代の恩師,逢坂充先生より「経済学と労働価値説(後編)」(九州大学『経済学研究』第87巻第1-3合併号)の寄贈を受けた。
 添え文に「今回の「後編」をもって終了といたしました」と記されていたのを目にして,失礼ながら急ぎ足で全4編拝読した(前編、中編,続中編はそれぞれ同誌第85巻第2-3号,同第5-6号,第86巻第4号)。


 価値形態論に付加価値形態論を対置させ,労働の二重性を商品論と生産過程論の二層で捉える壮大な構想に拡大する間接労働を射程に入れて労働価値説を「新生」させようとする先生の熱い思いを感じた。
 僕自身,ちょうどこの度,経済理論学会『季刊経済理論』第57巻第3号に掲載される「労働の同質性の抽出」では,「労働の二重性」を商品論以前に機械的に規定したり,生産過程論以前の労働過程論で演繹的に導出する見解を批判し,生産過程論の意義を宣揚しており,方法論としては逢坂先生とは異なっているが,労働概念を拡張し,こんにち拡大する間接労働を射程に入れようとする点は共通だ。
 何より先生が齢を重ねても研究論文を書き続けられている点を尊敬して止まない。

 ハガキで礼を述べると同時に,「「終了」と仰らずに書き続けられては如何でしょうか』と記したのは,無神経で礼を失したお節介だろうか。